第8話 友達は「なっている」もの

「友達になろう」という返事をした覚えはない。心を許した記憶は、無い。



 しかし、放課後を告げるチャイムが鳴ると、学校の近くのテニスコート前の用具置き場の影に向かっていた。


 夕日の影の黒に、金色の髪と太陽のような輝かしい笑みの光の一点があった。今日は、彼女から「一緒に帰ろ」と誘われていたのだ。



「よっ」


「ああ」


 手短な挨拶を交わして、帰路を共にする。


 多くの生徒が帰る時間とは少しズレているので、周囲を見渡しても、ゆずると七瀬の二人のみが歩道を歩いていた。



 はるか後ろに、犬の散歩をしているおじいさんが一人、洗濯物を家の中に取り込むおばあさんが一人。ただそれだけで、カラスが鳴く声や鈴虫が歌う声のみが、周辺の林に響き渡っている。



 静寂を割って、七瀬は「そういえばさ~」と開口した。


「修学旅行の班、決まった?」



 10月が始まって、いよいよ修学旅行が迫っていた。11月の中頃に巡るは、京都、奈良、大阪。教科書で習った金閣寺が見れるのかなと思うと、ちょっと楽しみだ。



「うちのクラスは決まったよ。俺は、誘ってもらえたから、そこ入った」

「マジかぁ……私は、嫌われてるからさ、どこの班にも入れてもらえなかったわ。ゆずるくんが、まだ班決まってなかったら、一緒の班になってもらおうかなって思ってたけど……」


 金の髪を指でクルクルといじる七瀬の頭の輪郭を、茜に染まりつつある陽の光がなぞっている。



 学校と家との間を隔てる小さい丘の林の間に伸びるアスファルトの道を歩きながら、ゆずるは、彼女が置かれた状況に「かわいそうに」と、率直な感想を零した。


 その一言で、七瀬は落ち込むどころか、「でしょ?」と共感に対して感謝して、むしろ明るく語った。



「先生には、『クラスで組めなかったら、他のクラスの人と組んでみたら』って言われたけど、でもね、同じクラスで組めないような人が、コミュ力発揮して他のクラスの人と組めると思う?絶対できないよね!?」



 金の髪の長いもみあげを指でクルクルといじりながら、七瀬は苦い顔をした。


「一人で、気楽に回ればいいじゃん」



 ゆずるの考えとしては、一人で気楽に、気分の赴くままに巡ることも悪くないということであった。


 一人でなら、他人の意向を酌む必要無く、見たいところ、行きたいところに自由に行けるではないか。


 しかし、とにかく誰かと絡みを持っていたい七瀬は、その提案に首を傾げた。


「うーん。せっかくの修学旅行だから、誰か、仲いい人と回りたいじゃん?」

「でも、仲いい人なんていないだろ?」

「うっ……確かに。それは正論すぎる……」


 痛いところを突かれた七瀬は、梅干しを食べた時のように表情をすぼませた。拳をぎゅっと握りしめるが、結局、その手を握ってくれる人がいないことにガッカリとする。


 学校側は、今回の修学旅行において、二年生の全ての生徒が班に所属するを求める。しかし、それ以外のルールとしては、他の観光客や旅館の人に迷惑になることをしない、社会における決まりやマナーを守ることなど、至極当然のことを定めている。



……では、班に名前だけ入れさせてもらって、現地では班と別行動をしてはどうだろうかと、思いついた。


「じゃあ、七瀬さんがどこかの班に名前だけ入れておいてもらって、回る時は俺と一緒ってのはどう?」



 ルールの穴を突くなら、それが可能であると、ゆずるは気が付いた。決して、同じ班の人と回らなくてもよいと解釈できると思った。



 たぶん、他の班もそういう空気感だった。


 先生からの指導で一応は班を作ってはいるが、いざ当日となったら、自由行動するつもりだという話に、休み時間で参考書を解きながら聞き耳を立てていた。


「え……いいの?私と、回ってくれるの……?」

「いいよ。でも、楽しませられるっていう保証はできないし、おもしろい話もできないけど、それでもいいなら」


 顔も名前も微妙に覚えられていない人と行動するぐらいならば、色々知り合えている七瀬と回ったほうがマシだと考えていた。



 七瀬は、期待に満ちたような、キラキラと輝くような瞳で、ゆずるを見た。

「大丈夫。めっちゃありがたいな」と言った。



「じゃあ、自由行動の時間は、一緒に行動しようね!」


 結局、旅館の同部屋は籍を置いた班の人たちと。各地を回る自由行動時間は、七瀬と共有すると決まった。



 七瀬は、短めの金髪を左右に揺らしながら「楽しみ~♪」と、スキップ混じりに歩みが軽快であった。



 ふと、彼女の横顔を見た。


 見ていると吸い込まれそうな白い肌と、欧米人に特有な顔のラインと鼻の高いところが、美しく感じられた。可愛いなと、素直にそう思った。


 

 しかし、そんな頬には、黒っぽいアザがあった。


 

 そのアザを見て、嫌な記憶が思い出された。


「七瀬さん……」


 絞り出したような細い声に、七瀬は「なに?」と、軽快な声で反応を示した。


「今更だけどさ……ごめんね」



 謝らなければ、いけない。そういう気持ちが先走った結果、七瀬の困惑した表情を引き出したのだった。「なんで謝るの?」と、疑問府を浮かべた七瀬の声で落ち着きを取り戻し、伝えるべき事を頭の中でいったん整理した。


 消えないアザを残してしまったこと、まさにかつての日本の武士の「ハラキリ」……つまりは、断腸の思いであった。


 まずは、叩いてしまったことを謝りたい。



「どうしたの?おーい」


 今度は、頭の中で言葉を整理していたから、沈黙してしまった。七瀬が呼ぶ声で、朝の目覚ましの音を聞いた時のようにハッとして、正しい意識を取り戻した。



 右手の人差し指で、隣を歩く七瀬の横顔を指さした。その指の先には、黒っぽいアザがある。まるで、過去の自身の罪を代わりに語るかのように。


「あの……そのアザのこと……ごめんね、叩いたりして……」



 しかし、絞り出した言葉に、七瀬は「え?」と、少し首を傾げた。


「ああ。このアザは、ゆずるくんに叩かれてできたアザじゃないから、安心して。別に、私は、それについて怒ってもないから、大丈夫だよ」



 さも当然かのように答えた七瀬。その返答が、深い困惑と焦燥を引き出した。


 唇がヒリヒリとして、虫歯でもないのに前歯がじーんと痛んだ。何度も横目で見ても、果てしなく美しかったし、アザは白い肌の深くに刻まれている。


 一体誰が、彼女の美貌を損ねるような暴力を振るったのか。いや、彼女は気を遣っていて、やはり本当は、自分がアザを作ってしまったのではないかと、ゆずるは思考を巡らせて、手に汗を握る。


 しかし、体の芯を震わせる不安は、七瀬自身が次いで綴る言葉によって否定された。


「私のお母さんは、厳しくってね、テストの点数が悪いと、こうやって叩かれちゃうの。めっちゃ痛いんだよ?思いっきり叩くから。酷いよね~」



 頬を自らの手で、軽くぺしっと叩いた七瀬。その声は明るくて芯がしっかりと通っていて、小鳥のさえずりやカラスの声の間に割って入って、鼓膜を心地よく震わせるのであった。



 母が厳しくって、叩かれた……?


 それって、立派な虐待なのでは?




 疑問が「えっ」という単音となって口から漏れ出た。



 これについて、深堀りして聞いてよいものなのか。慰めの言葉を掛けてあげるべきなのか、分からなかった。


 口を糸で縫ってしまったように、まったく閉口して沈黙してしまったゆずるに、「さっきも言ったけど」と前打って、話を続ける七瀬。



――彼女の表情は、どこかぎこちなく、まるで「笑顔の仮面」を付けているようだった。



「これは、お母さんに付けられたアザだから、ゆずるは気にしなくていいよ」



 軽い感じに、アザの真相と家庭環境をカミングアウトされて、ゆずるは、衝撃を受けて言葉を紡げなくなってしまった。


「大丈夫?」と言うのは浅はかだと思ったし、「この前のテストは?」と聞くのも、彼女がそれを聞いてほしいと思っているか否か分からないので、はばかられた。


 かといって、次の話題を引き出せるぐらいのコミュニケーション能力があるわけでもない。ここから話を展開すれば、七瀬の嫌な思いを誘ってしまうかもしれないし、急に話題をすり替えるのも、かえって気を遣わせてしまうのではないかと思う。


 気まずい空気に首枷の鎖を繋がれてしまったゆずるは、得意の沈黙を決め込んでしまった。



 そうやって、沈黙を作っては「社会科のあそこの単元、分かった?」とか、「仲のいい友達とか居る?」とか、七瀬にそれを破られて、そんな彼女が主導する会話を繰り返して、歩いているうちに林を通り抜け、七瀬の家に到着するのである。


 七瀬の家のほうが学校から近くて、「またね」と言って、門をくぐって、玄関の向こうへ消えていった。


 門があるなんて、けっこうお金持ちの家なんだろうな。自分の家には、門なんてないし、広々とした庭も、ガレージみたいなところもない。



 彼女の家から、沢を跨いで、また2分ぐらい歩くと、ゆずるの家である加賀美家へと到着するのである。


「ただいま」



 母に告げた帰宅の挨拶は、いつもよりも暗く、声が低かった。

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