第86話「彼女へ届く道しるべ」
きっかけは、炎蛇ラクとの戦い。
あの時俺は、奴が作曲した全ての曲を記憶して、それを元にして奴がたどるであろう経路を計算した。
けど、奴があの日あの時、どの曲を使ってどの経路に入っていくかなんて、その場でなければ分かるはずもない。
でも俺には、その全ての道が一本の大樹になって見えていた。
あれは、これから敵が通るであろう
その経路一本一本が無数に集まって束になり、巨大な木となってそびえ立っていた。
そして、羽月との戦いで気付かされた。
あれは、俺が過去から蓄積し続けた情報と、今この瞬間に起こっている事象の流れが一つとなって、無限の道筋を作り出していたものだと。
いわば、因果の大樹。
俺が見ていたものは、その無限の道筋の、ほんの一端だった。
ただ思考するのではなく、あるがままを受け入れて、その因果の流れと合一する。
それが親父の言っていた、『今日のことは見えていない』の意味するところなんだろう。
世界の有り様には、当然俺自身も含まれている。
世界の因果は、幾重にも重なって俺の前に大樹として現れる。
俺のやるべきことは、その大樹の道筋をなぞっていくこと。
そして、俺はそれに身を任せるやり方を、よく知っている。
だから、大樹に身を任せて刀を振れば──。
「ふっ!」
再び始まる彼女の攻撃、その全てを凌ぎ切ってみせた。
当然の帰結だ、大樹の道がどう動けばいいか、全てを教えてくれるのだから。
「…………?」
これまで眉ひとつ動かしてこなかった白久さんの表情に、初めて困惑が見える。
「わからないかもしれないけど……俺は今、君を見ているんだ、白久さん」
君の元へ、たどり着くために。
「──
それが、今俺のできる奥の手。
「いくぞ、白久さん」
刀を構えて、一直線に駆け出した。
「……
向かい来るものに反応して、再び白久さんは魔法を起動し始める。
さっきまでの俺は、その全てに対応していた。
けど、今はその必要がない。
無視して問題ないもの、機動力でかわすことができるもの、斬らなければ前に進めないもの。
その判別が手に取るように分かる。
「……
蔓の攻撃が届かないと見た白久さんは、すぐに数の攻撃に切り替える。
「孤風!」
真面目に手数を相手にする必要はない、攻撃を受ける手前で薙いでしまえば、残った数は機動力で避けられる。
「っ……」
初めて、白久さんの顔に焦りが見えた。
いいぞ、いい調子だ。
「……
けど、向こうも追撃の手を緩める気はないようだ。
四方の木が悉く槍と化して襲い来る。
「スゥ……」
一度その場に立ち止まり、刀を鞘に真横につける。
「借りるぞ、羽月」
見ただけの、一度として試したことのない剣技。
けど、今目の前にある大樹の道になぞって剣を振るえば。
「──円舞!」
身体ごと刀を一回転させ、円形に飛んでいく斬撃が、槍を悉く二つに斬り落としていく。
「っ……⁉︎」
白久さんが激しく動揺した。目を口を見開いている。
もう少しだ、もう少しで……。
「っは、はっ、はぁっ」
「白久さん……?」
「うああああああっ!」
急に白久さんが苦しみ出す。
「これは……」
同時に、彼女の中から膨大な魔力が噴き出てくる。
これまで暴走してきた覚醒者と同じだ。
魔力が暴走して、自分を見失って制御できない状態。
それでいい、そのまま全部吐き出してしまえ。
「……来る」
膨れ上がる魔力を前に、全身に鳥肌が立つ。
今までにない大技が。
「……
魔力が全て氷雪に変貌して、雪崩のように襲いかかってくる。
巻き込まれれば、おそらく命はない。
けど、そんな雪崩の壁を前にしても、心は穏やかなまま。
なぜなら、切り開くべき道は、もう見えているのだから。
「──雷電」
上段の構えが完成すると同時に、鋒を地面に振り下ろす。
一瞬の静寂の後、目の前の雪崩が、縦に割れた。
「……⁉︎」
斬り裂かれた雪崩の向こうで、白久さんが狼狽えている。
そんな彼女の元へ、切り開いた啓開航路を駆ける。
「っ……」
俺の接近に対して白久さんは、氷のシールドを重ねて防御しようとするが、
「もう遅い!」
こちらの踏み込み斬撃の方が早い。
「秘剣──隼連歌!」
形成されかけた氷を全て叩き割り、さらに一歩彼女の元へ踏み込む。
「────っ!」
自分の死を悟ってか、目を瞑る白久さん。
そんな彼女へと、剣を振り下ろ──
「⁉︎」
「やっと、届いた」
──さず、ただ彼女の腕を掴む。
「っ、っ……!」
俺の手を振り解こうと足掻く白久さん。けどビクともしない。
こちとら長い間剣士をしているのだ、握力を舐めないでもらいたい。
「白久さん、もう魔力が限界なんだろう?」
最後の攻防、彼女は氷人形の生成で逃げられなかった理由。
彼女がこのダンジョンに最初に踏み入ってから、すでに半日以上が経っている。
その間に、覚醒者を百人近く凍らせて、さらには今の大立ち回り。
いつガス欠になってもおかしくない状況だった。
俺には、そのことがわかっていた。
「いくら暴走したところで、その源たる魔力がなければ意味がないからな」
最初、覚醒者の暴走を誘引したあの敵が言っていた。
あの暴走は、自分の内にある
だから俺のやるべきことの一つ目が、彼女の魔力を限界まで枯らせること。
そして、もう一つ俺のやるべきことは……。
「……聞いてくれ、白久さん」
彼女を掴む手に、力が籠る。
「俺は、多分勘違いをしていたんだ。君が見ているものを、君が望んでいたものを。だから……」
腕を引いて、彼女を抱き寄せる。
「俺は白久さんと前に進むって約束した。だからこれからは、半分ずつだ。俺の持ってる半分を、君に託す。だから白久さんが抱えてるものを半分、俺に背負わせて欲しい」
「……み、つ……」
「白久さん?」
密着した状態から少しだけ身体を離すと、彼女の右目から一粒の雫がこぼれ落ちていた。
「っ……、ぁ……」
「白久さん……っ?」
腕が冷たい。
視線をそちらにやると、彼女が掴んでいた俺の腕が、小さく凍っている。
まだ魔力が残っていたのか、それに俺を凍らせようと……。
「……わかった。いいさ、俺を凍らせても」
俺が伝えられることは、全て伝えた。
それで彼女の心を開けないのなら、仕方がない。
「わ……わた、しは……」
「それでも、俺は」
白久さん、君のことを。
再び右目からこぼれ落ちる雫を左指で拭き取って、何かを伝えようとして、開いては閉じる彼女の唇を塞ぐ。
驚いたように目を見開いて、けれどもすぐに溶けるように瞼を塞ぐ白久さん。
どれくらいの時間、そうしていただろうか。
やがて、彼女の身体に急に力が入ったかと思えば、バッと俺から離れた。
「白久さん?」
「みみみ三峰君! いいい今⁉︎」
「戻ったのか⁉︎」
「も、戻ったって……?」
「良かっ、た……」
「三峰君⁉︎」
倒れそうになるところを、白久さんが支えてくれる。
「もう魔力がすっからかんだ……。それに、身体の感覚が……」
「なんで、こんな……」
「決まってるだろう、君を──」
「なんだいそりゃ!」
「「⁉︎」」
光の粒の向こう、ビルの影にシーナがいた。
どうしてここに奴が?
羽月はどうしたんだ⁉︎
「ありえない……。一体どうやって暴走を……」
怒りの表情を浮かべながら、一歩ずつ近づいてくる。
「それを、教える義理が、あると思うか?」
「……ふん、強がってるみたいだけど、アンタはもうボロボロみたいじゃないか。ならここで始末して──」
「──時雨」
敵のさらに後方から、斬撃が飛んでくる。
「なんっ⁉︎」
身をよじりかわそうとするが、逃げきれず数太刀をその身に受けた。
「言ったはずよ、逃さないと」
「羽月!」
刀を手に、目をギラリと光らせながら歩み寄ってくる羽月。
「ぐ……アンタも一体なんなんだい!」
「ワタシ? ワタシはただの剣士よ」
「ふざけたこと抜かしてるんじゃないよ! アタシの攻撃が一度も当たらないなんてこと、ありえるはずがない! 一体アタシに何をしたんだい!」
「それを教える義理があると思う?」
「……チッ、三対一かい。流石にこれは不利だねぇ。だったら!」
奴の体が宙に浮いて、背を向ける。
「こういう時は逃げるが勝ちさね」
「待ちなさい!」
羽月が刀を構えるよりも早く。
「
白久さんの魔法が敵に絡み付いて身動きを止める。
「グッ⁉︎ 何するんだい!」
「逃さない!」
そのまま身体を地面に叩きつける。
「ゴハッッッ⁉︎」
「一つだけ、お礼を言わなきゃいけないですね。私の魔力を使いやすくしてくれてありがとうございます」
「なん……だって……?」
「今はもう、この力を完璧に扱える……だから、これでおしまいにします」
無数の蔓が伸びて、敵の身体をがんじがらめに縛り上げる。
「やっぱりその魔法、エゲツないわね」
羽月が大きくため息を吐きながら、そばに寄ってくる。
「さてと、これで逃げも隠れもできなくなったけど、最後に言い残すことはある?」
「この……小娘がッ!」
「最後がそれ? 呆れた」
チイサックため息を吐きながら、刀を上段に振り上げ、その刀身に光を宿していく。
「──雷電」
敵が羽月に向けて突進する前に、構えも魔力も完成に導かれ、振り下ろされる。
目を焦がすほどの閃光の中で、敵は羽月の一撃で消し炭となった。
*
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