42話 君だけの問題ではない

私と千理は幽香に引っ張られるように浴室に放り込まれた。力加減はあれどそこには私に拒否権を許さない圧があった


幽香が扉を開けると目の前には広い空間があった。白いタイルが敷き詰められ、天井の高い空間に湯気がゆらゆらと立ち上っている。壁際にはいくつもの洗い場が並び、中央には数人が余裕で入れるほどの湯船。いや、数人どころではない、十人いても十分に足を伸ばせそうな大きさだった。


「ずいぶんと広いな」

「ここは廃ホテルでね。外装や内装はボロボロかもしれないがライフラインは早急に通しておいたのさ。中は快適かい?」

「まぁ、私の部屋に比べればな」

「君の部屋は囚人が暮らすようなものさ」

「ほっとけ」

「はいはい。早く脱いでとっととその異臭を落とそうか」


幽香につられるよう私もフェイスタオルを持ち洗い場へいこうとしたら後ろから抱きしめられた。


「これじゃ私は臭いを落とせないんだが」


千理は私の言葉を無視しさらに力を強め顔を押し付けてきた


「なぁ、さっきのことは謝るから頼む」

「やだ」

「やだってお前なぁ…子供じゃないんだから」

「子供でいいもん。葵ちゃんと離れるくらいなら」

「このまま移動するからな?ケガしても知らないからな」

「このままでいいもん」

「わがままだなぁ」


千理の感情の洪水を、私の薄い背中の皮一枚でどうにか受け止めているような気さえした。

そのやり取りの最中、浴室の奥から幽香の声がした。


「葵君、千理君。そこは洗い場じゃないぞ。あまりにイチャイチャされると、私が混ざりたくなるではないか」

「……帰れ」

「いやいや、君に同行するのが私の生きがいみたいなものだからそれはできかねるね。むしろ君たちが勝手に揉めているだけなんだから、私が正義だ。というか葵君、さっきより湿っぽくなってるが、どうだい? 情緒不安定なら検査項目が増えるぞ?」

「ふざけてる暇があったら洗え」


私がようやく千理を引きはがして洗い場に移動すると、幽香はさっさと桶を手に取り、しれっと隣に腰かけていた。千理も無言のままついてくる。私のすぐ隣で、まだ涙の跡が残る顔をしていたが、何も言わず桶にお湯を汲んだ。


「なぁ、ほかにも場所があるだろう?こんな広いのに千理はしょうがないにしても幽香まで私の隣にくるんだ」

「つれないなーほんとはさみしがりのくせに。」


幽香はそそくさと洗い終え浴槽で大の字になった。私が体を洗い終え髪の毛を洗ってるタイミングを計り幽香は大声を出した


「千理君これは独り言だが、葵君は君のことを突っぱねているように見えるが千理君の思いはくみ取っている。安心したまえ」

「本当ですか?」


その声は自信なく小さく細い声だった


「本当さ。その証拠に君の隣で洗っているだろ?」

「はい。」

「だから葵君が君に言ったことを真に受けることはない。葵君はちょっと自己犠牲のクセが強すぎる。誰かを守るために、自分一人で全部抱え込もうとする。そういうところがあるいいね?」

「ありがとうございます。」


私は千理が洗い終えるのを待ち、一緒に入った。


「……本人の前でよく言えるな」

「本人に言ってるんだよ。君が“いなくなる”なんて選択をするなら、それこそ残された子たちがどうなるか考えてくれ。ねぇ、千理君」

「私は奏のことで本当に感謝しているの葵ちゃんに、それに離れてたパパとママと家族に戻れたのだって葵ちゃんのおかげだから、葵ちゃんと死ぬまでずっと行動を共にするって決めてるの」


千理は、絞り出すように言った。


「私は死んだほうがいい、この世界の毒だ。お前は違う!お前にはお前の帰りを待つ家族がいる。私にはないものがあるんだ」

「葵君がそう思うのも分かるがこれを見てもひとりで行こうといえるかい?」


幽香は壁際の防水モニターに手を伸ばし、スイッチを入れる。スクリーンが青白く点灯し、ドイツのニュース番組が流れ出した。画面の中では、私の顔写真が大きく映し出され、その下には共犯者として千理、ヨーク、そして幽香自身の顔が並ぶ。


「ハイジャック犯としての指名手配か」


私は無意識に呟いた。


「これは私の独自の情報網もあるがドイツだけじゃない。EU全域に向けて、私たちは国際手配されている。“生け捕り”が前提でね。おそらく、各国の諜報機関や私設部隊がすでに動いてる。君だけの問題ではないということだ。

翻訳は自信ないが、大まかにはあっているだろう?」


「……あぁ」


私は、画面を凝視したまま答えた。

この映像が示すのは、もう引き返せない地点まで来ているという現実だ。


「君一人で背負うには、もう荷が重いさ。だから、言ったろ?」


幽香は私の背に手を置いた。


「私も、千理君も、もう追われてる身だ。君一人で全部抱え込む必要なんてない。チームで、家族で、戦えばいいんだよ」

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