第35話 私の救世主たち

 一番大きい後悔は、この世に生まれてきたことだと、その時は、本気でそう思っていた。



 そんな自傷の思考は、中学生の時以来だった。




 しかし、当時とは決定的に状況が違っている。



――【仲間】がいてくれるのだ。



「ふっ、約束の時間の5分前、到着~」

「来てくれてありがとう~♪」



 駅の方向から歩いて来た夏目と合流した。くるみは、思わず夏目に正面からぎゅっと抱き着いた。「のわ!」という、夏目の動物みたいな鳴き声があった。



 いつもは丸い赤淵の眼鏡を掛けているが、今日は掛けていなかった。コンタクトをつけているのだろうか。

 雰囲気がだいぶ違くて、まるで、アニメの中のキャラクターのような、華美な衣装を身に纏っていた。黒いドレス衣装に、白いレースが、袖や裾に踊る衣装だった。こういうファッションは、たしか「ゴスロリ」と呼称する。



 いつもは控えめな服と立ち居振る舞いをする夏目が、今日に限っては、別人かのようだった。


「その服、すごいね。なんか、いい意味でハルカちゃんじゃないみたいで、かわいいかも」



 独特な雰囲気を放つ夏目は、「ふっ」と、小さく笑った。



「でしょ?趣味で、こういう服買ってるんだ」


 腰に手を当てる夏目は、いつにも増して上機嫌で、誇らしげだった。



「お店どこ?ブランドとかは?」

「秋葉原駅の近くのお店で買ったよ。で、キュートワンダーランドっていうブランド」

「聞いたことないなぁ……」

「くるみちゃんは、こういうファッションは、専門外でしょ」

「うん。こういうのは、着たことないよ」



 ファミレス前で、ファッションの話題に花咲かせていると、ついに、遅れて「彼」がやってきたのだった。


「よ、くるみ。遅くなっちゃった。ごめん」

「リョウ先輩~♪大丈夫ですよ~」



 バイクに乗った好青年が一人、やってきた。彼は、バイト先の雪村リョウ先輩である。



 くるみは、夏目を取り残したまま、バイクを降りたリョウ先輩にぎゅっと抱き着いていた。



 そんな様子を見て、隣にいた夏目は、ジト目のまま苦笑いした。


「あの……わたしは、七瀬ちゃんの友達の、夏目春香なつめはるかと申します。リョウ先輩……?でしたよね、よろしくお願いします」



 一礼した夏目。その素振りだけでも、ドレスのレースが揺れて、かわいらしかった。


「ああ。よろしくね」



 そんな彼女にも、リョウ先輩は爽やかな笑顔を振り撒くのであった。




****




 金曜日の、月が昇った宵の口ということで、席が空くまで、寒空の下、少し待った。ただ、店内は暖房が効いていて温かく、なによりも、リョウ先輩が隣にいてくれたため、待ち時間が苦ではなくなっていたのだ。



「……暑い」


 夏目は、ゴスロリドレス衣装が思ったより厚着だったらしく、手でパタパタと風をあおいでいた。


 くるみは隣に座って、ハンカチであおいで、風を届けてあげる。



 かわいいし、お洒落だけれど、暖房の温もりが辛そうだった。


「三名様でお待ちの……」という店員さんの声で、ようやく空いた席へと向かい、ゆっくりと腰を下ろすに至った。



 くるみはミラノ風ドリアを、リョウ先輩はハンバーグ×ステーキのプレートを、夏目は、石焼ビビンバを注文した。リョウ先輩の注文した料理がまだ運ばれてきていなかったが、「先に食べなよ」と、優しく言ってくれた。



 彼のご厚意にあずかり、くるみと夏目はお先に「いただきます」と声を揃えて、食べ始めた。


――ただ、リョウ先輩との話が盛り上がり過ぎて、握ったスプーンは止まって、ドリアは冷める一方だった。



「あの、夏目さん?」

「はい?」

「その服、なんか、凄いね」



 ドレス衣装のまま石焼ビビンバのナムルを銀色のスプーンで掬う、シュールな光景に、リョウは興味を示した。ただ、あまり見かけないファッションスタイルに、言葉が出てこなかったらしい。


 夏目は、ニッと笑みをこぼして、ヒラヒラとしたレースが躍る袖をリョウの眼前に示した。



「ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。7万円かけた甲斐がありました」

「っ――えっ、そんなにかかったの!?」



 リョウは、夏目の衣装の値段を聞いて、口からハンバーグを吹き出しそうになった。咳き込みながら、コーヒーで白米を流し込む。


 くるみも、値段までは聞いていなかったから、驚かされた。彼女のファッションに対する情熱は脱帽ものだと、くるみは思った。



 夏目は、「にひひ」と、これまた独特な笑いを笑って、「実は、」と、身に着けている衣装に関して、続けた。



「オーダーメイドものだから、高いんですよ。でも、バイトして頑張って貯めたお金を、こうやって好きなものに投資できるって、幸せですよ……へへへ」

「ああ、バイトしてお金貯めたんだ。へぇ~、じぶんの お金で買うの偉いし、七万円分も貯めたってことだよね?凄いじゃん」

「へ……へへへ」



 頬に紅を刺したような紅潮の具合を見せる夏目は、リョウの絶賛の言葉を一身に浴びて、ニヤニヤと微笑んでいた。



 いけない、このままでは、夏目に話題の流れを取られてしまうなと思って、隣のリョウに体を寄せた。


「せんぱーい、聞いてくださいよぉ」



 ホットコーヒーの入ったマグを傾けたリョウは、くるみの呼びかけに応えて、「今度は、何の話?」と聞きながら、マグを手元に置いた。


 ちらっと横を見たから、彼と、ばっちり目線が交わった。



「最近、すっごく気になってる人がいるんですよ~」




 気になっている人……現在は、別のクラスとなってしまった「ゆずる」のことである。


 しかし、夏目が一緒なので、彼の名前を出すことは、恥ずかしかった。

「……くるみちゃん、それって、もしかして、目の前の人のこと?」



 と、夏目は、今日は掛けていない眼鏡を指でくいっと上げる仕草をした。




「え、いいやまあ……リョウ先輩は、顔もイケメンで、究極的に優しくって、元々気になってたっていうか……うん。実際、そうなんですよ……」


 頬がカーっと熱くなって、言葉がたどたどしくなってしまう。



 夏目の鋭い勘は、絶妙なところを突いてきた。気になっている人といえば、二人いて、ゆずるとリョウである。


 当のリョウ先輩は、当惑した様子だった。自分を自分で指さして「俺が好きってこと……!?」と、冗談を流す時の声で言った。


「ほら、くるみちゃん。リョウ先輩困ってるよ。『好き』って言っちゃいなよ」



 ジト目でたたみかけ、訴えかけてくる夏目の眼に貫かれて、心臓が破裂しそうなぐらい高鳴った。隣のリョウに見つめられて、さらに胸が高鳴って、むしろ痛いぐらいだった。



 夏目は、見透かしている、私が、リョウ先輩のことが好きだって。全てを、察しているのだと、分かってしまった。




 好きだよ。好きだけど……言葉にするのって、滅茶苦茶、恥ずかしいっ!!


「あのですね……リョウ先輩……」


「おお、マジで来ちゃうの?愛の告白ってやつが」

「っ――もう!茶化さないでくださいよ!」


 妙に期待を膨らませて、盛り上げるノリを作ったリョウによって、勇気の出鼻を挫かれてしまった。




 真っすぐに「好き」だと言ってしまおうと心に決めようとしていた。夏目も、それを応援してくれているようだったし、流れは、そこにあったのだ。


過去のゆずるの声が聞こえる。『七瀬のお願いを断る人の方が少数派だと思うよ』という言葉に、さらに背中を押された気がした。




「――そんなリョウ先輩のことが、好きです。大好きです」



「ウェェイ!来たあああ!!」

「くるみちゃん、お幸せに」




――もうここまで言ってしまったら、リョウ先輩の他にも好きな人がいるなんて、口が裂けても言えない……!





……ごめんなさい、加賀美佑弦かがみゆずる



 あなたのことは、中学生の頃から気になっていたけれど。



 二人の男の子を好きになるとは、くるみは、なんて、はしたない女なんでしょう!



「俺も好きだよ、くるみ。バイトとか、これからもよろしくな☆」

「わわわ……あああ……」



 あまりに爽やかで軽快な返しに胸を撃ち抜かれ、手が震えて、喉がヒューっと鳴った。


 しかし、リョウの次なる言葉で一転、胸が締め付けられる。



「たださぁ、俺、実は……もう付き合ってるんだよね、同級生と」

「えっ――」



 そうか。もう遅かったんだと、嫌でも理解させられてしまった。



「そうだったんですか!?」とあからさまに声を高くして、笑顔の仮面を被った。作り物の笑みは、頰が吊り上がって、ピクピクと僅かに痙攣していた。


  

 モヤモヤとした気持ちは置いてきぼりにされて、リョウはまた言った。


「気持ちはめっちゃ伝わった。俺も、好きって言われて、めっちゃ嬉しいよ。だから、これからも仲良くしよーな」



 グーの形を突きつけてきたリョウ。ノリを読んで、自分もグーの形で拳を握りしめて、グータッチを交わした。



 その腕が震えていて、拳は爪が深く食い込むぐらいに硬く握っていた。



 勇気は、リョウの軽い声によってへし折られてしまった。


 先輩は悪くない。むしろ、「好き」を伝えるのを躊躇って、恥ずかしがって、遅くなった自分に非があるのだと、くるみは自責の念に駆られる。



「リョウ先輩、お付き合いしている方がいたんですね」

「うん。さっきも言ったけど、同級生の女の子ね。どう、めっちゃ可愛くない?」



 今度はリョウと夏目が、お付き合いしている人の話で盛り上がり始めた。



 その流れに取り残されないように、そして、傷ついた心を悟られないように、笑顔の仮面を被り続けて、話に無理矢理にでも飛び込んでいく。


「あ、め、めっちゃ可愛いですね……!」



 声が震えていないか、言葉が変になっていないか、あらゆる不安を抱えながら、リョウがスマホで示した彼女さんの写真に賛同を送る。


 悔しい。このスマホの写真として閉じ込められた彼女さんのほうが、リョウ先輩を惹きつけたし、先を越したのだと思うと、歯をぐっと噛み締めてしまう。




「夏目は、恋愛してるの?」


 一切の不純物を含まない純水のような笑みを、テーブル越しの夏目に向けるリョウ。


「いやあ、わたしは、ボッチで、先輩みたいな積極性がありあせんからねぇ……」

「ぼちぼち?」

「いいえ、恥ずかしながら、今のところ皆無で」



 そんなリョウの声を一身に受けて、珍しくニコニコとしている夏目。2人のことが好きで、大切な友達だから、悪い気はしないのだが、



……胸が痒くなる。



 これが、いわゆる、「嫉妬」というやつなのか。


「くるみ?」


 唐突に、思考の大海にリョウの声が響き渡る。ハッと気がついて、現実の世界に引き戻された。


 飛躍するリョウと夏目の会話についていけず、思考を内側に向けて、ぼーっとしてしまったらしい。


「だ、大丈夫ですよ。最近、バイト忙しいじゃないですか。だから、疲れちゃって、眠くなっちゃったんですよ」


 喉から絞り出した苦しい言い訳に、2人は納得してくれた。



 注文した料理の皿はすっかり平らになっていて、リョウは、さっと、注文票を手に取った。


「2人分まで奢ってあげるよー」と軽快に言ったリョウは、会計を済ませるために、店の入り口のほうへ。



 すっかり奢ってもらって、夏目と一緒に「ありがとうございます」と声を揃えた。



 いよいよ、楽しかったはずの時間は閉幕を迎える。夏目はバックを肩に掛け直して、駅とは反対の方向に歩き出した。


「またね、ハルカちゃん」

「はい。また来週ね」



 黒のゴスロリドレス衣装を左右に揺らしながら、夏目は人混みの向こうに消えてしまった。


 再び会うのは、週明けの月曜日。



 また、いつもの地味な雰囲気になって学校に来るのかな。



 そう考えると、自分は表裏がない性格だなと、客観的に理解するのだった。学校でも家でも、だいたい話し方も雰囲気も、考え方も変わらないし、それを隠さない。

 


 今、リョウ先輩とは、2人きりの状況だ。


「あの、リョウ先輩……?」


「ん、どした?まだ話し足りない?」


「その……」




 人生経験も豊富で、経済的にも心理的にも余裕に満ちたリョウ先輩ならば、私の悩みを解決してくれる鍵をくれるかもしれない。荒んだ心が洗われるかもしれない。



――進路について、あるいは、くるみの人生について、どう思いますか……?


「……ん」


 そうやって聞くつもりで開いた口は、すぼんで、結ばって、沈黙を作ってしまった。


 言葉が喉元で詰まってしまった。


 こんなに楽しい雰囲気を壊したくない。そんな気遣いの心が囁いて、悩みを打ち明けられなかった。




 そういう深い思考を後から巡らせていたが、結局は、「誰かに会いたい」「誰かに話したい、聞きたい」という気持ちが強くなったが故の、今回の夕食の集まりだった。



「なんでもないです」

「そっか。じゃあ、帰るか。後ろ乗って」

「はい」



 ヘルメットを貸してもらって、リョウのバイクの後ろに乗った。彼の背中にぎゅっとくっつくと、その大きさに圧倒させられた。



 流れゆく夜景は、どこか、感傷を煽ってきて、人知れず、くるみは涙を流した。

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