28.命を捧げた姫 ***SIDEユーグ
愚かな王だ。親から相続した地位と財産、国や民を持ちながら……我らルフォルの気高い姫を娶る幸運に恵まれたくせに。その運を使い果たした。いや、自ら放棄したのだ。
セレスティーヌ様と出会ったのは、あの方がまだ成人する前だった。十三歳の少女だった姫に紹介され、護衛騎士としてお側に侍る栄誉を得た。妹のように出会い、美しく気高いお姿に見惚れる。護衛の傷を心配する優しさに惚れ、告白する前に失った。
ただの護衛風情に手が届くお方ではなかったのだ。自らにそう言い聞かせ、浴びるように酒を飲む。ふらつく僕に飛びついた姫は、何も言わなかった。強く背中を抱く腕は必死に気持ちを伝えてくるのに、声はなくて。
ああ、この方は覚悟を決められたのかと悲しくなった。同情ではない。ただ、僕は理解した。待っていてほしい――言葉にならない願いに、静かに頷く。あの儚く哀しい夜の思い出は、セレスティーヌ様を待つ年月を支えた。
政略とはいえ、婚約から成婚までの期間は半年と短い。慌ただしく過ぎる日常に、焦りが募った。主家に対する忠誠を捨てて、攫って逃げることができたなら。友も家族もすべて忘れ、セレスティーヌ様のためだけに生きることが許されるなら。
それ以上何も望まなかったのに。願いも虚しく、姫が嫁ぐ前日がきた。王族に生まれた覚悟と責任を自覚するセレスティーヌ様は、結婚式の前夜……僕を呼び出した。察したのか、護衛に立つ同僚は僕を咎めない。
二人きりで見つめ合い、手を握り、白い甲に唇を当てた。
「これは命令よ、ユーグ。待っていなさい」
必ず戻る。その強い想いを宿した目を見つめ、僕も覚悟を決めた。この方の最初の男になれなくとも、最後の男になろう。体を繋ぐだけの欲ではなく、心を包む愛を注ぐのだ。
「ご命令、心に刻みます」
膝をついて忠誠を誓う僕の顎に触れ、上を向くよう優しく促される。顔に傷でも残してくれたらと、醜い願いを吐き出そうとした唇に、ふわりと柔らかな感触がおりる。一瞬だけ、掠めたような接触に、温もりはなかった。
翌朝、何もなかったように嫁ぐセレスティーヌ様を見送る。近くでお守りしたい反面、あの男を殺さず我慢する自信がなかった。何より、セレスティーヌ様が望まない。待っていろと命じた言葉だけを信じた。
ル・フォール大公家の領地を預かる仕事を任されて数年、風の便りが届いた。セレスティーヌ様が王子を出産した、と。腹の底から怒りと憎しみが込み上げ、数ヶ月ほど荒れた。それでも気持ちを立て直し、姫との約束を胸に抱く。
十年、二十年。長い地獄は、突然終わりを迎えた。離婚が成立するから、すぐ戻るように。若様やお嬢様は気遣って、早く声を掛けてくださったらしい。逸る気持ちを抑える術はなく、すべてを放り出して馬に飛び乗った。
「いけ! 止まるな!」
事情を知る友人が発破をかける。同僚だった彼は、二年前のケガで騎士を退職していた。頷いたのが見えただろうか。そんな意識すら風となって後ろに飛んでいく。
一歩でも早く、一息でも先へ。馬を乗り継ぎ、全力で走り続けて……夜明け前に王都屋敷に到着した。出迎えた執事が呆れ顔で客間を宛てがうが、待てるはずがない。もう二十年近く待った。
記憶にあるセレスティーヌ様のお部屋へ向かい、お嬢様と交代で中に入る。目を閉じたセレスティーヌ様のお顔に、感極まった。何度も口付けて忠誠を捧げ、命も魂も差し出す。他の雑音は一切耳に入らなかった。
さあ、目を開けて……僕の最愛のお姫様。
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