あしあと

PROJECT:DATE 公式

まっさら

9月に入り、秋めいていく頃になった。

とはいえ未だ30℃を超える日々が続き、

8月が終わったなんて

これまたご冗談を、と思う。

しかし現に文化祭や

体育祭の日程は近づいてきており、

来月にはなんと億劫なことに

中間テストまで控えている。


いろは「うーん。」


下校中、1人こつんと

近くに転がっていた石を蹴った。

するとリズム良く地面を跳ね

手入れされていない雑草の山へと消えていく。


最近…夏休み前後頃からだろうか、

湊ちゃんとの会話が

それとなくぎこちないように思う。

夏休みの間に1度一緒に遊びに行ったし、

学校が始まって以降

すれ違ったら話しかけてくれたりと

これまでと何ら変わらないはずなのに、

少し違う、という感覚がある。

腕時計があったとして、

問題なく動いているけれど

実はその奥で歯車やネジといった

パーツひとつがなくなっているようだった。

明確に違うともいえず、

かと言ってこれまで通りでもない。

…そもそもこれまでの対応を

はっきり覚えていないのかもしれない。

私自身、周りが違うと

見てしまっているだけだろうか。


いろは「湊ちゃんだけじゃない…かも?」


先月や今月あったことを

うんと首を捻って思い出してみる。

放課後帰ろうとした時、学校の友達からは

「今日は美術室寄らないの?」と

聞かれたことがあった。

居残り課題があったっけと問うと

そうではなくて…と

変な反応をされた。


親もそうだ。

授業が終わったので帰ってきたら

「今日は早いね」と言う。

そうなんだ程度に流して

その生活を続けていたら、

ある日学校で何かあったか聞かれた。

何もないと伝えると

安心したのか諦めたのか話は終わってしまった。


それにお盆の時麗香ちゃんに

会った時にも言われた。

あれは海らしい世界から無事出てこれて

朝から自分たちの家に

帰る時だっただろうか。

「最近絵は描いてる?」と

さも当然のことのように聞いた。

7月下旬、えいばあちゃんのところから

帰ってきて翌日ごろだったろうか、

湊ちゃんも似たようなことを言っていた。





°°°°°





湊「…絵。イラスト…描かないの?」


いろは「あはは、ああ、絵ね。急にどうしたの。私絵は描けないよ?多分湊ちゃんよりへたっぴ。ちゃんと描いたのなんて幼稚園以来くらい。」


湊「美術の授業とかあるじゃん?中学の時でもあったじゃん。」


いろは「あんなの面倒くさいし適当にやったよー。今回もそうするー。高校進学にも必要ないし、教養のためって言うけど美術とか芸術って好きな人が勝手に学ぶじゃんね。押し付けの感性豊かプログラム好きじゃないなー。」


湊「何かを作らない時間がしんどかったりは」





°°°°°





麗香ちゃんに聞かれ、

そこで漸く私は

事実を認めなくちゃ

ならないのかもと思った。

いつからかわからないが

西園寺いろはが絵を描いていたという事実が

確かに存在していたこと。

そしてその事実は私だけが忘れ、

他の皆は覚えていること。


その時、麗香ちゃんには

何と返事したんだったっけ。

私だけが亡くした事実であることを踏まえ

話を合わせるように

「ほどほどだよー」と

返したような気がする。

麗香ちゃんもそれ以上

突っ込むことはなかった。


いろは「絵なんてこれっぽっちも描けないのになー。…変なのー。」


今日の授業時間、

ノートの隅に適当に線を引いてみた。

直線はふにゃふにゃ、

立方体を描こうとしても

何故か平行四辺形。

人を描こうとしても

前髪の生え際は横に広がるし

顔と肩幅は一緒。

多分小学生が描きましたと言っても

バレずに潜り込ませることが

できると思っている。

絵を描いていたとは言うけれど、

結局は今と同じような

レベルだったのではないだろうか。

勝手に世で活躍している画家や

イラストレーターの類のものを

想像していたけれど、

実際好きで描いていると

口にしているだけで所詮趣味の範囲、

下手っぴな絵だったんじゃないだろうか。


私でない私のことが

少しずつ気になってきた。

誰かに聞いてみたくなり、

道の途中、隅に身を寄せ

連絡先を眺める。


いろは「湊ちゃん…は絵の話するとちょっと辛そうな顔する時があるからなー…麗香ちゃんにはまだ話してないし大学の授業あるかもしれないし…うーん。」


車が1台横を通り抜ける。

耳にコンクリートとタイヤの

擦れる音を耳にした時、

ある人の名前が目に留まった。


いろは「…うん!」


私のことをよく知っている人だし、

無論絵を描くらしい

私のことも知っているに違いない。

最近あっていなかったし

せっかくなら会いに行こう。

止まっていた足を唐突に動かして

足早に通学路を辿った。


自分の家を通り過ぎて向かう先は

一軒の花屋だった。

おばさんに挨拶して、

まるで自分の家のように

そのままお姉ちゃんの家へとあがる。

幼少期からこうして

従姉妹とその一家が近く住んでいたものだから

随分と慣れたものだ。

自分の両親は仕事が忙しいこともあり

特に小学生の頃は

度々こちらの家にお世話になっていた。

お姉ちゃんの部屋の扉を開く。

まだ帰ってきていないようで

カーテンの開いた窓からは

小さい頃にはなかった

背の高い建物がいくつかと

親しみ深いお店が並んでいるのが見える。


いろは「…。」


日が差し込む先、

机が照らされていた。

そこには大学のパンフレットや

参考書が並んでいる。

隅には付箋に短期間の学習計画や

行きたい大学なのだろうか、

1枚だけ別に大学の資料が置いてある。

お姉ちゃんも高校3年生、受験生なのだ。

勉強に身を入れているからか

前来た時よりも雑然としている。

足の踏み場はあるが、

少しばかり埃っぽい香りに

畳まれていない布団が横たわっている。


いろは「ふぁ…。」


日差しが強く汗ばみ、

勝手ながらエアコンをつけて

ベッドに寝転がった。

小学生の頃の夏は外で何日も2人で遊んで

冷房直下の元2人で寝転がっていた気がする。


遠い遠いお話になってしまった。

私たち、もう16歳と18歳。

大人になるのだそう。


自然と落ちていた瞼が

次に開かれたのは、

肩にとんとんと優しい衝撃が

加わった時だった。

視界がぼやけ、目を擦った先には

セーラー服を着たままのお姉ちゃんがいた。

私のことを覗き込んで

呆れたような顔をしている。


いろは「おはよー。」


陽奈『おはよう。』


いろは「元気だったー?」


陽奈『元気。』


いろは「おー、なによりー。」


スマホに文字を打ち

それを見せてくれた。

お姉ちゃんは去年の夏前に

声を無くして以降

スマホで文字を打つのが幾分も早くなった。


上体を起こして伸びをする。

お姉ちゃんは

『急に連絡があってびっくりしたよ』と

汗の絵文字つきでそう言った。


いろは「まあまあ急なのはいつものことじゃんー。」


陽奈『何かあったの?』


いろは「え、どうして?」


陽奈『何となく。』


いろは「うーん…もうちょっと雑談してからでも良い気がしたけど…まあいいかー。」


今度はベッドを背に床に座った。

あぐらをかく。

ラグが足の流れた方へと逆立った。


いろは「あのね。…まず何から話せば良いのかな…。」


陽奈「…。」


いろは「…うん。…まず、お姉ちゃんに聞きたいことがあるの。」


陽奈「…。」


いろは「私、絵を描いてた?」


陽奈「…?」


お姉ちゃんは思っていた以上に

訳のわからない質問が来たからか

きょとんとしていた。


いろは「わかってもらえるか不安だけど…私、絵を趣味で描いたことないんだよ。その記憶がない…というか、元から存在してなかったというか。」


陽奈「…!」


いろは「でも、周りの人から最近絵を描いてる?とか、また描いたらどうこうだとか言われるの。美術の授業でしか描いたことないのにどうしてだろうと思って…それで、もしかしたら私は絵を描いていたのかも…と。…いや、変な話なのは自分でもわかってるんだけど」


周りにそう言われているだけで

壮大なドッキリかもしれない。

そう思うとこうして説明しているのは

子供が見た夢の内容を

必死に語っているような姿と重なって

馬鹿馬鹿しくなってくる。

話している間にお姉ちゃんは

そっと文字を打って見せてくれた。

眉を下げ、目を伏せて

やや躊躇いながら。


陽奈『描いてたよ。』


いろは「…!」


陽奈「…。」


いろは「…昔から?」


陽奈『小さい頃からずっと。』


いろは「趣味でたくさん?」


陽奈『生活の一部になるくらいたくさん。』


いろは「そうなんだ。なんか実感ないなー。」


昨日君のドッペルゲンガーを見たよと

見知らぬ人に言われた時並に実感がなかった。

実感はないが、

お姉ちゃんが言うのだ。

納得はした。

なるほど…ですからなんでしょう、と

返事をしたくなるほど、

知ってしまえばそれで終わりだったらしい。

親しい人から聞けば

もしかしたら思い出すかもなんて

浅はかな考えをしていた自分に

指を刺して笑ってやりたい。


陽奈『もしかしたら茉莉ちゃんの時と似てるのかも。』


いろは「茉莉ちゃん?」


陽奈『覚えてない?』


いろは「お姉ちゃんの友達?会ったことある?」


陽奈『同じ中学校だったはずだよ。茉莉ちゃんが1つ年上声が特徴的なショートカットの髪型をしてる女の子。』


いろは「先輩のことはあんまりわからないよー。」


陽奈「…っ。」


いろは「お姉ちゃん?」


陽奈『じゃあ秋ちゃんは。』


いろは「秋ちゃん?」


陽奈『ごめん、湊ちゃん。』


いろは「湊ちゃんはわかるよー。仲良し。4月から一緒のタイミングで変なことが起きて、仲良く巻き込まれてるよー。」


陽奈「…。」


お姉ちゃんはそっと視線を落とした。

スマホをぎゅ、と握りしめている。

フリックの音がした。

「知ってた」。

それだけ打って、また消した。

どうしてと聞こうとしたが、

まあいいかと口を閉じる。

もしかせずとも

ネット経由かもしくは

お姉ちゃんの友達経由だろうなと考えつく。

詮索する意図がないよと示すためにも

別の質問をしようと唸る。

そして「あ」と声を漏らした。


いろは「私ってどんな絵を描いてたのー?同じ雰囲気の描いてる人とかいない?」


お姉ちゃんは目線を逸らし

少し考えてから、

指を動かし始めた。

検索しているのかなと思ったが、

それもほんの数秒のことで

またすぐにお姉ちゃんは

その画面を見せてくれた。


陽奈『いない。』


いろは「えー。今適当に検索しても良いからさ。なんかこう…ミニキャラとか、すごい本物みたいに描くとか。」


私が言葉を終える前に

既に文字を打ち始めていた。

もう聞いていないようで口を閉じた。

そして。

お姉ちゃんは何を考えているのか

わからないほど

真剣な顔つきのまま画面を突き出した。


陽奈『いろはの絵はいろはの絵だからいないよ。』


いろは「…そうなんだー。じゃあ仕方ないねー。」


お姉ちゃんには

検索する気も教える気も

全くない姿勢の表れだった。

それなら無理矢理聞くまでもない。

きっとお姉ちゃんにせがむまで

絵を描く自分に興味がない。

実質他人のようなものだから

気になったとしても

深入りするほどの興味が持てない。


いろは「これはいろはの絵だぞーって言ってくれる人が近くにいて多分幸せだっただろうなー。」


それくらい自分のことを

一般化せず個人として

見ていたこと他ならない。

大切ないち個人として絵を識別されていたのは

とてもありがたいことだろう。

絵を描くには周りの人に

恵まれた環境だったはずだ。

今この時の私は

もちろん無難に幸せと言えるが、

どこかかつての私もそうだったに違いない。


少しだけ笑みが溢れた。





***





家に帰って鞄を下ろす。

秋になるのを思い出し、

衣替えをしなければと

さほどやる気もないのにクローゼットを開く。


いろは「…?」


衣装ケースの横に自然と目がいく。

何が置いてあったのだろう、

段ボールひとつ分ほどのスペースが

ぽっかり空いていた。


そういえば、と自分の部屋を見渡す。

絵を描いていたと言う割に

この部屋には画材のひとつもなかった。

まるで元から存在していなかったかのように。

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