予想できていたコトと、予想できなかったコト

 湊の拳が空気を薙いだ。

 文字にすれば格好いいが、要するに攻撃を外したということである。

 大ぶりのパンチは軌道が読みやすい、などと聞いたことがあるなぁ、と俺は腕を組んで頷いた。



「――ッ!」



 鋭く吐かれた息を噛み潰し、浅間さんは反撃を放つ。

 ちょうどクロスカウンターの形だ。

 顔面に拳が入った湊は、さすがに耐えきれなかったのか後ずさった。



「きゅぅぅぅぅぅ」

「え?」



 ばたん。

 湊はそのまま倒れる。



 自分の手をしげしげと眺めた浅間さんは、「え私って相手を一撃で倒せるくらい強かったですっけ」と困惑していた。

 さもありなん。



 俺達三人は当然のことであると状況を見守っていた。



「――え、えっと……浅間さんの勝ちッス!」



 浅間さんと同じく困惑した様子の命は、それでも自分の職務を全うしようと勝敗の宣言をする。

 どうにも納得のいかないような表情だったが。



「なァ拓馬」

「どうした夜宵」

「うーん……いや、喧嘩を提案したあたしが言うのも何なんだケド、ちょっと想像してたのと違うからサ」



 夜宵は消化不良みたいな顔で髪を指に絡ませた。



「妙義派のリーダーはめちゃくちゃ弱いからね」

「それにしても……うーん、いや、そうなんだ」

「悪いね赤城さん」


 

 やはり飲み込めない彼女に、千明が軽く謝罪する。

 向こうでは日向がダウンした湊を引きずっていた。

 何とも言えない空気のなか、次の戦いが始まろうとしている。



「じゃあ次はボクの番ッス」



 前髪から覗く瞳を輝かせて、命が胸を張った。

 張ったところで膨らみは小さい。

 


「拓馬クン、あの人は強いのか?」

「命さんか……うぅむ」



 漫画の知識はある。

 あるけれども、実際に目にしたことはなかった。

 断言するのも怪しいため、俺は口ごもるしかない。



 そこに助け舟を出してくれたのは日向だった。

 彼女は以前に命さんの喧嘩を見たことがあると言い、



「強いか強くないかで言ったら……強くない」

「うちでいうところの湊ポジションか?」

「強くないんだケド……勝てない」

「勝てない? どういうことだよ」

「不死身って表現したらいいのカナ。もちろん私は命さんと喧嘩したことはないんだけど、傍から見てるととにかくしぶといんだよ」



 日向はある種の恐怖を感じていそうな表情で体を震わせた。



「……あー、じゃあどうする? 私が行くか?」

「いや赤城さんと私が戦うのはさすがに無理だ」

「りょーかい。あの命さんとやらは日向に任せたぜ」

「任されたくねェな……」

「んな肩落とすなって」

「落とすだろうよそりゃ」



 彼女は眉をしかめて、のろのろと歩いていく。

 待っていた命は意外そうに首を傾げた。



「……おや、高岩ちゃんじゃないッスか」

「私のこと知ってるんですか?」

冴巻高校サエコーのスパイだって追放された人ッスよね」

「……すんません」

「別に怒ってないッスよ」

「え?」



 日向はぽかんとする。



「赤城さんだって面子メンツのためにしただけッスから。だって高岩ちゃんは赤城さんのコト大好きでしょう? 自分のことを好いている人間を嫌うなんて、普通はないッス」

「あ、あざす?」

「でも喧嘩となったら話は別ッスよ。わざと負けるとかあり得ないッス。手抜きなんて赤城さんが一番キライなものッスからね」



 命は足を肩幅に開いて構えを取った。

 遅れて日向もファイティングポーズを取る。

 


「さぁ行くッスよ――!」



 苛烈な突撃。

 大きく踏み込んで、一瞬にして距離を詰める。

 接近された日向は表情を真剣なものにし、腰のひねりが入った拳を繰り出した。



 空気をかき分け命が進む。

 風に前髪は吹きすさび、普段は露出しない双眸があらわになった。

 それを存分に見開き、ギリギリで拳に当たらない距離で、なお詰める。



 おそらく体の小ささゆえであろう。

 しかし、接近されたほうは精神的な圧力が凄まじいようで。



「……ッ!」

「空いてる方の腕で攻撃しようって? 甘いッスよ」

「ぐはっ……!?」



 歯を食いしばり日向が吠える。

 声にならない声で空き手を攻撃に。



 けれども虚しい反撃であった。

 命はそれすらも回避し、速度が十分に乗った当身を食らわせる。



 思わずといった様子でよろめいた日向は、攻撃を加えるのに最適だった。命は口の端を裂き、踏み込むと同時に拳を振るう。



「ハッハッハッハァ!!」

「クソ……ッ!?」



 肉を叩く鈍い音。

 哄笑する命の姿は、あるいは悪魔に見えたかもしれない。

 晒された瞳孔は開き、乱打は止まらない。



 俺の隣に佇む千明は、興味深そうに顎をさすった。



「へぇ……私と同じか・・・・・



 けれども、いつまでも攻撃を甘んじて受ける日向ではない。

 彼女は迫りくる拳を認めると、逆に自ら突っ込んでいく。

 


「ダメージを減らしたッスか……!」

「ずっとやられてる私じゃ、ないんで、ねッ」



 体格差というのは圧倒的なものだ。

 それが喧嘩ともなれば、なおさらに。

 頭上から叩きつけられた拳骨は、命の額にもろに入った。



「――なっ」



 だが、彼女は止まらない。



 目を閉じることもなく、攻撃がどこに来るかを正確に予期したのだろうか。

 意趣返しのように前に動いた命は、口から漏れ出る笑いをそのままにして、額で攻撃を受ける。



「ボクがこのままで終わるって!? つまらないなァそれじゃ! もっと楽しませてみろォ!!」

「化け物かよ――ッ!」



 これが鳴神なるかみあきら

 不死身と言われる所以ゆえん



 俺は熾烈な喧嘩を前に、唾を飲み込むことも忘れて見惚れていた。

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