人間みな失格

昆布尊師

第1話 失格の条件

 野口英世は大した人間じゃない。

 福島県にルーツを持つ私はそう思っている。「世間」的には仮にもお札になった「偉人」である。えっと・・・囲炉裏に落ちて、黄熱病の研究をした人だっけ?というのが「世間」の認識だろう。

 実際は集まった海外への渡航費用を出発前に使い果たし、借金をして国を出たり、その他金遣いの荒さから借金まみれだったと言われている。現代医学的に言わせれば成果はほぼないと言われているが私はその点について議論するつもりはない。明治の時代にアフリカに飛び、異国の地で研究に打ち込んだ行動力は確かに賞賛に値するものである。


 人間、一長一短とはよく言ったもので、コンプライアンス概念が呪いのように定着した現代では長所のみが認められ、短所が大衆の目前でその顔を覗かせた瞬間に表舞台から排除される。今活躍している芸能人やプロスポーツ選手はイメージ戦略や能力だけでなく、マイナスイメージを表に出さないリスク管理に苦心しているだろう。

 過去の偉人の頃はコンプライアンスなんて関係なく、極端なことを言えば「勝てばいい」「売れればいい」という成功者の論理でもあった。しかし、もしその偉人が今に生きて、今のコンプライアンス概念に照らし合わせたら、表舞台はおろか地球上から消されそうな人たちがゴロゴロしている。例えばスパナで部下を殴るバイク屋さんとか、小売店に血尿が出るまで悩み抜けという電器屋さんとか、不貞の子をこさえた挙句、別の愛人と玉川上水で心中した作家さんとか。

 しかし、彼らにも長所という光るものがあったのは事実だ。スパナ名人がスパナで部下を殴ったりスパナを飛ばしたりしながら作ったバイクは今も世界中で愛され、小売店が血尿を出しながら売った家電は世の中に定着し、入水自殺によって彼の「作品」はある意味で完成した。

 

 太宰治は「人間失格」を世に送り出した。彼は彼自身の人生を人間として失格だと烙印を押した。しかし、本来その烙印を押すのは自身の裁量なのだろうか?客観的に見た時に、人間は何を持って失格なのだろうか。テストが35点未満?それとも公安当局にご厄介になるようなことをした?SNSが炎上した?そんなわかりやすいものではないだろう。

 当局にお縄になったり、それこそサインひとつで首にお縄をされた悪人にも長所はあったのだ。その長所が石器時代や新石器時代なら許されたかもしれないが、現代社会では容認できないことだったり、使い道を誤ったが故に法治国家として裁きを受けなければならなくなったのだ。

 一応自己保身的に述べておくが「そういう考え方や見方もできるだけで、その行いを肯定するわけではない」という主張であることを述べておく。


 結局、何をもって失格なのか。残念ながら答えを持ち合わせていない。しかし、コンプライアンス病に冒された現代社会において、誰もが赤信号を破る、一時停止標識をチャリでぶっちぎるなど交通法規のひとつやふたつ破っているだろうし、幼少期にケンカして暴行罪に抵触することぐらいはしているだろう。しかしながら現在という場所は品行方正、清廉潔白、聖人君子、完璧な人間を求める。求めるが故に自らに跳ね返ってくるということを忘れて。

 人間完璧ではないし、脳天に電極でも刺さない限り完璧など絶滅するまであり得ないだろう。しかし、その基準がまかり通る現代においては「みな失格」なのかもしれない。

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