第21話.前途多難


 アンリエッタに強い魔力の素養があるのは、幼い頃に専用の道具で調べられたことから確かである。しかしそんな彼女は、今の今まで一度も魔法を使えたことがない。


 まぁ、乙女ゲームのための設定といえばそこまでなんだろうけど、素養の高さだけを理由に入学試験に合格してしまったのは、アンリエッタにとって不幸なことだっただろう。


「高い水準で魔法を使うには、精神・技術・魔力の三要素を鍛える必要がある。このどれかひとつが欠けてもだめだ。お前に関しては、魔力そのものを増やす修練は今のところ必要ない」


 スポーツでいう、いわゆる心技体。魔力だけは有り余っているアンリエッタだから、精神力と技術力を向上させようということだ。


「そこで行うのが、魔力制御のための特訓だ。まずは、魔力を使う感覚そのものに慣れてもらう」

「はぁ……」


 なんか地味そうだな、と思ったのが顔に出ていたのだろうか。唐突にノアが腰の木刀を抜いた。

 ひいっと反射的に頭を庇う私だったが、振りかざしてぶっ叩いてくるようなことはなく、ノアは木刀からぱっと手を放した。


 重力に従って地面に落ちるかと思われた木刀は、糸で吊られているわけでもないのに――ふわりと宙に浮く。


「おぉ……!」


 これが魔法。本物の風魔法! 昨日のエルヴィスの魔法には見惚れる暇もなかったので、今になって感動してしまう。


「今のお前には、木刀を浮かせるのも難しいだろう。最初はペンを魔力で動かしたり、魔力で手元に引き寄せる……そういった練習から始めろ」

「えっと、お言葉ですがお兄様。わたくし、風魔法が使えるか分かりかねるのですが」

「詠唱さえ必要としない生活魔法の範疇だぞ。得意属性でなくとも、このくらいの単純な魔法は使えて当たり前だ」


 さいですかー。


「この程度の生活魔法、数日もあれば習得できるだろう。逆に言えば、これすらできないのならお前には魔法士としてなんの見込みもない」


 どうしよう、聞いているだけで息切れしてきた。


「さらに、魔に堕ちるような事態を防ぐために軟弱な精神を鍛える必要がある。これは魔力を練り上げるにも重要だ。とりあえず毎朝、そして睡眠の前、瞑想の時間をそれぞれ二時間ずつ取る。雑念を消し、集中力を増し、冷静沈着に自分をコントロールする術を身につけろ」


 にっ――にじかんずつぅ!?


 私は目をむいた。この男は真顔で何を言っているのだ。

 前世では、どこかのお寺で座禅に挑戦したような覚えがある。十分間でもかなり辛くて、警策でぺちーんと肩を叩かれた思い出があった。


 蒼白な顔色になった私は、ぶんぶんと勢いよく首を横に振って訴える。


「むっ、むむっ、むりです!」

「何が無理なんだ」

「一日四時間なんて絶対にむりです。せめて最初はじゅっ……じゅうっ……三十分とか」


 自分でも譲歩したつもりだったけど、ノアには通用しなかった。

 ノアはおもむろにため息をつくと、眇めた目で私を見やる。


「昨夜、お前は俺に言ったよな。精いっぱいがんばる……だったか」


 ぎくり、と私の肩が強張る。


「有言不実行な人間ほど、性質の悪い輩はいないな」

「……や、やります……」


 私は項垂れるようにして頷いた。

 そこに、さらにノアが畳みかけてくる。


「目指すべき目標は、初級魔法の三つ同時展開だ」

「み……みぃ……」


 まずい、目を回して倒れそうだ。


「お、お兄様、もしかして前提をお忘れでしょうか? そもそも私は魔法が使えませんし、それに一年生の間で魔法の同時展開ができる生徒なんて、ほとんどいません」

「前提を忘れているのはお前のほうだな。魔に堕ちないための特訓だぞ、初級魔法の同時展開くらいできなくてどうする」


 そう言われてしまうと、ぐうの音も出なくなる。

 私が悪いわけじゃないが、今まで努力を怠ってきたのはアンリエッタ自身だ。多くの生徒は、幼少期から魔法について学び、切磋琢磨してきた。今から彼らに追いつくのが簡単であるわけがない。


 だけどアンリエッタは魔力の素養だけなら、学年で一二を争うほどと言われている。

 たとえ周回遅れであっても、超優秀な魔法士であるノアの指導のもとですくすく成長していけば、国中を騒がせるような才女として開花できる、かも……?


 なんとか自分を奮い立たせようと荒唐無稽な未来を思い描いていると、ノアが「はん」と鼻を鳴らす。

 恐る恐る見やれば、腕組みをしたノアはおどろおどろしいほどの壮絶な笑みを浮かべていた。


 私はそのとき、生まれて初めて知った。世の中には浮かべないほうがマシな笑顔、というものがあるのだと――。


「ここまで達成できれば、魔に堕ちる心配はない。いや、絶対にするわけがない」


 がたがた震えながら、私は首を傾げる。


「そ、そ、そうでしょうか?」

「そうだ。――しようものなら、俺がお前を殺す」


 ぎゃー、突然の殺害予告!


 プレッシャーと恐怖心できりきりと胃袋が痛んでくるが、お願いしたのは自分だ。

 始まる前に投げだすわけにはいかないと、私は青い顔でへこへこした。


「ご、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」

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