第2章:中世の光 - ヒルデガルト・フォン・ビンゲン

 数日後、永遠と花凛は前回の話の続きを聞くために、再びお姉ちゃんの部屋を訪れました。お姉ちゃんは二人を見て、にっこりと笑います。


「お待ちかね! 今日は中世ヨーロッパの女性哲学者、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンについて話すわ」


 永遠が首をかしげます。


「中世って……暗黒時代じゃなかったの?」


 お姉ちゃんは頷きながら答えます。


「よく言われることね。でも、実はそうでもないの。ヒルデガルトは、まさにその『暗黒』の中で輝いた光のような存在だったのよ」


 花凛が興味深そうに聞きます。


「へえ、どんな人だったの?」


「ヒルデガルトは1098年、今のドイツにあたる地域で生まれたの。彼女は修道女になり、後に修道院長になった人なんだけど、単なる宗教家ではなかったのよ」


 永遠が驚いた表情を見せます。


「修道女が哲学者になれたの?」


 お姉ちゃんはクスッと笑います。


「そう思うよね。でも、ヒルデガルトは哲学者であり、音楽家であり、科学者でもあったの。彼女の才能は多岐にわたっていたのよ」


 花凛が目を輝かせます。


「すごい! でも、どうやってそんなことができたの?」


「それがね、ヒルデガルトには幼い頃から特別な能力があったの。彼女は『ヴィジョン』と呼ばれる神秘的な体験をしていたんだ」


 永遠が不思議そうな顔をします。


「ヴィジョン? 幻覚みたいなもの?」


 お姉ちゃんは少し考えてから答えます。


「現代の観点からすれば、そう解釈する人もいるでしょうね。でも、ヒルデガルトにとって、それは神からのメッセージだったの。そして、彼女はそのヴィジョンを通じて、深い洞察を得ていったのよ」


 花凛が首をかしげます。


「でも、それって哲学なの? アスパシアやディオティマみたいに、論理的に考えるんじゃないの?」


 お姉ちゃんは嬉しそうに頷きます。


「いい質問ね、花凛。確かに、ヒルデガルトのアプローチは、私たちが前回学んだギリシャの哲学者たちとは大きく違うわ。でも、彼女の思想の中には、深い哲学的な要素があるの」


 永遠が興味深そうに聞きます。


「例えば?」


「例えば、ヒルデガルトの『緑の力』という概念があるわ。これは、自然界に宿る生命力のことを指すの。彼女は、人間と自然の調和が重要だと考えていたのよ」


 花凛が目を輝かせます。


「へえ、今のエコロジー思想みたいだね!」


「その通り! ヒルデガルトは、800年以上も前に、今日のエコロジー思想の先駆けとなるような考えを持っていたのよ。彼女は、人間が自然から切り離されたものではなく、自然の一部であると考えていたの」


 永遠が少し考え込みます。


「でも、お姉ちゃん。それって、ヴィジョンから得た知識なの? それとも、観察とか経験から?」


 お姉ちゃんは嬉しそうに答えます。


「鋭い質問ね、永遠! 実は、ヒルデガルトのヴィジョンは、彼女の深い自然観察と経験に基づいていたと考えられているの。彼女は植物や動物を詳しく観察し、その知識を医学や薬学にも活かしていたのよ」


 花凛が驚いた表情を見せます。


「えっ、医学まで? 修道女なのに?」


「そう、ヒルデガルトは当時としては珍しく、女性でありながら医学の知識を持っていたの。彼女の著書『原因と治療』は、中世の重要な医学書の一つとして知られているわ」


 永遠が感心した様子で言います。


「すごいな。でも、教会はそんなことを許したの? ガリレオとかが迫害されたって聞いたけど」


 お姉ちゃんは少し表情を曇らせます。


「そうね、確かにヒルデガルトの時代も、教会の力が強く、特に女性の活動は制限されていたわ。でも、彼女は自分のヴィジョンが神からの啓示だと主張し、それを記録することを決意したの」


 花凛が興味深そうに聞きます。


「へえ、勇気があったんだね。でも、大変じゃなかったの?」


「ええ、とても大変だったと思うわ。ヒルデガルトは、自分のヴィジョンを公に語ることを長い間躊躇していたの。でも、彼女を励ました人たちもいたのよ」


 永遠が首をかしげます。


「誰が?」


 お姉ちゃんは少し身を乗り出して、目を輝かせながら話し始めます。


「ヒルデガルトの人生において、とても重要な転機があったの。それは、クレルヴォーのベルナールという当時の有名な修道士との出会いよ」


 永遠が興味深そうに尋ねます。


「クレルヴォーのベルナール? どんな人だったの?」


「ベルナールは12世紀の修道士で、当時のヨーロッパで最も影響力のある宗教家の一人だったのよ。彼は説教の名手として知られ、多くの人々を導いていたわ」


 花凛が目を輝かせて聞きます。


「へえ、すごい人なんだね。でも、どうしてヒルデガルトを支持したの?」


 お姉ちゃんは微笑みながら答えます。


「それがね、ヒルデガルトが自分のビジョンについて悩んでいた時のことなの。彼女は自分の見ているものが本当に神からの啓示なのか、それとも単なる妄想なのか、確信が持てずにいたの」


 永遠が首をかしげます。


「そりゃそうだよね。普通の人には信じられないようなことだもん」


「そうなのよ。そんな時、ヒルデガルトは勇気を出して、自分のビジョンについてベルナールに手紙を書いたの。彼女は自分の体験を率直に綴り、それが本当に神からのものなのか、意見を求めたのよ」


 花凛が驚いた表情で言います。


「へえ、直接有名な人に手紙を書くなんて、勇気があったんだね」


 お姉ちゃんは頷きます。


「そうよ。そして、ベルナールの返事が、ヒルデガルトの人生を大きく変えることになったの」


 永遠が身を乗り出して聞きます。


「どんな返事だったの?」


「ベルナールは、ヒルデガルトのビジョンを真摯に受け止め、それが本物の神の啓示である可能性が高いと判断したの。彼は返信の中で、ヒルデガルトを『神に愛された人』と呼び、彼女の体験を肯定的に評価したのよ」


 花凛が感動した様子で言います。


「すごい! きっとヒルデガルトはホッとしただろうね」


「そうね。でも、ベルナールはただ励ましただけじゃないの。彼は教皇に対して、ヒルデガルトのビジョンの正当性を認めるよう働きかけたのよ」


 永遠が驚いた表情で尋ねます。


「教皇って、カトリック教会のトップの人でしょ?」


 お姉ちゃんは頷きます。


「その通り。ベルナールの推薦もあって、教皇エウゲニウス3世はヒルデガルトのビジョンを公に認めたの。これは彼女にとって大きな転機となったわ」


 花凛が興味深そうに聞きます。


「それで、ヒルデガルトはどうなったの?」


「この出来事を機に、ヒルデガルトは自信を持って自分のビジョンを語り、書き記すようになったの。彼女は修道院の外でも説教を行うようになり、多くの人々に影響を与えていったのよ」


 永遠が感心した様子で言います。


「へえ、一人の人の支持が、そんなに大きな影響を与えるんだね」


 お姉ちゃんは優しく微笑みます。


「そうなの。時には、誰かの一言が人生を大きく変えることがあるのよ。ヒルデガルトの場合、ベルナールの支持が彼女の思想を広める大きなきっかけとなったの」


 花凛が真剣な表情で言います。


「私たちも、誰かを支持することで、その人の人生を変えられるかもしれないね」


 お姉ちゃんは嬉しそうに頷きます。


「その通りよ。だからこそ、私たちは互いを理解し、支え合うことが大切なの。ヒルデガルトとベルナールの関係は、そのことを教えてくれているわ」


 花凛が感心した様子で言います。


「へえ、支持してくれる人って本当に大事なんだね。アスパシアも支持者がいたって言ってたよね」


 お姉ちゃんは嬉しそうに頷きます。


「そうよ、花凛。どんな時代でも、新しい考えを広めるには支持者が必要なの。一人では何もできないわ」


「ヒルデガルドが見たヴィジョンって具体的にはどんなものだったの?」


 花凛の質問に、お姉ちゃんは少し考え込んでから、目を輝かせて話し始めます。


「そうね、ヒルデガルトのビジョンについて、もう少し詳しく話してみましょうか。彼女のビジョンは、本当に驚くべき内容だったのよ」


 永遠と花凛は身を乗り出して聞き入ります。


「ヒルデガルトは、自身のビジョンを3つの主要な著作にまとめたの。『スキヴィアス』、『功徳の書』、そして『神の業の書』よ。これらの本には、彼女が見た驚くべき光景が詳細に描かれているわ」


 花凛が興味深そうに尋ねます。「どんな光景だったの?」


「例えば、『スキヴィアス』には、宇宙の創造から終末までの壮大なビジョンが記されているの。ヒルデガルトは、巨大な卵のような形をした宇宙を見たと言うわ。その中心には燃える心臓のような光があり、それが全ての生命の源だったそうよ」


 永遠が驚いた表情で言います。


「へえ、現代の宇宙論みたいだね」


「そうね。面白いことに、彼女のビジョンには現代科学と通じる部分があるの。例えば、彼女は地球が球体であることを示唆していたわ。これは当時としては革新的な考えだったのよ」


 お姉ちゃんは続けます。


「そして、『功徳の書』では、人間の徳と悪徳が擬人化されて描かれているの。例えば、『愛』は赤い衣をまとった美しい女性として現れ、『嫉妬』は毒蛇を抱いた醜い姿で描かれているわ。これらのイメージを通じて、ヒルデガルトは人間の内なる闘いを表現しようとしたのよ」


 花凛が感心した様子で言います。


「まるで、アニメやマンガの世界みたい」


「そうね。ヒルデガルトのビジョンは、とても視覚的で象徴的なものだったの。だからこそ、多くの人々の心に響いたんだと思うわ」


 お姉ちゃんは少し表情を変えて、さらに詳しく説明します。


「『神の業の書』では、自然界の構造や人体の仕組みについてのビジョンが語られているわ。例えば、彼女は人体を小宇宙として捉え、体内の様々な器官が宇宙の要素と対応していると考えたの。血液の循環を川の流れに、呼吸を風に例えるなど、彼女の描写はとても詩的で想像力豊かなものだったわ」


 永遠が不思議そうに尋ねます。


「でも、そんなことどうやって知ったの?」


「それがヒルデガルトの凄いところなの。彼女のビジョンは、単なる幻想ではなく、実際の観察と深い洞察に基づいていたのよ。例えば、彼女は植物や動物を詳しく観察し、その特性を記録していたの。そして、それらの知識を基に、自然界の調和や人間と自然の関係について深く考察したのよ」


 お姉ちゃんは続けます。


「特に興味深いのは、ヒルデガルトのビジョンに現れる『生命の樹』のイメージよ。これは、全ての生命がつながっているという彼女の世界観を表現しているの。樹の根は大地に、枝は天に向かって伸びていて、人間はその中間に位置しているという考えよ」


 花凛が目を輝かせて言います。


「すごい! 今のエコロジーの考え方にも通じるね」


「そうなの。ヒルデガルトは、人間が自然の一部であり、自然を大切にしなければならないと説いたのよ。これは、現代の環境問題を考える上でも重要なメッセージだと思うわ」


 お姉ちゃんは少し声をひそめて、さらに話を進めます。


「そして、ヒルデガルトのビジョンには、彼女の内なる闘いも反映されていたの。例えば、彼女は時々、巨大な怪物や悪魔のような存在を見ることがあったそうよ。これは、彼女が感じていた不安や恐れの表れだったかもしれないわ」


 永遠が驚いた様子で言います。


「怖くなかったのかな?」


「きっと怖かったと思うわ。でも、ヒルデガルトはそれらの恐ろしいビジョンさえも、神からのメッセージとして受け止めたの。彼女は、それらを通して人間の弱さや罪深さを理解し、より良い人間になるための教訓としたのよ」


 お姉ちゃんは深く息を吐いて、さらに続けます。


「また、ヒルデガルトのビジョンには、しばしば鮮やかな色彩が登場するの。特に、緑色が重要な意味を持っていたわ。彼女にとって緑色は生命力と神の恵みを象徴していて、これが後に『緑の力』という彼女独自の概念につながっていくのよ」


 花凛が興味深そうに尋ねます。


「他にどんな色が出てきたの?」


「そうねえ、黄金色は神の栄光を、赤色は聖霊の炎を表すことが多かったわ。そして、青色は天空や精神性を象徴していたの。ヒルデガルトは、これらの色彩を通して、目に見えない霊的な世界を表現しようとしたのよ」


 お姉ちゃんは少し考え込んでから、さらに詳しく説明します。


「そして、ヒルデガルトのビジョンの中で特に印象的なのは、『光の人』のイメージよ。これは、人間の魂が神の光に包まれている様子を表現しているの。ヒルデガルトは、全ての人間の中に神聖な光が宿っていると信じていたわ」


 永遠が感心した様子で言います。「なんだか、希望が持てる考え方だね」


「そうね。ヒルデガルトのビジョンは、確かに時に恐ろしいものもあったけど、基本的には希望に満ちたものだったの。彼女は、人間と自然と神が調和して存在する世界を描いたのよ」


 お姉ちゃんは最後にこう締めくくります。


「ヒルデガルトのビジョンは、単なる幻想や夢ではなく、彼女の深い洞察と豊かな想像力が結びついた結果なの。それは、中世の世界観と現代の科学的知識が不思議に交錯する、独特の世界だったのよ。彼女のビジョンを通して、私たちは自然や人間、そして宇宙についての新しい見方を学ぶことができるの。それこそが、ヒルデガルトの哲学の真髄だと言えるわ」


 永遠と花凛は、ヒルデガルトの驚くべきビジョンの世界に、すっかり魅了されたようでした。


 お姉さんは話を続けます。


「そしてヒルデガルトの場合は、彼女のヴィジョンの真正性が認められたことで、女性でありながら説教を行うことも許されたのよ」


 永遠が驚いた表情を見せます。


「えっ、女性が説教するのって珍しかったの?」


「そう、当時はほとんど例がなかったわ。これは、ヒルデガルトがいかに特別な存在だったかを示しているのよ」


 お姉ちゃんは少し考え込んでから、目を輝かせて話し始めます。


「ヒルデガルトの説教は、当時としては非常に革新的で、聴衆を魅了するものだったのよ。彼女の言葉は、神秘的なヴィジョンと現実世界の観察を融合させた、独特な内容だったの」


 お姉ちゃんは、古い本を手に取り、ページをめくります。


「例えば、こんな説教があるわ。これは1160年頃、トリーアという街で行われた説教の一部よ」


 お姉ちゃんは、ゆっくりと朗読し始めます。


「『神の民よ、聞きなさい。あなた方の内なる光に目を向けなさい。それは神が創造の時からあなた方の中に植え付けた光です。その光は、緑の芽吹きのように、あなた方の魂の中で成長しようとしています。


 しかし、多くの人々は、この内なる光を無視し、世俗的な欲望に目を奪われています。あなた方は、大地から芽吹く草花のように、天に向かって伸びていく存在なのです。しかし、あまりにも地上の泥にまみれ、自らの本質を忘れてしまっているのではないでしょうか。


 神は、あなた方一人一人を、この世界の調和の中に置かれました。あなた方は皆、壮大な交響曲の中の一音なのです。その音が調和を乱せば、全体の美しさが損なわれてしまいます。


 だからこそ、自分自身の内なる声に耳を傾けなさい。その声は、あなた方を正しい道へと導くでしょう。そして、その道は必ずや、神の愛の中へとつながっているのです』」


 お姉ちゃんは朗読を終え、永遠と花凛の反応を見守ります。


「どう? ヒルデガルトの言葉には、深い洞察と詩的な美しさがあるでしょう?」


 永遠が感心した様子で言います。


「うん、なんだか心に響くね。でも、お姉ちゃん、これって本当に800年以上前の説教なの?」


 お姉ちゃんは頷きます。


「そうよ。ヒルデガルトの言葉は、時代を超えて私たちの心に響くものがあるの。彼女は自然の比喩を多用して、人間の魂の成長を説いているわ」


 花凛が興味深そうに聞きます。


「内なる光って、具体的にはどういうこと?」


「良い質問ね、花凛。ヒルデガルトにとって、『内なる光』とは神性の象徴であり、同時に人間一人一人が持つ潜在的な可能性を表しているのよ。彼女は、人々がこの内なる光に気づき、それを育てることで、より良い人間になれると信じていたの」


 お姉ちゃんは続けます。


「ヒルデガルトの説教には、しばしば自然界の比喩が使われているわ。例えば、こんな説教もあるの」


 お姉ちゃんは再び本を開きます。


「『春になれば、木々は新しい葉を芽吹かせます。それと同じように、私たちの魂も常に新たな理解と愛を芽吹かせる可能性を秘めているのです。しかし、木々が水と日光を必要とするように、私たちの魂も神の恵みと自らの努力を必要としています。


 あなた方の中には、岩のように固く閉ざされた心を持つ人もいるでしょう。しかし、覚えておきなさい。岩場にも、時として美しい花が咲くのです。神の愛は、そのような硬い心さえも柔らかくし、そこに美徳の種を蒔くことができるのです』」


 永遠が感心した様子で言います。


「へえ、自然の例えを使って説明するんだね。わかりやすいし、イメージしやすい」


 お姉ちゃんは頷きます。


「そうなのよ。ヒルデガルトは、難しい神学的な概念を、人々の日常生活に根ざした比喩を使って説明したの。これが、彼女の説教が多くの人々の心を捉えた理由の一つね」


 花凛が少し考え込んでから言います。


「でも、お姉ちゃん。ヒルデガルトの説教って、教会の教えとは違わなかったの?」


「鋭い質問ね、花凛。確かに、ヒルデガルトの教えには独自の解釈が多く含まれていたわ。でも、彼女は常に教会の教義の枠内で語ろうと努めていたの。例えば、こんな説教があるわ」


 お姉ちゃんは再び本を開きます。


「『神は、この世界を完璧な調和の中に創造されました。しかし、人間の罪によってその調和は乱されてしまいました。私たちの使命は、神の導きに従い、その失われた調和を取り戻すことなのです。


 それは、私たち一人一人が、自分の役割を理解し、それを全うすることから始まります。修道士は祈りと労働を通じて、農夫は大地を耕すことを通じて、そして支配者は公正な統治を通じて、それぞれが神の計画の中で与えられた役割を果たすのです』」


 永遠が不思議そうに聞きます。


「これって、身分制度を肯定しているように聞こえるけど、大丈夫だったの?」


 お姉ちゃんは頷きます。


「良い指摘ね、永遠。確かに現代の視点から見れば、そう解釈されかねない内容ね。でも、ヒルデガルトの時代、この考え方はむしろ革新的だったのよ。彼女は、どんな身分の人間でも、神の計画の中で等しく重要な役割を持っていると説いたの。これは、当時の厳格な階級社会の中では、かなり平等主義的な考え方だったのよ」


 花凛が感心した様子で言います。


「へえ、時代によって同じ言葉でも受け取り方が変わるんだね」


「その通りよ、花凛。だからこそ、歴史的な文脈を理解することが大切なの。ヒルデガルトの説教は、当時の社会の中で解釈されなければならないわ」


 お姉ちゃんは続けます。


「ヒルデガルトの説教の中で特に興味深いのは、彼女が女性の役割について語った部分よ。当時、女性が公の場で説教することすら稀だったのに、彼女は女性の重要性を説いたの」


 お姉ちゃんは再び本を開きます。


「『神は、アダムの肋骨からイブを創造されました。これは、男性と女性が互いに補完し合う存在であることを示しています。女性は、単に男性の従属者ではありません。女性は、神の創造の業において、独自の重要な役割を担っているのです。


 女性たちよ、あなた方の内なる力を自覚しなさい。あなた方は、新しい命を育む能力を与えられています。それは、単に子を産み育てるだけではありません。あなた方は、この世界に愛と慈しみをもたらす力を持っているのです』」


 永遠と花凛は、驚きの表情を見せます。


「すごい! 800年以上前にこんなことを言っていたなんて」と花凛。


「本当だね。今聞いても新鮮に感じるよ」と永遠。


 お姉ちゃんは満足そうに頷きます。


「そうなのよ。ヒルデガルトの言葉は、今でも私たちに多くのことを語りかけてくれるわ。彼女の説教は、神秘主義的な要素と現実的な洞察が見事に融合しているの。それが、彼女の言葉が時代を超えて人々の心に響く理由なのかもしれないわ」


 お姉ちゃんは、最後にこう付け加えます。


「ヒルデガルトの説教から私たちが学べることは、自然との調和、内なる声に耳を傾けること、そして社会の中での自分の役割を見出すことの重要性よ。これらは、800年以上経った今でも、私たちの人生に大きな示唆を与えてくれるわ」


 永遠と花凛は、深く考え込んでいる様子です。ヒルデガルトの言葉は、彼らの心に新たな思索の種を蒔いたようでした。



 花凛が少し考え込んでから言います。


「ねえ、お姉ちゃん。ヒルデガルトって、家族とかいなかったの?」


 お姉ちゃんは少し悲しげな表情を見せます。


「ヒルデガルトは、8歳の時に修道院に入れられたの。当時は、貴族の子供を修道院に入れることがあったのよ。だから、家族との関係はあまり深くなかったと考えられているわ」


 永遠が驚いた様子で言います。


「8歳!? 寂しくなかったのかな」


「きっと寂しかったと思うわ。でも、ヒルデガルトはその環境の中で、自分の才能を開花させていったの。彼女は修道院で読み書きを学び、音楽や医学の知識も得ていったのよ」


 花凛が興味深そうに聞きます。


「音楽も作ったの?」


「ええ、ヒルデガルトは素晴らしい作曲家でもあったのよ。彼女の曲は今でも演奏されているわ。実は、今からヒルデガルトの曲を聴いてみましょう」


 お姉ちゃんはスマートフォンを取り出し、ヒルデガルトの曲を流し始めます。

 神秘的で美しい音楽が部屋に響きます。


 永遠と花凛は、目を閉じて音楽に聴き入ります。

 しばらくして、お姉ちゃんが静かに話し始めます。


「ヒルデガルトは、この音楽を通して自分のヴィジョンを表現しようとしたのよ。彼女にとって、音楽は神との対話の手段でもあったんだ」


 花凛が目を開けて言います。


「すごく美しい……。でも、なんだか不思議な感じがする」


 永遠も頷きます。


「うん、今までに聴いたことのない音楽だ。でも、なんだか心が落ち着くな」


 お姉ちゃんは満足そうに微笑みます。


「そうよね。ヒルデガルトの音楽には、彼女の哲学が込められているの。自然との調和、神秘的な体験、そして人間の内なる力。これらすべてが、彼女の音楽に表現されているのよ」


 永遠が少し考え込んでから言います。


「ねえ、お姉ちゃん。ヒルデガルトの考え方って、今の時代にも通じるものがあるの?」


 お姉ちゃんは嬉しそうに頷きます。


「もちろんよ。例えば、彼女の環境保護の考え方は、今のエコロジー運動に通じるものがあるわ。また、ホリスティック医療という、心と体と精神を総合的に見る医療の考え方も、ヒルデガルトの思想に近いものがあるの」


 花凛が目を輝かせて言います。


「へえ、800年以上前の人の考えが、今でも役立つんだね」


「そうよ。これが哲学の素晴らしいところなの。時代を超えて、人々に影響を与え続けるのよ」


 永遠が少し悩ましげに言います。


「でも、お姉ちゃん。ヒルデガルトのヴィジョンって、本当に神からのメッセージだったの? それとも、ただの幻覚?」


 お姉ちゃんは優しく微笑みます。


「それは、永遠自身が考えてみる必要があるわね。重要なのは、ヒルデガルトがそのヴィジョンを通して、深い洞察を得て、それを社会に還元したということよ。彼女の思想や行動が、多くの人々に影響を与え、今でも私たちに考えるきっかけを与えてくれていること。それこそが、彼女の哲学の価値だと私は思うわ」


 花凛が真剣な表情で言います。


「私は、ヒルデガルトみたいに、自分の信じることを大切にしたいな」


 永遠も頷きます。


「僕も、ヒルデガルトみたいに、いろんなことに挑戦してみたいな。音楽も科学も哲学も、全部つながっているんだね」


 お姉ちゃんは嬉しそうに二人を見つめます。


「素晴らしいわ。ヒルデガルトの生き方から、あなたたちなりの気づきがあったみたいね。さあ、最後にもう一度ヒルデガルトの音楽を聴きながら、自分の人生について考えてみましょう。何か新しい『ヴィジョン』が見えてくるかもしれないわよ」


 お姉ちゃんは再び音楽を流し、三人は静かに目を閉じます。ヒルデガルトの神秘的な旋律が部屋に響き渡る中、永遠と花凛の心の中には、新たな思索の種が蒔かれていったのでした。


### さらに調べてみよう


1. ヒルデガルトの音楽作品を聴いて、その特徴や感じたことをまとめてみましょう。

2. 中世ヨーロッパの修道院での生活について調べ、現代の学校生活と比較してみましょう。

3. ヒルデガルトの「緑の力」の概念と現代のエコロジー思想を比較研究してみましょう。

4. 神秘主義と科学の関係について、ヒルデガルトの例を参考に考察してみましょう。

5. 中世の女性の社会的地位について調べ、ヒルデガルトがいかに特異な存在だったかを考えてみましょう。


 お姉ちゃんは本棚に目を向け、別の本を手に取った。


「さて、中世の女性知識人といえば、もう一人重要な人物がいるわ。クリスティーヌ・ド・ピザンって聞いたことある?」


 永遠と花凛は首を横に振った。


「彼女は14世紀末から15世紀初頭に活躍した、フランスの作家よ。ヒルデガルトとは少し違った形で、当時の社会に大きな影響を与えたの」


 花凛が興味深そうに尋ねた。


「ヒルデガルトとどう違うの?」


「まず、クリスティーヌは修道女ではなく、世俗の知識人だったわ。彼女はイタリアで生まれ、幼い頃にフランスに渡ったの。そして、当時としては珍しく、職業作家として身を立てたのよ」


 永遠が驚いた様子で言った。


「え? 中世の女性が職業作家? そんなことできたの?」


 お姉ちゃんは頷いた。


「そうなの。彼女は25歳で夫を亡くし、三人の子供を抱えて困窮したわ。でも、それまでに得た教養を活かして、詩や物語を書き始めたの。そして、貴族たちのパトロネージを得て、生計を立てていったのよ」


「すごいね。でも、なぜ彼女が哲学者として重要なの?」


 花凛が尋ねた。


「彼女の代表作『女性の都の書』が、当時の女性観に大きな一石を投じたからよ。この本で彼女は、女性の知的能力を擁護し、教育の重要性を説いたの」


 お姉ちゃんは本のページを開き、クリスティーヌの肖像画を二人に見せた。


「彼女は、『もし女の子たちが男の子たちと同じように学校へ行かされ、同じ科目を教えられたなら、彼女たちは男の子たちと同じくらいよく学び、理解するだろう』と主張したのよ」


 永遠が感心したように言った。


「へぇ、今でこそ当たり前だけど、その時代にそんなこと言うのはすごく勇気がいったんだろうね」


「そうよ。彼女の主張は、当時の社会通念に真っ向から挑戦するものだったわ」


 花凛が考え込むように言った。


「ヒルデガルトとクリスティーヌ、二人とも すごい人たちだけど、アプローチが全然違うんだね」


 お姉ちゃんは嬉しそうに頷いた。


「鋭い観察ね。ヒルデガルトは神秘主義的なアプローチで、教会の中で影響力を持った。一方、クリスティーヌは理性的な議論を展開して、世俗社会に訴えかけたの。時代も少し違うけど、二人とも中世という男性中心の社会で、女性の知性と能力を示したという点で共通しているわ」


 永遠が質問した。


「二人は知り合いだったの?」


「残念ながら、二人は直接の交流はなかったわ。でも、クリスティーヌはヒルデガルトの著作を読んでいた可能性はあるのよ。中世の女性知識人たちは、お互いの存在を励みにしていたんじゃないかしら」


 お姉ちゃんは本を閉じ、双子を見つめた。


「さて、ここで考えてみましょう。ヒルデガルトとクリスティーヌ、二人の生き方や思想から、現代を生きる私たちが学べることは何だと思う?」


 永遠と花凛は、しばらく考え込んだ後、それぞれの意見を述べ始めた。彼らの目には、中世の女性哲学者たちの智恵が、現代に生きる自分たちの人生にも深く関わっているという気づきが浮かんでいた。


さらに調べてみよう:

1. クリスティーヌ・ド・ピザンの『女性の都の書』の内容と、当時の社会への影響について詳しく調べる。

2. 中世の女子教育の実態と、クリスティーヌの教育論との比較研究を行う。

3. ヒルデガルトとクリスティーヌの著作を読み比べ、その類似点と相違点をまとめる。

4. 中世の女性作家や知識人たちのネットワークについて調査する。

5. 現代のフェミニズム思想と、クリスティーヌの主張を比較検討する。


◆もしクリスティーヌとヒルデガルトが出逢っていたら……?


 お姉ちゃんは、永遠と花凛の興味深そうな表情を見て、にっこりと微笑んだ。


「二人の対談? 面白い発想ね。実際には会ったことはないけれど、もし二人が出会っていたら、きっと素晴らしい対話が生まれていたでしょうね。想像してみましょう」


 お姉ちゃんは目を閉じ、しばらく考え込んだ後、静かに語り始めた。


「場面は、15世紀初頭のパリ。クリスティーヌ・ド・ピザンの書斎。窓から差し込む柔らかな光の中、クリスティーヌが机に向かって執筆していると、突然、部屋に神秘的な光が満ちる。そこに、3世紀前に生きたヒルデガルト・フォン・ビンゲンの姿が浮かび上がる……」


 永遠と花凛は、お姉ちゃんの言葉に引き込まれるように、目を輝かせて聞き入った。


「クリスティーヌ(驚きの表情で):『まさか……ヒルデガルト・フォン・ビンゲン様!? あなたの著作からたくさんのインスピレーションをいただいてきました。こんな形でお会いできるとは……』」


「ヒルデガルト(優しく微笑みながら):『クリスティーヌ・ド・ピザン、あなたの勇気ある言葉が、時を超えて私の耳に届いていました。女性の知性と能力を擁護するあなたの姿に、深く感銘を受けています』」


「クリスティーヌ:『ありがとうございます。でも、私の主張は、ヒルデガルト様のような偉大な先人たちの足跡があってこそ。12世紀の修道院という、さらに厳しい環境で、あなたが成し遂げられたことは驚異的です』」


「ヒルデガルト:『それぞれの時代に、それぞれの役割があるのです。私は神のお告げを通じて語りましたが、あなたは理性と論理で人々を説得しようとしている。どちらも大切なアプローチです』」


「クリスティーヌ:『そうですね。でも時として、社会の偏見や固定観念に立ち向かうのは本当に難しいのです。特に、女性の教育の重要性を説くとき、多くの反発に遭います』」


「ヒルデガルト:『分かります。私も、女性が霊的な洞察を語ることに対して、多くの疑念の目を向けられました。でも、信念を曲げずにいれば、必ず理解者は現れるものです』」


「クリスティーヌ:『ヒルデガルト様、あなたの「緑の力」の概念について、もっと詳しく教えていただけませんか? 自然と人間の調和という考えに、私はとても興味があるのです』」


「ヒルデガルト:『喜んで。「緑の力」とは、全ての生命の根源にある神聖な活力のこと。人間も自然の一部であり、この力と調和して生きることで、真の健康と幸福を得られるのです』」


「クリスティーヌ:『なるほど。その考えは、私が提唱する女性の権利にも通じるものがありますね。社会全体が調和を保つためには、男女の平等が不可欠だと』」


「ヒルデガルト:『そう、全てはつながっているのです。自然界の調和、社会の調和、そして個人の内なる調和。これらは別々のものではありません』」


「クリスティーヌ:『ヒルデガルト様、あなたは音楽も作曲されましたよね。芸術による表現と哲学的思索は、どのように結びついているのでしょうか?』」


「ヒルデガルト:『音楽は宇宙の調和を表現するもの。哲学的な真理を、理性だけでなく、感性でも捉えることができるのです。あなたの詩作も、同じ役割を果たしているのではありませんか?』」


「クリスティーヌ:『はい、詩を通じて、論理だけでは伝えきれない真実を表現しようと努めています。ヒルデガルト様、女性が知的活動に携わることの意義について、どのようにお考えですか?』」


「ヒルデガルト:『女性の洞察力は、男性のそれとは異なる側面を持っています。両者が協力することで、より深い真理に到達できるのです。ですが、そのためには女性にも適切な教育が必要です』」


「クリスティーヌ:『まさに私が主張していることです。もし少女たちが少年たちと同じ教育を受けられたら、どれほど社会が豊かになることか』」


「ヒルデガルト:『その通りです。知識と智恵は、性別に関係なく、全ての人に開かれるべきもの。それが、神の意志でもあるのです』」


「クリスティーヌ:『ヒルデガルト様、あなたの言葉に大きな勇気をいただきました。これからも、女性の可能性を信じ、声を上げ続けていきます』」


「ヒルデガルト:『あなたの努力は、必ず実を結ぶでしょう。たとえすぐには変化が見えなくとも、あきらめないでください。未来の女性たちが、あなたの勇気ある行動を称えることでしょう』」


 お姉ちゃんは目を開け、夢見心地の表情で語り終えた。


「こんな対話が、本当にあったらよかったのにね」


 永遠が興奮した様子で言った。


「すごく面白かった! 二人の考え方の違いもよく分かったし、でも根本的なところでは通じ合っているんだなって」


 花凛も頷いて付け加えた。


「それに、二人とも自分の時代の制約と闘いながら、未来を見据えていたんだね。私たちも、彼女たちの思いを受け継いでいかなきゃ」


 お姉ちゃんは嬉しそうに二人を見つめた。


「そうね。彼女たちの対話から、私たちが学べることはたくさんあるわ。時代は違っても、真理を追究する姿勢や、社会をより良くしようとする情熱は、今の私たちにも必要なものよ」


「じゃあ、ここでちょっとしたワークをしてみましょう。ヒルデガルトとクリスティーヌの対話の中で、特に印象に残ったフレーズを一つ選んで、それが現代社会にどう適用できるか、具体的に考えてみて」


 永遠と花凛は、真剣な表情でノートを取り出した。彼らの目には、中世の女性哲学者たちの智恵が、現代に生きる自分たちの人生にも深く関わっているという気づきが浮かんでいた。


 この想像上の対話を通じて、ヒルデガルトとクリスティーヌという二人の偉大な女性哲学者の思想が、時代を超えて現代にもつながっていることを、永遠と花凛は実感したようだった。そして、彼らの心の中に、自分たちも未来に向けて何かを残していきたいという小さな、しかし力強い思いが芽生え始めていた。

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