ハッピーエンドの向こう側

暁 葉留

きっかけ1 旧校舎、東階段下で。

旧校舎の一階、東階段の下。


そこには小さな銀色の扉が佇んでいる。

作りはごく普通のステンレス製だ。持ち手を捻るとぎぎ……と寂れた音がする。 


階段の下に隠された部屋。なんだか秘密基地っぽくて、わくわくする。

けれど現実は、そこまでロマンチックな話じゃない。


思い切り床を蹴る。放課後のチャイムと喧騒を切り抜けて、私は、あの扉が佇む東階段を目指す。


「遅れてすみませんっ」


開け放った扉の先。薄暗闇の中で、滝野詩楽たきのしいら先輩がこちらを振り向いた。


「よし、きたな」


勢いよく扉が閉まり、その勢いでドアの内側に貼られた「演劇部」の文字がふわりと浮いた。


私は先輩が好きだった。先輩と、先輩とやる演劇が好きだった。世の中から隔離されたように分厚いドアで仕切られたこの部屋で、先輩と二人きり、小さな物語を紡ぐことが。


でも、今日はいつもと少し様子が違うみたいだ。


「はやく始めようよーあついー」

「意外と人入るんですね、この部屋……」

「つか暗ぇーんだよここ。電気ねぇの?」


声の数を数えてみる。いち、に、さん。そして、私と先輩。

この部屋に、人が5人。入部して以来、この部屋に人が3人以上の入ったのは初めてで。


「この部屋に電気は通ってないんだ。ここは本来物置だからな」


会話が止み、四人分の視線が一気にシイラ先輩の元に集まる。

薄暗闇の中、胡散臭い笑みを浮かべた先輩は、四人全員の顔を見渡し、そして大声で言ってのけた。


「改めて。演劇部へ、ようこそ」



部活といっても部員は私と先輩……シイラ先輩のみ。顧問はほぼ来ることもないし私は顔も知らないので、文字通り「形だけ」。そんなあらゆる面で廃部寸前の部活が、私の所属する演劇部だった。


私が演劇部に入部したのは今年の春。【入学資料】に載っていた部活動一覧に、唯一載っていなかった「演劇部」をたまたまみつけ、そのドアを叩いた。理由?別に大それたものはない。ただ、その「隠された」ような部活に興味があった。

その時先輩は、勧誘活動の一環として小さな演劇を披露してくれた。部員は先輩一人なのでもちろん一人芝居だ。音響や照明ない。


けれど、私は一瞬で演劇の魅力に取り憑かれた。


「たった一人の演劇部員が新入生勧誘に奮闘する一年を描く」というメタ的な内容だったけれど、私は先輩の挙動一つに腹を抱えて大笑いし、最後はハンカチを握りしめて泣いていた。

我ながら大袈裟だと思う。けれど先輩が発する光が、私には眩しくて仕方がなかった。



そんな先輩も、ついに来月の文化祭で引退だ。

三年生の先輩と一年生の私。一緒に活動できた時間は、わずか三ヶ月。二歳差ってのは残酷だと、つくづく思う。


《五年ぶりの文化祭一般公開決定!文化部のステージ発表も復活!》


先輩の引退を前にしてなんとなく落ち込んでいた時、生徒会新聞にこんな文言を見つけた。

私は飛び上がって喜んだ。今まで私と先輩は一度だってステージに立っていなかった。顧問が機能していないゆえ、大会や催し物へのエントリーができないからだ。

いつしか色褪せた「ステージで演劇をする」という目標。それが今、眩しいくらいに鮮やかに色づいて、私たちに手招きをしていると思った。


けれど、そう楽しみにしたのも束の間。


「そういやステージ発表できるのは五人以上のグループのみ、という決まりがあるらしいぞ。生徒会から言われてしまった」


ある日先輩がサラッと溢したその事実に、私の夢は一気に崩れ去った。

埃まみれの床に、がっくりと膝をつく。


「なんですかそれ……!ステージ発表に人数は関係ないでしょうが!」


「まあ、ちっちゃいグループが細々と出てくるとステージの転換に時間がかかる。講堂に人が密集する時間をできるだけ短くしたいんだろう。クラスターとかなったら大変だし、その辺生徒会うるさいからな」


先輩はいたって涼しい顔をしていた。仕舞いには、


「そのリアクション、さすがだ。零もだんだん演劇部っぽくなってきたじゃないか」


大袈裟に見えるらしい私のリアクションを茶化す始末だ。


「……先輩は悔しくないんですか?高校生活、最後のステージにたてるチャンスなんですよ!?」


私は知っている。先輩は演劇バカだ。どっからか台本を持ちだしてきて「これ今から2人でやろう」と無茶振りをふっかけて私の反応を楽しむくらいには。

部活が始まる前の発声練習を、毎日欠かさずやるくらいには。

その努力がステージ上で発揮されたことは、結局一度もなかったのに。


捲し立てる私に、「ふむ」と先輩は腕を組んでしたり顔で言った。


「悔しくない、わけがない」

「じゃあ諦めないでください!あのステージを、」

「俺は一度だって諦めたなんて言ったか?五人でしか立てないなら、五人で立てばいい。それだけの話」


「?だからそれができないからって……」


眉を顰めた私をみて、先輩はにやりと笑った。


「別に演劇をやるのは演劇部じゃないといけないなんて決まりはない。俺に名案がある」



五人であの部室は狭いので、私たちは扉を開けて部屋の上の東階段に向かった。

窓から差し込む夕陽は薄桃色だった。斜めに差し込むその光に目が眩む。


先輩たちはそれぞれ一部ずつ、【アパッショナート】と書かれた台本を手にしていた。


「なるほど、僕ら全員音楽系の部活ですもんね」


階段の五段目に腰を下ろす。すると、頭上から声が聞こえた。


振り返った視線の先では、ふわふわの天然パーマを被った男の先輩がぱらぱらと台本をめくっていた。

顔を上げた彼と、目が合う。

その人懐っこそうな重い瞼が、きゅっと笑った。


「あ、まだ挨拶してなかったよね。

僕は2年の金嶋一希かなしまいつき。部活はハンドベル部です。よろしくね」


「お、大曽根零おおそねれいです」


慌てて頭を下げる。すると、今度は下から声がかかった。


「零ちゃんって言うんだ。私は三年の如月きさらぎいのり。よろしくねん」


あたふたと見渡せば、階段の一番下でポニーテールの女の先輩が、階段の手すりに寄りかかったまま手を振っていた。前髪を左右で留めた丸出しのおでこと、二重の大きな瞳が印象的だ。


「あはは、なんか零ちゃんって小動物みたい。滝野にこんな可愛い後輩ができたのが不思議ー」


「俺渾身の勧誘の賜物だな」


シイラ先輩はふふん、と自慢げに鼻を鳴らす。そして私に「彼女……如月は合唱部の部長なんだ」と紹介した。


「そして彼が小此木おこのぎ。あいつは弦楽部の部長だ」


シイラ先輩が階段の一番上を指さす。

そこには、短髪の男の先輩がどっかりと胡座をかいていた。

目が合う。その吊り目がちな瞳が、ぎりろと私を睨みつける。


「彼はあれが通常運転なんだ。常時キレてる系の奴だな。気にしなくていい」

シイラ先輩はそう言うけど、いや普通に怖い。


「……俺はヴァイオリンを弾くこと以外しねぇからな」


小此木先輩がボソリと言う。「それでいいんだよ」とシイラ先輩は笑った。


「この劇は君たちの“そのまま“が重要なんだ。あとは俺が上手く演出するさ」


【アパッショナート!】

先輩の手元に握られた台本に目をやる。

「シイラ先輩。結局、名案ってどういうことなんですか」


私の質問にも、先輩はまともに答えないどころかずっとぼけて質問で返してきた。


「零、俺たちがステージに立てない理由ってなんだったっけ」


「え?いや、だから人数が5人いないから」


「ああ、そうだったな。ちなみに、ここにいる3人も同じ理由で文化祭のステージを諦めている。

部員不足、廃部寸前。部員はたった一人」


シイラ先輩の言葉に、金嶋先輩が少し寂しそうに笑った。

驚いた。そんな共通点があったのか。


「弦楽部、合唱部、ハンドベル部、そして演劇部。この四つの部活に共通するのは一人じゃ完結できない部活だってこと。それにも関わらず、部員がいないからステージにも立てない。

ならば、ここは少し協力しないか、という話」


「【アパッショナート!】は劇中に各楽器の演奏パートがある、ミュージカル風の戯曲なんだ。そこに、君らの技術を貸してほしい。いや、これは劇じゃないな。

君らは演奏し、演劇部がそれを演出する。

5人の技術を結集した、一つの芸術作品を作ろう。そして、一人では立てなかったあのステージで返り咲くのさ!」


決まった……とばかりのシイラ先輩のドヤ顔。その横で私はひっそり、3人の先輩の反応を伺う。


「……いいね、やろうよ」


はじめに反応を示したのは如月先輩だった。

台本を閉じる。S字に巻かれた触覚を耳にかけ、桃色の唇でシイラ先輩にどこかぎこちなく微笑みかける。


「楽しそうじゃん、演劇」

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