第10話

 忘年会は土曜日の夕方から行われた。


 その日は会社全体で定時を早め、全員がいつもより早くに帰宅した。中には遠方から通勤している社員もいるが、彼らは会場の近場で時間をつぶす。


 千波は一度帰宅し、念入りに髪を整えた。仕事の時よりも華やかなメイクを施し、合コンの時とは違うワンピースを着た。これも駅ビルでカヤとズッキと選んだものだ。


 紺色の下地に、ピンクの花柄のプリントがされたワンピース。細身のベルトを腰に巻き、寒さ対策に黒いレギンスも履いた。


 今日は岳の車で四人で会場に向かうことになっている。千波は緊張気味に家を出た。


 自宅近くのコンビニへ向かうと、白のミニバンが停まっていた。


 運転席には岳。スマホをいじっていたようだが、不意に顔を上げるとぱあっと顔を輝かせた。手をブンブンと振っている。


 はいはい……と苦笑いで車に近づくと、後部座席のスライドドアが開いた。


「若名ちゃんお待たせ!」


「早く乗って乗って!」


 千秋と横溝が身を乗り出しそうな勢いで手招きしている。これにもつい、苦笑いが漏れた。


 二人とも出勤時以上におしゃれだ。千秋の意外に女らしい私服姿はこの前と同じ。横溝は革ジャンを羽織り、ネイルはシックな色でかっこいい。


「おい! 俺の車と運転なんですけど! それとチナは俺の隣な!」


 岳は先輩二人に噛みつき、助手席を指さしている。


 緊張する……。よりによって彼の隣なんて。


 千波は小さなショルダーバッグを体の前に持ってくると、助手席のドアを開けた。


 足元の段差に足をかけると、先客がいるのに気が付いて動きを止めた。


「あ……このコ……」


「何々?」


 それは忘年会の景品の買い出しに行った時、ホームセンターで千波がちょっと気になった犬のぬいぐるみ。岳が買ったのは覚えているが、こんなところで再会するとは。


「あ、それ? 香椎のくせに何かわいこぶってんだよ、って感じだよね。しかも助手席に置いちゃってさ」


「横に座らせたっていいじゃないスか。事実可愛いだろ?」


「だまらっしゃい」


 千波は千秋の言葉など耳に届いていない様子で、岳のことを見た。


 彼は素早くウインクすると、”ほら早く”とぬいぐるみをひょいと持ち上げた。


「すみません……」


「そこは”がっくんの運転姿楽しみ!”にしとけよ」


 いつもの軽口にジト目になると、岳が千波の膝にぬいぐるみをのせた。


 彼はシフトレバーに手を置くと、車を発進させた。


「忘年会楽しみだな。チナは何鍋が好き?」


「担々鍋……」


「意外と辛党なんだー!」


「カレー鍋とか変わり種もおいしいよね〜」


 会場は鍋ものを売りにしている店らしい。千波の家から車で二十分くらいの場所にある。


 付近には大きなディスカウントショップ、ゲームセンター、映画館などが集まっている。千波は映画を観る時はよくここの映画館を利用している。


 車中では今日の仕事のことや年末年始の予定なんかを話していた。


「若名ちゃんは実家に帰るの?」


「そうですね。大晦日から帰る予定です」


「そっか〜。ね、若名ちゃんが暇な日あったら呑まない? って思ったんだけど……」


 確かに千秋とはいつか千波の家で呑もうと話していた。実家の滞在日数は特に決めてないし、早めに帰って彼女を招待するのもありだろう。


 千波は犬のぬいぐるみのおなかをぽんぽんなでながらうなずいた。


「いいですね、楽しみにしてます」


「やったー!」


「若いコ同士でいいわね~」


「横溝さんもよかったらどうですか?」


 千波は横溝に振り返った。彼女は足を組んでほほえんでいる。


「私も参加しちゃお~……って言いたいとこだけど、年末年始は親戚で集まるのよ。富川に帰るの」


「そうですか……」


「その流れで俺を誘ってくれ。酒は持ってってやるから!」


「……とか言ってるけどほっとこ」


「先輩だけずりーよ!」


 今日の岳は子どもじみているというか、浮足立っているようだ。そんなに忘年会が楽しみではしゃいでいるのだろうか。


 岳が横で”女子会かよ……”と悔しそうにつぶやく。千波はその横顔をチラッと見ると、流し目の彼と視線が合いそうになってあわてて視線を外した。


 運転中の彼の仕草は目が離せなかった。千秋と横溝に話しかけられたのにも気がつかない時があるくらい。


 ハンドルを握る拳からにじみ出る無骨さ。シュッとした横顔の輪郭線の綺麗さ。


 ライトがまぶしくて細めた目が色っぽくて、つい釘付けになりそうになる。


 その度に膝の上のぬいぐるみをなで、高鳴る鼓動を移そうとした。もし本当に移すことができたら、きっと魂が宿ってしまうだろう。


 店の駐車場に到着し、車をバックさせながら岳が助手席の背中に腕を回した。若干顔の距離も近くなる。まるで本当に肩を抱かれたような気分になり、うつむいた。


 抱きしめられた時に比べたらなんてことないのに、顔が中心部から熱くなってくる。


「香椎って駐車うまいよね、意外と」


 後ろから千秋が乗り出し、からかい口調になった。


「意外とってなんスか」


 何も話さない千波は相変わらず赤いまま。車内が暗くてよかった、と安堵した。




 店は貸切になっていた。


 中に入ると四名から六名がけのテーブルがたくさんあり、どのテーブルにも鍋や取り分け用の器などが置かれている。


 どの席にもまばらに人が座っていた。まだあまり人がそろっていない、というのもあるが自由にばらけて話している人が多い。


 前の部署のお局連中は、隅の席でひとかたまりになっていた。


 もちろん千波は千秋や横溝と同じ席に座った。岳は千波の隣を陣取った。ここは誰にも譲らない、と言った具合に。


 四人は端末を手にした店員に飲み物を注文し、始まるまでずっと駄弁っていた。時々このテーブルに訪れる同じ部署の人間を混ぜながら。


 開始時刻が近くなり、続々と飲み物が運ばれてきた。鍋にも火がつけられ、湯気が上り始める。中身はモツ鍋らしい。そういえば入口には九州名物を書いた黒板が置かれていた、と千波は思い出していた。


 人数がそろい、常務からの簡単な挨拶が終わると忘年会が始まった。


 鍋は千秋が定期的に取り分けたり、具材を鍋に投入した。千波たちはひたすら食べたりのんでいる。


「合コンでの経験が活きてるじゃない」


「横溝さんが何回も開催してくれましたから!」


 二人は何杯目か分からない生ビールのジョッキを片手に、豪快な笑いを上げていた。


「千秋先輩、合コンでカクテルが好きって言ってませんでした?」


 千波の指摘に千秋は挙動不審になる。亀甲レンゲを持つ手が止まった。


「あー……男ウケよさそうだからつい……」


「ありのままの自分を見せたほうがいいんじゃないスか? チナなんか包み隠さずなんでも言いますよ?」


 岳はノンアルコールビールをコップに注ぎながら、千波に親指を向ける。


 横溝は”そうだよね~”と、口元の泡を拭ってから口の端を上げた。酒には強そうだが、顔が真っ赤だ。


「前の部署に対する発言とか?」


 それがどれのことか分からないくらい、前の部署に対して中二なことをしている。千波はノンアルコールカクテルをゆっくりと置き、顔を覆った。


「もうやめてください……黒歴史です……」


「なんでぇ? みんな若名ちゃんのことかっこいい! って言ってるのに」


「”さすがは千秋姉御のお気に入り”ってね?」


「香椎はだまりなさい!」


 そんな感じで盛り上がっていたが、岳は時々男友だちに呼ばれたり、他の部署の社員の席に遊びに行った。


 その時初めて、彼が隣にいない時は寂しいと思った。視線がわずかに下がる。肩を組み合っている彼の男友だちにうらやましいと思ってしまう。


 忘年会も中盤に差し掛かり、また岳がいなくなった。すると、どこからともなくやってきた男性社員が代わる代わる岳の席に座った。


 社内では未だに最年少枠に入る千波のことが珍しいのだろう。彼らは千波に話しかけ、中には質問攻めする者もいた。


 今来た人で何人目かなんて、数えるのはやめた。


「若名さんは彼氏いるの?」


「いません……」


 その質問も何回目だろう。いない、と答えたらなぜか安心した表情になる者もいた。そこで彼が口を開くと、必ずと言っていほど岳がすぐに席に戻ってくる。またどこかに行くくせに。


 しかし、今回は現れなかった。


「よく見ると可愛いのにもったいないぞ。好きなタイプは? 当てはまる男がいたら連れてきてあげるよ。アイツとかは君と同年代だし……」


 男性社員はにぎやかな空間に視線をめぐらせ、若い男性社員に目星をつけ始めた。彼はこの場でアテンドする気満々のようだ。


 よく見ると、って若干失礼じゃないか。しかし、それで怒るような余裕はない。


 慣れないことに千波は始終たじたじしていた。前の二人に視線で助けを訴えるが、ニコニコとうなずくだけ。


「若名ちゃんは合コンでケンちゃんとしか話さなかったじゃない。こういう時に男と話す練習をしようね」


「会社の忘年会でそんなことするのは……」


「もう若名ちゃんは真面目なんだから。こういう時に出会いを求めなくてどうすんのよ!」


 酔っ払い二人はもうダメだ。頼りにならない。


 千波は額を押さえ、この場を乗り切る言い訳候補を必死に挙げ始めた。


 好きな人がいる、というのは言い訳にしづらかった。絶対にどこの誰なのかを探られる。それを誰かに言う勇気はまだない。


「ほらほら先輩二人もそう言ってることだし! こっちはまだ独身だけど!」


「指さすなや!」


 千秋は男性社員の手をはたき落とし、口を尖らせた。彼女が独身はおろか、彼氏がいないのをネタにされるのは定番だ。千波は吹き出しそうになったがこらえた。


「何してんスか~」


 帰ってきた岳が男性社員の肩を揉んだ。その顔は笑っているが、引きつり笑いにも見えた。


「若名さんに男を紹介しようと思ってな、あの辺のヤツらとかどうかな、ってしゃべってんだよ」


「アイツら? ダメダメ、俺一択でしょ」


「よく言うわ顔がいいからって! お前なんか顔もよくてコミュ力たけぇのにここ何年も彼女いないだろ? 不思議がった女の子がお前のこと、本当はヤバいヤツなんじゃねーかってビビってたぞ!」


 男性社員は岳の背中をバシバシ叩いて大笑いした。その隙に千波はノンアルカクテルのストローに口をつけた。


 急に彼が戻ってきて心臓が跳ねた。冷たい甘い飲み物が喉を潤し、熱を持った心臓を落ち着かせてくれるようだ。


 それにしても岳がそんなことを言われているなんて意外だ。男女問わず、すれ違う人全員に話しかけられるような男だ。前の部署では岳のことを好きとか気に入っている女性も多かった。


 しかし、よく考えたら千波も最初は岳のことを見境なしの男、のように思っていた。


 言われっぱなしの岳は気分を害するどころか、額に手を当てて笑っていた。


「そっかー! だから例の部署の人たちしかちやほやしてくんねーのか!」


「そういうことだよ! 」


 千秋と横溝も爆笑している。千波は安堵した気持ちに苦笑いを重ねた。ある意味でライバルが少ないということだろう。


(……待って。私は香椎さんとどうこうなりたってこと……?)


 彼と付き合うとか、今以上の関係になりたいなんて考えたことなかった。好きという感情を認め、彼の仕草や言葉にいちいちときめくのに忙しい毎日だ。


 男性社員は岳にさりげなく押され、席を立たされた。岳は席を奪い返すと、千波に向かってほほえみかける。


 不意だったので顔が強張った。”何緊張してんだよ”、と笑った彼の顔が優しくて、くわえたままのストローがグラスに下りた。


 まだ残っていた男性社員は腰を屈めた。千波と同じ視線になると岳を指さす。


「若名さん、コイツはこんなんだけど人としてはできてるから安心してな」


「は、はぁ……?」


「二人を見てたら意外とお似合いに見えてきたんだよ!」


「マジ? やったー!」


「何に喜んでるんですか……!」


 岳が飛び上がったせいでテーブルがゴン、と音を立てた。


「まぁ当然だけどな」


 得意げに見下ろす岳の顔はわずかに色づいている。ノンアルコールビールなのに顔が赤くなったのはなぜか。


 突然黙って見つめ合った二人を、千秋と横溝はアゴをなでながら目を細めた。




 やがてビンゴが始まり、千波たちはビンゴカードとにらめっこをした。


 この係を務めたのは畑中。数字が書かれた札の入った箱とマイクを持ち歩き、参加者たちに順番に引かせていた。


 畑中がこの日のために張り切って工作をしていたのを、千波たちは知っている。彼は参加者たちが感嘆の声を上げる度に、うれしそうにうなずいていた。


 出た数字は会社から持ってきたホワイトボードに書かれる。書いているのは岳だ。


 ビンゴになった順に商品が渡されていく。岳が景品を渡す係もやっていたのだが、目当ての景品の時は指をくわえて泣く泣く渡していた。気心の知れた相手だと、”渡さねぇ!”と言わんばかりに景品を抱きしめていた。


 残っている景品が少なくなってきた頃、千秋と横溝は日用消耗品、千波はお菓子が当たった。


 千波は岳の分のビンゴカードにも穴を開けていた。時々彼がやってきて”まだ当たってない? 高級和牛がもらわれちゃうだろ”と悔しそうにしていた。


 いざ千波がビンゴになって岳の元へ行ったら、”お前実はこれ俺のビンゴカードじゃねぇだろうな……”と冗談ぽく疑われた。後に彼のカードがビンゴになって教えに行ったら、”お菓子はいいからお前にやる”とマドレーヌを渡された。


「あーあ。やっぱり? だよね。でも使い道に困らないからいいかな」


「そうそれ。でもおばちゃん的には電化製品が当たってほしかったな……!」


 ビンゴ大会は終わり、ラストオーダーの時間になった。


 千波は苦笑いをして、ノンアルコールカクテルをストローで吸い上げた。甘くておいしいのですぐに無くなってしまった。


 店員に最後の飲み物をオーダーするついでに、トイレに行こうと席を立った。




 トイレから出て、ハンカチで手を拭きながら席へ戻る途中、店の出入口で話している人の姿が見えた。


(……?)


 妙に気になり、角に身を隠しながら顔をのぞかせた。これでは創成大で千波のことを偶然見つけた岳と同じだ。


(社長と香椎さん……?)


 意外……でもない組み合わせだ。香椎は誰とでも仲がいい。立場だって関係ない。


 二人はにこやかに話し合っているようだ。


 不意に社長が、スーツの懐から細長い封筒のようなものを取り出した。それを岳に差し出し、何か言い添えているようだ。


 そんな岳は驚いた顔をし、そんなものは受け取れないと言いたげな表情で首を振った。


 すると社長は岳の肩をポン、と叩いてその手に封筒を持たせた。口を動かし声を発したようだが、会場のにぎやかな声で何も聞こえない。


(もしかして……賄賂?)


 思い浮かんだのは自分でも驚きの単語。理由はもちろんある。


 岳は"社長のスパイ"とひそかに呼ばれ、会社内の防犯カメラの映像を自由に見ることができるらしい。その時に社長にとって知られたらマズい現場を見てしまい、その口止め料ではないかと……。


(会社のお金を横領してるとか? 薬物とか拳銃の密輸とか? やだやだ、そんな人のもとで働いてたとか信じたくない! ……の前に、こんなのありえないでしょ……コ〇ンの見すぎかな……)


 千波は頬をはたき、思考を現実に引き戻す。


 今のは一切見なかったことにしよう、と背を向けた。

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