第23話.嗤う声
とさ、と柔らかい衝撃があった。それに遅れて、何かが落ちる音も。
反射的に閉じていた目蓋を、ゆっくりと開けてみると……私の身体を受け止めているのは、エルヴィスだった。
触れ合う身体に一瞬ときめきそうになるが、騙されてはいけない。目の前の顔面偏差値上限突破男は私の愛するエルヴィス様ではないのだから。
私は慌てて彼から距離を取ろうとしたのだが、そんな私の肩にエルヴィスはさりげなく手を置く。
「怪我はありませんか? アンリエッタ嬢」
や、優しい。好きっ。
……じゃない!
「ちょ、ちょっと! エルヴィス様の振りするのやめてよ!」
周りに聞こえないように声を潜めて、ぎろりと睨みつける。
「それだけニヤニヤしといて、よく言えるな」
自分でもそう思うけれども!
「あ、そうそう。先週言い忘れてたけど、オレ、しばらくお前を監視することにしたわ」
「はっ? 監視!?」
「オレの本性について、お前が言い触らさない保証がないからな。で、大サービスで普段からエルヴィス様の演技もしてやるよ」
なんということだろう。天使エルヴィス様を失った代償に、悪魔エルヴィスに脅迫されるなんて。
「え、遠慮します。さようなら」
「誰かさんの妄想の話、クラスのやつらにも聞かせてやるかな」
「すみませんエルヴィス様、受け止めていただいて。もう大丈夫ですわ~」
うふふ、と笑う私に、エルヴィスも調子を合わせてくる。
「いえいえ。でも、次から気をつけてくださいね? 重かったんで……」
こ、こいつ腹立つ! でも笑顔かわいい! 腹立つ!
アンリエッタもエルヴィスもクラスでは目立つ生徒なので、周囲からは注目が集まっている。私は何事もなかったかのように微笑んでその場を離れようとしたのだが、今さらになって床に転がるものに気がついた。
制服内側のポケットを確かめてみると、感触がない。男子生徒とぶつかった衝撃で落としてしまったようだ。
「おい、それ……」
私の視線の先を見やったエルヴィスが、素で驚いた様子なのも無理はない。私が落としたのは、銀色の杖だったのだ。
杖を一振りして魔法を使う、というのは魔法使いのイメージとして一般的である。でもそれは私の前世での話なので、この世界の常識は違う。
魔力を持つ子どもは、物心つく頃に親から杖を買い与えられる。なぜなら魔法の込められた杖には、魔法の発動を安定させる効果があるからだ。
幼い頃にアンリエッタも両親から杖を与えられたはずだが、どこを探しても見つからなかった。そこでノアが、自分のお下がりだという杖を渡してきたのである。入浴や睡眠時以外は肌身離さず持ち歩け、とも言われていた。
この杖は装飾が控えめとはいえそれなりに重いし、転ぶと脇とかに刺さりそうで怖いのだが……教官、ならぬお兄様からのお言葉なので、無視するわけにはいかなかった。
しかし杖を拾い上げた私を見て、ぷっ、とクラスメイトの誰かが噴きだす。
「アンリエッタ嬢は、相変わらずユーモアのある方だ」
「そんなふうに言っては悪いんじゃないかしら。今からでも魔法を練習するのは遅くありませんわ、きっとね」
なんともいやな空気に晒されて、私の表情筋はひくりと引きつってしまう。隣のエルヴィスも意外なことに、不快そうに眉根を寄せていた。
クラスメイトたちが笑っている理由はひとつ。杖を持つのは子どもの頃だけというのが、カルナシアにおける常識だから。
杖とは、つまり――それを持つ者の未熟さを意味するのだ。
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