17.猛犬注意を忘れていたわ

 長きに渡る「待て」を解禁したら、忠犬は飼い主の元へ向かう。一直線に……邪魔する全てを蹴散らして。忘れていた訳じゃないわ。でも、さすがに速すぎた。


 早朝、ル・フォール大公家の門をくぐった忠犬は、途中で猛犬になっていた。玄関ホール脇の客間を宛てがった執事の判断は、間違いではない。まだ眠っている主君の妹君を叩き起こす用事だとは思わなかった。一般的にはそうなのだけれど……。


 一度「よし」を貰った犬は暴走する。何が何でも飼い主の腹に鼻を押し当て、首筋の匂いを嗅ぎたいと興奮状態だった。客間を抜け出し、いくつかの部屋の前を抜け、当たり前のように扉をノックする。


 過去に姫が滞在した私室の場所を知っており、家族に愛される姫の部屋が変わっていないと確信をもって。ちなみに元王妃殿下の寝室なので、護衛の騎士は配置した。もちろん、倒されて壁に寄り掛ける。


 この辺までは、後から本人が自供したことで判明した。私はと言えば、大公女なのに婚約者以外の異性に寝間着姿を見られてしまったわ。


「っ! ユーグ・エナン卿?」


 セレーヌ叔母様の部屋で話し込み、そのまま眠ってしまった。起きて扉を開けた私が固まる姿に、一礼して丁寧に挨拶される。


「お久しぶりです、お嬢様。僕の姫君はこちらでしょう?」


「あ、ええ……」


 どうぞと言っていないのに、すり抜けて入室する。叔母様が眠るベッドへ足音もなく近づき、膝をついて見つめた。叔母様の手を優しく下から支え、何度も唇を寄せる。


 切なくて神聖な光景のようで、注意するのを忘れた。


「風邪を引くよ、シャル」


 事態を嗅ぎつけたレオが肩に上着をかけるまで、私は呆然と二人の再会を見ていた。叔母様はまだ眠っている。いえ、寝たフリかも。


「無粋はやめて、部屋に戻ろう」


 もうすぐ夜明けになる時間、廊下に出るとカーテンがない分だけ明るかった。レオは私を抱き上げ、軽々と運ぶ。


「こんな魅力的な姿のシャルを無視するなんて、彼の忠誠心は本物だね」


「せめて愛情と表現してあげて。あなたと同じタイプなのよ」


 確かに見向きもされなかった。王侯貴族は地位が上がるほど、歴史が長い一族ほど美形が多い。綺麗な伴侶を見初めて子を作り、その子も同じ行為を繰り返す。遺伝の法則が正しければ、美形しか生まれないのよ。


 整った顔や美しい体は、外交の武器になる。だから磨いて整えて、いつだって綺麗でいるのが普通だった。たとえ寝起きであろうと、飼い主以外は目に入らないところは……そっくり。


 ふふっと笑う私を、レオがベッドに下ろす。ひんやりしたシーツに手足を丸めると、当たり前のような顔で隣に滑り込んだ。


「温めるだけ、いいだろ?」


 ご褒美をくれと強請るレオに、私は弱い。寒いから仕方ないと言い訳しながら、レオの腕で目を閉じた。まだ二時間は眠れるわ。

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