著作権周り以外のAIとオタクに対するあれこれと今後の対応

森本 有樹

ただ、残念だ。

正直に言おう、生成AI問題のせいだ。


いや、少し違うか。


今までの著作権の範囲では保護されない問題は本気でそう思っているが、今私を最後の最後まで失望させているのは少し違う。


そのためには、自分が何で創作を始めたのかを話しましょう。



 自分が創作という場所に入ったのは、「何者かになりたい」そういう訳であります。


・・・これでは伝わらない。もっといい言い方をしようか。


その界隈に入り、そこでの礼節、礼儀を理解して「界隈の一員」になりたい。もっと砕けた言い方をすれば、「大人の趣味の付き合いをしたい。出来ればライフワークのスパンで。」

 趣味としての大人の世界に……礼節と他社を重んじるという意味で……入りたかったという子供の背伸びから始まり、ここまで来ました。

 だから今、自分がこの生成AIブームに乗れない理由はただ一つ

「本来先人と敬うべき誰かの生き血で濡らした筆で書いたものなど、受け入れられない。」

である。

 元来オタクはそういうものだと思っていた

 だから、あの日、生成AIが出た日私が考えたのはこうだ。

 これが世界の選択ならば、仕方ない。

 だが、余りにも人の心がない。

 それを埋めるのが我々オタクの役割だ。と。

 世界に足りぬ敬意を我々で示そう。という流れは考えるでもなかった。我々は転売や違法視聴を潰してきたし、「振り込めない詐欺」みたいなジョークがささやかれ、どっかの漫画から言葉を借りて、金を払わないと払わない仕事は無責任になるとか言うる位には金銭と名誉について、一家言あると振る舞ってきた。(倫理的に)おかしな事にはならない。


 起きた現実は、思っていたのと完全に真逆だった。

 既得権批判から棍棒としての科学、挙げ句お気持ち!の罵倒。その他合わせ20年のネットの憤怒のを全て集めた博覧会のような罵詈雑言。

 それがどれ程正当であろうとも、悲しんでいる「同胞」にかける言葉には思えなかった。

 あげく、AIを滅ぼすならば、二次創作も死ぬぜ?だと?正気でそれを言う。あくまでキャラクターや世界観を「お借りいただく」のが二次創作だぞ。(最後まで回避策を探すのは当然として)人の恥と誇りを恥を秤にかけて恥を取るのか?

 もし、AIの規制のためにそれが避けられないのならば、そんなもの「お返しする」べきにきまってる。それでもやりたいならば、改めて許可を取りに行くべきだ。

 そもそも、コロナ前には原作より売れる二次創作が徐々に問題化しており、なにか還元できるシステムを、という議論をしていた筈だし、利益を目的とした同人誌の販売を妨げるガイドライン(法的措置も辞さないやつ)を投じた会社もあったのだ。(ちなみにそこは半年で看板キャラクターをAIに売り渡した)それが脅しになるという時点で狂っている。

 そしてなぜ二次創作は許可を取らない?それは長い間(訴えること出来る)多くの人が追認し、また、そこでそだった作家がそれを繰り返すという「善意の連鎖」があったからだ。そんな薄氷の上の自由だった。そして、それは上手く回っていた。だからこそ、オタクは仁義を大切にする存在だと信じていたし、こんなものを問うのは愚問だと信じていた。

 まるで悪夢を見ているようだった。昨日まで友人だった誰かが同胞だった誰かにコンキスタドールのインディアス破壊の醜悪な縮小再生産、あるいは天然痘毛布を自分達を助けてくれた原住民に振る舞ったような愚行を行っている。

やっと遅蒔きながら後述の様々な疑問や不可解さの不協和音の中で、必死に「違う、彼等も身近な誰かが傷ついた時にはきっとすくんだ肩を抱き寄せるんだ」と否定してきた現実が露になった。

 そうか、全部、嘘だったんだ。

 オタクは礼儀正しいとか、漫画やアニメで正義を学んだとか、それので?これなのだ。

 まあ、そうだ、人の心とか無いんすか?の答えが「お気持ち」なんだから。

 これが、創作に関わるプロアマの過半であり、平均的な思考である。それがオタクだ。

 今までの誇り高き存在でござい、は?用は、楽しかったからだ。愛国心や反政府を掲げると楽しいように、「高貴ごっこ」が実利も手に入れ気分も良くする。だから、一編の憐憫もなくそれを棄てたのだ。新しい玩具が手に入った子供の心理。



 前兆は、前からあった。

 表現の自由の争いの際に、私は「個人としての尊重」を立ち位置として指示したつもりだった。だが、ある時から、(確かに入試か何かで女性が不当な扱いを受けた問題だったと思う)皆が思いもよらないことを言ったのだ。曰く、真に社会を支えているのは男性だ。まあ、ここまではいい、その後、その解決は女性を配偶者として配るしかない!と。

反対側にいるのが無茶苦茶な女なら、これは、何だ?自由権を功利主義で丸ごと否定か。

疑問はそれだけではない。例え、それが正しいとして、それでも最大限その痛みを和らげようという価値観がまるで感じられない(これは老人安楽死の話もそう。)

「この人たちは、世の中が自分のために存在してくれなければ気が済まないのか?」

そう思うしかなかった。


思えば、ネットとはずっとそういう場だった。

いつから?時代相応にネット右翼にハマったときから、まあ、信じていた時もある。いや、だからこそ私はその中に入れなかった。

誇るべきは他人行儀の善をした偉大な過去、そう習ってまず考えたのは、故に、それを受け継ぐには、優しさが必要だ。自分もいつか誰かに優しく出来るだろうか、と。だが、回りは「敵国人」はまだしも同胞も怒鳴り付ける始末。

僕は出ていった。彼等が倉から探し出した祖父の勲章を見せびらかして威張るような醜さに耐えられなかったから。

正義は変わるも、故に労りを、優しさを、という結論は変わらなかった。例外などほんのわずかでいい。人は、他人の痛みを知るものだという考えを持ち、裏切られる。支持政党から趣味まで、あらゆる勲章が掲げられ、俺は偉い人を信じているから偉いんだ!お前らはそれを理解しない低知能だ!の声から逃げてきた。



よく分かった。

世の中には他人を尊重する、という思考様式は存在しない。彼等が道徳に似た態度をとる時があるが、それは、それは自他の物理的、心理的利益を引き出すのに効率のいいやり方だと知っているから。

ロボットは心を持つか?の問いは、そもそも人は、草むらで心ある人に助けてと言って引き寄せ補食した生物が進化した姿だ、そもそも、人間に心はないが答えになる。

なにせ、感情は無価値なお気持ちなんだから。

今回の事件はそういう事だ。

大人というのが何なのか、よく分かった。

いいじゃないか、結局、強さか弱さを孔雀の様に広げて、俺は偉いんだ!と他者を支配したい、尊厳などない


覆水盆に返らず。もう、オタクが自分の快楽の生産者に人の良心をドブに棄てて、「そういう態度」を取ったのは消えない。今から意見を撤回しても、もはや信頼は元に戻らない。彼等は信頼やらそういうものをただの兌換可能な価値に貶めたのだから、そこに信頼をまた産み出すのには長い時間がかかるのだろう。

あるいは、「私のものを奪わないで」に「お気持ち!」と返して産み出した新しい世界で都合よく感情を思い出して、「人は、愛を知る生き物なんだ。」と語るのだろうか?

どちらにせよ、私が求めた「コミュニティとしてのオタク」は死んだのだ。私の入りたかった善意の還流は失われたか、あるいは最初から存在しなかったのだ。


もう、だから私はなにかを書こうとは思わないし、なにも書きたいものはない。

私は国に、オタクに、その他あらゆるモノの同胞意識を失った。

ミリオタとしての活動もやめる。ミリタリー知識もいらない。知的だとかそういう傲慢で誰かを必要以上に傷つけるのは、もういやだ。バカになりたいというのが今の気持ちだ。愛国者だの各反科学だのをほっておくと悪夢が始まる?そうだね。だけど、正しさが、誰かを「年中有効無制限」の罵倒のフリーパスだと思って一挙一動の矛盾を探し、まとめでキャキャキャするくらいなら、無知の地獄の方がましだ。


これからどうするか?まずは作品更新は、冬に予定している「妖精の従者」を除き、停止します。「風間さん」待っていた人(まあいないだろう、閲覧数が月始めに定期的に伸びるのは、機械学習用のクローラーだと察しがついついている)すみません。

SFとしても、飛行機解説としても。中途半端な所なのは心残りですが、これからの飛行機小説書きは、生成AIが教えてくれるのでしょう。私が何かする必要性は感じません。


次に夏と冬の祭典への参加はやめる。後一回、自分の古いナラティブをお仕舞いにするための一回を除いて。

 うちは同人は金儲けではなく人に会うツールだ。だから。一番の損害は、夏と冬の祭典での出会いが無駄だった事だ。これから参加する意義を感じない理由はこれだ。

 夏冬各新刊合わせて旧つみたてNISAを満額に出来た額を突っ込んで、盆と正月は帰るよう言う親とバチバチ喧嘩して参加したのは、友達に会いに行けるからで、それが消えた以上、もう以前の情熱を発揮することはできない。


だって、自分にとって、AIを使うという事は、「私はお前の存在を尊重しません。作ったものを尊重しません。」なんだもの。


 夏冬の祭典は塩の柱にでもなって欲しい。僕の見えないところで聞こえないところで悲鳴を上げて苦しみ抜いて消えてください。としかもう思わない。

あと、もうオタクの味方の政治家にも投票しない。表現規制も一切抵抗しない。

そう。嫌なら出ていけという言葉がある。ならばそれに従おう。もうオタクは仲間と思わないし、彼等が助けてと泣いても決して助けない。どうぞ心行くまで「素朴な原住民」を弱火で焼き、逃げた山に犬を放ちなさい。信頼性という言葉を軽んじながら親の前で子のディープフェイクを頒布して異性を囲って焼き肉にいきなさい。でも、だからなにか不都合があっても助けを呼ばないでください。


さようなら。楽しかったよ。でも、もうおしまい。


ぼくはもう、「おまいら」ではない。





追伸

歴史を見れば、今日に似た出来事は、確かにある。ヨーロッパによるインディアス征服を始まりとした世界征服の事だ。「野蛮な原住民」を人と手認めず、暴虐を尽くした悪夢。

いや、当のコンキスタドールも被征服民も、違う文化、人種、宗教と、共通点が少なかったからまだ分かる。今は。昨日まで敬愛する振りをした、日本の宝だと持ち上げた人々にそれをしたのだ。つまりは、それ以下ということだ。

その征服の果てに「では、自分達より優れた存在が侵略に来てもなにもいいかえせないよな。」とタスマニアンアボリジニー絶滅を例に上げて語ることにより始まったSFが、「絵師と言う野蛮人」を刈るのに熱を上げ、ウイルス(学習阻害、学習破壊)をばら蒔かれるとは、なんという時代だ。


人は、過ちを繰り返す。今度は違う、今度は違うと言いながら。


まあ。彼等は気にしないだろうね。

昔、文化盗用問題に「ヒョウゲンノジユー」と突っかかった彼等は今黒人侍のゲームに文化盗用だとかリスペクトがないとか言っているんだから。歴史家以外は引き下がったらどうだ?チェック・イェガーを承諾なしに女体化した我々が言えた立場か?


追伸2

表現の世界に思想や感情。人生の剥離していいというならば、それは脳の快楽反応を引き出し満足させる単なる刺激に過ぎない。なら、オタクコンテンツの価値なんていうものは歌舞伎町の裏で買う白い粉と等価だと思う。


追伸3

これを投稿した前後にナウルの環境局にTwitterで凄まじい大暴言を吐き出した「同志」がいた。余りにも酷い直球の差別だった。これからはデータを無料の素材と見るものも、そうでないものも、騒ぎたい奴、破壊という非日常で何者かになりたい奴による終わりのない相手の至らぬところ探しによる「日常」になっていくのだろうか。

かつてのネットの右派、左派がインテリではなく雑音となったように。


全てに残念だ




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