ガラス玉

石川絢麻

苛まれる心

何が嫌になったのか、何が怖くなったのか、何が原因で何もかもが嫌になったのか、自分でもよく解らなかった。

いや、本当は解っているのかもしれない。

目を逸らしている自分が居ることも。

幾つもの感情に苛まれて、まともな思考回路ではない。

そんな自分でも取り敢えず解っていることは、自分が生きることに意味を見出せなくなったこと。

これだけは確かに解った。


ここから身を乗り出してみたら、宙を飛んでみれば何か判るだろうか。

山の崖沿いにあるガードレールから下を見下ろすと、それなりに結構な高さだった。

強い風が私の髪をさらりと揺らす。

飛び降りなら後腐れなく、怖気付くこともなく死ねるかな。

そっと、私はガードレールに身を委ねた。

とその瞬間、誰かがこちらに向かって走ってくる足音が聞える。

驚いた私はビクッと体を震わせ、足音のした方へと振り返る。

その瞬間、視界にその誰かが入る前に、腹部にドスンッとした重みと圧を感じた。


「お姉ちゃん、よかもん、もろうたっ!!」


腹部等へんで声がした。

暖かい、幼い妹の声。

思わず私はしゃがみ込んで、妹に目線を合わせた。


「へえー、よかね。」


妹の持っていた赤く透明な玉見て、私はふっと微笑んだ。

私たちの住んでいるこの島では、ガラス細工が名物だ。

お土産として、島に来た観光客にも人気がある。

ガラス細工で余ったガラスで作られた球体の多色の玉、それがガラス玉だ。

そんなガラス玉を、私たちの祖父と祖母が島の職人として作っている。

嬉しそうにガラス玉を握る少女を見つめ、私はふっと息を吐く。


「あ、お姉ちゃんとツバサくんのも、もろうたんや。」


妹はそう言うと、私の手に二つのガラス玉を落とした。

橙色と水色のガラス玉、私とツバサ。

ガラス玉はこの島では、お守りとして大事にされており、1人1個は持つようなものだった。 今貰ったガラス玉もそうだ、祖父と祖母が新しく新調してくれたのだろう。

今持っているのは度々落としたりしてヒビが入っていたので丁度良かった。

私はその二つのガラス玉を握り、


「そうか、あいがとうな。ばっちゃんにお礼ゆわんばいかんね。」


立ち上がり言って、そっと妹から離れた。自分の考えを妹に悟られていなくて良かった、と思いながら。

そんな私を気にも止めず、妹は、


「お姉ちゃん、これな、日にかざすときれいなんでん。知っとった?あと、ガラス玉って風ば起こすっらしいばい!人ん死にそうになっとー時に島ん神様ん風ば使うて助けてくるんっとたいってね。ばっちゃん言いよった。うちゃ、信じられんばってんな。お姉ちゃんなそん話信じっ?」


無邪気に島に伝わる伝承のことを口にする。

その伝承、今の私にはあまりに酷やわ。

そう私が心の中で答える前に、


「あ、本当や、がばいきれいっ!」


妹はガラス玉を西の方角に翳しては喜んでいた。 夕日に翳されたガラス玉は、より一層強く赤に染まる。


島の神様、風の神様、名前も知らない神様。 風を司る島の神様は、ある日この地に降り立ち、住んでいた人間たちに色々な色を纏った透明な円い玉 を授けた。するとその玉が光り強い風を巻き起こし、荒地だったその土地が生命を宿した。 こんな言い伝えが島にはあり、島の皆は島に神が居ることを信じ、信仰しているのだった。


夕日の強い赤は、アスファルトに影を落とし赤く染めた。

その様子を見て、より一層喜ぶ妹。 そんな妹に水を差すように、帰宅を促すチャイムが鳴る。


「あーあ、帰らんばいかん。」


妹は残念そうに言うと、ガラス玉から私に視線を移した。


「帰らん?お姉ちゃん。」


駆け寄ってきて私の手を引っ張り、妹は言った。

まだ帰りたい気分じゃなかった。

いや、気分とかじゃない、帰りたくなかったのだ。

正確には、帰るという選択肢は私の中には無かった。


「お姉ちゃん、まだ帰りとうなかんだー。ごめんばってん、アオイちゃん、1人で帰れる?」


私は妹の頭を撫で、そっと背中を押した。


「えー、うち1人で帰ると?………あ、もしかしてツバサくんと会うとじゃろ?うーん、分かった!うち1人で帰るけん、お姉ちゃん早う帰って来んしゃいね。」


少し渋りながらも了承したアオイは私に背を向けて行ってしまった。


私はふっと息を吐く。

今度は安堵の溜め息じゃない、自分への落胆の溜め息だった。

あまりにも、妹と自分との間に明確な差が出来ていることに気付いたからだ。

良いなあ、あんな風に気負わずに生きたい。

何故私は妹のように、あんな風に小さなことで喜べないのだろうか。

命の尊さを知りながら、自分の生きる意味を見出せず、生きることから逃げ出そうとする自分はきっと駄目な人間なのだろう。

アオイの後ろ姿の残像を見つめながら、自分の不甲斐なさ、生きることの下手さに、ふと涙が込み上げてきそうだった。

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