第40話 私、アルバイトぉぉぉ!!

 しとしとと雨が窓打つ金曜日の夕方……バイト先にて。


「くるみちゃん?」

「はいっ!」



 バイトにおける先輩の冬紀ふゆきに呼ばれたので、すぐに返事を声にして、棚の裏へと回り込んだ。


 短めの黒髪と、差し込まれたと金色の薄いメッシュ、前髪を留める空色のヘアピンが、今日もかわいらしい人だなと思う。彼女とは、共通のバンドの音楽で仲良くなることができた。骸骨のマークが特徴的な、ロックバンドで、コラボポーチなどのグッズを見せ合ったりする。



 冬紀先輩の声がちょっと下がり口調だったので、何か失敗したかなと、ドキドキした。商品の洋服を抱える冬紀先輩は、パーカーの裾元を指さした。


「ここの棚の夏物、全部タグつけ忘れてない?」

「ああ!すみません……今、付けます」

「いいよ、わたしが全部やっとくから。そっちの品出し、全部終わらせちゃって」

「は、はい!」



 冬紀先輩は、ニコっと笑っている。けれど、タグの付け忘れという失態は、くるみのもの。それを自覚して、すぐにバックヤードの棚にある段ボールを取りに行った。それから、段ボールの中に保管されていた洋服を、商品棚へ「飾り付ける」。


 夏物の薄手のTシャツゾーンの整理をしていたところ、またまた棚の向こう側から「くるみちゃーん」と呼ぶ声があった。



「今、ちょうどシーズンの入れ替わりの時期だからさ、春物はあっちに移動するって言ったじゃん?」

「あ、ごめんなさい……」

「いいよ。今度から気をつけてね」



 なんと、またも冬紀先輩に失敗を見つけられてしまった。どうやら、昨日に説明されていたことをすっかり忘れてしまっていた。


――昨日、「春物を移動させる」と先輩に教えてもらっていたのに……何もかも忘れて、春物のパーカーをずらずら並べてしまっていた。



 冬紀先輩は、どもまでも優しい。口調も変わらず、抱擁の力に満ちているように感じる。


 けれど、だからこそ、自分が間違えたり、失敗したりしたときに、心がきゅっと締め付けられる。こんなに許しを与えられているのだから、それに応えなくてはと張り切るのだけれど……




――最近は、うまくいかないことが多い。



 落ち込んだ心を立て直し、品出しを終えて、段ボールをたたみ、バックヤードの所定の場所へ。それから、休憩に入る後輩と交代して、レジ周辺の接客の業務を行う。



「袋にお入れしましょうか?」

「ええ、お願いするわね~」



 杖を突く、腰の曲がったおばあちゃんの購入した衣服を、お店のロゴ入りの袋に丁寧に、慎重にを重ねて入れていく。「孫の誕生日が近いからね、プレゼントにあげようと思ってるのよ~」と話したおばあちゃん。



……なんて愛らしい関係の祖母と孫なんだと、疲れた心がぽっと温かくなった。


「素敵じゃないですか~お孫さんも、きっと喜んでくれますよ」

「うふふふ~そうだと嬉しいわね」



 そうやってお客さんと会話を交えることだできるのも、このアルバイトの良いところだ。疲れていても、こうやって服を通じてお話ができると、心がウキウキと踊るのだ。



 と、おばあちゃんを見送ってすぐに、肩をトントンと叩かれた。


 後輩くんが困っているのかなと思ったが、どうやら違った。



 振り返ると、おちょぼ口のおじいさんが突っ立っていた。


「どうされました?」

「……」


 おじいさんはキョトンとした目のまま、レジを指でさしている。そこには購入するはずの衣服が、カゴに入った状態で置かれている。



 レジの使い方がわからないのかなと思って、ヨボヨボと歩くおじいさんに聞いてみる。


「レジの使い方が分からないんですか?」

「……」

「ええと……会計の仕方のことですかね……?」



 おじいさんは無言のまま、購入画面を指さしたままだ。喋ってくれればいいのに、頑なに、無言を貫こうとする。



 購入画面には、現金や、カード、スマホ決済の選択画面が表示されており、この先どうすればいいのかに迷っているのだと予測した。


「当店のポイントカードでの購入をご希望ですか?」

「……カードだよ。なんでわからないんだよ」

「も、申し訳ございません……では、カードでの購入をタップしてくださ……」

「やってよ、分かんないから」



 正直、イラっときてしまった。



 デカデカと『セルフレジ』と書いてあるレジに並んでおきながら、店員に対して『やってよ』とは……分からないなら、素直に店員が接客するほうのレジに回れば、対応するのに。


 それに、今まで無言でいながら、おじいさんの「ポイントカードで購入したい」真意を読み取れだなんて、そんな無茶な。



――私は、エスパーの使い手じゃないって!!



 そんな不満を胸の内側にとどめながら、おじいさんからカードを預かり、それで購入してもらった。「ありがとうございました」と、マニュアル通りご挨拶をしたのだが、購入を手伝ったお礼は、なし。おちょぼ口おじいさんは、無言で振り返りもせず、袋を抱えて去っていった。


……「ありがとう」のお礼の一言ぐらい、ほしかったなと思ってしまう。



 こうして、紆余曲折ありながら、バイトの労働の時間が過ぎていく。これも、学費と家賃を払うためであるから。お父さんに、それぞれ半分ずつ負担してもらっているから、なお頑張らなくてはと、気を張るのであった。



 家に帰ると、その日の講義の復習をする気力は空になっていて、ソファーに倒れこむ……



 疲れたな。


 一人は、寂しいな。



 真っ暗な部屋には、月明かりが差し込んでいて、ベッドの上を照らしている。その明かりで、スマホのメールをチェックするのが、日課になりつつあった。



 高校のときの同級生、来栖からのメッセージが、いくつか溜まっていた。



――――6月27日――――


来栖:お返事、まだですか?


来栖:今度の日曜日、雛菜ひなな駅の近くのレストランで食事でも……どうです?


来栖:俺のダチも呼びたいんですけど、いいですか?


くるみ:日曜は、バイトあるから、ごめんね



―――――――――――――




 適当に誘いを断っておいて、来栖とのメッセージ欄を閉じる。



 なんなの……?あの男は……いくら予定が入っていると断り続けても、次の日のはメッセージを飛ばしてくる。



 もうさ、脈なしって気が付いてよ。


 こっちは忙しいし、あなたのことは恋愛的な意味合いで気になってないって、察してほしいな。



「はぁ」


 溜息が漏れた。その音が虚しくも、たった一人の豪華な部屋に響き渡った。



 キッチンもある、バスタブもある、大きな本棚だって置いてあるし、ガラスのテーブルとふかふかのソファーは、一人で座るには、あまりに広々としている。オートロック完備で、窓から臨む景色は、東京の夜景を見下ろす形。


 これも、世の中の基準でいえば高い家賃を、お父さんに半分を払ってもらっている証なのだ。



 けれど、やっぱり、傍には、常にだれかが居てほしいと思う。



 またスマホを開く。高校生の頃のバイト先のリョウ先輩のSNSを見てみると、そこには……



(ふーたんと草津温泉来ました♪)



 この前の土曜日に、彼女さんと旅行に行った写真がアップされていた。背景の湯気が立ち上るところは、草津のシンボルである「湯畑ゆばた」だろうか。



 先輩も、隣の彼女さんも、満面の笑みで、楽し気な空気が写真からでも伝わってきて、胸をチクチクと刺した。




――いいなぁ。旅行も行きたいし、何より、「カレシ」がほしいと思った。



 羨ましい、この彼女さんは。リョウ先輩という、心穏やかで、優しいイケメンとお付き合いができて……



「……書類書かなきゃ」



 またひとつ、ため息をついて、部屋の明かりをつけて、レースの白いカーテンをしゃっと閉めて、テーブル前のソファーに着いた。


 水道、電気、賃貸の契約の詳細の書類、大学から送られてきた書類の諸々……



 書類整理は、べつに苦手じゃないが、やっぱり、「寂しさ」が足かせとなって、体が重たく感じられた。



――死にたい。


――このベランダから飛び降りたら、悩みは、一瞬で消えて亡くなるだろうなと。



 本気でそうは思っていないが、ふと、そんな考えが起こった。それすらも、眠気とやるべきことに押しつぶされて、霧のようにぼんやりと消えてしまった。




 将来が、不安だ。



 現状が、いつまで持ちこたえられるか、不安だ。



 講義についていけるか、不安だ。



 寂しさという「コドク」という毒が、体を侵す……



 カーテンの隙間から覗く月は、いつまでも変わらずまん丸で、きれいだった。


 




 


 

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