あのきらめきを辿って
はれわたる
一、 プールの鍵
あれは、僕たちが高校二年生の時だったと思う。夏休みに入る前の最終日のこと。七月の中旬を過ぎて、暑さがいよいよ厳しくなってくるような天気の日のことだった。
「お疲れー。今帰り?
夏休み前最終日は授業がない。午前中で最後のホームルームが終わり、浮かれた雰囲気に学校が包まれる時間のことだった。友人の
浮かれている周りに対して、僕は漠然とした寂しさを抱えて教室に残っていた。何をするでもなく、ただぼんやりと教室に佇む。
「良い夏休みを」なんてクラスメイトと言い合っていたら、気が付いた時には自分以外誰も教室に残っていなかった。
寂しい理由は、特にない。もちろん、夏休みも楽しみだ。だけど、何故か心に居座る寂しさは出て行ってくれない。
そんな時に、健人が僕の教室に入ってきた。ちょうど、窓から見える入道雲が綺麗だな、眩しいな、なんて思っていた時だった。
「健人も、お疲れ」
「珍しいね。優がこんな時間まで残ってるなんて」
そう言いながら、健人は僕が座っている机の、一個前の机に腰掛ける。
「なんか、帰るの寂しいなあって、思っちゃって」
僕が正直に言うと、健人は少し驚いたような顔をした後、軽くはじけるように笑った。
「俺も! 同じこと思ってた!」
「えっ、健人も?」
「そう、俺も! 変だよね。また部活で来るはずなのに、なんか名残惜しくなっちゃって。でも多分、夏休み終わる前になればそんな気持ちのことなんて忘れてるんだろうけど!」
ぽん、ぽん、と軽快に話していたと思えば、「でもやっぱ、今は寂しいよ」と静かな声で健人は呟いた。
僕たちは同じ軽音楽部に入っていて、一緒にバンドを組んでいる。夏休み明けにはライブもあって、そのために猛練習をするから、夏休みは決して少なくない回数学校に来るというのに。
「……寂しいね」
僕も小さく言葉を零す。きっと、こんな気持ちで共感し合えるのなんて健人くらいだろうと思いながら。
窓の外に広がる空は、目が痛くなるほど青くて、眩しかった。
「……じゃあさ、せっかくなら遊んでから帰ろうよ!」
先ほどの空気を振り払うかのように、きらきらした声で健人が声をあげた。
その声の含んでいる輝きにつられて、俯きがちになってしまった顔を思わず上げる。すると、健人のこちらを見つめる瞳と目が合った。その瞳は窓の外の青を反射し、きらきらと、まばゆく光っていた。まるで輝いているような瞳を正面から受け止めてしまった僕は、否応なしにわくわくさせられてしまった。
「うん、いいね。賛成!」
「よしっ! じゃあまずは昼食べよ! まだ食べてないよね?」
首を縦に振ると、健人は善は急げ! とばかりに動き出した。
「俺、ご飯持ってないから食堂でいい?」
「うん。僕も持ってないから食堂がいいなって思ってた」
うちの高校には、食堂が二階にある。豪華なメニューにリーズナブルな価格。高校生の味方のような食堂だと、自分の学校ながら思う。今日も、夏休み前最終日だというのに生徒のために開いてくれている。
食堂に着くと、まばらに生徒がいることが分かった。窓際の席に荷物を置き、食券を買いにいく。
「わー、悩む~……。どうしよっかな~……」
健人は珍しく迷っている様子だ。僕はそんな健人を見ながら、自分の食券を買う。
「健人はいつも同じのしか食べないじゃん。今日もそれでしょ?」
「違うの! 今日はお腹が違う気分かもしれないって言ってて!」
「ふふ。なにそれ」
そんな風に話しながらも、健人の中では決まったらしく、「よし、決めた」なんて声が後ろから聞こえてきた。
「はい。日替わりランチ一つです」
「ありがとうございます」
トレイを受け取り、健人よりも先に席に戻る。
少しすると、健人が醤油ラーメンをトレイに乗せて戻ってきた。
「やっぱり健人は醤油ラーメンじゃん!」
「うるさい! そういう優だっていつも日替わりランチじゃない?」
「日替わりだからいつも違うやつだもん。だから僕は健人とは違うの!」
「なにそれ。意味分かんねー!」
お互い笑いながら軽口を叩き合う。健人とこうしている時がすごく楽しい。
その後も笑いは絶えず、気が付けばすっかり二人とも完食していた。
「ちょっと寄りたいところあるから待ってて!」
トレイを返却するなり健人はそう言った。ちょうど何して遊ぼうか、と聞こうと思った時だった。
帰ってきたら聞こう。と思い僕は健人を待つことにした。
ふ、と視線を窓に落とす。空は相変わらず青くて、入道雲もさっき変わらず真っ白。夏を具現化したような空模様だ。せっかくなら夏らしいことして遊びたいな、と思った、その時だった。
「優、これなーんだ」
ちょうど健人が戻ってきた。その顔は、なんだか悪だくみをしている子供のようだ。しかも、「なーんだ」と言いながら手に持ってるものとは別に、何かの袋も持っている。さっきまではなかったはずのものだ。
「それは、鍵? どこの……、ってもしかして……! どっかから盗ってきたの……?」
そう怪しみながら聞けば、健人はこらえきれない、といった表情で笑い始めた。
「違うよ! そんなことしないって! これはね、プールの鍵。ちゃんと借りてきたんだよ」
「プールの⁉ 借りられるんだ……」
「ね! びっくりだよね。水泳部の友達がさ、今日部活ないんだって話してて。プール開放がどうの、って話もしてたから水泳の顧問の先生に聞きにいっちゃった」
夏らしいことしたいと思った矢先のできごと。きっと誰もこんなことが起こるだなんて想像できないだろう。
「じゃあその袋は……?」
「これはね、じゃーん! 水着!」
確かに水着はどうするのか、という疑問も袋の正体は何かというのと同時に沸いてはきたけど!
「なんで持ってるの⁉」
「昨日から水泳部ないって聞いてたからさ。一か八か! って思って」
健人らしいといえば健人らしい。そういう、悪く言ってしまえば後先を考えずに行動する、しかしよく言えば行動力の高いところ。それは間違いなく彼の魅力の一つだろう。
「ちなみにこれ、二人分です」
健人は続ける。
「なんで俺の分まで⁉ って気持ちはあるけど、ありがとう! 健人」
「よし、じゃあ行きますか」
「行きましょう……!」
そうして、僕たちの足はプールの方へと向かっていった。
更衣室から出ると、水があるからだろう、少しひんやりとしている空気が肌に伝わった。蒸し暑さの残る更衣室で着替えてきた汗だくの体には心地良い。
シャワーは自分でひねるタイプのようで、二人で一緒にシャワーを浴びた。夏とはいえ、全身に水を浴びれば暑さなんてどこかにいってしまう。
シャワーを浴び終えたらいよいよだ。
シャワーゾーンを出ると、一気に塩素の匂いが漂ってくる。そして、顔を上げると目の前にはプールが広がっていた。
「わあ……!」
うちの高校にあるのは屋内の温水プールで、ガラス張りの窓から入ってくる光が水面をきらきらと揺らしていた。窓から見える青い空と、入道雲もここからだとより一層綺麗に見える。
「すごい、綺麗だね」
「うん……!」
まだ強さを失っていない太陽の光が、プール全体に差し込む。どこを見てもきらきらと輝いていた。
「じゃあ優、せーので入ろう」
「うん」
「いくよ? せーのっ!」
その声を合図に二人で一緒に飛び込んだ。
大きな水しぶきがあがる。
ただでさえ光で眩しかったのに、水しぶきで視界がきらきらで埋め尽くされてしまった。でもなにより、その中心で輝いているように笑う健人が、何よりも眩しかった。
「優! 楽しいね!」
「うん! 最高だね」
おもむろに健人が仰向けで浮き始めた。それに続いて僕も浮き始める。
仰向けになると、ドームのようなガラスの屋根から降り注ぐ光を全身で受けることになる。
その光が暖かくて、すごく綺麗で、そして背中にあたる水が気持ちよくて。まるで光の中を泳ぐ熱帯魚になったような気分だった。
横を見ると、健人も気持ちよさそうに光を浴びている。しばらくすると、こちらに気付いたのか健人はにっこり微笑んだ。僕もそれに微笑み返す。温かくて穏やかな時間が流れていた。
目を瞑って浮いていたからだろう。健人が仰向けの姿勢を崩したことに気付かなかった。
いきなり顔にかかった水にびっくりして、慌てて仰向けの姿勢を崩す。水のせいで顔に張り付いた前髪を払いながら隣を見ると、健人が悪い顔で笑っていた。
「隙あり! 優、全然気づかなかった!」
「健人~!」
僕は健人めがけて水をかけ返す。不意を突けたようで、健人はびっくりした顔に水を滴らせていた。
「やったな~!」
瞬時にいたずらっ子の顔になった健人も、反撃を始めた。
ここからはもう、相手に当たるか当たらないかは関係なくなった。ひたすらにお互いに水をかけ合い始める。
しばらく水をかけあって、お互い疲れてきた頃。おかしくてたまらなくて、思わず僕は笑い始めてしまった。そんな僕を健人はびっくりしながら見ていたが、だんだん顔が緩み始めて、健人も笑い始めた。
「はー、笑った~」
と健人が言う。
「ほんと。あー、おもしろかった」
僕がそう返すと、健人はにっこりと笑って僕の方に向き直った。
「どう? 寂しさはどっかいった?」
一瞬、びっくりしてしまった。
……気にしてくれてたんだ。
ずっと気にしてくれていた、という彼の優しさが伝わってきて、思わず僕の顔には笑みが広がる。
「うん! もうすっかり!」
「良かった! じゃあ次はクロールで競争な!」
「あっ! 待ってよ健人!」
水面は、相変わらずきらめいていた。
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