第38話 痕跡

「……久しぶりね、マカロンさん」


まるで少女に戻ったような仕草で、カレンさんがマカロンさんに声をかけた。


「驚いたな……カレン、綺麗になって……ははは、見違えたなぁ」


マカロンさんが手を広げると、カレンさんがハグをした。

二人は古い知り合いなのだろうか……。


「悪いな、カレン……巻き込んでしまった。他に良い方法が思いつかなくてな」

「いいの、頼ってくれて嬉しい。マカロンさんに少しでも恩を返せるんだもん」


「恩なんて、俺は当然のことをしただけだ」

「その当然ができる人って少ないのよ」

「そうか……ははっ、昔の俺に感謝しなきゃな」


優しく笑い、マカロンさんが「それでどうだった?」と尋ねる。


カレンさんは、慎重に言葉を選びながら、調べた結果を伝える。

ひとつ、ふたつと言葉を重ねるたびに、マカロンさんの顔が曇っていく。


すべてを伝え終わると、マカロンさんは厨房の椅子に腰を下ろし、頭を抱えていた。


「そんな……」


「マカロンさん、オーナーに相談しましょ?」

「そうです、不本意ですが……支援を受けている芸術家の方達にも話を聞いておかないと」


私とカレンさんが言うと、マカロンさんは力なく顔を横に振る。


「知らないんだよ……」


「え?」

「そんな……どういうこと?」


「いつも使いが来る。売上もその使いに渡す。食材を買う金は使いが持ってくる。俺は料理を作り、客に提供するだけ。オーナーの名前すら知らないんだ……」


マカロンさんの言葉に、私とカレンさんは言葉を失う。


「じゃ、じゃあ、その使いの人に言えば……」


「恐らく伝えてくれるとは思う、だが……次に使いが来るのは月末だ。それ以外に用事があるときは事前に手紙で報せるんだが……それじゃ間に合わない。約束は来週なんだよ……」


来週、あと三日か……。

三日でオーナーに連絡を取り、犯人を捜すのは無理だと思う。

仮に犯人がわかったとしても、オーナーの支援する芸術家だった場合を考えると……。


「参ったわね……」

「でも、考え方によっては、あと三日猶予があるってことです! 諦めずに、何かできることからやりませんか!」


カレンさんとマカロンさんが驚いたように私を見る。


「ナギ……」

「ナギちゃん……。そうだね、落ち込んだって何も変わらない。やるだけやってやるさ」


膝を叩いてマカロンさんが席を立った。


「オーナーに手紙を書いてみる」

「あ、じゃあ、店内を見せてもらってもいい?」

「ああ、スタッフにも協力するように言っておくよ」

「うん、わかった」


マカロンさんはコート掛けから帽子と上着を取って羽織る。


「行ってくるよ」

「頑張ってね」

「行ってらっしゃい」


私とカレンさんは、厨房を出るマカロンさんを見送った。


「さてと……どうしよっか?」


あの絵、気になるよなぁ……。


「私、ちょっと店内を調べてきてもいいですか?」

「ええ、じゃあ私は厨房を調べてみる」


「クラモ、行こう」

『クァ』


私はクラモを頭に乗せようと思ったが、これでは目立って仕方が無い。

そこで、クラモを抱きかかえることにした。


「我慢してね」

『……』


少し不満げなクラモだったが、抱き心地はふかふかで気持ちよかった。



 * * *



「結構、お客さんいるね……」

『……』


小声でクラモに話しかけながら店内を歩く。

スタッフさんの邪魔にならないようにしなきゃ。


やっぱり、素敵なレストランだ。

いいなぁ、いつかみんなで来てみたいなぁ……。


ざっと見た感じ、特に違和感はなかった。

スタッフさんの中にも、挙動不審な人はいない。


となると、気になるのは……だ。


壁に掛けられた絵を順に見ていく。

たしか、赤と黒で描かれた街並みだったような……。


そう思って見上げた絵に、思わず息を呑む。


「すごいわ……」

『クァ?』

クラモが首を傾げた。


「私も絵は素人だけど、なんとなく、この絵ってちょっと悲しくて、でもどこか温かいっていうか……」


「それ、最高の褒め言葉です……」


女性の声に驚いて振り向くと、明るい赤のワンピースに身を包んだ若い女性が立っていた。年は私とさほど変わらないくらいだが、ぴんと伸びた背筋と芯のある眼差しのせいか、すごく大人っぽく見える。


「私が描いた『日暮れの街』なんです。できるだけ私の大好きな王都の日常を詰め込んだつもりなんですよ。お客様にもそう感じてもらえて、とても嬉しいです」

「えっと、失礼しました。私はナギと言います。今、お店の調査でお邪魔してまして……」


「ええ、マカロンさんから聞いています。私はリリーと申します」

リリーさんは優しく微笑んだ。


「素敵な絵ですね」

「ありがとうございます。私にとってもこの絵は特別なんです」


リリーさんは少し俯いた。


「きっと、二度と描けない絵ですから」

「……どうしてですか?」


「それは――」

リリーさんが言いかけた時、ふと絵から違和感を感じた。


「あれ?」

私は絵に顔を近づけてじっと見つめた。

この部分だけ、顔料が削られてる……?


「リリーさん、この顔料は、ご自分で作られたんですか?」

「ああ、黒の部分ですね……。それは師匠が残してくれた最後の顔料なんです」

リリーさんが、懐かしむような表情を浮かべる。


「最後の……」

「ええ。ロクジュソウといいます。昔は絵師たちがよく使っていた顔料だと聞きましたが、今ではこの顔料を作られる職人さんがいなくなってしまって……。だから二度と、この絵は描けないんです……」

リリーさんが寂しそうに微笑む。


「この絵に使った分で、師匠の顔料は底を突いてしまって。だからこそ、想いのすべてを込めて描きました」

その言葉を聞いて、私は胸が締め付けられるような気持ちになった。


「そうなんですね……」

「その想いをこうして理解してくださる方がいる。本当に、本当に幸せです」


『クァー』

クラモが嬉しそうに鳴いた。私もその気持ちがよくわかる。


「他の絵も素敵ですよね?」

「はい、今はあそこにもひとつ、そしてカウンターの上にもひとつ。どれも仲間が描いたものです」


「みんな若い方が描かれたんですか?」

「ええ、オーナー様が私たちのような若手芸術家を支援してくださってるんです。機会をくださるだけでも感謝なのに、ちゃんと報酬まで……」


「オーナーさんに会ったことは?」

「いいえ、お会いしたことはないんですけど……。支援を受けるようになってから、毎日が夢のようで」


その時、リリーさんの友人らしき男性たちが入ってきた。

若手の芸術家仲間のようだ。


「リリー! 新作ができたぞ! 見に来てくれ!」


「すみません、絵の相談があって……」

「あ、お気遣いなく。ありがとうございました」


「こちらこそありがとうございました。また、ゆっくり見に来てください」


リリーさんが友人たちのもとへ向かう。

その後ろ姿を見送りながら、私は確信めいたものを感じていた。


心からの感動を、こんなにも素直に表現できる人が、食中毒事件なんかを起こすはずがない……。それに、彼女たちがこの恵まれた環境を自ら壊すとも思えない。


『クァッ』

「うん、私もそう思う」


誰かが、この絵からロクジュソウの顔料をのだ。

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