あなたの妻である未来に思いを馳せて

uribou

第1話

 淑女は妄りに肌をさらしてはならぬものという、当たり前みたいな価値観がかつてありました。

 その常識を疑う者はいなかったのです。


 しかし世の中天才はいるもので、顔やデコルテを見せてもいいのに、足を見せてはいけないのはどうしてだ?

 おかしいではないかと。

 とある服飾デザイナーが、女性の魅力は顔だけではないという価値観を生み出したのです。


 完全な顔面至上主義でした。

 少し前までは。

 いかに愛らしく顔を作るかということに、世の女性は腐心していました。


 しかし殿方は知っていたのです。

 女性の魅力は隠されている部分にこそあると。

 ですから特に夏向きのドレスでは、足や身体のラインを見せるものが急激に流行するようになりました。


 もちろん破廉恥だという声もありました。

 しかし顔の造作のみよりも、魅力を打ち出せるポイントが多い方が得ではないかと、多くの女性が気付き始めました。

 もちろん殿方も大喜びですし。


 かくしてほんの一、二年でファッションに関する常識に大変革が生まれ、それはわたしの運命にも関わることになったのです。


          ◇


 ――――――――――キティ・ハンター男爵令嬢視点。


「新作水着、ですか?」

「そうなの!」


 王立ノーブルスクール淑女科の級友の皆さんと雑談です。

 数年前の水難事故で多くの貴族の子弟が亡くなったことから、王立ノーブルスクールでも水練の講義が取り入れられることになりました。

 今年プールが完成し、水練の講義が始まります。


 水練に使用する水着の話になりまして。

 かのシンプルで身体の魅力を見せようという発想は、水着にまで及んだようです。

 拝見すると、身体にピッタリ沿うものですね。


「ヒラヒラを極力廃したデザインだそうなのですよ」

「泳ぎやすそうですね」

「そういう触れ込みなのです……あら、キティ様は水練の心得があるんですの?」

「はい。領が田舎なものですから」


 わたしの実家ハンター男爵領には海も川もありますからね。

 夏になると裸でどぼーんでした。

 懐かしい思い出です。


「でも身体の線が出てしまうでしょう? 恥ずかしくて」

「あら、でも最近の流行ではありませんか」

「装飾部分のある水着ですと、水に手足を取られて練習しにくいと思いますよ」


 これは経験談です。

 普通の服で水に落ちると、本当に疲れるし、溺れそうになりますから。


「キティ様はどうやって水練したのです? 当時はピッタリ水着などないでしょう?」

「裸でした」

「ああ、御領地にはプライベートな水浴場があるのですね。羨ましいですこと」

「えっ?」


 プライベートな水浴場というのは、わたしのような田舎者には思いもよらぬ発想でした。

 勉強になります。


「溺れるのは大層苦しいらしいですしね。水練はしっかり覚えたいですわ」

「キティ様教えてくださる?」

「私にできることであれば」

「わあ、嬉しいわ」


 皆さんが喜んでいらっしゃいます。

 水練の講義が楽しみですね。


          ◇


 ――――――――――水練の講義にて。エイベル・マグラス男爵令息視点。


「おい、キティ嬢ってエイベルの婚約者なんだろう?」

「美人だったんだなあ。気付かなかったよ」

「そうかい?」


 キティが可愛いことなんかわかってるよ。

 どうして領主科と淑女科の水練の講義は合同なんだろうな?

 いや、可能ならマッチングさせたいっていうスクール側の意図はわかるけれども。


 貴族の令嬢はそれほど身体を動かさないものだ。

 だから顔は奇麗でも体形はお察しだったりする。


 キティは違う。

 うちマグラス男爵家領やお隣のハンター男爵家領には魔物がいる。

 領主一族は率先して魔物を狩ることを求められるから、野山を駆け回るものなのだ。

 自然と身体は鍛えられ、強く柔らかくしなやかな体つきになる。


「何だよ、スカしてやがるな」

「スリムでセクシーじゃないか。羨ましいよ」

「キティは騎士科女子と毎朝ランニングしてるんだよ」

「へえ、意識高いな」


 確かにキティは意識が高い。

 でもそれは魅力的な身体を作ろうということではなくて、体力を維持するためだ。

 いつでも戦えるように。

 騎士と似た意識と言える。


「騎士科にはセクシーな令嬢が多いもんな」

「身体使ってると違うわ。男でもだが」

「男でもって。いやん、こっち見るな!」

「そういう意味じゃねえよ!」


 アハハ。

 まあ俺も身体は鍛えてる方だ。

 もちろんキティと同じ理由だが。

 王都にいたら身体が鈍ったでは、スクール通いがムダと思われかねない。


「それにしてもキティ嬢はいいスタイルしてるなあ」

「足が長いし腰が細いもんな。淑女科じゃダントツじゃないか」

「やめろ、俺の婚約者を嫌らしい目で見ないでくれ」


 水練の講義では令嬢方も化粧を落とす。

 すると普段王都風のメイクをしていない地味なキティでも、周りとの比較で素顔が可愛いとバレてしまう。

 本当に水練の講義は迷惑だ。

 早く夏が終わらないかな。


「なあ、エイベル。婚約解消の予定ない?」

「あるわけないだろ。俺とキティはラブラブだわ!」


 都合の会う日はいつも昼食を一緒に食べてるわ。

 お前らも知ってるだろうが。


 領地が隣で幼馴染で。

 魔物対策のために家同士の連携が必要ということもあって、結構昔から婚約者で。

 今は淑女の皮を被ろうとしているけど、本当は活発でお転婆なキティのことを、俺はずっと大好きだわ!


「ラブラブだからって、ずっと婚約者でいられるとは限らないだろう?」

「ゲイリー」


 話しかけてきたゲイリーはレンショー伯爵家の嫡男だ。

 レンショー伯爵家は古くからの領主貴族ではない。

 元々は商家で、爵位を買って徐々に大きくなってきた家だ。

 その経営手腕には誰もが一目置くが……。


「どういう意味だ?」

「失礼じゃないか?」

「失礼に聞こえたのなら申し訳ない。ただの一般論さ」


 内心を見せないための安っぽい笑顔が商人じみている。

 しかし領主科の学生がその笑顔に騙されると思うな。

 蔑みの感情が隠せてないんだよ。

 いけ好かないやつめ。


「確かにキティ嬢は可憐だ。野生動物のような美しさがある。僕は気に入った」

「おい」

「ただの主観さ」


 主観だと?

 ゲイリーのやつ、何を考えているんだ。

 俺のキティに不純な目を向けるな。


「見てみろよ。キティ嬢は飛び込むフォームも奇麗だな」


          ◇


 ――――――――――スクールの庭にて。キティ視点。


「……というわけなんだ」

「あら、まあ」


 いつものように婚約者のエイベルと、校庭の日陰のベンチでお弁当を食べていました。

 話題は先日の水練の講義について。


「領主科男子はキティの美しさに注目が集まってしまった。嬉しいやら警戒すべきなのやら」

「警戒すべきって」


 エイベルだって鍛えられた身体が格好よろしいですのに。

 でも注目されていると言われると、悪い気分ではないですね。

 わたしを婚約者としている、エイベルの株だって上がりそう。

 わたしもエイベルも田舎者で軽く見られがちですから、少しでも名が売れるのはいいことだと思いたいです。


「女生徒側は、エイベルの格好良さに注目は集まりませんでしたね」

「そりゃそうだろう」


 何故か、わたしがどうやって引き締まった身体を維持しているのかという話になってしまったのです。

 毎日体操とランニングを欠かさないという話をしたら、皆さん諦め顔でした。

 わたしは放任ですけれど、普通貴族の令嬢が一人で出歩くことはしないですものね。

 騎士科の女生徒と仲良くなっても、スピードについていけないでしょうし。

 

「エイベルの良さはわたしだけが知っていればいいことですから」

「ありがとう。でもキティの良さだって俺だけが知っていればよかったのになあ。全世界にキティの存在がバレてしまった」

「全世界って」


 そういう大げさなところも、エイベルの面白い部分ですね。

 話してて楽しいのです。

 好き。


「御馳走様。ゲイリーのやつが嫌なことを言っていたんだ」

「ゲイリー様が?」


 ゲイリー様はレンショー伯爵家の令息です。

 レンショー伯爵家は地方と王都の間の交易に強く、うちハンター男爵家もエイベルのマグラス男爵家もお世話になっています。

 嫡男ゲイリー様と意趣含みになるのはよろしくないのですが……。


「どういうこと?」

「キティとラブラブだからって、ずっと婚約者でいられるとは限らないだろう、なんて言いやがるんだ」

「あら、まあ」


 随分と挑戦的で不躾な言い方ですこと。

 ゲイリー様は伯爵家と家格が高いからか、他人をバカにするようなところがあるんですよね。


「その上でゲイリーはキティのことを気に入った、などと臆面もなく言う。あのわかりやすい悪者めが」

「不穏な気配がしますね」

「何か仕掛けてくるかもしれない。注意してくれ」

「わかりました」


 とは言うものの水練の日以来、危険な気配を感じたことはありません。

 幼い頃から魔物を相手にしてきたわたしが、気配を読み損なうことはないと思います。

 それはエイベルも知ってるはずです。

 となると、もっと違う方法をゲイリー様は用いるということでしょうか?


「やあやあ、エイベル、キティ嬢。御機嫌よう」


 噂をすれば何とやらとはよく言ったものです。

 ゲイリー様がいつもの信用ならない笑顔で現れましたよ。

 取り巻きの令息を二人連れています。

 騎士科の生徒ですので、おそらくはボディガードでしょう。


「何の用だ、ゲイリー」

「エイベル、そうつんけんするなよ。互いにとって有益な話をしに来たんだ」

「有益な話?」

「ああ。キティ嬢がエイベルとの婚約を解消し、僕の婚約者にならないかという提案だ」


 ――――――――――同刻。エイベル視点。 

 

「ああ。キティ嬢がエイベルとの婚約を解消し、僕の婚約者にならないかという提案だ」


 頭がカッとなる。

 何を言い出すんだ、このバカゲイリーは!


「キティ嬢はマグラス男爵家より格上であるレンショー伯爵家の僕と結ばれる。エイベルのマグラス男爵家は今まで通り、レンショー伯爵家を通して王都他各地方と交易を行えることを保証される。そして僕は宝石の原石、キティ嬢を手に入れることができる」


 くっ、こいつ露骨に実家の商売を盾にしてきやがった。

 卑怯な!


「どうだい? 三方皆得になるだろう?」

「寝言は寝て言え!」

「キティ嬢は本来もっと美しいはずだ。ところが実にもったいないことに、垢抜けないところがある。エイベルではキティ嬢を今以上に輝かせることはできないね」


 い、痛いところを。

 確かに王都風に垢抜ければ、キティはもっと奇麗だと俺も思うけど!


「さあ、キティ嬢。僕の手を取ってくれないか?」

「お断りいたします」

「……聞き違いかな? キティ嬢の実家ハンター男爵家だって、レンショー伯爵家が間に入らなければ商売がままならないだろうに」


 ヘビみたいに嫌らしいやつだ!

 でもキティは澄ました顔で言う。


「わたしとエイベルは既に裸を見せ合った仲ですので」

「「「は?」」」


 ゲイリーとその取り巻きが呆気にとられた顔をしている。

 ……確かに子供の頃お互い裸で泳いだのは事実だけど、その言い方は誤解を招くんじゃないの?

 キティはわざと誤解されるような言い方をしてるんだって?

 わかってるけど、貴族の令嬢が堂々と話すことじゃないんだが。


「は、は、は、破廉恥な!」

「王都の風習はどうだか存じませんけれども、田舎では普通なのです。ねえ、エイベル」

「まあ」


 ウソではないから。

 田舎の子供は皆裸で泳ぐわ。

 俺が否定しなかったことで、ゲイリーの顔が真っ赤だ。

 キティがさりげなく俺の左腕を取る。

 やるなあ。


 あ、ゲイリーが逆上してるぞ?

 チラッと視線を合わせると、キティが任せてって顔をしている。

 キティならゲイリーごとき、危険はないだろ。


「このアバズレがあ!」


 掴みかかってきたゲイリーをキティがいなし、見事な体落とし!

 こっちを見ていた生徒もいるから、ゲイリーの方から向かってきたことは証明できるな。

 ゲイリー気絶してるじゃないか。

 キティわざと頭から落としたな?


 アワアワしている取り巻き達に声をかける。


「君達は護衛なんだろう? 今のはゲイリーの方からかかってきたんだから、君達が守れなかったのは仕方ない。ゲイリーの非紳士的行為については厳重に抗議するが、君達に非がなかったことは俺が証言しよう。代わりに俺達が悪いわけでもないことの証言を求める。もっとも証人は周りにもチラホラいるがな」


 コクコク頷いてるわ。

 キティが倒れているゲイリーに近付く。


「ヒール!」

「か、回復魔法?」

「魔物を相手にする田舎者は回復魔法が得意なんだ。頭を打っているようだが、これでまず問題はないはず。医務室に連れていき、寝かせてやってくれ」


 ペコペコ頭を下げながら、取り巻きの二人がゲイリーを抱えて去っていく。

 終わったな。

 しかし……。


「昔のキティっぽい解決の仕方だったなあ」

「たまにはいいかもしれないわ。すっとしたでしょう?」

「ああ」


 いたずらっぽい顔をしているなあ。

 キティは淑女らしくない方がしっくりくる。

 魅力的だ。


「商売については困ったな」

「父様達の仕事ですよ。魔物の駆逐に関してマグラス男爵家とハンター男爵家が協力関係にある方が、商売よりも重要なんですから」

「その通りだな」

「わたしにとってもエイベルが重要なんですからね?」


 可愛いこと言ってくれるなあ。

 キティの額にキスをした。


          ◇


 ――――――――――後日談。キティ視点。


 ゲイリー様とのちょっとした諍いは、思ったよりも影響がありました。

 わたしのことをふしだらのアバズレの娼婦のってゲイリー様が言い募っていましたが、わたしに襲いかかって投げ飛ばされたということの方が広まってしまいました。

 情けないやつ、男の風上にも置けないやつというゲイリー様評が確立してしまったのです。


 一方スクール淑女科で護身術の講義の人気が、皆さんの間で高まりました。

 護身術は選択科目なのですが受講する人が増えたため、わたしも教諭の助手としてお手伝いすることになりました。

 いい汗をかいて奇麗に痩せられる、おまけに役に立つと大評判です。

 

 ゲイリー様の実家レンショー伯爵家は、本当にマグラス男爵家及びハンター男爵家との取り引きから手を引きました。

 ちょっと困ったことになるのでは?

 父様が言いました。


「いや、結構利益を中抜きされるんでありがた迷惑だったんだ。しかし相手は格上の伯爵家だろう? 断ることもできなくてね。縁が切れたのはいい機会だった」


 マグラス男爵家とハンター男爵家は王都の良心的でやる気のある商会に出資し、交易を任せることにしました。

 今までよりも儲かるようですよ?

 商売が滞って領民が難渋することがなかったのはよかったです。


 ゲイリー様のみっともない様子が関係するのか。

 それともあちこちで似たような阿漕な真似を繰り返していたからでしょうか?

 レンショー伯爵家の商売が急速に調子を落としているようです。

 いいタイミングで離れることができたと、父様も胸を撫で下ろしておりました。


 エイベルとの仲ですか?

 相変わらず良好です。

 わたしがモテるから心配だ、なんてエイベルは言います。


 でもエイベルは気骨のある素敵な殿方ですよ。

 決まってわたしは言うことにしています。

 わたしにはエイベルがいますから、と。


 エイベルの妻である未来に思いを馳せて。

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