蟻を喰うべからず

@miri-li

蟻を喰うべからず

「そのべっこう飴、何か砂みたいのが入ってない?」


「別に大丈夫だろ。このくらいよくある話だ。自分が買えなかっったからって拗ねてんじゃね〜よ」


「別に拗ねてる訳じゃないし。何か変なのが入ってたから言ってみただけ」


「う〜ん。美味しいな〜」


 宗一は僕の小言が始まるのを予期し、満面の笑みを浮かべ、べっこう飴をほうばる。全く、こちらまで涎が出てきてしまうではないか。だが今月のお小遣いは後五十円と少しなので僕はこんな所でお金を使う訳にはいかない。


「あ、そろそろ始まるみたいだぜ」


 僕らは子ども達の集団に加わり、まだかまだかと心を踊らす。隣の子なんて足をバタバタしながらべっこう飴を噛み砕いている。僕も食べたいなぁ。いけないいけない、買わないって決めたんだから。


 やがて拍子木を打つカンカンという音と共に、「――紙芝居の始まり始まり〜」という常套句で開幕した。


「【蟻を喰うべからず】


 昔々あるところに、杏ちゃんという女の子がいました。杏ちゃんは毎日欠かさず、蟻野神社でお祈りするのです。


『神様、神様、杏ちゃんをお腹いっぱいにしてください』


 しかし杏ちゃんがお腹いっぱいになることはありません。それでも杏ちゃんは祈り続けました。


『神様、神様、杏ちゃんをお腹いっぱいにしてください』


『神様、神様、杏ちゃんをお腹いっぱいにしてください』


『神様、神様、杏ちゃんをお腹いっぱいにしてください』


 するとある日、祠から一匹の大きなありさんが出てきました。


『大きなありさん!!初めまして!私は杏ちゃん。よろしくね』

 杏ちゃんは大喜びで満面の笑みを浮かべ、挨拶をしました。


 するとありさんは、答えるように杏ちゃんの手に乗ってきました。


『もしかして、お友達になりたいの?よし、杏ちゃんとありさんはお友達だよ。あ!〝ありさん〟だと分かりにくいね……そうだ、ありさんの名前は〝トモちゃん〟にしよう。杏ちゃんのお友達だからね。これからよろしくね、トモちゃん』


 それから蟻野神社に行くと、トモちゃんが出迎えてくれるようになりました。


『トモちゃんおはよう。トモちゃんの好きな食べ物はなーに?………そうかそうか、大きな桃か〜。杏ちゃんも食べてみたいな』


 するとトモちゃんはどんぐりを拾ってきて、杏ちゃんにプレゼントしました。


『わあ〜!ありがとう!』


 その日からどんぐりは杏ちゃんの宝物になりました。


 雨の日も―――


『トモちゃんこんにちは。今日は雨だね。ぴっちぴっち、ちゃっぷちゃっぷ、らんらんらん♪…トモちゃんは雨好き?杏ちゃんは好きだよ』


 トモちゃんは雨が好きなのか、水溜りで踊ります。


 風の日も―――


『トモちゃんこんばんは。今夜は風が強いね。トモちゃんが吹き飛ばされそうになったら、杏ちゃんが守ってあげるからね。怖がらなくて平気だよ』


 トモちゃんは風を避けるように杏ちゃんの影に隠れました。



 ある日、『ウ―――――』っと空襲警報が鳴り響きました。杏ちゃんは急いで防空壕に入ります。


 外で爆弾が落ちる音が次々と起こります。杏ちゃんは怖くてしかたなく、耳を塞いで爆弾が止むのをじっと待ちます。


 ふと〝ぐーっ〟と杏ちゃんのお腹がなりました。

『お腹、すいたな。…神様、神様、杏ちゃんをお腹いっぱいにしてください』

 けれども暗くて埃っぽい防空壕の中に食べ物はありません。


『爆弾止まないかな…』

 杏ちゃんの目から涙が溢れてきました。けれども爆撃は止まることを知りません。


『お父さん、お母さん、トモちゃん…寂しいよぉ』


 すると、杏ちゃんの手にトモちゃんが乗ってきました。


『トモちゃん!杏ちゃんを助けに来てくれたの?』


 トモちゃんは頷きました。


『ありがとう』


 それから杏ちゃんはトモちゃんを抱きしめて眠りました。


 夜が明けて外に出ました。蟻野神社は焦土と化し、煙と血の匂いが漂っていました。


〝ぐー、ぐーっ〟と杏ちゃんのお腹がなりました。


『お腹、すいたな。……神様、神様、杏ちゃんをお腹いっぱいにしてください』


 杏ちゃんは祈り続けました。


 それから三日も経ちました。杏ちゃんはお腹に穴が空いたような空腹を味わっています。


『神様、神様、杏ちゃんをお腹いっぱいにしてください』

 けれども杏ちゃんのお腹がいっぱいになることはありません。


 すると、トモちゃんが杏ちゃんの口をはって来ました。思わず杏ちゃんは、トモちゃんを食べてしまいます。


『………え?おいしい。おいしいよ!』

 杏ちゃんはあまりの美味しさに涙を流しました。


『トモちゃん?トモちゃん!ごめんなさい、ごめんなさい…!』

 しかし杏ちゃんは、トモちゃんを食べてしまったことを悟り泣き叫び始めます。


 杏ちゃんはいつまでも泣いて、泣いて、泣き続けました。


 また〝ぐー、ぐーっ〟と杏ちゃんのお腹が鳴りました。


『お腹、すいたな。神様、神様、杏ちゃんをお腹いっぱいにしてください』


 とうとう杏ちゃんはありさんの巣を穿り、ありさんを食べ始めました。


『なんておいしいの!』


 杏ちゃんはありさんを何度も何度も食べました。それでもお腹は膨れません。


 そして神社のありさんは全て杏ちゃんに食べられてしまいました。


『お腹、すいたな』

 けれども杏ちゃんの空腹は収まるところを知りません。


 やがて杏ちゃんのお腹が破れ、ありさんが一杯出てきました。その中にはトモちゃんもいました。


『トモちゃん!』


 杏ちゃんは笑顔でトモちゃんを抱き寄せました。


『トモちゃん!トモちゃん!トモちゃん!トモちゃん!トモちゃん!トモちゃん!トモちゃん!トモちゃん!トモちゃん!トモちゃん!トモちゃん!トモちゃん!トモちゃん、トモちゃん、トモちゃん、トモちゃん、トモちゃん、トモちゃん、トモちゃん、トモちゃん、トモちゃん、トモちゃん、トモちゃん、トモちゃん、トモちゃん、トモちゃん、トモちゃん、トモちゃん…トモちゃ…ん…トモ……ちゃ……ん……』


 杏ちゃんはトモちゃんを抱いたまま亡くなりました。



 そしてありさん達は杏ちゃんを巣まで運び、杏ちゃんを食べました。


『むしゃむしゃむしゃむしゃ……ウマイ、ウマイ』



 おしまい」






「夏にぴったりの怖い紙芝居があるって言うから来てみたけど、大したことなかったな」


「そうかなぁ?僕は少し怖かったよ」


「茂は怖がりだなぁ」


 確かに僕は怖がりかもしれないが、別に怖がりは悪いことでは無かろう。


「ていうか、あの紙芝居に出てきた蟻野神社って俺らの村にあるよな?」


 確かに僕らの村には蟻野神社がある。


「そうかもしれないけど、僕らの村の蟻野神社は無事にあるよ」


 紙芝居では蟻野神社は焼けて、無くなってしまっていたからな。


「とりあえず行ってみよーぜ。俺は前からあの神社の裏の森を探検してみたかったんだ。噂だとでかいカブトムシがいるらしいぜ」


 宗一はキラキラした目で、走り出してしまった。


「宗一!待ってよ〜!」


 こうなってしまったら、もう止めることは出来ない。


 宗一を追いかけて蟻野神社に着くと、僕は息が上がりすぎて倒れそうになっていた。


「つかれたぁ」


「俺は先に探検してるからな。茂も後からこいよ!」


 そう言って宗一は奥の森へと進んでいく。なんて身勝手なんだ。

 もうついていけないよ。


 僕は石製のベンチに勢いよく腰掛けた。ゴツゴツしていて座り心地はあまり良くない。子供に振り回される親の気分で、宗一の後ろ姿を見つめた。ぐんぐん遠くなる宗一の背中。僕は昔から宗一に連れられて森やら川やら探検したけど、いつも置いて行かれていた。いつか僕が先導してみたいものだ。


 ふと、右手に祠が見えた。僕はそれに引き寄せられるように、気が付くと祠の眼の前に立っていた。

 一見普通の古びた祠だ。しかし祠が何かを渇望しているように思えた。

 恐る恐る祠の戸の隙間を覗いてみる。しかし合ったのは日に照らされて輝く埃のみだ。普通は仏像やら神像やらが置いてあるはずなのに。先ほど何かを渇望していると思ったのは、祠の中に何も無いからかな。


「こんにちは」


 突如背後から声がして飛び上がる。


「なっ、何?!」


 そこには笑顔を浮かべた、目の据わった女がいた。


「初めまして…では無いかな。私は紙芝居師の智子。君はさっき、私の話を聴きに来てくれてたよね」


 僕は躊躇いがちに頷いたが、これは答えて良かったのか?


「さては、あの話が本当か確かめに来たの?大丈夫、あれは嘘だから」


 話している間も彼女は僕の目を見続ける。僕は謎の対抗心で見つめ返す。見れば見るほど、光も、影もない。存在自体が不思議な女だ。


「べっこう飴、いる?」


 差し出されたべっこう飴は、輝いていて美味しそうだ。しかしこれは先程売っていたやつであろう。後からお金を取る算段なのか?


「……大丈夫です」


 いくらなんでも怪しすぎるから、貰わないが吉だ。


 そうすると、彼女は残念そうにべっこう飴を咥えた。


「少年、蟻は好き?」


 彼女は地面の蟻を掬い上げ、愛おしそうに見つめる。

 突拍子も無い質問だな。ますます彼女という存在が分からない。彼女が蟻を題材にした紙芝居をしていたのは蟻が好きだからだろうか。もしそうならばここは〝好き〟と言うべきだが、僕は蟻ないし虫は嫌いだ。気持ち悪くて見ることさえままならない。それを平然と触るこの女はどうかしている。


「別に、好きでも嫌いでもない…です」


〝嫌い〟と言うのを憚り当たり障りの無い返答をしたが、きっとこれが正解だ。〝好き〟と言ったら蟻トークが始まりそうだし、〝嫌い〟と言ったら〝怖くないよ〟と蟻を勧めてきそうだったからな。人間は好きなもののこととなると止まらなくなるものだ。


「……そっかあ。くれぐれも……蟻を食べないようにね」


 彼女は蟻を地面にそっと置き、自転車に跨った。


「またね」


 そして笑みを浮かべながら、キイキイと鳴る自転車で走り去っていった。


 僕は彼女を不気味に思ったが、その不気味さが彼女の何処から湧き出ているかは分からなかった。



 ―――そういえば、宗一はどこへ行ったんだろうか。僕は日が傾き始めたのを合図に渋々動き始めた。


「宗一!どこにいるの?宗一!」


 そう遠くまで行っていないといいのだが、宗一のことだから遠くに行っていそうだ。


 ふと、昆虫達の羽音が耳を襲う。僕は耳を塞いで走り出した。これだから虫は嫌なんだ。見た目が醜いだけでなく、羽音で人間に害を及ぼすこともある。


 気がつくと光のない高木地帯まで来てしまっていた。仄かに暖かく、ジメジメしたこの空間は正に虫の楽園。そこら中に虫が蔓延っているけれども、宗一は見当たらない。


 もう戻ったのかなぁ?早急にここから抜け出したい。そもそもこんな虫だらけの森に虫嫌いがいるのは大変だ。蕁麻疹が出てしまうではないか。虫嫌いは家で大人しくしているべきだ。僕はよくここまで耐えた。まあ、何度聴いても慣れない羽音に振り回されて、ここまで来てしまったようなものだが。


 帰ろうと踵を返すとどこからか、くちゃくちゃと気味の悪い咀嚼音が聴こえてきた――


 音の方を見やると、屈んで地面を見つめる宗一がいた。


「宗一!」


 僕は喜んで駆け寄った。


 ――そして振り返った宗一に腰を抜かした。口には蟻がいっぱいで、咀嚼されている。


 え?何?…何何何何何何?!


「茂!これ、ウマイよ」


 そう言いながら、宗一の口から唾液に包まれた液状の蟻が溢れる。僕は眼の前の光景を信じられず、唖然とすることしか出来ない。


『くれぐれも……蟻を食べないようにね』

 あの時の言葉が、頭を過ぎる。


 そして宗一は「茂も食べる?」と握りつぶした蟻を顔に近づけてきた。四肢が有り得ない方向に曲がり、潰れた胴からは変な液体が出ている。


 耐えられず、胃液が喉を這い上がった。ゴエッっという音と共に、吐瀉物が蟻と宗一の手に降りかかる。


「茂!大丈夫か?!」


 宗一は吐瀉物をものともせず、僕の背中を擦ってきた。


「来るな!」


 咄嗟に宗一を肘で突き、一目散に逃げ出した。


 あれは、宗一なのか?怖い。嫌だ。気持ち悪い。

 宗一の口から溢れた蟻がフラッシュバックし、吐き気が波のように襲ってくる。


 ――僕はヘロヘロになりながら、蟻野神社を後にした。





































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