二番目がいい

清沢ネロ

紫の男(1)

 「じゃ、僕と遊ぼうよ。」


 人生で初めてできた彼氏と別れたばかりの私は、学生時代のバイト先のドラッグストアで買い物がてら、かつての同僚の林藤さんに失恋の報告をしていた。

 私より三歳年上の彼は、薬剤師でありながら、更なる自身のレベルアップのため歯科医を目指して歯科大に通う現役大学生だ。

 少し大人な人気俳優に似た顔、細身で高身長、柔らかい声に落ち着いた話し方。

 愛車は高級車。

 これぞ完璧な、ザ・モテ男、だ。

 だから、爽やかが服をまとったようなその出で立ちで「女の人はみんな誘わないと失礼じゃない。」とイタリア人のようなセリフを吐き、本当に女性であれば誰彼かまわず声をかけていても、そういうものかと納得してしまうのである。

 彼がバイトを始めてから半年ほどで私は就職のため退職したのだが、家の近所のドラッグストアのため、彼とは交流が続いていた。

 平日夜の客のほとんどいない店内で世間話をしたり、休日の彼の休憩時間に合わせて、近くのファストフード店でちょっと一緒にお茶を飲んだり。

 私にない知識を山ほど持っている彼の話は面白く、くだらない私の話も真剣に聞いてくれる彼との時間は楽しかった。

 でも、私には彼氏がいたし、和製イタリア人の彼と私は遠い世界の人間で、一生交わることはないと思っていたので、恋愛感情を抱いたことなんて一片もなかった。


 だけど、自分が思っていたより失恋のダメージは大きかったのだろうか。

 それとも、彼も最近、結婚を考えていた彼女と別れたと人づてに聞いたからだろうか。

 いつもは受け流すその言葉に、その日は。

 「いいよ。」

 了承してしまった。

 言った途端、後悔した。

 まずい、否定しなければ。

 彼の言う遊ぶ、はそういうんじゃない。

 大人の男女の関係だ。

 わかっていながら結局、断れなかった。

 彼のバイトが終わる時間に、私の家の近所で待ち合わせをした。


 午後十時過ぎ。

 メイクは控え目に、洋服は年上の彼に合わせて少し大人っぽく。

 私は待ち合わせ場所に来た彼の車の乗り込み、食事はどうするか聞かれたが必要ないと答えた。

 このまま突き進まなければ、帰りたくなってしまう。

 帰りたいと言えば彼は笑いながら「しょうがないね。」と言って、近所を少しドライブして、家まで送り返してくれるだろう。

 でもそうはしたくなかった。

 いつも笑って、どんな言葉も受け流して、決して否定はしない。

 そんな彼の、ほんのちょっと深いところを、知りたいと思ってしまった。

 少しだけ、私に似ていると思ったから。


 マンション街にある、私もマンションですが何か?とでも言っているような、だけど決して擬態しきれていないラブホテル。

 近所ではいちばんお洒落なホテルで、私も何度か利用したことがある。

 部屋に入った私は緊張をなるべく隠すように、いつも以上に饒舌だ。

 彼にバレていないわけなんてないけれど、精一杯、虚勢を張る。

 初めてでも、そんなにご無沙汰でもない。

 それなのに、何をしていてもいたたまれない。

 「先にシャワー浴びてくるね!」

 とりあえず洗面所に避難し、素早くシャワーを浴びる。

 何をどこまで付けるべきか悩み、無難にショーツとブラジャーの上にバスローブを羽織る。

 

 部屋に戻ると、彼はベッドでくつろぎながら夜のニュース番組を見ていた。

 「お待たせ。次どうぞ。」

 声をかけ彼を見送り、ソファに腰かけた。

 今日の株価を告げるニュースは、私が見ないチャンネルのものだった。

 知らないアナウンサーの声を聞きながら、ぼーっとテレビの画面を見つめる。

 極度の緊張の反動からか眠気に襲われかけた時、彼が部屋に戻ってきた。

 「何してたの?」

 少し濡れた前髪の彼が私の隣に座り、顔を覗き込んだ。

 「え?テレビ……」


 あっという間に唇が触れていた。

 さすが和製イタリア人。

 私は目を閉じ、彼に応じる。

 彼の唇は、やけにひんやり冷たかった。


 たっぷりキスをしたところで、ベッドまでお姫様抱っこで連れて行かれる。

 するすると、流れるように。

 ほんの少し、探るように。

 私たちは言葉も交わさず、ただ触れ合った。


 百戦錬磨の彼からしたら私なんて、チョロいもんだろうな。

 今、何考えてるのかな。

 彼は気持ちいいのかな。


 フル回転していた思考もだんだんぼんやりとしだし、昂っていく。


 彼を受け入れ、ふと天井を見上げると、そこから繋がっている自分たちを見つめているような感覚に陥った。

 まるで幽体離脱でもしたように。


 ワタシハナニヲシテルンダロウ?


 一気に現実に引き戻される。

 彼の息遣いが、熱が、確かにそこにあった。

 それなのに、私は最後まで、何も感じなかった。


 他愛ないおしゃべりをしながら、家まで送り届けてもらった。

 「ありがとう。じゃ、またね。」

 そう言って、私は車を降りる。

 いつもの、友人同士の別れ。


 結局、彼のことは何もわからなかった。

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