第32話 この世で最も美しいもの
平日であるのに、観光客が大勢いた。中には、七瀬と同じような金の色をした髪の人もちらほら。鼻が高く、骨格がシュッと細い彼らは、おそらくヨーロッパから来たのだろう。団体客らしく、複数のカメラがレンズをあちらこちらに向けている。
金閣寺への入り口たる黒い門の前で、警備員らしき青い制服を身に着けた人が立って、周囲に目を張り巡らせている。
で、案内用の看板には、でかでかと「金閣寺」と書いてある。いよいよ、歴史を目撃しに来たのだと、改めて実感する。
「まあまあ人、いるね」
「まあ、世界遺産だし?」
「あ、世界遺産だったんだ」
「そうだよ。世界文化遺産」
駅前で立ち寄ったスーパーで買ったミルクティーを飲む七瀬が見る方向には、葉が落ち切ろうとしている木々が植わっている。
入口である黒い門を通り抜けると、空気が変わった。カッと澄み渡るような、そんな感じがして、産毛がざわざわした。
とりあえず、人の流れに沿って、左側を歩く。前には、背丈の高い外国人らしき人がいるので、彼らに付いて行ってみる。
「……もう既に綺麗じゃない?紅葉の季節から外れちゃったけど」
周囲をぐるっと
さっと周囲を見ると、大きなカバンを背負った学生らしきグループや、先ほど入り口で見かけた外国人観光客向けのツアーらしき人々、ベビーカーを押す子連れの人、杖を突いたお年寄りから、浴衣を着た若い男女のカップル等々、様々な社会身分の人がみられた。
様々な種類の眼を引き寄せるのが、ここ鹿苑寺※の魅力ということか。
※金閣寺の正式名称。
「金閣寺を建てたとされる人の名前は何で……」
「足利義満」
解答が早い。
さすが七瀬、頭のいい大学を目指しているだけのことはある。一問一答形式であれば、苦手だとする歴史の問題にも即答できるということか。
その後は、七瀬を隣に、静かに歩いた。会話など必要ないという、互いの了解が言葉を交わさずとも伝わったらしい。というよりも、周囲の空気があまりに荘厳だから、言葉を盗まれてしまった。
仏教建築に詳しいわけではないが、金閣寺へと向かう道順に建てられた黒っぽい色をした門らしきものは、とてもきれいだった。ヨーロッパ的な煌びやかな美とは対を成すような「静」の美が、360度に広がっていた。
「あ、拝観料は、私が払ってあげるよ」
「いいの?」
「アイス奢ってもらったし」
七瀬は、斜め掛けのカバンから財布を取り出して、大人二人分の拝観料を払ってきてくれた。アイスの値段と、金閣寺の拝観料とは、どうしても釣り合わないような気がするが、せっかくだから、七瀬のご厚意に甘えさせてもらう。
戻ってきた七瀬は、手をぎゅっと握りしめてきて「行こ」と短く言った。
もういいや。これでいいんだ。七瀬がいいと言うんだから、過度に恥ずかしがらず、手をつないでいよう。
周囲に、同じクラスの人がいないかと、警戒の目を張っていたら、突然に、金色の聖体は現れた。
「あ!あれが、金閣寺?そうでしょ、教科書に載ってたままだよ」
鹿苑寺金閣。溝口※とその父に「金閣寺ほど美しいものは地上にはない」と思わせた姿が、そこに整然とあったのだ。
※三島由紀夫『金閣寺』の主人公の名前
周囲の木々の枯れゆく葉の数々と、そして、池の中にぽつんと建っている金閣の輪郭の周囲の空気がカッと冴えているように見えた。曇天の空から降り立つ少しの光を集めて、煌々と輝いているようにも見える。
目をぱちくりさせる七瀬。それから目を細めて、金閣の聖体をまじまじと見つめる。
「んん。めっちゃ綺麗じゃん」
七瀬は、他の観光客に混じって、池の淵に立つ柵の前へ。スマホで、パシャリパシャリと、写真を撮っている。
ゆずるは、ただ茫然と、遠くから金閣を眺めた。
金閣ほど美しいものは無いという、絶対の確信には至らなかったが、十二分に美しいと思った。それはなぜかと、耳を撫でる風と、自分の内側に眠る自分に問いかける。
一つ、あの輝きには、600年以上の歴史が詰め込まれているから。
足利義満が建造したのが、たしか14世紀終わり。それからずっと、この景色を守り続け、この景色の中に在り続けたと考えると、まるで、【父】のような力強さと温かさを感じるのだ。
【父】は……金閣は、京都の繁栄を、刀の音を、飢饉にあえぐ人の声を、ザン切り頭を叩いた文明開化の音を、B29が空を切る音を、戦後の華々しい復興を、そして、ゆずるという、たいへんちっぽけな一個人を、知っている。
まあ、今の金閣寺は、1950年に一度全焼して、建て直されたものであるが。
それでも、同じような色を、形を、現代まで伝えているというのは、すごいなと思う。
あの柱に触れたら、極楽浄土への道が開けるのでは、と思わせられるぐらいには、美しいと思った。
そして一つ、あの金の色が、七瀬の金の髪を彷彿とさせるから。
どうして柱に触れたいと思ったか。それは、金閣が内包する魔性のようなものに引き付けられたという理由があって、さらに深層には、金の色に七瀬を想起したという思考があったからであろう。
同時に、七瀬のことを、金閣寺のような歴史的建造物と並べるほどに、神聖視していたことに気が付いて、ハッとした。
もしや、七瀬は……
こんなに美しく、自分に優しくしてくれる人なんて、この世界ではありえないと、彼女の背中を見て、思うのであった。
「おーい、ゆずる!早く!」
「ああ……」
いけない、自分の世界に没頭しすぎたようだ。思考の波に飲まれて、溺れるところを、七瀬が名を呼ぶ声によって助けられた。
七瀬と隣り合って、写真を撮った。七瀬は写真を確認して「いい感じ」と評した。
ただ、彼にとって、七瀬と金閣という二つの美に挟まれた「ゆずる」という人間は、とても醜く見えた。
顔立ち幼く、常に自信がなさげで虚ろな目が、それの原因だったように思えた。
その後は、金閣の全周を見て回った。スマホでいろいろな角度から撮影しておいて、帰ったら、絵に描いたり、CGで再現してみたいと思ったから。
「どうだった?」と、鹿苑寺を出て七瀬から感想を求められたときに、「七瀬みたいに綺麗だった」と、危うく答えかけた。
「歴史が詰まってるみたいで、良かったよ」と、当たり障りのない答えを返しておいた。
金閣に七瀬の面影を見た、という独特な感性……というか、性癖に近しいものは、公言することは
修学旅行二日目は、そんな感じだった。金閣の印象が、特に強かったように振り返る。まさか、自分も、金閣に魅せられていたということなのか。
夕食時、旅館でエビの天ぷらを食べながら、そうやって一人で黙って、考えていた。
今日はよく歩いて、よく考えたから、疲れたので、早めに寝よう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます