女装してお出かけしたらおもらししてその姿を同級生に見られちゃった話
(う、うぅ、つらい、オシッコ、したい……)
体をひねる度にフリルがふわりと舞い、人形が着ているような赤と白のロリータ服がゆらゆら揺れる。体を前かがみにしているので、頭が下がり、ヘッドドレスが滑り落ちそうになったけど、それを着け直すことはできない。なぜなら両手が全く別の用途で使われているからだ。
僕の手はスカートの上からいつもより少し大きくなったちんちんをギュッと握りしめていた。外でちんちんを触っちゃいけないなんてわかっている。でも、そうしていないと今にもオシッコが漏れてしまいそうなのだ。
僕は男だ。だけど、可愛いお洋服が大好きで、いつか着てみたいと思っていた。一人で女の子の服を買いに行く勇気は出なかったので『性癖マッチングアプリ』というアプリで『男の子に可愛い洋服を着せたい』という性癖の女性を見つけ、今着ている赤と白のロリータ服を買ったした。まあ、買ったと言ってもお金を払ったのは一緒にいた人だけど……
その女性とは服を買ったきり会っていない。かなりひどい別れ方をしたから、もう二度と会えないだろうと思っている。僕の手元にはそのとき買ったお洋服だけが残りクローゼットを開けるたびにお洋服が物悲しそうに僕を見ている気がした。
その視線に耐えきれず僕はついに今日"お出かけ"を決行した。最初はドキドキだったど、みんな僕を疑いなく女の子として受け入れているようだったのでウキウキ気分でいろんなお店を物色した。ちょっと前までは入ることすらできなかった女性服の専門店でワンピースを試着して、女性のお客さんが多いカフェに入ってパフェを食べた。今日一日自分は女の子なのだと思って目一杯楽しんだ。
しばらく楽しんだところで僕はオシッコがしたくなった。お店のトイレを使おうと思ったが、どっちのトイレに入ればよいか、初めて女装をした僕には判断できなかった。迷った末、僕は自分の家のトイレを使おうと思いつき名残惜しいが帰り始めたのだった。
(あぁ、やばいやばいやばい〜……)
そして僕は家まではあと五分くらいのところまで来ていた。ここまで頑張って歩いてきたが、歩いている間にも尿意はどんどん強くなっていた。朝飲んだコーヒー、お店で飲んだミルクティーやカフェラテ。利尿作用があるそれらがオシッコの生成を促し、パフェに含まれていた水分がどんどんオシッコに変換される。変換されたオシッコは全部僕の膀胱に注がれある程度たまったところで「外に出せ」と騒ぎ出した。///
ちょっとでも気を許すとオシッコが出てしまう。そんな極限状態をかれこれ十分は続けていた。幸いこのあたりは人通りがまばらなため、人目を気にせずに股間をギュウギュウ押さえることができた。
(もうすぐ家だから…… 我慢できるから)
尿意に屈しないために自分で自分を鼓舞する。そうでもしないと心が折れてしまいそうだった。
(家についたらまずカギ開けて、靴脱いで、トイレに向かって、下を脱いで、スカートあげて、便器に座って、それで……)
一生懸命、家に着いたあとのことを考える。想像したのは家のトイレで気持ちよくオシッコしている自分。こんなツライ我慢をかなぐり捨て体中の力を抜いている自分。欲望のままにおちんちんからショオォォォとオシッコを出している自分。
ジョワ
(! 今、出て……)
オシッコをしてるところを想像したからだろうか。体が勝手に排尿を始めてしまった。下着の一部が濡れ、取り返しのつかない失敗の証拠が刻まれた。
ジョジョジョ……
(え!? 止まらない! なんでなんで? 止めなきゃ……)
僕は止めているつもりなのにオシッコは漏れ出し続ける。暴走する生理現象を必死に押さえようと僕はあらゆる手段を講じた。おちんちんを握る手にさらに力を込め、脚をギュっと締め付け出口に圧力をかける。目を瞑り、歯をグッと食いしばり全身の力をオシッコ我慢にまわす。
ジョ…ジョジョ…
必死の抵抗のおかげでオシッコは止まってくれた。でもほんの少しでも体勢を崩してしまうと漏出が再開する気がした。体が動かせないので僕は歩くことができない。つまりもう家にたどり着くことはできない。僕にはもう「オシッコ我慢を諦める」以外、選択肢が残されていなかった。
(やだやだやだ…… おもらしなんてやだぁ)
でも諦めきれない。もしかしたらちょっと出したことで我慢が楽になるかもしれない。我慢が楽になれば家に帰ってトイレでオシッコできるかもしれない。そんな希望的観測にすがりつく。
押さえたせいで買ってもらったワンピースのスカートはぐっしょりと濡れている。まだ恥ずかしいからと言ってスカートの下に履いていたジーンズはべったり肌にはりついている。買ってもらった服に合うかなと思ってネットで買ったショートブーツはオシッコが中に入り込みジャポジャポと不快な音を立てる。
そんなおもらしの証拠を全部否定して「まだおもらししてない」と自分に言い聞かせる。それが僕にできた唯一の抵抗だった。
(止まれ止まれ止まれぇ、止まれば、帰って、オシッコ……)
ジョジョ…ジョ…
願いが通じたのかオシッコが徐々に止まる。同時に体も少しずつ動くようになっていった。このままの調子で行けば、少なくともこの場で決壊することだけは避けられるだろう。家まで持つかはわからない。でも、ここを乗り越えられるという希望は今の僕にとって充分すぎる糧となった。
(ほっ、よかった、これで、家でオシッコ……)
カツカツカツ……
誰もいなかったはずの通りに靴音が鳴り響く。ビクッとして音の方を向くと音のする方からきれいなお姉さんが歩いて来ていた。
カツカツカツ……
お姉さんは靴音を響かせながらどんどんこっちに近づいてくる。今はスマホに夢中で僕に気づいていないみたいだが、すれ違うときにはさすがに気づかれるかもしれない。
(! 人! 人来た、早く、行かないと、バレちゃう)
お姉さんがスマホを操作しながらどんどんこっちに迫ってくる。でも僕はそれをただ見ることしかできない。まだ歩き出せるほど尿意は収まってない。オシッコは相変わらず僕のお腹の中で暴れまわっている。僕はどうすることもできず、ただただ迫ってくるお姉さんを睨みつけた。もちろんお姉さんを睨んだところでお姉さんの動きは止まらないし、僕の尿意も収まりはしなかった。
「ん? どうかされました?」
「……!」
今までスマホに夢中だったお姉さんが僕の視線を感じ取ったのか声をかけてきた。僕はお姉さんの方を見たことを後悔した。視線を送らなければお姉さんはこっちに気づかなかったかもしれない。いや、道の端っこでうずくまっている女装男子に気づかない人なんていないだろうからお姉さんが来た時点で僕は詰んでいたのだ。
「……や、あの、その」
しどろもどろになりながら懸命に「大丈夫だからあっちにいってください」と伝えようとする。僕がモゴモゴ言っている間もお姉さんはジッとこちらを観察していた。
(み、見られてる…… 押さえてる手、離なさなきゃ)
股間に当てられた手、少し濡れた地面と衣類、モジモジと動き続ける体。今のままだとトイレを我慢していることが筒抜けになってしまう。僕は頑張って押さえている手を離そうとしたが、手を離したらオシッコが出始めてしまう気がしてなかなか実行できない。僕が葛藤していると不意にお姉さんが近寄ってきて耳元でささやいた。
「あの、失礼ですが、トイレ我慢してます? うち近くなので良かったら寄っていきますか?」
「! 」
(えっ、ウソ、バレて……)
顔がカアッと熱くなる。
「いえ! そ、そんなこと……」
首を横に振り必死になって否定する。言い訳のあ間も体はモジモジ動いているので説得力はゼロだろう。言い訳を聞いたお姉さんが不思議そうな顔で僕に尋ねた。
「えっ? その声、男の人?」
(あっ、しまった…… 声)
オシッコ我慢を隠すのに必死で声のことまで気が回っていなかった。とっくの昔に声変わりを済ませた僕からは女性のものではない低い男性の音が出ていた。
「あぁ、女の子の格好してたからトイレ行けなかったのね。そっかそっか……」
お姉さんはいたずらっぽく笑う。僕にとっては笑い事ではない。
「いや、ホント、全部ちがっ…… だ、大丈夫ですので」
僕は両手を振り再び必死の否定を始めた。
ジョワワ
(あっ……)
「? どうしました?」
男であることを否定するために必死になっていたのでオシッコを我慢することを忘れ、反射的に手を股から離してしまった。その一瞬を膀胱にたまっていた液体は見逃してくれなかった。
(やばい! 止めないと!)
あわてて股間に手を戻しちんちんをギュウと絞る。だがもう全部手遅れだった。
ショオオオオオオオオオオ……
「ウグ、ヒウッ、ハ、ハァ〜」
ほとんど直接握りしめているちんちんがどんどん熱くなる。興奮しているとかそういうのではなく中から湧き出してくる液体の熱が僕のちんちんを包みこんでいるのだ。瞬く間に服が、手が、地面が僕のオシッコで汚されている。でも我慢してからのおもらしは僕が知らなかった快感を僕の頭にどんどん刻み込んでくる。
(あ、あぁ、出てる、全部。あ、服、汚れちゃ)
放尿の快楽に魅了されてなお服を汚していることには気が回った。僕は服の被害を抑えるためにちんちんを握りしめていた手を離した。
ジョボボボボボボ
押さえを失ったオシッコは勢いを増した。無理に押さえ込んでいたからなのかオシッコはすごい勢いで前に飛んでいく。こんなに勢いよく飛んでいくなら手を離そうが離すまいが服は汚れてしまっただろう。でも手を離して良かったなと思う。だって何の手加減もなしにオシッコができるんだもの。
ビタタタタタ
オシッコが地面に打ち付けられ下品な音を立てる。それを聞いてもオシッコを止めようという気は全然起きなかった。
(あぁ〜、気持ちいい、もうダメ、足に力が入らない…… )
足がガクガク震えて立っているのがツラくなってきた。すべてのことがどうでも良くなってきていた僕は力を抜いて、オシッコの水たまりの上に座り込もうとした。
「わっ、やっぱり我慢してたんですね」
が僕の計画はその一言によって崩れ去った。声のした方向にはさっきのお姉さんがいた。おもらしの快感のせいで忘れていたが、お姉さんはずっとそこにいた。僕がちんちんをギュウギュウ握っているのも、オシッコをジョボジョボ垂れ流しているのも、足に力が入らずドシャッと座り込もうとしていたところもすべてお姉さんに見られていた。それまでボーッとしていたところに冷水をかけられ、僕は一気に冷静になった。
「! や、やめてください! 見ないでください!」
やっと働き出した頭はまずお姉さんから逃げることを指示してきた。僕はお姉さんに背を向け、少しでも自分の姿を隠そうとする。その間も我慢したオシッコは出続けた。
(早く、早く止めて逃げないと……)
もう十分出したでしょ? と体に語りかけるも、オシッコは止まってくれない。ギュッと力を込めても一瞬水流が弱まるだけで、止まるましない。ジョ、ジョロロロ、ジョとオシッコの勢いが強くなったり弱くなったりする。
「あ〜あ、こんなに出しちゃって、服もびしょびしょ」
お姉さんはちょっとずつ僕に近づいてきた。何を考えているかわからないが今の僕にとってお姉さんはもう恐怖の対象でしかなかった。お姉さんは互いの髪が触れ合うくらいまで顔を近づけ、僕の耳元で囁いた。
「無理せず全部出しちゃえば?」
「は!? 何言って……」
お姉さんの言っている意味が僕にはわからなかった。思考が止まった僕を置いてけぼりにお姉さんは再び囁く。
「いっぱい我慢してツラかったでしょ。ここには私しかいないから。ほら」
「そんなことできるわけ……」
「じゃあ止められる? オシッコ、まだ我慢できる? できないならここでするしかないねぇ」
涙が出そうになった。お姉さんの言う通り僕はもうオシッコを止められない。だからここで出し尽くすしかない。それもできる限り早くに出し終えなければお姉さん以外の人に見られてしまうかもしれない。恥ずかしいがこのお姉さんの前でおもらしするのがこの場での最善策なのだ。
(なんで、なんでこんなことに……)
悔しさに顔を歪めながら僕はすべてを諦め、体の力を抜いた。
ジョボボボボボボ
さっきまでとは比べ物にならない勢いで放尿が再開された。お腹がシュウウウウとすごい早さでしぼんでいった。その感覚が気持ちよくて僕はまた理性を失いそうになった。
「うんうん、ちゃんとオシッコできてえらいねぇ」
理性を捨てようとしていた僕の頭をお姉さんが撫で回してきた。なんだか子ども扱いされているみたいで嫌だったのでお姉さんの手を振り払おうとした。けど、僕の手は力なくだらりとぶら下がっているだけで言うことを聞いてくれない。僕は唯一自由に動かせる口を使ってお姉さんに歯向かった。
「やめて、ください。そんなこと……」
「なんで? ちゃんと言いつけ守れた子はヨシヨシしなきゃ。でしょ?」
そう言ったお姉さんの口元はニヤリといびつに歪んでいた。
「そんなの、知りませんよ」
「あら生意気」
ショロロロ……
お姉さんと会話をしてる間に、僕のおもらしは終わった。呆然と立ち尽くす僕にお姉さんが追い打ちをかけてきた。
「いっぱい出したねぇ、男の子ってこんなにオシッコためられるんだぁ。ほら見てこれ、あなたが作った水たまり!」
お姉さんが僕を中心にできたオシッコの水たまりを指差して騒ぐ。悔しくって恥ずかしくっていろんな感情がグシャグシャに混じって、僕はどうしていいかわからなくなってしまった。
「ウッ、ウウッ」
情けないとは思ったが僕は泣き出してしまった。もう他にこの気持ちをどうにかする方法が思いつかなかった。ぼやけた視界の端ではお姉さんがうろたえていた。
「ごめんごめん、君があんまりにも可愛いからちょっといじめすぎちゃった。さっきも言った通りうち近くだから寄ってきなよ」
「グスッ、もういいです…… 帰ります」
「その格好で?」
お姉さんは細くてきれいな指で僕を指さした。びしょびしょに濡れた服、グショグショのショートブーツ、泣きはらした目。どこから見ても僕はおもらしした人だ。こんな状態で家まであと五分も歩くと考えるとそれだけで消えちゃいたい気持ちになった。
「ね? うち、ホント近くなんだ。そこの角を曲がったらすぐ着くよ」
そう言ってお姉さんは今度は僕が来た方向指さした。そっか、お姉さんの家は僕が来た方にあるんだにあるんだ。もし、僕がここにたどり着くのがもう少し遅かったら、もしお姉さんがもう少し早くこの道を通っていれば、僕はお姉さんの家でオシッコできていたかも知れない。そう思うと、自分の運の悪さが悔しくなって、また涙がポロポロこぼれた。
「ね? 私もいじめちゃったお詫びもさせてほしいし」
申し訳無さそうに手を合わせるお姉さんに対し、僕は無言でコクリと頷いた。もう知らないお姉さんの家に行くことが正しいのかを判断する元気すら僕にはなかった。
「よし、行こ。歩ける?」
また無言で頷いたあと、僕はお姉さんの先導に従って歩き出した。
◆
「そういえば、キミ、名前は何ていうの? あ、私は
沈黙に耐えきれなくなったのかお姉さんが喋りだした。今の自己紹介が本当だとすると、どうやらお姉さんではなく同い年のようだ。彼女からは二十歳とは思えない母性がにじみ出ていた。きっと素行の悪い妹とかがいて、その世話を焼いているうちにこうなったのだろう。
(…… っと、今はそんな事考えても仕方ないか)
「えっと、僕は、
「えっ…… 」
市原さんはとっても驚いたみたいだ。そりゃそうか。自分の大学の同じ学年に女装趣味の人がいたらまあまあ衝撃的だろうし。
「えっと、その、仁礼くんは、一体どういう字を書くの? 」
「字? 」
質問の意図を図りかね、僕はしばし市原さんの顔を見つめた。市原さんは真剣な眼差しでこちらを見つめている。その視線に圧倒され僕はわけがわからないまま質問に答えた。
「えっと、仁義の仁、礼儀の礼、忠義の忠で仁礼 忠です」
「そっか、そうなんだ」
市原さんがニヤッと笑った。ただ名前の漢字を教えただけなのに、何がおかしいのだろう? もしかして、各漢字の後ろに義を付けるだけで熟語ができるのがおかしかったのだろうか? でもこれは父さんがつけた名前だからなぁ……
「そっかー、キミは仁礼 忠くんかー。ねぇ、私、紅葉なんだけど? どお? 」
「名前の感想ですか? まあ、紅葉って名前は可愛いとは思いますよ? 」
「…… ま、今はそれでいいや」
市原さんはひどく残念そうな顔をした。可愛いって言ったの、まずかったかな? もしかしてかっこいいって言われたかったとか?
「ま、話は追い追いね。ほら、そこの角を右に曲がって、三件目の建物が我が家だよ。そこでゆっくり仁礼くんのこと、聞かせてもらうんだから」
さっきまでのお姉さんムーブはどこへやら。市原さんは人が変わったようなハイテンションで曲がり角を指さした。オシッコを漏らしてびしょ濡れの僕には彼女のおかしなテンションに付き合えるほどの余力はないので、ただ黙って市原さんといっしょに歩いていた。曲がり角を右に曲がり、新しい通りが見えたとき、通りの向こうから見知った人がこちらに向かって来た。
「お、仁礼じゃん」
「か、
通りの向こうから現れたのは僕の女装の手伝いをしてくれ今オシッコでびしょ濡れになった服を買ってくれた女性、春日さんだった。以前会ったときと違う黒と青をベースにしたワンピースで胸元には小さなリボンがついている。頭にも黒のリボンがちょこんと付いており、彼女のクールな雰囲気に可愛さを添えていた。
彼女はちょっとしたトラブルでおもらしをしてしまい、そのあと互いに気まずくなって会っていなかった。そんな関係なので、僕と春日さんの間に変な空気が流れていた。しばらく僕と春日さんは無言で向き合ったが、その雰囲気をぶち破ったのは市原さんだった。
「仁礼くん。誰、この派手な人? 」
「私? 私は春日
「へぇ〜、アナタみたいな派手な人がうちの大学にいたとはねぇ〜。しかも同じ学年とか…… 」
「学部が違うんじゃない? 私もアンタみたいに間延びした喋り方の人知らないし」
「なんですって! 」
初めてあったはずなのに二人はなぜか火花を散らしている。春日さんのさっぱりした性格が悪い方に出て、喋れば喋るほど市原さんはイラ立っていた。春日さんも春日さんで市原さんが確実にイラつくだろう言い回しで答えて、的確に火に油を注いでいる。春日さんがよく使う難しい言葉を借りればきっと二人は前世からの因縁があるのだろう。
「大体さ。なんで仁礼がその服着てびしょ濡れになってんの? しかも泣いてるし。あんた、仁礼に何したの? 」
春日さんの言葉には怒りが含まれていた。さっきも言った通りこの服は春日さんと初めて会ったときに買ってもらった思い出の一着だ。そんな服がなぜか濡れていて、その上着ている人が顔をぐしゃぐしゃにして泣いていれば、怒ってしまうのもわからなくはない。でも、服が濡れてるのも、泣いてるのも、全部僕のせいなんだけどなぁ…… そう思い、僕は春日さんに今の状況を説明しようとした。
「別に何もしてませんけど!? というか私が仁礼くんに何かしたとして、アナタに関係あります?!アナタ、仁礼くんの何なんですか?! 」
が、それより早く市原さんが話し始めてしまった。慌ててフォローに入ろうとするが、僕はここでも会話の主導権を握れず、先を越されてしまう。
「私? 私は仁礼の…… 」
春日さんの言葉はそこで止まってしまった。市原さんが「仁礼くんの?! なんなの?! はっきり言って!! 」と問い詰める。僕は二人の会話に入る機会を完全に逃し、アワアワすることしかできなかった。しばらくして黙って俯いていた春日さんが口を開いた。
「ね、仁礼。私たちの関係ってなんだと思う? 」
春日さんの口から出たのは僕への質問だった。質問の意図がわからなかった僕はすぐには答えられなかった。
「はぁ?! なんで仁礼くんに聞くの!? 私、アナタに聞いてるんですけど?! 」
「うん、知ってる。でも、私の語いじゃうまく答えられないんだ。だから、仁礼にお願いする」
「ね、仁礼。お願い」と言って春日さんは笑った。その笑顔は春日さんがトイレ待ちの行列で力尽き、おもらしする直前に見せたのと同じ笑顔だった。その顔を見て、息が詰まった。春日さんのおもらしを思い出した気まずさもある。が、もっと大きいのはあのとき興奮してしまったことへの罪悪感だった。
恥ずかしい想像をしてしまった僕のことを春日さんと市原さんの二人がジッと見つめる。僕は考えが見透かされた気がしてなんだか恥ずかしくなった。…… あと、おもらしした服をガン見されてる気もした。とにかく、早く答えてこの場を離れようと思い、僕は考えを巡らせた。
僕にとっての春日さんとはなんだろう? 春日さん。数週間前に初めて会った春日さん。可愛い服が大好きな春日さん。すぐに「前世」とか「徳」とか難しい言葉を使う春日さん。話に夢中になってトイレに行くのを忘れてしまう春日さん。頑張って我慢していたけどおもらししちゃった春日さん。おもらししたのが悔しくて泣いちゃってる春日さん。どの春日さんを思い浮かべても、胸がドキドキする。多分、僕は春日さんのことが好きだ。だから、ここで「僕と春日さんは恋人同士の関係」と言いたい。言いたいけど……
(でも、もし僕の片思いだったら…… )
春日さんは僕のことなんて好きじゃないかもしれない。そもそもこんなにキレイな人だ。もう彼氏がいて、僕とは遊びなのかもしれない。そう考えると、ここで恋人同士と言うことは僕にはできない。そんな勇気は、僕にはない。
「仁礼くん? 困ってるなら無理して答えなくて良いんだよ」
「うん、大丈夫だよ。市原さん」
僕はフッと息を吐き、さっき考えたことを二人に伝えた。
「僕と春日さんは友だちだよ。ちょっと前に会って、一緒に買い物をしただけ。それだけの関係だよ」
「これでいい」と自分に言い聞かせる。自分の気持ちには反しているが、世間的にはこれでいい。それに春日さんにも迷惑がかかっていない。そうこれが最適解のはずだ。そう思って春日さんの方を見る。僕の視界に入った春日さんの顔はひどく悲しそうな顔だった。
「春日さ…… 」
「そうだね。仁礼の言う通り、私たちは友だち。でも、友だちだったとしても仁礼に何があったか心配する権利はあるよね? 」
僕が話しかける前に春日さんは吐き捨てるようにそう言った。そのときの春日さんの目はなんだか寂しそうだった。そんな春日さんとは対照的に市原さんの目はキラキラと輝いていた。
「そう、ただの友だち! へぇ〜、そうなんだ〜。まあ、たしかに心配する権利くらいはあるかもね? でも、心配ご無用。仁礼くんの彼女である私が仁礼くんをお着替えさせますので! 」
(…… ん? )
市原さんは「さ、行こ。仁礼くん」と言って呆然とした僕の手を取って引っ張る。数歩進んだところで、さすがにおかしいと思った僕は市原さんを制止した。
「ちょちょちょ! 待って待って! え、僕の彼女?! 市原さん、いつから僕の彼女になったの?! 」
「う〜ん、今かな? 」
「僕、了承してないんだけど!? 」
「いいじゃん。仁礼くん、彼女いないでしょ? 」
「う…… たしかにいないけど…… 」
市原さんのトンデモ理論に反論しようとするが、僕程度の力ではうまく言いくるめられてしまう。僕は助けを求めて、まだ近くにいた春日さんを見た。春日さんは寂しそうな表情を止め、なぜかニコッと笑った。
「仁礼、彼女できて良かったじゃん。喋り方は変だけどけっこう可愛い子だし、自慢できるんじゃない? 」
「あら、ありがとう。でも、喋り方は普通だと思うけどね〜? 」
「そ」
春日さんはそう言い残してスタスタと歩いて行ってしまった。なんだか、見捨てられた気がして、僕の心にはどんよりしたモノが広がった。でも春日さんを引き止める言葉が僕の口から出ることはなかった。
「さて、待たせちゃったね。早く私の家で着替えよ。」
そう言って市原さんは再び僕の手を引っ張った。僕はされるがまま彼女の家に連行される。心の中は後悔でいっぱいだった。
(なんで…… なんであのとき、春日さんに好きって言わなかったんだろう…… )
自分との関係を問われたとき、春日さんに好きだと言っていれば、おもらしした服のまま路上に取り残されたかもしれないが、こんな暗い気持ちにはならなかったかもしれない。
(僕に…… 僕にもう少し勇気があれば…… )
あのとき、僕は自分の気持ちを伝えてフラれることが怖かった。春日さんに迷惑がかかるなんて考えたけどそんなの言い訳だ。僕はただフラれて笑われるのが怖かったのだ。そして自己保身のためのウソをついた。その結果がこれだ。僕は自分の小さなプライドを守ろうとして大きなものを失ってしまった。
「ほら、仁礼くん。あがってあがって! 」
市原さんは満面の笑顔で玄関を開け、僕を家へと案内する。僕は思考停止の状態で玄関をくぐる。ぐしょ、ぐしょと靴から湿った音が聞こえた。
バタン
玄関が閉まる音がする。扉の前にはとびっきりの笑顔を携えた市原さんがいた。
「さ、これからカレカノだよ。よろしくね…… えっと、忠くん! 」
笑顔で僕の下の名前を呼ぶ市原さんに対し、僕は力ない笑顔を向けることしかできなかった。
僕はこの日ほど、自分を情けない男だと思ったことはない。
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お読み頂きありがとうございます!
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