156.妖狐襲来
「今日来るよ」
妖狐の資料をソファで読んでいたレンがおもむろにそう言った。
レンが美咲の家に泊まり込んで11日目だ。ちなみに美咲は影武者を学校に通わせているので出席日数の問題はない。
レンはどうしているのかと聞くと式符を使ってレンそっくりの人形を作り、それを学校に通わせているのだと聞いた。
「そっか~、占術がちょっとだけずれたね。ってかそういうのレンっちわかるの? 予知とか予言とかに目覚めたとか?」
「違うよ、虫の報せみたいなもんかな。なんとなく危険が近づくとわかるんだ。ずれるにはずれるだけの理由がある。何かしらあったんだろうね。ただ山狩りは失敗したみたいだね。僕としては美咲が危険な目に遭うよりも東北の稲荷神社の神官たちが退治してくれたほうが良かったんだけどね」
レンがそう言うと美咲は苦笑しながらレンに返した。
「ふふっ、それはそれでうちが狙われる理由は無くなるし稲荷信仰があがるからうちとしても問題はないっちゃないけどね。ただ竹駒神社と志和稲荷神社は本気で山狩りをしてたみたいだから、その2つの神社の精鋭を敗退させたってことだよね。妖狐、思ってたよりも強いかもね」
美咲は不安に思い、レンの袖をつまむと肩を抱かれる。
レンの胸に顔を押し付け、レンの匂いを嗅ぐと少し落ち着いた気分になれた。
「大丈夫、美咲は僕が守るよ」
「うん、信頼してる。でもうちも頑張るからね」
「うん、頑張って。でもとりあえず来るまでちゃんと寝ようか。〈睡眠〉」
「ぁ、待って……ふわぁ」
美咲はレンに与えられた睡魔に抗えずに即座に眠りについた。
「ん? うぅ~ん」
美咲が目を覚ますと壁時計が20時を指していた。
どうやらぐっすりと眠ってしまったらしい。
「起きた? おはよう、美咲」
レンの声が間近で聞こえる。ガバッと起き上がって見るとレンの膝枕で眠ってしまっていたようだ。
記憶がないのが残念で仕方がない。しかし時はもう戻らない。体に染み付いたレンの匂いを感じ取ることができる。レンはあの後何時間も美咲を膝枕してくれていたのだろう。
レンが寝起きの美咲に優しく微笑んでくれて頭を撫でてくれている。
それだけで幸せになれる自分はなんとチョロいんだろうと思ってしまう。
命を助けられただけで惚れるのだからチョロいのは妖狐の血のせいだとわかっているが、実際こうなってみると恥ずかしさがこみ上げてくる。
「おはよう、レンっち。膝枕、ありがとうね。すっきりだよ」
「美咲様、ご飯とお風呂に致しましょう。玖条様のお言葉が確かならば今日が決戦ですよ」
「そうだね。レンっち、行ってくるね」
美咲は風呂で体を入念に磨き、レンと一緒に夕食を食べた。
体調は万全だ。いつでも来いという気持ちが湧き上がってくる。
それだけレンと一緒の11日間は幸せだった。訓練は厳しい物だったが美咲のための訓練だ。辛いという気持ちはない。
遠くからでも強力な妖気が近づいてくるのが美咲にもわかるほど妖狐が近づいてきた。
──さぁ、決戦だ。
◇ ◇
レンは李偉と葵と共に後方に陣取っていた。
レンも李偉も葵も魔力をリミッターで抑えている。妖狐に気取られたくないからだ。
特に李偉の魔力や仙気を気取られたら奥羽の妖狐は攻めてこないだろう。
だが実際には奥羽の妖狐の気配は物凄いスピードで近づいてくる。
レンたちは有象無象だと判断されたようで安心だ。
バリンと結界が割れる。豊川家の結界は並の退魔士が張った結界ではない。特に今回は寸前に十分な魔力を込めて張った結界だ。簡単に破れるものではない。破るにしてもそれなりに消耗させる作戦だったのだ。
にも関わらず結界は呆気なく割れた。それだけでも妖狐の並外れた力が推測される。
(美咲は切り札があると言っていたけれど大丈夫か?)
レンと李偉、葵はバックアップだ。美咲が危険に晒された時、守るのが仕事で奥羽の妖狐を仕留めるのが仕事ではない。
護衛依頼と聞いていたが美咲にできるだけ手柄を立てさせ、そして叶うならば妖狐の止めも刺させたいという。
話が違うと豊川家には文句を言いたい所だが、藤に文句を言っても煙に巻かれるだろうことは間違いない。
レンは無駄なことはできるだけしない主義だ。その代わり成功した暁には十分な褒美を貰おうと思った。
妖狐は黒い毛皮を纏い、3mほどの体高をしていて5本の尾が生えている。
情報通りだ。しかしレンは訝しんだ。奥羽の妖狐が予想よりも遥かに強い。妖狐は隠す必要もないのかと思うくらい妖気を発している。〈龍眼〉で視るほどでもないほどだ。しかしココで〈龍眼〉を使っていなかったことをほんの少し後、レンは後悔することになる。
「結界を張り直せ。周囲に被害がでるぞっ」
豊川家の護衛たちは結界が簡単に破られたことによってうろたえている。
豊川の姫と呼ばれた美咲が囮となっているのだ。危険な目に遭わせたくないのが目に見える。しかしやるべきことはわかっているのかすぐさま結界を張り直し、奥羽の妖狐に術式を叩き込んでいる。だがそれらの術式は素早い妖狐の動きによって全て避けられてしまった。
(思っていた以上に素早いな)
当たれば強力な威力を誇る術式も当たらなければ意味がない。豊川家の精鋭の狙いが悪い訳でもない。単純に妖狐の動きが速く鋭いのだ。それに的確に宙を蹴り、大きな体躯をしているのに術式は掠りすらしない。連携の取れた術式を掠りもさせず避けるのだ。洞察力も相当に高い。
「レンっち、うち頑張るからね!」
「私たちも居ますよ」
「えぇ、必ず美咲様を守り通ります」
美咲は道着のような前合わせの白い上着を羽織り、胸当てをしている。下は茶色の革製の袴だ。胸当ての中にはレン謹製の水晶竜の鱗を削った物が入っている。
どうやら上着は藤の毛を依って糸にして織り上げた逸品で、袴は藤が狩った妖狐の皮を鞣して作り上げた物らしい。袴には尻尾穴があるのか可愛らしい白色の尻尾が2本ゆらゆらと揺れている。
妖狐は火炎系の術式を使う事が多いので対策装備として準備していたのだろう。
瑠華と瑠奈も同様の装備を与えられ、2人とも槍を装備している。瑠華と瑠奈にも同様に2本の尾が見られる。黄金果で霊格が上がり2本目の尾が生えたと聞いた。
美咲の武器は腰には脇差しを、そして主武装として薙刀を用意している。
レンが貰った十文字槍や小茜丸よりも格が少し高い物のように思える。レンが魔改造を施したので小茜丸も十文字槍も元々の性能よりも遥かに上がっているが、彼女たちの武器も豊川家の宝物庫から持ち出してきたのは間違いがない。
「仙狐の卵よ、無駄な抵抗などやめて妾に食べられるが良かろう。お主らの力では到底妾には敵わぬ。そなたさえ犠牲になるのならば他の者は見逃してやろう。むやみに死人を増やすこともなかろうて、カッカッカ」
奥羽の妖狐が流暢な日本語で喋った。人間形態でもないのにどうやって言語を話しているのだろう。レンは少し気になったが妖狐の話の続きと美咲の反応を待った。
「ふんっ、うちは負けるつもりなんて欠片もないよ。確かに神霊並の妖気を持っているみたいだけれど、妖気の量だけで戦いの結果が決まるわけじゃない。うちだって仙狐になるためにも悪狐の貴女を許すつもりはないよ」
「そうか、交渉は決裂じゃな。妾としてはそこな仙狐の卵を得られれば良いだけであったが皆殺しじゃ。全員平らげて更に力を増そうぞ。そして近隣の神霊の縄張りを奪い、九尾に至るのだ!」
妖狐は狡猾だ。例え美咲がその身を投じたとしてもそれで得た力で豊川家の者たちを皆殺しにしただろう。
妖狐の言葉などに惑わされる豊川家の人間は居ない。
「全員、戦闘準備」
言われるまでもなく全員が戦闘態勢に入っている。豊川家の精鋭は優秀だ。
レンは豊川家の庭が素晴らしいことと、妖狐が逃げを打つことを防ぐ為に〈隔離結界〉を張った。更に結界内の位相をほんの少しずらす。これで妖狐と美咲たちが戦った被害が現世に反映されることはないだろう。人払いの結界などは豊川家の人間がしっかりと張っている。
「逃がす気はないと言うことか。凄惨な場になるだけというのに、可愛らしいものね」
「当然だよ。悪狐は地獄にでも落ちて業火に焼かれればいい」
「ふんっ、そのような小さな力で吼えるものよ。ん? そっ、それはっ」
美咲は返答しつつ小さな飴玉のような丸薬を手に取り、ポイと口に含むと即座に飲み込んだ。
同様に瑠華と瑠奈も丸薬を口にした。
美咲の、瑠華と瑠奈の仙気が吹き上がる。
「あれが美咲の切り札か? ちょっと足らない気はするけれど勝負にはなりそうだ」
「あれは仙丹だぜ。しかもかなり高位の物だ。あんなの誰が作ったんだ」
李偉がレンの疑問を解説してくれた。
どうやら藤が作り出したであろう仙丹という特殊な丸薬らしい。作るには霊水や希少な霊草や霊花、様々な条件に満ちた日に取った霊草についた朝露などを使い、仙人が仙気を込めて作らなければできないらしい。
李偉も作れるらしいが美咲たちが飲んだものほどのは作れないと教えてくれる。吾郎もそちらは修行が足らなくて同等の物は作れないと李偉が説明してくれる。
そして仙狐になれない妖狐に取っては喉から手が出るほど欲しいものだと言う。美咲を食べただけでは仙狐になることはできない。仙丹も得る必要があるらしい。
「ちょうど良いね。か弱い仙狐に仙丹。両方欲しいものが揃った。嬉しい誤算だよ」
「調子いいこと言わないで。食べられるつもりなんてこちとら最初(はな)からないんだよ! はっ」
美咲が中央に、瑠華と瑠奈が左右に別れ妖狐に迫る。仙気を込められた薙刀が振るわれる。
妖狐は薙刀や槍を避けながら尾を雷(いかづち)に変えて美咲たちを打ち据える。だが美咲たちの胸当てに入れられた水晶竜の鱗が雷を弾く。あの程度なら問題ないことは11日間で何度もレンは美咲たちに説明している。
妖狐は雷を避けると思っていたのか意表を突かれ、薙刀でその毛皮を斬り裂かれた。瑠華と瑠奈の槍も妖狐の腹に穂先が埋まっている。しかし浅い。毛皮の防御はかなり高く、肉の表面部分までしか刃が通っていなかった。
「固いね。じゃぁもう1段階ギアを上げるよ」
「もうお主らの斬撃など喰らうものか」
美咲、瑠華、瑠奈の3人は仙気をより多く薙刀や槍の刃に通し、斬れ味や貫通力をあげて再度妖狐に飛び掛かった。
豊川家の精鋭たちは5人1組になり、儀式魔法のような術式を編んでいるようだ。個人の術式では通用しないと思ったのだろう。
実際妖狐は素早く、更に美咲たちと接近戦を行っている。下手に術式など打ち込めない。
4組の儀式魔法が組み上がり、直径1mはありそうな金剛棒が地面に落ちてくる。それらを妖狐は避けるが4本の金剛棒はバチバチと青い光で繋がり、まるでリングのように妖狐を閉じ込めた。
狭い空間では体の大きい妖狐は今までのように避けることができない。
美咲と瑠華と瑠奈の攻撃が当たり、更に出力を上げたことで毛皮だけでなく肉や筋も斬り裂いている。
しかしそれは妖狐側にも言える。間合いが近づいたことで爪や牙が美咲たちを襲う。
バキン
瑠華とその口に収めようとした妖狐が弾かれる。
レンの与えた守護結晶だ。エマとイザベラが作った魔術結晶にレンが今作れる最高の障壁を込めてある。ただし有限だ。3枚の障壁しか込められなかった。故に誰かの障壁が2枚砕け散ったところでレンたちは手出しをすると美咲たちと約束をしている。
障壁に弾かれた隙をついて美咲の薙刀がざくりと妖狐の肩を斬り裂く。
更に瑠華の槍の穂先が首筋を狙うと妖狐がボウンと煙に包まれ、傷ついた中華風の服を着た美女に変化した。5本の尾がゆらゆらと揺れている。
狭い結界の中で大きな体で戦うのが不利と感じたのだろう。
「くっ、意外にやるじゃないか。しかしこの程度じゃやられてあげないよ」
「そういうのを負け犬の遠吠えっていうんだよ! この場合は負け狐かな? さっさと観念してうちたちの糧となるんだよ!」
「糧となるのは主らの方じゃ。舐めるなよっ、小娘がっ!」
妖狐は瘴気に塗れた妖刀を持っていた。長さは脇差しほどだが感じられる雰囲気がヤバい。
美咲たちも気を引き締めて貸し与えた竜鱗盾を構えている。龍の鱗を使った盾、に見せかけた水晶竜の鱗を使った逸品だ。
妖狐が神速で走る。それに瑠奈は反応できなかった。守護結晶を使う暇もなく、ぎりぎり致命傷を避けた瑠奈の腕が宙を飛ぶ。レンと李偉、葵は手を出そうとして瑠奈が避けたことでぐっと踏みとどまった。手を出せないというのは非常にもどかしい。
「「瑠奈っ」」
美咲の、瑠華の悲鳴が響く。更に美咲に、瑠華に妖刀の刃が迫るが美咲と瑠華はギリギリでそれを竜鱗盾で受けることができた。
瑠奈は〈念動〉ですぐさま腕を引き寄せ、結界の外に出た。
あのまま戦闘を続けるのは瑠奈の命に関わる。美咲たちの邪魔にもなる。良い判断だとレンは思った。腕は治癒術を使えば繋がるのだ。命があっただけ良かったと言って良い。瘴気で穢れているので霊水で洗い流し、治癒術士が急いで瑠奈の傷を治す。
「ちっ、殺(と)ったと思ったんだけどね」
妖狐はニタリと笑った。いくつも傷はあるがまだまだ余力を残していそうだ。せっかく与えた傷も目で確認できるほどのスピードで治っていく。
「それにしても」
「なんだ?」
「仙丹だけが美咲の切り札とは思えない。アレだけなら他家に隠す必要なんてないだろう」
「そうだな、中華なら効能の差はあれありふれたものだ。隠すほどのものじゃない。豊川家には仙狐がいるのは公然の秘密なんだろう。なら仙丹くらいあっておかしくないとどこでも考えるだろうな。三枝家にいる時にさえ豊川家の話は聞こえてきたもんだぜ。絶対に手を出してはならない家としてな。紅麗が居てなんとかと言うところだろう」
レンと李偉が話しながらいつでも出られるように態勢を整えながら美咲たちの戦いを見守る。
美咲と瑠華は瑠奈が居なくなったことによって劣勢になった。
守護障壁の数は妖狐にはバレてはいないだろうが常に使っていないことから有限であることはバレバレだろう。
美咲と瑠華は竜鱗盾と薙刀、槍で妖狐の妖刀をぎりぎりで受け、躱し、流す。
「おおおおおおっ」
「美咲っ!」
妖狐が吼えると妖気が吹き上がり、尾の一本が強烈な火炎を吹き出し、美咲たちを焼きながら妖狐を閉じ込めていた4本の金剛棒にヒビを入れ、結界が砕けちった。
自由になった妖狐はまた巨大な狐の姿に戻り、月に向かって大きく吼える。
火傷を負っているが美咲と瑠華も無事なようだ。仙気を纏って妖狐の火炎をしのいだらしい。
障壁は1方向にしか効果がないので範囲攻撃には弱い。
レンはつい美咲の名を叫んでしまった。
だが無事な姿を見てホッとする。
「おいおい、あの程度で死ぬようなたまじゃないのはわかっているだろう。だから見守っているってのを忘れているんじゃないのか」
「わかっている、わかっているさ。それでもつい声が出てしまったんだよ」
「紅麗を戦いに出したくないと言い張る吾郎のことを言えないな」
レンは李偉にからかわれながらも、美咲たちの戦いから目を離さなかった。
◇ ◇
戦闘シーンはできるだけ一話で終わらせたいのですが前半があったので終わりませんでした。続きは後日をお待ちください。レンは見ているだけしかできないので非常にもどかしく感じています。レンと李偉、葵が加勢すればかなり戦いが楽になるからです。しかしそれは許されません。
いつも誤字報告、感想ありがとうございます。
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