634±1
すゞな すゞしろ
せり
僕は町から消えた。随分と大胆な物言いだねと相手は苦笑するはずだが、実際そうだから対応に困るだろう。まあ、そもそも消えてる時点でその心配はないかと、渇いた笑いをあげる。
縁石の上を体をうまい具合に体を傾けながら、バランスをとっていた。当然、子供じみた行動を咎める人物は一人としていない。
すると突如、何かが僕の足をすくった。生ぬるい風が隣を猛スピードで通り過ぎていき、体制が崩れる。痛む腰を抑えながら道路の奥の方を睨むと、数分前に僕を無視したバスが走り去って行くのが見えた。
なぜだか敗北を覚えて、空に舌打ちをする。目線の先には雲を喰らうかのように佇む山が、僕を見下ろしていた。映画とかなら最低限、曇り空になってもいいムードなのだが。
「天気も消えた奴扱いか」
唯一僕を含めて平等に世界を見つめる太陽からは、暖かさを超えた過保護な暑さが肌をひりひりと刺激する。そして、掲げた手の傷が胸をざくざくと刺していた。
背中には夕日が暖かく僕の背中を包んでいる。ここに来てもまだ、落ち着けないのは初めてだった。気づくと、背後にはいつの間にか、ある人物が立っていた。
その人物は優しく声をかける。けれど、今の自分には全てが嘘のように思える。
「なんだよ、それ。分かったつもりで」その人物は違うと否定するが、続けて僕は「意味わかんねえよ、お前」と声を漏らす。
それから数秒の静寂があって我に帰り、口を抑えながら背後を振り返る。その人物は僕を見つめていた。怯えるようでありながら、失望したような顔だった。
するとその人物は背を向けて走り出した。
「待って!」
手を伸ばして追いかける。けれど、その手が届くことはなかった。
……何時間歩いただろうか。顔を上げると、鬱蒼たる木々が立ち並び、鬱陶しいほどの綺麗な青空が広がっていた。
木々から頭一つ抜けた電波塔が等間隔に並んでいる。いくつもある電波塔は未だに稼働しているものが多く、見えない何かを発している。そして電波塔の横を通るたびに、僕は人とは違う映像を受信してしまう。
電波塔の真下に立つ兄は大木のように電波塔に手を当て、耳をぴったりとくっつける。僕に向かって何かを話しているようだが、音は一切聞こえてこない。
もう少しだな。いつもなら風に運ばれる言葉も、今は胸の中に潜んでいる。
長かった坂道が終わり、平坦な道に差し掛かったところで目的地が見えた。
地平線と並行に佇む、小さな石造りの鳥居。大半にヒビが入っていることもさながら、周囲は雑草が生い茂っており、それこそ人々の記憶から消えたような景観だ。
『何でも叶えてくれる』
とある人物の言葉が頭の中で渦を巻く。言ってしまえば全ての神社に神社に当てはまるような綺麗事。そんな出鱈目にすがっている僕は愚かに違いない。
数段上がって鳥居を潜ると、涼しい磯の香りが目を乾かす。目をこすりながら視界を確かにする。子供に目線を合わせるように、腰を曲げて祠を見つめる。
両手を合わせ、目を閉じ、深呼吸をする。暗闇に包まれ、磯の、懐かしい香りが脳を麻痺させる。この瞬間だけ、自分が幼少期に戻ったように思えた。
吸った息を吐き出しながら、願いを脳内で反復させる。あの時の光景が映し出され、後悔が流れ出す。僕にはそれをせき止めるものがなかった。中途半端な願いが口から発せられる。
「 願いを叶えて」
あれから時間にして一分ほど目を瞑っていただろうか、視界はぼやぼやと曖昧で、尚且つ眩しい。聞こえるのは風が木の葉を揺らす音だけで、当然人の声なんてしない。
何を期待したんだろう、茫漠としたやるせなさが包み込む。解けた両手は汗で滲んでいた。
なるべく何も考えないように、石の割れ目を目でたどりながら階段までたどり着いた。……これで最後。重い息を吐きながら、絡まった糸を一気に切るように左足を下ろす。もう片方と、右足を浮かせたところで、踏み出した右足に何かが覆い被さった。
白いリボンに黄色いひまわり。風の落とし物のような麦わら帽子を手に取る。縫い目がほころびており、随分と年季が入ったものだった。
人もいないのにどこからかと疑問を持ちながらも、目立つ場所にでも置いておこうかと思い、僕は再び祠の方向を向いた。
信じがたい、光景だった。けれど目は確かに捉えていた。祠の前でしゃがむ一人の姿が。
彼女は手を頭の上で組み、目を必死に瞑る様子は蹲っている方が近いかもしれない。それから、ゆっくりと腰を上げ、祠を見つめていた。僕はその光景をフィルムに焼き付けるかの如く見つめる。
名残惜しそうに目を細め、彼女は体を捻る。ひらりと舞う上着がスローモーションのように目の前で再生されている。文字通り、目が離せない。
青空にマッチする白い服装からは、触れれば折れてしまいそうな手足がのぞく。顔は小さく、髪は弦のようにストレートに肩まで流れている。まさしく凛という言葉が似合う姿。
そして、その印象を和らげるような、大きくてくるりとしたヘーゼルナッツ色の目。その目が僕を反射して映し出す。
彼女だ。
「え」
ぽつりと落としたような声が耳に届く。目元が熱いが瞬きができない。
「き、キグウだね」
彼女は苦笑いを浮かべながらカタコトに言葉を発する。普通を装うその言葉は、場を和ますには不器用すぎて、当然僕も普通を装うことはできなかった。
千鳥足になりながら後退りを続ける彼女の方まで、なんとか近づく。そうして震える手で頬っぺたに触れた。頬っぺたはほんのりと赤みを増し、手には温かみを感じる。
「え、あの。え?」
彼女の声で我に返り、急いで手を離す。そうして地面に膝をついて頭を下げる。
「ごめん」
「……はい?」
二人で並んで歩くのは久しぶりなもので、今いち距離感を掴めない。ここにいた理由も受験祈願などという見え見えの嘘で誤魔化した。案の定、
「聞いてる?」
突然、視界に顔が飛び出したせいで身体が自然にのけぞってしまう。首を曲げて顔を覗き込む六華は憎むにも憎めない笑みが浮かんでいた。
「きいてるきいてる」
言葉だけは平然を装っていたが、茫漠とした不安に飲み込まれそうになっていた。一体、あれをどう思っているのか。彼女を一瞥すると、嬉しそうに手に映る木々の影を見つめていた。悪く思ってたら、今頃殴られていただろう。けれど本音はとか……不甲斐ないぞ、僕。
思いあぐねながら隣を見ると、そこは既に空席と化していた。急いで周囲を見渡すと、小走りでかけて行く少女が見えた。
道端の古びた看板には、このさき観光スポットと書かれている。片手でことが足りるほど少ないこの町の観光名所の一つ。片手からは海がみえ、もう片方からは町並みが見える。兄とよく来た、思い出の場所だ。
「走らないと、絶景は逃げるよ!」
こちらを振り返り声をあげる姿はとても高校生とは思えない。しかも来年で成人だというのに。昔の大人びていたあの少女はどこに消えたのだろうか。
「逃げねえよ」
そう言い捨てて、六華の背中を追いかける。
近くのロープウェイ乗り場から新聞を頂戴した。かと言って読む気はさらさらなく、ベンチに座って自身の目線をガードしつつ六華を見ていた。照れ隠しと言われれば、認めざるを得ない。正直、隣で景色を眺めたい。
「三久斗は東京に行くんだよね」
「え、あ、まあそう」
唐突に話を振られて、つい空返事してしまう。そんな様子を気にすることなく、六華は遠くを見つめながら話を続ける。
「両親はどうなの」
「両親は……全くだよ、ほんと。代々の家系なんかを立て前にしてくるし」
耳を塞いで「あー」と聞こえないアピールをした。そんな様子を見て微笑む六華の姿に、一安心する。
「代わりか。わたしはどうしましょうね」
六華は再び目線を遠くにやり、他人行儀のように発した。
その言葉を僕は拾いきれなかった。いつもなら軽くかえせたはずなのに、口の中はゴーヤを食べた時のような苦味が広がる。
甘い考えが脳を埋め尽くしていく。それを唾と合わせて一気に飲み込む。
「どうにかなるよ」
「やっぱそう思う?」
「安心しな」
「え……いきなり男前」六華は怪訝な目で見つめ、座る僕の頭をポンポンと叩く。「おかしいって、ほんと誰?」おそらく別人と思われているだろう。おかしなことに、自分でも言った台詞に笑ってしまいそうになった。
結局、僕が出来ることはこんな声がけくらいだった。だからこそ、六華には気づかせないように、もう傷つけないように。普通を演じ切るしかない。
「ここまで歩いてくるとは、バカだね」
「すごいで……え?」
てっきり驚きがくると期待していたが、反応はほぼ真逆だった。呆れた顔をしながら渡される缶ジュースは、手のひらを通り越しておでこに到達する。
「頭を冷やせ」
ありがとう、と礼を伝えながら改めて缶ジュースを受け取る。部活動にも入っていないので体力に自信があると言えば嘘になる。けれど驚いたのは、六百メートルも登り切った自分だけらしい。
「今日の三久斗は変」
「そうかもね」
「あんなにバカにしてたのに、お祈りごとなんて……」
神頼みですか、と続ける六華は少し嬉しそうにも見えた。六華は根っからのオカルト好き、というと怒るので伝統を重んじる少女と呼んで呼んでいる。この山の麓にある神社を代々受け継いできた家系である僕よりも、歴史やら作法やらに詳しい。
目の前の絵馬が風に吹かれて音を立てる。わずかな檜の匂いが幼い頃の記憶を彷彿とさせる。確か、小学生の頃は一緒に手伝いとかしていた。昔の僕は、ここまで捻くれてなかったか。
なるべく人目には付くことは避けたい。そう思いながら待合室から降りると、見慣れない機械があった。チケットを入れると、金切音を上げながら扉がゆっくりと開く。ロープウェイの外見は全体的に色が抜けており、サビが全体をセピア調に仕立て上げていた。
それと、いつもいるはずのガイドの女性はいなく、乗り込むと自動で動き出した。今まで見たことないシステムなのだが、機械には年季が入っていた。
「今日はいないんだ、あのばあちゃん」
「前に乗った時はもうすぐで還暦とか言ってたよね、引退じゃない?」
言われてみれば、以前乗った時に話してくれた気がする。いつだったか……肘をつき、薄汚れた窓から景色を見ながら考えるが、いまいち結論は出てこない。そんな景色を潰すかの如く手が現れ、ゴンドラが左右に揺れる。
「危な!」
「本当は何祈ったのよ」
六華が窓に壁ドンをかまし、子供が欲しいおもちゃを見つめるようなきらきらとした目でこちらを見つめる。動揺を隠しながら、横目で六華を確認する。まずいぞ。再び嘘をつこうとするが、さっき何を言ったか思い出せない。一般人なら何を祈るんだ。
「健康」
「さっきと違う」
「スポーツ」
「部活動に入ってないでしょ」
「富とか名声」
「海賊王?」
悪化に悪化を重ねてしまった。どうするかと悩んだところで、あの時の六華は何を祈ってたのかという素朴な疑問が浮かぶ。ゴンドラ乗り場を目視し、間は稼げると確信した。
「んじゃ、六華は?」
思ったよりも力が入り、声が響き渡る。数秒の沈黙の後、ゆっくりと窓にあった手が離れ、再びゴンドラが左右に揺れる。背中を丸め、膝に両手を乗せ、明らかに視線を合わせようとしない人物が、いつの間にか対面して座っていた。
「それは、内緒だよ」
ゴンドラは小さく揺れて到着を知らせる。
六華は先に帰っててと言ってゴンドラ内に残っていた。何を祈ったのか逆にこっちが気になってるじゃないか。扉が開くと出迎えてくれたのは慌ただしい蝉の鳴き声だけだった。スタッフルームを一瞥するが、そこには女性ではなく白髪混じりの男性がいた。
自動販売機で飲料水を購入する。今日はやけに喉が渇くと思いながら、受け取り口に手を伸ばしたところであることに気づいた。
一つは人と話したのが数日ぶりなこと。もう一つは数日前の記憶。右手にはそれを象徴するような傷があった。あの時の彼女の表情が浮かぶ。自分の言ったセリフが頭の中で再生されて耳鳴りを起こす。
「あれ、待ってたんだ」
唐突に六華の声が聞こえ、急いで右手を背中に隠す。
「喉、乾いちゃっ、てさ」
それから、なんとか動揺を誤魔化して別れを告げた。小さくなっていく六華の背中が見えなくなるまで目で追う。もう一度会えるよなと思案して目を背けた。そばに居たいが、町での扱いのことで迷惑をかけるわけにもいかない。
家に帰ると相変わらず裏口が開けっぱなしになっていた。裏という名前だが、この数日間は玄関の役をかってもらっている。最初の方は音を立てまいと忍足で移動していたが、側から見えてないんじゃ意味がない。ただいま、と虚空にあいさつをした。
リビングを訪れるとラップがされた料理が寂しく置かれていた。またか、と思いながら椅子に座る。最大限の配慮なのだろうが、それにしても食事だけとなると少し心が痛む。誰かの存在が欲しいのに、存在を認知するほど苦しくなってしまう。
「いただきます」
味はまあまあ、最近の楽しみは日を跨ぐたびに味が良くなるこの料理だけだ。
邪魔にならないよう、食器を洗ったあとはすぐに部屋にもどった。携帯電話で今日の日付を見ながら、いつまで続くのだろうとため息をつく。
消えたのだから話しかけられないのは当然なのだが、知り合いについては姿も見えなくなった。おそらく自分がそちら側なら賢明な判断だろう。それなのに。
「六華……か」
この展開は予想していなかった。果たして、どんな目を向けられるのだろう。想像するだけで吐き気がしてくる。とりあえず、明日に関して外出はやめておこう。
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