Put yourself in my...

monica

第1話

 朝。カーテンの隙間から容赦なく差し込む日の光が、目の奥を刺激する。

 ……頭、いてー!完全に二日酔いだ。


 昨夜はまだ水曜であったにも関わらず、直属の上司である村田に、「坂本くぅん、軽くどう?」とお猪口を持つジェスチャーを見せられ、ついつい乗ってしまった。

 さしずめ、村田家はまた夫婦喧嘩でも勃発して、家に帰りづらかったのだろう。

 あそこの夫婦仲の悪さは部内でも有名だ。


 俺がまた大きい案件をまとめたばかりということもあり、村田は上機嫌で酒を勧めてきた。

「未来の社長は君だ!」という言葉は、あながち冗談ではないだろう。

 最近の俺は飛ぶ鳥も落とす勢い。正直笑いが止まらん。


 仕事に関しては敵なしの俺だが、酒は強くない。

 自分の限界はわかっているのに、酒豪の村田のペースについつい合わせてしまい、いつもへべれけになる。

 さてさて、今回は一体どうやって家に帰り着いたんだか。


 それにしても、今日の二日酔いはベリーハードだ。頭痛に加え、吐き気もするし、体は重いし。

 今日も仕事か。信じられんな…まあやるけど。

 そんなことを思いながら、寝返りを打つ。

 妻の美香とは、結婚当初は同じ部屋で寝ていたが、今の3LDKに引っ越してからは美香の希望で寝室を分けるようになった。

 よって、今はセミダブルベッドに一人で寝ている。体の大きい俺には、セミダブルでも狭いくらいなのだが。


 しかしおかしい。

 いつもなら一度寝返りを打つとベッドの端まで体が寄ってしまい、崖っぷち感覚になってしまうのだが、今日はなんというか、まだスペースに余裕がある。

 え、寝てる間にベッドが大きくなった?

 そんな馬鹿な―――


 なんだろう、それに、寝返りを打つときの身体感覚も、いつもと何かが違うというか、自分の体じゃないみたいというか。

 ベッドが大きくなったんじゃなくて、俺が小さくなった…?


 嫌な予感がして、飛び起きる。

 ベッド正面に備え付けられた全身鏡。

 そこには、驚いたように目を見開いた美香の顔が映っていた。


「え」

 呆けたような独り言が出る。

 美香の声だ。


 ということは、もしかして、んん?

 …どういうことだ?


 酔いは完全に醒めたが、まだ寝ぼけているようだ。

 俺は混乱したまま、ダイニングへ向かう。


 そこには、そこには…ああ、夢だと言ってくれ。


 コーヒーを片手に優雅にトーストを口に運ぶ、俺の姿があった。


「あら、おはよう。目覚めたのね。

 コーヒー、入れたわよ。食パンは自分でトーストしてね。」


 俺の声で妻の口調で話しかけてくる…


「もしかして、え…俺たち…入れ替わってる!?」

「ええ、そのようね」

「そのようね、って…ていうかその口調やめて…」

「まあ、人前では気を付けるわ。というわけで、今日は私が貴方の代わりに仕事へ出かけるわ。いいわよね?」

「いやいやいや、なんでそんな落ち着いてるの!?」

「逆に、貴方は何をそんなに慌てているのかしら?…あぁ、大丈夫よ、私の方は特に予定もないし、ゆっくり過ごしていて」


 会話しながら、美香はてきぱきと食器を片付け、歯を磨きながら(歯ブラシは俺のを使っているようだ)ジャケットを羽織り、腕時計を付ける。

 優雅な所作だ。

 ほぅ…こうしてみると、やはり俺は良い男だな……もう少し胸筋は鍛えた方がいいか…

 って、違う違う!今ナルシシズムを発揮している場合ではなーい!


 体が入れ替わっているとはいえ、仕事に遅刻するわけにはいかない(のか?)。

 出勤までのわずかな時間で、俺は美香と簡単な打ち合わせをした。


 とはいえ、定期的にLINEや電話で仕事関連の指示出しをすることを取り決めたくらいだ。

 スマホはお互いに「中の人」のものを所持することを断固主張した。

 仕事相手とのやり取りは社用のスマホで行うので、プライベートスマホの方は肉体と逆でも問題ないはずだ。

 怪しまれないよう、念のためスマホカバーだけ入れ替える。


 俺には何としても自分のスマホを死守しなければならない理由がある。

 なぜなら。

 ……同じ課の後輩女子、マキちゃんと禁断の仲にあるからです…。


 今のところ美香には感づかれていないはずだが、スマホの中身を見られたらあれやこれやの動かぬ証拠がわんさか出てくる。


 俺の代わりに出勤していく妻が、マキとの関係に気づいてしまわないか。

 それも、大きな懸念事項の一つだ。


「…やっぱり、緊急事態だし今日は休まないかい?」

「だめよ。いつ元に戻れるかもわからないのに、そんなの問題を先送りにしているだけだわ。それに、今貴方は大きなプロジェクトを回しているのでしょう?」


 そうなのだ。

 俺は今、常に大型案件を3つ4つと回している立場。

 何があっても休むという選択肢はない―――

 たとえ妻と体が入れ替わっても、不倫がばれそうでも……


「じゃ、行ってきます」

 俺はなすすべもなく、磨き上げたリーガルの革靴の靴音も高らかに颯爽と家を出ていく俺(中身は美香)の黒い背中を見送った。

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