星に願いを

@Hiro-bo

短編15分一気読みで

-平凡な日々-


当時僕は27歳。

大学卒業してなんとなく入った会社で仕事をしていました。

平日は朝早くから夜9時10時まで仕事をして、日曜日は釣りをして過ごしている平凡なサラリーマン。


これと言ってやりたいことも出来ることもない僕は、目的もなく、ただ流されるような人生を送っていたわけですが、今思えば、このあと訪れる2年間は人生における転機と呼べるものだったのかもしれません。


-転機-


そのなんとなく勤めていた会社では新たな事業として海外営業のチームを編成することになり、僕もそのチームに異動となりました。

新たな部署での仕事が始まります。


英語が話せるわけでもなく、貿易についても全くの素人。

毎日、いろんな壁にぶつかって苦労する日々。

辞めたくなる日も数えきれず。。


しばらくして、この海外事業が軌道に乗り始め、売り上げも大きくなり、社内でも注目され始めます。

会社はさらに事業を拡大するために人員を募集。

そして面接を経て入社したのが彼女でした。


彼女は2歳年上の29歳。アメリカに住んでいたこともあり、流暢な英語を話す、細身、ストレートで綺麗な長い髪、大きめの二重の目、綺麗の中にかわいいを持つとでも言いますか…

とにかく誰から見ても美人だと言われそうな才色兼備な女性に見えました。


実際彼女が歩いていて、たまたますれ違う男性は大概振り返って、もう一度彼女のことを見てしまう。そんな場面を何度も見ました。

残念なことに左手の薬指にはリングが付いてあり、もう既に人のものになっていましたが。


-初めての一生懸命-


僕は割と反抗的な性格で、上司先輩の行った後の仕事をする日々がだんだんと嫌になり、誰も攻めていなかった国であるベトナムに新規で乗り込む決意をしました。

その時に彼女がアシスタントとして任命され、2人でベトナムの開拓をしていくことになりました。


単純なもので、例え人の妻でも美人の前では頑張ってしまえるのが男の子です。以前より営業も入念に準備し、一生懸命に仕事をするようになってきました。


半年経った頃、多くの良い方々との出会いで、ベトナムの売り上げが徐々に上がり始めました。

彼女も真剣に仕事をしてくれて、大きなミスもなく対応してくれていたことも売り上げアップの理由です。


しかし試練というものは必ずあるもので…

ある日、ベトナムのお客さんから急ぎで商品を送って欲しいと言う依頼がありました。


今日なら間に合う!でも、外出中だった僕は準備ができない。

迫るタイムリミット。


梱包して急いで運送屋に出さなければいけない、17時半、倉庫担当に電話をするも、忙しいと言われ、対応してもらえませんでした。


部署の男性スタッフは出払っており、定時も過ぎた。他部署の男性にお願いしようかと思ったものの、海外の売り上げが目立つあまり他部署とは反目になりつつある状況、おまけにまだ年齢的に下で頼れる人もいない。


誰にも言えず事が進まないまま、とにかく会社へと急いで車を走らせました。


夜も19時過ぎ、会社に戻った僕の目に思いもしない光景が飛び込んできました。

こんな時間に倉庫に電気がついている…

嫌がってた倉庫担当が対応してくれているんだ!


冷え切った倉庫に走り込んだ僕の目には、また思いもしない光景が広がります。


そこにいたのは倉庫担当ではなく、彼女でした。

綺麗な人が寒くて震えるような気温の倉庫で手を汚しながら1人で梱包してくれていたのでした。


僕の中に驚きと嬉しさが溢れて、ありがとうを伝え、2人で梱包を仕上げ、運送屋に持ち込み、仕事は完了しました。仕事で人に心の底から「ありがとう」と言ったのは、あれが初めてだったかもしれません。

この時、彼女に対してちょっとした尊敬の気持ちが生まれたのも確かです。


自分は新たな部署で、以前は仲間と思っていた人、今では離れていき始めていた人を横目に、自分で何か作り上げなくてはならない、全く0のところからなんとかしなきゃいけないと言う気持ちでやっていましたが、アシスタントの彼女がまさか同じ気持ちで毎日やってくれているなんて。


そう思うと本当に嬉しくてもっと良い仕事をして一緒に喜びたい。この人がいてくれたら、何の取り柄もない自分でも出来るかもしれない。

そう思うようになりました。

自分の中で何かが変化し始めていました。


-変化-


趣味の魚釣りにも変化が起き始めました。

釣って、その後は特に興味もなく人にあげたりしていたものですが、彼女を喜ばせたいと思うあまり包丁を買い、まな板を買い、図工、美術、家庭科の成績が2の不器用な自分がタイの3枚おろしに挑戦していました。


何せ、一度彼女に活け〆しただけの45センチくらいのタイを渡した次の日、彼女から「刺身にしたら10センチしか残らなかった。」と言われたので…

まぁ…苦手なところは埋めてあげたいと。


普段の生活も変化していきます。

通勤では、勉強嫌いの自分が英会話のCDを聞き始めました。

毎日の通勤はコンパでカッコつけるためのカラオケ練習から、英会話の勉強に変わりました。


-ケータイメール-


彼女にありがとうを伝える回数も増え、仕事でどうしても聞きたいことがある時だけ連絡させて欲しいということで、プライベートの携帯番号を恐る恐る聞いてみました。

彼女は快く教えてくれました。


必要な連絡だけに留めておこうと思いましたが、日々の仕事の中に見られる優しさに、抑えきれずありがとう。と何度も送信してしまう自分がいました。


ある日の朝、いつも通りの出勤中、空を見上げると虹がかかっていました。

美しいと言われる景色を見ても何も思うことがない。そんなつまらない自分が思わず車を停め、気づけば写真を撮っていました。


理由はもちろん彼女にメールを送りたいからです。

「おはよう☀️きれいな虹が出とるよ!」と言うメールを写真付きで、彼女に送信したところ、送信中の画面に、「メールを受信しました。」と言う通知が来ました。


誰かと思って開けてみると、違う場所から撮影した同じ虹が添付されたものに「おはよう。虹が出てるよ」と言う同じような文言のメールが届きました。自分が送ったメールが届かずに返ってきたのかなと一瞬思う位、ほとんど同じ文章に驚き、確かに彼女から届いた事を何度か確認してしまいました。


その後、会社で会った時、お互い言葉はないまま目を合わせて笑ってしまいました。

他の人の前でそんなやり取りがあったという話をするのもマズイ。

でもそのことに触れたい。お互いの心はそんな感じだったと思います。

良い大人が微笑ましいことを。。


-僕の気持ち-


ちょうど月曜日だったので、日曜日に釣った魚を料理して彼女に渡そうとしたのですが、僕の打ち合わせが定時を過ぎて長引いてしまいました。


彼女が帰宅するタイミングに顔を合わすことができず、僕が席に戻ると、彼女はすでに仕事を終え、駐車場へと歩いて行っているタイミングのようでした。

彼女に電話をかけ、「魚渡すからちょっと待って」と伝え、自分の車のクーラーボックスから魚を取り出し駐車場へと走りました。


魚を渡して、たわいもない話をしていると、今日まで蓄積された自分の中の気持ちがどんどん膨らんで来ました。同時に紛れもなくこの人に恋をしている。ということを確信し、「今しかないだろ」と自分の中で自分の声がして、抑えきれなくなった僕は流れるように言ってしまいました。


「毎日気になって仕方ねぇ。毎日毎日考えてしまうんじゃ。」


何も用意してなかったが故にそんなことを口走ってしまいました。

急に真剣な顔になった彼女、腕を組み少し睨むような目でこちらを見ています。


そこら中に響くのでないかというくらい強くなる心臓の音。

何てハンパなことを口走ってしまったんだ…という焦りと後悔。


これまでずっと中途半端だった自分がフラッシュバックします。

今日だけは…この人にだけは、半端で終わらせてたまるか…!


一つ息を呑んで、覚悟を決めた僕は、彼女の目を見てこれ以上ない真剣な口調で伝えました。


「好きです。あなたが大好きです」


目を見開き驚いたような表情をした彼女。

少し時間が止まったあと、背を向けながら


「無理に決まってるじゃん…」


と小さな声が聞こえました。


こちらを見ることなく車で駐車場を出て行く彼女をただ呆然と見ている自分がいました。

脚が震えたと思ったら今度は固まったようになり一歩踏み出せたのは数分後でした。


明日から話すこともできない、なんてことをしてしまったんだろう…

と後悔しながら席に戻り、仕事を済ませ落胆したまま家路につきました。


-おはようメール-


その頃もう毎朝恒例のようになっていた。

「おはよう。今日も頑張ろう」

と言う何気ないメール。

送るのはいつも僕から。あくまでも家庭がある人、こちらから送ったものに礼儀として仕方なく返信をしてくれている。そういう体裁、言い訳ができれば返信してくれるかも?と意味のわからないことを考えながら送っていました。


しかしさすがに今日は送れないよなぁ、今日だけは送れないよなぁ…と、いつもの時間に携帯を開けたり閉じたりしていると受信メールが届きました。

そこには、まるで昨日のことがなかったかのように絵文字付きの楽しい元気な雰囲気を作った

「おはよう☀️今日も頑張ろう!」

がありました。


いつも通りのメールでした。

僕が何もできなくなっているだろう。

多分そう思って彼女からそのメールを送ってくれたんです。

驚きと嬉しさで涙が出そうになりました。


ここでまだウジウジしていたら、彼女のその優しさも無駄にしてしまう。それが一番イヤ!

昨日のことがなかったかのように明るくメールを返しました。会社で顔を合わせてもいつも通りの笑顔で挨拶をし、お互い席につきました。


もうこれまでのような楽しい時間がなくなってしまう…そう思っていたのに、今日またその時間が訪れて嬉しさとともに、とてもとても安堵した自分がいました。


-夏の夜 彼女の告白-


彼女と出会って2回目の夏、8月のことです。

お盆休み前の最終出勤日で、明日から5日間ほど彼女に会えないなぁとため息をついて家路についている僕に彼女から1通のメールが来ました。

「今日夕方空いてますか?少し話しませんか」

と言う内容でした。


いつもの仲良くできている関係の延長なのか、はたまた何か大事な話があるのかわからないまま指定された時間にその場所に行きました。


夕暮れから夜に近くなる時間帯。

地元の海岸、ベンチに座る彼女を見つけました。


僕に気付くと、彼女は下を向いたまま話し始めました。


「あなたは私に良く似てる。優しいからいろんなことを妥協して人の気持ちに流されてしまうこともあると思う。でも人生の大事な決断は流されないでね。私みたいに後悔することになるから。」


すごく抽象的な話だけど、彼女が結婚している現状について言っていることだと、本能的にわかりました。

旦那は決して嫌いじゃないし、いい人だし、ただ周りから固められるようにして友達からも押されて押されて結婚したと言うような状況だったそうです。

結婚後何年か経つのに子供ができないのもそういう行為をしてないからだと言う話も聞かされました。


ただ毎朝いってらっしゃいのキスをして、彼を送り出してから自分は出勤していると言うちょっと僕にはいらない話もありましたが。。


話し終え、涙を我慢している彼女を見て、自分の気持ちをうまく言葉にできないまま

「話してくれてありがとう」

とだけ伝え、立ち上がった僕らは自分たちの車を止めている駐車場に歩き始めました。


8月中旬、夏真っ盛りですが、夜の風は心地よい海岸。

いろんな言葉が頭に浮かびましたが、どれも自分の今の気持ちを表現するには足らない。でも伝えたい気持ちがどんどん湧き出て来ます。


しばらく無言で歩いた後、抑えていたものを解き放つように僕は右手で彼女の左手を少し強めに握りました。

一瞬驚いた彼女もその手をそっと握り返してくれました。

何も言えないまま歩いた50mほどの距離。

1分もない時間だったけど、自分の中には

「この人は、僕がぜってぇ幸せにする」

その決意と覚悟だけがこれ以上ないほど固く、強くありました。


「じゃあね。またお盆明けに。」

そう言って繋いだ手を離し、先に車に乗り込んだ彼女。

窓を開けて手を振る彼女に、僕はバイバイじゃなくて「ずっと好きです」

と伝えました。


-自分より大切なもの-


それまでの僕は彼女を作りたくなったら、いけるとかいけないとか、そんな言葉で可能性を言葉にしていました。


当時の事ですから、コンパとか出会い系サイトだとかそういったもので手軽に恋をした気になって深く知り合わぬまま1ヶ月も経たないうちに別れたり。

僕はそんなことを繰り返していました。


その人の気持ちより、自分のエゴ、性欲を満たすだけの恋愛ごっこをしていた僕ですが、不思議と彼女に対しては自分のことよりも大切に思えて、この人のために今何ができるだろう。この人にどんな言葉で伝えられるだろう。この人を自分の言葉で笑顔にしたい。そんなことを真剣に考えるようになっていました。


-仕事終わりに-


あの夜以来メールでも、もっといろんな話をするようになった僕たちは仕事がお互い早く終われそうな日は連絡をし合って、夜の閉店したお店の駐車場で10分だけ15分だけと時間を決めて話をするようになりました。

結局10分と言って決めていても、話は尽きないので、すぐ30分、1時間と時間が経ってしまいます。

誰かからの電話やメールでふと我に返り時計を見て、慌ててお互い家に帰るんだけども。

それぐらいいつも楽しい時間でした。


-それぞれの現実~


しかし、彼女は家に帰れば旦那さんがいて奥さんの仕事があります。

もしも同じような気持ちで恋をしてくれていたとしたら、その分だけ家に帰って奥さん仕事を済まして、ふとお風呂に1人で入った時なんかに辛い気持ちになったりしたんじゃないかと思います。


楽しいだけの僕と、楽しさ半分その分だけ苦しみ続けていた彼女。


この頃から時々不機嫌な感じとか表情などに違和感がある。でも言ってくれない。何でも話してくれるはずの彼女が話してくれないことが出来始めたようで、僕はモヤモヤを感じ、彼女に当たってしまうような話し方をしたこともあります。

関係がぎくしゃくし始めたのはこの頃です。


仕事でも必要なコミュニケーションが足らなかったり、自分で解決しようとしてうまくいかなかったりと。

綺麗に回っていた歯車に異音がし始めたかのように、いろいろなことがぎくしゃくし、おはようのメールも徐々に減っていきました。


精神を安定させて、毎日を過ごすことができていた彼女も僕に対する気持ちが大きくなり、家庭での心のバランスが取れなくなった?

そのせいで苦労していたのかもしれない、そんなことを考え始めたのは随分と後のことでした。


どうしても謝りたくなり、いつもの駐車場に来てくれるように彼女にメールをしました。


来てくれた彼女に

「想像でしかないんだけど、自分のせいでそういう苦しみを与えてしまっていると思う。本当にごめん。」

そう謝りました。

驚いたような表情をした彼女。

「でもありがとう」

と言ってくれました。


-Mr.Chew-


翌朝、少しすっきりした僕たちは

「おはよう。今日も頑張ろう」

のメールを再開しコミュニケーションが密になってくると、また仕事もうまくいき始めました。


ある日、他のメンバーで打ち合わせをしていた時、外国人のMr. Chewと言う人の話になり、チュウ、最近したキスがどうのみたいな大人の話をして皆でバカ笑いしてそのミーティングを終えるということがありました。


そのあと着信音が鳴り、メールを見てみると彼女からでした。

「勇気があるならチュウしてみろよ」

びっくりして、斜め前の席にいる彼女を見たところ、出来ないくせに。と言わんばかりの顔で見下すように笑っていました。。


その夜、たまたま仕事が立て込んでいた僕たちは遅くまで残業をしていました。残っている社員は、僕たちを除けば、あと1人でした。

彼女は仕事を終え、更衣室で着替えをしているだろうという時、僕はトイレに行くふりをして、彼女が帰り道に使うであろう廊下で、言ってみれば待ち伏せのようなことをしました。


更衣室を出て、廊下をしばらく歩き、出口へとつながるドアを開けたところに待ち伏せしている僕。

何も知らずに通り掛かった彼女は

「うわっ!びっくりした…何してんの?」

と。

彼女を壁際に追い詰め、両手を彼女の肩に置き小さい声で彼女に言いました。


「勇気は無いけど、大好きです」


そう言って初めて、彼女とキスをしました。


2秒位で離れたあと、何を言っていいかの言葉を用意してなかった僕、沈黙の時間。

彼女はその場から逃げるように帰っていきました。


さすがに超えてはいけない線を超えてしまったかな…と不安になっていた僕に一通のメールが届きました。

「びっくりしたけど、柔らかかった♡」

否定的な内容が一切入っていない文章に安堵した僕は最後まで残っている社員に笑顔で

「お先に失礼します!」

と言い残し家路につきました。


-一線-


時々仕事終わりに会っていたあの夜の駐車場では笑い話だけでなく、甘い時間が流れるようになり、何度もキスしたりお互いの体に触れ合う日々が続きました。それでもそれ以上のことには一度もなりませんでした。お互いにせめてものラインを引いていたのかもしれません。

彼女からは甘いメールがあったり、英語で「あなたは私をおかしくさせる天才です」というどちらとも取れるメールがあったり、上がったり下がったり。そんな日が続きました。


僕の大好きな釣りにも行きました。

さすがに船は酔うとかわいそうなので、フェリーで車ごと島に渡り、サヨリやアオリイカを釣ってみました。

彼女はお弁当を作ってくれていて、昼はキャンプ用のイスに座って波止場でランチ。

何て幸せなんだろ…

それより私服、かわいいなぁ…と溶けたような顔をしている僕を見て「早く釣りなよ」と笑う彼女。

「次は何釣るの?」

「ん…魚じゃなくて…」と、座っている彼女に近寄り、長い時間キスをしました。

もっと一緒にいたい。

ずっと一緒にいてくれたら何にでもなれる。

本気で思いました。


もっとリアルにもっと真剣に彼女のことを考える日が続きました。 

離婚ってどう大変なのか。

どうやって両親に挨拶しようか。

どこに住もうか。

一つずつ自分なりの答えを出すようにして日々が流れていきました。


しかし秋も深まる頃、また彼女の気持ちが不安定になっていきます。前と同じ理由かなと思い、彼女にメールで聞いてみましたが答えはありません。


今で言うところのLINE既読スルー状態です。


彼女の気持ちが落ち着いて話してくれることを待つ方が良いのかもしれないと思い、連絡したいけど、それはせず、仕事ではいつも通りに振る舞っていました。


-タイムリミット-


しばらくたったある日、彼女から突然電話がありました。

「今から会いたい」

日曜日の夕方、突然の出来事でした。

理由も聞かずに彼女に指定された公園に向かうと、彼女は僕の車に乗り込み体を預けてきました。

嬉しさよりも本能よりも心配になり「どうした?」と、今にも泣き出しそうな彼女に問いかけると、

「旦那の転勤で引っ越すことになりました。この冬で会社を辞めないといけない」 

と。


いつまでも続くと思っていた関係にタイムリミットが設定された瞬間でした。

このことを言い出せず、1人で抱えて苦しんでいたんだ、また自分のせいで苦しめてた…あ、それにもう終わり?この関係に終わりがあるの?


整理しきれていない僕と、何日も何日もずっと考えてきた彼女。

お互いの心が現実を受け止めて落ち着いて来た時、お互いの止まらない「好き」と言う気持ちが溢れるように僕たちはキスを繰り返し、そのまま初めて身体を重ねました。

何の準備もなかったので、お互いを隔てるものは何もないまま。


お互いの家に戻り、これで終わりなのか。終わるのか。

そんなことも考えましたが、同時に、距離が離れたって気持ちは何も変わらない。という思いが強くなるのを感じました。

心がつながっていれば十分に幸せだったので、僕はその日からすぐ前を向いて残りの時間をどうやって楽しんでもらおうかと考えるようになりました。

もちろん彼女を奪い去ることも頭に描きながら。


-星に願いを-


時は恐ろしく早く流れ、あっという間に年末。

彼女の送別会の日がやってきました。


部署のみんなで食事に行き、カラオケで散々歌った後、酒を飲んでいるからと言う理由で彼女に送ってもらう体裁にして、みんなの元から離れました。


車を停めて、同じ会社の二人としてはこれで最後になるかもしれない会話を始めました。

楽しかった思い出や苦労した話、一緒にベトナムを頑張ったこと。寒い倉庫で一生懸命梱包してくれた話。二人で違う場所から送り合った虹の写真。

はじめてのキス。いろいろな話をしました。


知りませんでしたが、彼女はお母さんに離婚を相談したこともあったそうです。

言葉より本気だったことをますます感じて込み上げるものがありました。


最後に僕は少し無理をして購入したオルゴールを彼女に手渡しました。


自分の気持ちにぴったりくる曲がなくて定番すぎる

「星に願いを」が流れるオルゴールでした。


二人でネジを回してその音色を聞いたとき、予想もしてなかったことですが、僕の目から大量の涙が溢れました。

好きな気持ち、離れたくない気持ち、尊敬、感謝、そばにいたい、好きだ、好きです、大好きです、愛してます…


でもそれだけではなく…


ずっとこのオルゴールを持っていて欲しいと言う気持ち。


本当は自分のことなんか早く忘れて、家庭に戻って幸せに過ごしてほしいと言う気持ちもありました。

そう思おうともしました。

それなのに思い出じゃなくて、「もの」として何かを残してしまう自分。

それはつまり自分のことを忘れないでください…と言う弱い心。すがるような弱い心。

弱い自分が最後の最後に出て情けない気持ちにもなりました。「ごめん、ごめん」を繰り返す自分がまた情けなくなりました。


僕もずっと心の中で葛藤を持ち続けていたんです。僕の前で笑顔ではしゃぐ彼女も本当の彼女。バイバイの言葉で自分のスイッチを切り替えるように背を向け、奥さんに戻っていく彼女も本当の彼女。 


離婚は大変なこと、裁判の果てに心にキズを負うかもしれない。

両親と縁が切れてしまうとかないだろうか。

自分さえ居なければ彼女は幸せでいられたんじゃないか?愛していればそれが正義なのか?傷つく人がいてもいいのか?


星に願いをのメロディが、彼女の前で隠していた強さも弱さも全部あらわにしてしまったようで、全てが涙になって溢れて止まりませんでした。


それまで好きだ。嫌いだ。やった。やられた。

そんな、程度の低い、恋と呼ばれるかどうかもわからないような経験はありましたが、自信を持って人を愛したと思えました。


星に願いを。

今自分は1つ願いが叶うとしたら、どんな願いを口にするだろう。

彼女はどんな願いをするだろう。

一つだけ言える事は、お互いきっと精一杯考えた上で自分のためじゃなく、それぞれの為を思った願いをすると言うこと。

それだけは確かです。


-一年後の約束-


本当の最後はその日ではなく、仕事を辞めると制服や書類などを返しに行く日があります。

ある日彼女は夕方会社に来ました。久しぶりに見る冬の私服姿もなんともきれいな人でした。

僕たちはその日、夕食を一緒にする約束をしていました。


会社の近くで夕食を終えて、僕は電車で来た彼女を駅まで送ることになりました。

駅までの車内ではやっぱりいろんな想いが溢れて、お互い涙が止まりませんでした。


涙も枯れ、落ち着いた頃、彼女はこの数日間で縁結びの神様として知られる出雲大社に行ったことを話してくれました。

またそこで買ったお守りを僕に手渡しながら、約束の言葉を伝えました。


「一年。一年間我慢しよう。一年経ってもお互いがお互いを必要としたら、その時もう一度連絡をしよう。それまではメールや電話はお互いにしない。約束。」


そう言って強く心に誓ったような目をして彼女は、小声で「さよなら」を言い残し、車のドアが閉まりました。

きっとまた涙が込み上げてきたのでしょう、肩が震えていました。


駅の階段を上って行く彼女は一度も振り返りませんでした。


-約束の日-


約束があれば単純に頑張れてしまう。

そんな僕ですから彼女がいなくとも一年間仕事は頑張りました。


もしかしてもう離婚とかしてたりするのかな…

再会の日はどこに行こう…

次会った時に見た目も仕事ぶりもマシにしておいて、変わったね!とか言わせよう!

そんなことを考えて、寂しい気持ちが込み上げる夜も前向きに乗り越えていきました。


そして一年後。

この日を待ち侘びた僕ですが、その日は仕事でマレーシアにいました。

時差があるけども、マレーシアの朝、僕は緊張で震える指に願いをこめるようにして国際電話をかけました。


呼び出し音の後、たったワンコールでガチャと言う音が鳴り、「おはよう」と言いかけた僕の言葉に被せてきた声が僕の耳から脳へ、心へと響きました。




「お客様のお掛けになった電話番号は現在使われておりません」




事態が飲み込めず呆然とする僕はもう一度、電話をかけ直してみましたが、同じ言葉が繰り返されます。

メールを送っても届きません。着信拒否とかではなく、本当に電話番号を変えたようでした。


ハハハ、国際電話だからだ…。多分そうだ。


共通の友達が一人いたことを思い出し、その人に電話をしてみました。

その人も電話を一年ぶりにしてくれたそうですが、一分後の折り返しで「えっ、番号変わった?繋がらんよ!」という返事でした。


そんなことをする人では無いはずなのに、友達の関係までもなしにして電話番号を消去した?そのことが信じられず、しばらく頭が真っ白になりました。


-確かめられない答え-


何日か経った後、冷静になって、彼女のことを思い出してみました。

あの日、なぜ彼女が泣きながら駅の階段を上ったのか、なぜ一度も振り返らなかったのか。

なぜ一年後と言う約束をしたのか。

そして電話を番号を破棄したのか。


一つの答えが浮かび、ハッとしました。


彼女はきっと僕が一年後に電話をしてくることをわかっていたんだと思います。そして次に友達にかけることもきっとわかっていた。

交友関係をなくしてでも、僕に前を向かせることを選んだ…


なぜ一度も振り返らずに階段を上ったのか。

それは僕は一年後があると思っていたけども、彼女はこれで本当に最後だと決めていたからなんだと思います。


ずっとお互いの目を見れば考えてることがわかるようになっていたのに、最後の最後にまさかの読み違いをしてしまった自分に本当に悔しいような情けないような気持ちになりました。


それと同時に自分の想いを断ち切って、僕に未来を作るきっかけを与えてくれた彼女なりの悲しすぎる最後のプレゼントに、ごめん…ありがとう…でも、そりゃないよ…が溢れて声を出して泣きました。


縁結びの神様として知られる出雲大社の裏には、縁切りの神様もいると聞きました。

確認してないのですが、きっとあのお守りは…

あの日彼女が行った場所は。


あれから十年以上が経ちました。

実は一年後の約束の日から二年の間に、彼女とは二回車ですれ違ったことがあります。

彼女の車は覚えていますし、同じ車種とすれ違うときは運転席の人を見てしまう癖がついていました。

なのですぐに気づくこともでき、僕はブレーキを踏みました。


当然、周りの車など気にもとめず、即その場でUターン!

…したい気持ちが溢れますが、これがまた恋ではなく、愛だなと思ってしまうことです。


ここでUターンして追いかけたら自分の気持ちを優先することになる。

彼女は僕よりも一年長く悲しみに耐えてくれた。きっと新しい気持ちで自分の人生を前に進めている。それなのに今Uターンして声をかける事は、本当に大好きな人のためにすることか?

そう自問自答し、またブレーキから足を離した僕がいました。


車のルームミラーに映る遠ざかっていく彼女の車を見つめて少し笑っている自分がいました。

頬には熱い涙がつたっていました。

小さな声で「大好きです。」と漏れた声は震えて言葉になっていなかったと思います。


二回目にすれ違った時もそうです。

彼女も気づいていなかったと思いますが、本当に相手のことを一番に考えるのであれば後戻りしたらいけない。今でもずっと大好きなのだから。自分じゃない、彼女にとって一番を選ぶんじゃろ!

そう自分に言い聞かせアクセルを踏みました。

それ以来一度も彼女とはすれ違っていません。


あれから13年。

新年の初詣では今年こそ彼女に会わせてくださいと毎年神様に願ってしまいますが、縁切りパワーが凄いのか、願いは叶っていません。


ただ2024年1月1日初夢は彼女との楽しい思い出でした。

朝、目が覚めてどうしようもなく会いたい気持ちが止まりませんでした。

今年は何か起こる。そんな予感もしましたが、

24年の初詣では「会わせてください。」じゃなくて、「あの時よりも彼女が幸せで楽しい一年を過ごせますように」

と願いをかける自分がいました。


ただ好きとか、かわいいとか綺麗だとか、そんなことじゃなくて人として信頼してたし、ある意味尊敬していましたし、自分を映す鏡のような存在でした。

身体の関係はたった一度だけ。

そんなことどうでも良い、体じゃなくて心が繋がることが一番嬉しかった。

彼女のおかげで自分が人として成長させてもらったと今でも思っています。


客観的にはただの不倫かもしれませんね。。

でも僕は本当に人を深く愛したし、自分のことよりも大切に思えました。

人からどう思われても、自分が信じた道を走り続けた時間でもありました。


もちろん、その影で傷ついた人がいたことも理解しています。

彼女自身だけでなく、旦那さん、ご両親、友達、きっと多くの人に迷惑をかけました。

しかしそのことで僕が対応したことはありません。

全部彼女が受け止めてくれてたわけです。

そんなことすら当時は分かってなかった。


当時発表されたケツメイシのバラードという曲が不倫の歌で、まるで二人のことを歌ってるような気がして胸に刺さったのを覚えています。

バラードやさくらが流れると彼女のことを思い出しますが、そんなとき僕は必ず願ってます。


「僕といた時よりも今、幸せに過ごしていますように。」


星に願いを。


END

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