冷めない熱

はれ わたる

一章 真夏日

 ポコン、とスマホが鳴った。

 誰だろう、と思いながら音の鳴るほうへ行く。想い人である夏日なつび蓮斗れんとだったらいいなと期待しながら。

 時刻は二十時をまわったところだ。こんな時間に連絡してくる人と言えばクラスの友人か部活の友人だろう。もちろん、蓮斗はクラスが同じで、よく一緒にいる友人の一人なので可能性はあるのだが。

「まぁ、そんなわけないかぁ」

 そう呟きながら伏せてあったスマホを裏返し、電源を入れる。カチ、という音が指に伝わり、パッとスマホの画面がついた。

 そこには「今度のお祭り一緒に行かない?」というメッセージと、蓮斗の名前が一緒に表示されていた。

「えっ⁉」

 途端、ドキドキ、と心臓の音が早くなる。こんな、夢みたいなことが起こっていいのだろうか?

 高まる心臓を抑えながらメッセージアプリを開くと、そこには確かに、蓮斗からのメッセージが通知されていた。

「えぇ……! どうしよう……!」

 そんな風にしばらくおろおろしていると、追加でメッセージが送られてきた。

「浴衣で!」


「えぇ〜〜〜〜〜〜〜〜!」

 そんな俺の叫びは、静かな夜の闇に溶けて消えていった。



 眩しい朝日がカーテン越しから部屋を照らす。昨日はなかなか寝付けなかった。

 蓮斗からのメッセージに勢いで「うん! 行きたい!」と返事をし、その勢いのままベッドに入って寝ようとした。だが、ドキドキとひどく脈打った心臓ではすぐに眠ることができず、しばらくベッドの中で幸せを噛み締めることしかできなかった。


 半ばぼんやりとした意識のまま、身支度を済ませて家を出る。今日も普通に蓮斗と会うが、どんな顔をして会ったらいいのかわからない。

「会いたいけど会いたくないなぁ……」

「だれに?」

「うわっ⁉」

 突然耳元で落とされた声に驚いて、思わず後ろを振り向いた。いつからいたのだろう。全く気が付かなかった。

「だれにって蓮斗にだよぉ……」

「へー。十和とわは俺に会いたいんだ」

「いや! 別にそうとは言ってないだろ!」

 そうやって軽口を叩きながら学校へ向かう。

 俺と蓮斗は最寄り駅が同じだ。だから駅で会うことや電車で会うことなんかも多い。

「そういえば、あの後俺が送ったメッセージ見てくれてないよね」

「あっ」

 そうだった。勢いのまま送ったところまでは良かったのだが問題はその後だった。なんて返ってきているのか見るのが怖くてメッセージアプリは閉じたまんま。通知が来ていることは知っていたが、後ででいいやと高なる心臓から逃げるようにしてそのままにしてしまったのだ。

「ごめん、見てない……」

「俺、お前がオッケーしてくれて嬉しかったんだからな、これでも」

 その言葉を聞いて、昨日返事を見ないままにしてしまったことを瞬時に後悔した。

 あの蓮斗が喜んでくれたなんて……! 多分、一人の友達として喜んでくれただろうことは分かっていたけど、やっぱり一緒にお祭りに行けることを好きな人が喜んでくれるのは俺も嬉しい。


 それに、感情表現が薄いと思っていた蓮斗が素直に気持ちを伝えてくれることがすごく嬉しいのだ。

 初対面のとき、俺が蓮斗に抱いた印象は硬そう、だった。いわゆる硬派イケメンというやつ。堅実そうで真面目そう。

 だけど、そんな蓮斗は意外に感情表現が多いと気がついたのはちょっと前のこと。俺が今まで気が付かなかった、というより(俺のことだからそうなのかもしれないけど……)きっと、蓮斗が感情を表現してくれることが増えたんだと思う。それもとっても、俺には嬉しい。

「俺も、蓮斗がお祭り誘ってくれて嬉しかった! ……ありがとな」

「……うん。後で時間とか送っとく」

「了解!」

 朝の心配が嘘だったかのように、いつもの楽しい一日が始まった。


 蓮斗が送ってくれたメッセージには、七月十五日の十七時から神社のお祭りがあること、同時に花火大会が十九時から開始されることが書かれていた。

 約束のお祭りの日まであと一か月もある。待ちきれるか今から不安になってしまった。

 あぁ、楽しみだ!


 そう思ったのとちょうど同時に、授業終わりのチャイムが鳴り響いた。

 集中しなければ、と思ってはいるが、授業には全く身が入らなかった。目の前に広がる少しだけしか文字の書かれていないノートを見て溜息を吐く。

 どうしよう、テストやばいかも……

 そんな俺に気づいたのか、親友である並河なみかわ透真とうまが声をかけてくれた。

「ノート真っ白じゃん! 僕のノート移す?」

 少し笑いながら言われたのが少し腹立たしいが、正直とてもありがたい。

「うぅ……。悔しいけど見せて……めちゃくちゃ助かる……」

「はいはい。どうぞ」

 なんとかテストで大惨事になることを回避することができた喜びでいっぱいだった俺は、透真と話している俺を見ている人がいることに気がつかなかった。



 楽しみにして待ちながら過ごす時間は長いようであっという間で、花火大会はいよいよ再来週に迫っていた。

「そうだ、浴衣……!」

 浴衣で集合、と言われたことは俺が夜大声を上げてしまった理由の一つ。

 もちろん、浴衣の着付けなんて出来るわけないし、そもそも家に浴衣があるのかどうかも怪しい。

 俺は不器用で、着付け以外にも手先の器用さが問われることは苦手だ。


(よし、決めた……)

 そんな俺を特に支えてくれた人物、ばあちゃんに着付けを教えてもらうことにした。

 そのためにまずは家に浴衣があるかの確認だ。

「母さん、うちって浴衣あったりする?」

「浴衣? もしかして夏祭りに着てくの?」

「そのつもり。浴衣でお祭り行こうって誘われて」

「そうなの! 素敵! ちょっと待っててね。確かあったはずだから」

 まさか家に浴衣があったなんて。何であるのだろうという疑問が浮かんだが今は閉じ込めて母さんを待った。

 しばらくすると母さんが、明るいグレーの浴衣を持ってきてくれた。帯の色はグレーを柔らかくまとめあげるような紺色。

 今まで、家に浴衣があるかどうかも知らなかったのに浴衣を見た瞬間、俺の浴衣だ、と直感的に思った。それくらい、俺の雰囲気によく合っている浴衣だった。

「これはね、十和が高校に入った頃、去年くらいに父さんが買ってきたのよ。いつか十和にこの浴衣着せるんだーって」

 だからだったのか。瞬時に合点がいった。父さんは俺以上に俺のことを知ってくれている人の一人だ。そんな面を普段は表に出さないけれど、それは言動で伝わってくるものだ。

 俺の浴衣だ、と思うような浴衣を、俺にぴったりの、似合うであろう浴衣を選んでくれたことがとても嬉しい。

「母さん、浴衣取っておいてくれてありがとう! すごく嬉しい!」

「喜んでくれて私も嬉しい。あとで父さんにも伝えてあげてね」

「はーい!」


 浴衣(それもとっても素敵な想いがこもった)が家にあったので、後は着付けをマスターするだけだ。

「じゃあ、俺着付け教えてもらいにばあちゃんのとこ行ってくる!」

 母さんにそう言って家を出た。家こそ違うが、徒歩五分で互いの家を行き来できる場所にばあちゃんの家はある。両親から譲り受けた不器用さを誇る俺は、小さい頃から困ったことがあった時によくばあちゃんの家を訪ねていた。


 ピンポーン。

 呼び鈴を鳴らす。俺が行くことは家を出る時に連絡しているので俺だと分かってくれるはずだ。


「十和。いらっしゃい」

 モニター越しにばあちゃんの声がする。

「お邪魔します!」

 最近は忙しくて来れていなかったばあちゃんの家。家に入ると、そこにはやっぱりあの温もりと懐かしさがそのまま残っていることが分かった。

「十和が来るのはなんだか久しぶりだね」

「うん。すごく懐かしい感じがする」

「今日は着付けを知りたいんだっけ?」

「そう! 友達と浴衣でお祭りに行くことになったんだけど、着付け全然分かんなくて……」

「よぉし、せっかく私を頼ってくれたんだ、着付けを完璧にしてお祭りに行こうじゃないの!」

 ばあちゃんのなんと頼もしいことか! 俺が小さい頃から、困った俺がばあちゃんを訪ねると決まって嬉しそうに俺を助けてくれ、導いてくれたのだった。

「十和が持ってるそれは浴衣で合ってる?」

「うん。父さんが買ってくれてたんだって」

「そうか。それは素敵じゃない。じゃあこの肌着に着替えてきな。そしたら着付けよう」

 そう言って手渡された肌着を持って別室に行き着替える。ばあちゃんの居るところに戻り、着付けを一から教えてもらった。俺に教えてくれる姿はまるで着付け講習か何かの先生のようで、とってもわかりやすく、かつ優しく丁寧に教えてくれた。

「わぁ……! できた!」

「今日教えたことをしっかり当日も出来れば問題ないはずだよ」

「うん! ありがとう、ばあちゃん!」

 これで着付けもマスターできた。あとはお祭りの日を待つだけ。

 ああ、本当に楽しみだ!


 そうして、いよいよ待ちに待ったお祭りの日がやってきた。

 楽しみすぎて、今朝はいつもより早く起きてしまった。

 お祭りは十七時からなので、お祭りが開催される神社の最寄り駅に十六時に集合することになった。


「俺たちの最寄りじゃなくていいの?」

 と、思わず俺が尋ねると、

「俺たちの最寄りで会うんじゃいつもの学校とそんなに変わんないだろ? 特別感出したいじゃん」

 と蓮斗は言った。

 正直、最寄り駅から浴衣で会うのは緊張で身が持たない気がしたから、神社の最寄り駅で集合することを提案してくれたときはホッとしていたのだ。


 緊張しつつ、お昼を食べ終えた俺は浴衣に腕を通した。

 大丈夫、ばあちゃんと一緒に着た時の感覚を思い出すんだ。きっと、上手く着ることができるはず。


 そうして悪戦苦闘しつつ、なんとか俺は浴衣を着ることに成功した。

 よし、できた……!

 ばあちゃんに教えてもらったのよりは少し崩れてしまっているような気がするが、俺にしてはきっと上出来だろう。

 自信をもって、俺は家を出た。

 俺たちは最寄り駅が同じだが、それにしては互いの家の距離が遠い。蓮斗は徒歩十分ほどで着くのに対して、俺は駅まで約二十分強。

 そんな距離を浴衣で歩くのは少し慣れなくて恥ずかしい気持ちもあったが、着いたら浴衣を着た蓮斗と会えるのだと思うとその恥ずかしさも消えていった。

 今日は日差しが強い真夏日で、蝉が大きな声で鳴いている。あたりは濃いオレンジ色に染まっていて、それを電車の中から眺めていた。

 しばらくして、神社の最寄り駅に着いたことをアナウンスが告げた。周りにも浴衣姿の人が増えてきている。

 駅から出て蓮斗を探そうとすると、一瞬で視線が紺色の浴衣を着たかっこいい人に集まった。

 蓮斗だ。

 彼の方も俺に気が付いたようで、頬を紅く染めていた。

 今日はきっと、良いお祭りの日になるはず!

 強い日差しが俺たちを包んでいた。

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