暴力探偵・如月有栖の裏世界
四谷入り
暴力探偵・如月有栖の裏世界①
皆さんは『
探偵なんて言えば、そんなの浮気調査だとか、ペット探しの依頼だとか、そういったものを請け負う何の面白味も無い職業だと皆は思うだろうか。
しかし、答えは否だ。少なくとも、この『如月探偵事務所』に限って言えば、だが。
何故なら――探偵・如月有栖が受ける依頼は、その全てが殺人事件の真相解明だからだ。
「ワトソン君、早くしてください。時間が全くありません」
如月さんは僕を睨みつけて、貧乏ゆすりをしながら僕の支度を待っている。まだ、着替えてすらないんだけど、どうすれば良いのだろうか。ここで脱げと? 如月さんが見ている目の前で?
「その、ズボン脱ぐんで、ちょっと目を逸らして貰いたいんですけれど……」
僕がそう言うと、如月さんは「ふんっ」と鼻を鳴らして後ろを向いた。可愛い仕草だが、如月さんがやると何だかとても怖い。
もちろん、顔立ちは整っているし、モデル体型だし、ファッションセンスもどっかのモデル並みだし、見てくれだけを見ればこの女性はとんでもない美少女なのだろう。外見だけを見れば――要するに、内面を見なければ、彼女は国民的アイドルにだってなれるのだ。
「アイドルにはなりません。彼氏がいるので」
「でしょうね」
残念なことに、如月さんには彼氏がいる。
僕はこんなにもひょろいのに。175cmで47kgなのに。
彼は185cmに80kgとかだったっけ。しかも全部筋肉。絶対に勝てないでしょこんなの……と、ここでようやく支度を終えた僕は、いつの間にかいなくなっていた如月さんの姿を必死に追って事務所を出る。
こうして、今日も慌ただしい日々が始まった。
■■■
今何をしているのかというと、直近の依頼である『
「……やはり犯人は女性……怨恨の可能性はほぼない……早く帰りたい……」
如月さんは先程から何かを呟いている。もしかしたら、真相が分かったのかもしれないけれど、僕にはやっぱり良く分からない。ワトソン役には向いていない。
しばらくして、如月さんはその場に立ち上がり、僕の方を向いた。
「ワトソン君。帰りましょうか」
どうやら、ここで切り上げるようだ。
如月さんは額に汗を滲ませながら、車に乗り込みシートベルトを着用してエンジンをかける。僕も慌てて助手席へと潜り込んだ。なんと、今日の気温は三十度をゆうに超える。しかし、如月さんの身体は常人とは何もかもが違うので、基本如月さんが汗をかくことはない。では今日はなんで汗をかいているのか。
理由は簡単。
「如月さん」
「はぁ……どうしましたか。あなたの言いたいことはなんとなく想像出来ますけれど」
「随分と汗を掻いているようですけど、暑いですか?」
僕がそう訊くと、如月さんは「乙女に向かって……」と苦言を漏らした。
「まぁ、暑いですね。三十度超えは流石の私でもきついです」
如月さんはそう言って長袖Tシャツの襟元をパタパタと扇いだ。
「なら、長袖をやめたらどうですか?」
「無理です」
僕の提案はとても簡単に一蹴された。
全く、どうしてこうも意地を張るのだろう……と一瞬だけ思ったが、すぐ理由に思い至った。
そういえば如月さんは、タトゥーを入れているんだった。長袖はそのタトゥーを隠すためのものだろう。でも、車の中ぐらいなら長袖を脱いでも構わないだろうに。中に何も着ていないだなんてことはないだろう。
「いや、下着だけですが」
「あ、そうか」
如月さんは、女性の方なんだった。
僕には致命的に何かが抜けている。それが知性なのか、デリカシーなのか、どうなのか、全部なのか。僕には全く分からないのだけれど、如月さんはよく僕のことを「何も考えていない能天気低能バカ」だと言うので、きっとそうなのだろう。
僕は人の立場に立って物事を考えるという事が難しい。
「……あなたはまだ若いんですから、なんとかなりますよ」
同い年の如月さんにそう言わせてしまった。気を遣ってくれたのか、それともただの皮肉なのか……いや、考えれば考えるほどよく分からなくなってきた。
まぁいいや。こういうところが能天気バカって言われる所以なのかもしれない。
ていうか、さっきから如月さんは僕の思考を看破し過ぎじゃないかな。
「そんなことないですよ」
「ありますよね!? 全然そんなことありますけど!?」
地の文すら如月さんには手を取るように分かってしまうのか。恐ろしい女だ。
そんな如月さんと付き合っている橋村くんはとてもすごいと思う。僕なんか、同い年で付き合いも結構長いのに未だため語で話せない。まず、如月さんに対しため語を使える男がどのぐらいいるのかどうかが疑問だ。あ、でも。この前如月さんの妹の彼氏みたいな人が、確か如月さんとため語で話していたような。話の内容が難しすぎてよく分からなかったけれど……。
「
「え、そうなんですか」
あんなに腕を組んでいたのに、友達同士だったのか。はたから見ればカップルとしか思えないのだけれど。
ちなみにエマというのは、如月さんの妹の名前だ。如月エマ。外国人みたいな名前をしているけれど、きちんと純日本人だ。外見は姉妹共々外国人のような美貌だが。
「エマは一幡くんのことが好きなんです。私、昔は彼の事を名前で呼んでいたんですけれど、ある日反抗期のエマに怒られちゃって」
『お姉ちゃんがコウちゃんのことを名前呼びしないで! お似合いみたいで私嫌だ!』
「それはなんというか……微笑ましい? のかな」
「微笑ましい事ですよ。エマに反抗期が来るだなんて、思ってもいなかったんですから。しかも私に反抗してくれたんですよ。それって、私の事を親として見てくれていたのかなって思うと、すごく嬉しくて」
如月さんは本当に、嬉しそうにそう話す。いつもこうだ。妹の話になると如月さんはとても優しい顔をする。優しい声で、嬉しそうに、楽しそうに。
ちなみに、如月さんには橋村くんの話をさせてはならない。彼氏の話を振ったが最後、如月さんは十時間近くぶっ通しで惚気話を披露してくれるのだ。とても迷惑だし、拷問じみている。
「……」
今の地の文、伝わってないよな……?
「エマ、最近事務所に入ったんです」
「え?」
いきなり、訳の分からないことを言われた。もしかして、ウチの事務所に人が増えたのか? そうだとしたら、それはとても喜ばしいことだ。いっつも人手不足。
「いや、音楽事務所みたいなところです。契約を結んだらしいんですけれど、正直私は音楽業界の事は疎くて。エマの助けにはなれません」
音楽?
それだって十分意味が分からないのだが。
「分かりませんか? エマ、歌手デビューしたんですよ」
……相変わらず、この姉妹はぶっ壊れすぎる。
妹は十六歳で歌手デビュー。そして姉は二十歳で伝説に――いや、本当にバグってるだろ。
両親は一体どんな教育を、なんて訊きたいところだけれど、そんなことをこの僕が訊いてどうなるか分かったもんじゃない。
姉妹二人と、その両親二人の仲は、非常に悪いらしいのだから。
「着きましたね」
いつの間にか事務所に着いた。
僕が車を降りると、如月さんは僕に手を振ってから、そのまま車で帰って行ってしまった。今日は、事務所に寄らない日だったみたいだ。
「……はぁ」
あの名前も無いグループは、如月有栖が持つ生粋のカリスマによって成り立っていた。それは最早宗教といってもいいほどで、今でもその信仰は続いている。
その信仰を、反社会勢力との親交を途切れさせないために、如月さんは僕を横に置いている。
『無名』グループの最高幹部でもある、この僕を。
グループで一番、如月さんを信仰しているこの
そして、そんな身でありながら。
そんな役職についておきながら。
僕は、如月有栖を――彼氏持ちのあの女性を、好きになってしまったんだと言ったら、彼女はどんな反応をするだろうか。
それとも、もう既に知っているのかもしれない。
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