場面.14「もう一人の探し物」
ダイダロスが工具を使う音がまだ微かに聞こえている所で、次の透けてる壁を見つけたアリスはそこを抜けて見えた光景に、またしても既視感を覚えて立ち止まった。完全に同じという訳では無いが、どことなく嵐の後のような雑然とした雰囲気や、湾曲した階段、途切れている道といった特徴が、アリスの記憶をくすぐっていた。
足元の歩きづらさも似た感じで、気をつけて進まなければ、直ぐにつまずくか足が何かに嵌りそうで、アリスは進まずに辺りを観察する事にした。
少しは歩きやすそうな部屋の外周にそって視線を移すと、そこには拉げた階段があり、それを登れば上階に行けそうにも見えたが、それを試してみる気にはとてもなれない様子だった。そこから更に奥に視線を送ると、そこにも危なげな左右の上り階段があり、どこかに続いているようにも見えた。
どこもかしこも危なげなのを眺めながら、ここで透けてる壁を探すのは嫌だなと思い、背中の来た壁に手を伸ばしたがそれは既に塞がれていた。
そこで仕方なく一番近くの壊れかけている上り階段に視線を戻したアリスは、そこに一人の人物が立ち、こちらを見て目を丸くしている表情に驚いて、思わず声を上げてしまったが、その人物は直ぐにがっかりした様子を見せて肩を落とし、階段の途中に座り込んでしまった。
その人物の格好は奇妙なもので、麦わら帽子を被っているが、髪は雄ライオンのように勇猛としていて、その割には体は細く、しかもどこかレドロンのような機械的な雰囲気があった。
注意深くアリスが少し近づくと、その人物は顔を上げて悲しげに言った。「驚かせてしまったみたいで済まなかった。逸れた人と勘違いしてしまってね。」
この世界で逸れるというのは有りがちな事だとアリスは思ったが、それは口にせず更に近づいて「アリスです」と名乗った。すると相手は困った様子で「名前は無いんだ。いやあったというか、でも名前じゃないというか」と口ごもった。
「気にしないで下さい。それにしても名前じゃない名前というのは、どんな名前なのですか?」とアリスが屈託なく訊くと「それもそうだ。おかしな言い方だったね。知能もちゃんと有ると分かったのに、いや有るからそれが可笑しいと分かるんだな」と言いながら、少し笑った。
話しやすい相手だなと思ったアリスが更に訊くと「私は、カカシであり、ブリキ人形であり、ライオンでもある。いや在ったというほうが正しいな。」
それを聞いたアリスは、それがドロシーの物語に登場するキャラクター達だと直ぐに気がついた。だから逸れてしまった人というのはドロシーの事で、この場所の雰囲気がどこかで見た気がする事にもそれで納得できるとアリスは思った。
ここはドロシーと出会って別れた場所と完全に同じじゃないけど、物語に共通点があるから似た世界が生成されているんだと想像した。それにしても確かドロシーは、みんなと出会えて後は虹を渡って帰るだけだったところで、道を見失い迷っていると言っていた。それが自分のチケットのせいなら、眼の前の人物がこんな事になっている事にも、自分が関係してしまっているのかも知れないと思い心が傷んだ。
それにしても三人だったキャラクターが、どうして今は一人なのかと思い、嫌な予感がしたアリスは「三つの名前じゃない名前が有ったあなたが、どうして今は一人なの?」と訊くと、相手は更に悲しい目をして「まだ三人だった時、三人はそれぞれ、知能と心と勇気を探してドロシーと旅をしていたんだ。でも途中でドロシーと逸れて三人だけになって途方に暮れていたら、ウサギの紳士と出会ってね。
そのウサギ紳士が言うには、皆さんの探し物はそれぞれが別々に既に持っているから、三人が一つになれば全て解決するよと言って、融合機械という部屋に案内されてね。融合するか訊かれたから三人は喜んで同意したよ。そうしたら私がいたという訳だ。」
アリスは混乱しながら「それで三人は?」と訊くと「三人は三人のままだったよ。そこに私が一人増えたという事だ。」
アリスは目を丸くしながら、つまり融合というのは自分が全体に吸収統合されるのではなく、自分の何かが転写統合されるのであって自分はそのまま。何も変わらないという事なのだと理解した。
それでふと、Mr.ロストハットが最後に見せた落胆の意味が分かった気がした。あの人は統合される事で、自分が新しい自分として仮想世界の住人になれると思っていたのに、実際には自分から他人が生成されるのだと分かって、挙げ句に何かの事情で帰れなくなって、あの迷宮みたいな場所で、孤独なお茶会を続けていたという事かと。
そうだとすると目の前の人物もまた、Mr.ロストハットと同じような事になるのかと気持ちが重くなったが、一方で、この人物は物語のキャラクターであって、Mr.ロストハットとは違い外からメタバリアムに来た人じゃない。Mr.ロストハットも時計ウサギに会ったと言っていたけど、その後カフェテリアを通ってる。それが外から来た人に設定されている順路だという話だった。
でもそれだと、物語のキャラクターであるこの人物は、自分やMr.ロストハットみたいに、外でアリスの手書き本を見ることなんて出来ないハズで、それなのに案内人の姿が、自分たちと同じ時計ウサギというのはどうしてだろう。
もしかしたらと、思いついたその可能性に、アリスは目眩がするような気分になった。
そもそも案内人の外観が時計ウサギなのは、自分がアリスの手書き本を直前に見ていたり、自分の名前がアリスだったりする事から連想生成されたものだろうけど、それがMr.ロストハットでも、この人物でも同じだという事は、案内人の生成条件に自分のそれが使われているという事ではないだろうか。
自分が通過してきた仮想エリア、そこで出会ったキャラクターたち、いろいろなエピソードの全ては、自分がここに来たときに開かれた自分専用のインスタンスで、その全てに共通して自分の設定が使われている。
そしてメタバリアムには自分が通過してきたエリア全体と似たような、あるいはそれ以上の広さがある別のインスタンスが存在していて、自分はそうした広大な仮想エリア集合の中の、ほんの一つだけを経験しているという状況なのかも知れない。
更には、自分専用のインスタンスと、他の仮想エリアでの別の物語とが、時折互いに交差するような仕組みが作動していて、シミュレーションされているのは個々のエリアだけじゃなく、それらは束ねられて連続した一人分の物語でありながら、その個別の物語はより大きな物語として、シミュレーションされているのかも知れない。
それでふと、Mr.ロストハットについて自分は誤解しているかも知れないと思い至った。自分のインスタンスに現れたMr.ロストハットは、融合に失敗した人物ではなく、融合した方、つまりモノフォリアだったのかも知れないと。
融合を済ませた人物の方は、実は問題なく退出を済ませたか、それはそちらの物語世界を経験し続けているかしていて、融合した方が自分の物語と交差していて、だから融合後の記憶が曖昧で、つまり融合とは、元の人物から生成されたキャラクターが、他の誰かのインスタンスに転送される事、それを融合と言っているのかも知れない。
ただし融合後には、一度それを承認するプロセスがあって、そのエリアがカフェテリアに設定されている。あの場所では本来、融合後でも変わらない自分と、融合後に生成された他人という二人がいて、その状況を元の人物が承認する事で、本人は退出し、生成された融合体は別のインスタンスに転送される。
どうして転送されるのかと言えば、融合体には物語がなく、その形成には他の物語との接触経験が必要だから。なるほど、それでチケットが二名制なのかとアリスは思った。
それが自分の場合、融合を拒否した事で想定通りに機能しなくて、他の物語の名前、自分の場合はドロシーが、何かの理由で割り当てられた。
融合生成されたキャラクターには物語が無く、つまりは始まりも終わりもなくて、目的を持っていないから、それで他の物語との接触で目的を見つけられないとバインドしてしまう。そう、あのMr.ロストハットみたいに。
するとエクソダシスは、目的を見つけられなくなっている融合体を、別のインスタンスに連れ出すような事をしているのかも知れない。
あれこれと想像を巡らせながら黙っているアリスに「何か思い当たる事があるのかな?」と相手から声を掛けられて「あの、それで三人が探していたものは見つかったの?」と咄嗟の機転で、話を目的へと繋いだ。
というのも、このままだとこの人物も目的を持てずにバインドしてしまい、そうなるとメタバリアムはシミュレーションを停止して、当該人物は時間停止し、誰かと接触するまでは消滅状態になるのではないかと思ったからだ。すると例えば犬人達は、誰かが接触しなければ、それは停止している。マザーシップもそうなのだろう。だとするとダイダロスは目的を持っているから、今も作業を続けている。
つまり外から来た人物の融合体だけではなく、融合生成されたキャラクター同士もまた、融合の対象として同等に扱われているのかも知れない。
アリスからの問いかけに人物は「見つかったというか、三人が一つになった私には答えが分かったから、それを三人に教えて解決したよ。つまり、カカシは知能を、ブリキ人形は心を、ライオンは勇気を、最初から持っていたよ。ただそれを自認する物語を通過していないだけだった。それが融合という経験で完結したという事だな。それから四人になって話している内に、ウサギ紳士は居なくなっていて、気がつくと自分一人になっていた。」
なるほど、キャラクター同士の融合では、カフェテリアでの承認は必要ないから、それはスキップされていきなり転送されたのかとアリスは思った。
しかしこれで、少なくとも自分が移動した先だけで時間が進んでいるという考えは間違いで、今でもこのメタバリアムでは、いろいろなキャラクターがそれぞれの物語を進めているのに違いないと想像して、気持ちが暖かくなった。
すると自分の周囲に淡く発光する球体が浮遊し始めて、アリスは体を捻りながら、あちこち手を伸ばしそれに触れたが変化は無く、光はただアリスを素通りするだけだったが、それはアロノンが言ったナラティクルだと分かった。
以前それに触れた時には、ドロシーについての断片的な光景が見えたが、多分、自分のナラティクルは自分には反応しないのだと想像しているところに「おお、アリスはドロシーと会ったんだね」と相手が嬉しそうにアリスを見ながら、また別のナラティクルに触れているその姿が目に入った。
今度はドロシーとは逆に、自分の物語の一部が相手に見られていると分かっているアリスだったが、嫌な気持ちにはならなかった。それにこれで分かった事は、ナラティクルの発生は対象が作中人物であるか否かは関係無いのだという事。それにしても情報伝達をどうしてこんな方法でと想像したアリスは、ナラティクルは、個別のインスタンス間で情報伝達が起こる時の視覚的表現で、こんな事もまたフリアート達の置きみあげなのかも知れないと、マザーシップのエリアで降り注いでいた光彩を思い出しながら想像した。
すると目の前の人物が「なるほど身体という事か、これはいいヒントだ」とアリスを見ながら言った。アリスが何の事かと首を傾げて見せると「実感だよ。一人になってから何かが足りないと思い始めて、それを探してここまで来たけど、見つけられずにいたんだ」と答えた。
相手が生体のないキャラクターだと知っているアリスは、それにはどう応えれば良いかと迷ったが、それでも何か言ってあげたいと思い、考えを整理せずにそのまま語った。
「体と実感には確かに深い関係があるかも知れない。実感というのは多分、体の神経細胞とか、脳内物質の伝達反応を統合して意識化する仮想現実。つまり身体という物理に投影される拡張現実だと思う」と、マザーシップとの会話を思い出しながら言った自分の考えが、ジャバラから聞いた生命螺旋と情報体の関係、生体なしで実現されるネオ・メタバリアムという生命世界、そんな話と繋がっている気がして内心驚きながら、意識を今はこの場に集中し直して「だからと言って、実感を得る為に身体という物理をシミュレーションしないといけない分けじゃない。この話、分かりますか?」
「ああ、君が聞いてきた話を、光体にふれる事で私も聞いた。この世界はメタバリアムという仮想世界で、外には生体を持った人々がいる。だが私は生体のないシミュレーション生成だ」そう返してきた相手の表情に曇りは無く、それを文字通りに受け入れているのだとアリスは理解して話を続ける事にした。
「それなら話が早いわね。生体のある私達は確かに身体から経験的に実感を得てるけど、実感の本質が物理に被せた仮想なら、物理的な身体のシミュレーションから構築しなくても実感は生成できる気がする。でもその場合、実感には経験が必要だから、その経験をどうするのかと言えば、それが物語を経験する事。そしてなぜ実感が必要なのかと言えば、実感は意識の重要な一部だからという事かな。」
「それだとアリス。実感がない私には意識が無い事になるけどそれは?」
「実感は意識の一部であって全部じゃない。あなたは複数から生成されたから、比較可能な対象を内包していて知性を持っていた。そしてその知力が、統合されたあなたと、分離された元の三人との違いに興味を持ち、その外見つまり身体に着目した。そこで自分の身体について知ろうとした時に、多分何も感じなかった。そこで何かが足りないと直感して、それをあなたは今、実感というものだと解釈した」というのはどうかしら、とアリスが言うと「なるほど。その話には納得するよ。すると私はメタバリアムでは生体を持つことは無いのだから、生体に基づかない実感を得る為の経験をする旅が目的という事だね。」
そう言われたアリスは、今度は自分がなるほどと気付かされた気持ちになった。ダイダロスもそうだったが、メタバリアムの内側から、いろいろな物事が経験的に組み上げられていく物語に自分も関わっているのだから、自分もまたそうした物語の一部なのだと。
またしても物思いに口を閉ざしたアリスの邪魔をしないように、とても静かな落ち着いた声で「自分探しの旅という事だね。自分という実感。自分に実感が持てる環境とか条件とかは、経験的にしか探せない。そして自分の実感が薄れれば意識も薄れ、もしかしたらこのメタバリアムでは、それは目的を失い、時間停止になるという事かな。私はそれが今の答えだと納得するよ。ありがとうアリス。」
「いいえ、こちらこそ。会えて話せて良かったです」とアリスが返すと、相手は微笑んで立ち上がり、腰掛けていた階段に足を掛けて登りながら、もう一度アリスを見て「良い旅を」と言って階段の先の透けている壁から消えていった。
なるほど、そもそもそこから来たのかな?と思いアリスも危なげな階段を登って壁の前まで来たが、そこで立ち止まった。直ぐに飛び込めば、あの人物がいるエリアに出るかも知れないけど、それは自分のインスタンス・エリアじゃないと思ったからだ。
自分には自分の物語がある。でもそれは少なくとも、誰かの自分探しに同行する話じゃないとアリスは思った。それでもふと、良い旅をと返し忘れた事を思い出し、既に姿がない壁に向かって、良い旅をと心で言った。
そしてまた一人になったアリスには、それが自分に向けた言葉のように響いたが、それは心で言ったのだから、つまり体に言ったのだと考えた。離れる事のない心身は、生きている限り永遠の二分であり、それが知性の源泉なのだと、ジャバラが言っていた話を、今は生体のない自分が実感していると思える事が不思議だった。
融合についての解釈。複数のインスタンスという、物語についての新たな着想。目的を持つことの意義。そして経験する事で組み上げられていく物語同士の関係性。
多くの事柄について考えを巡らす事になったこのエリアを後にしたら、この先には一体どんな物語が自分を待っているのだろうかと、期待を持ち始めたアリスだった。
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