チート・ロワイヤル

綴谷景色

プロローグ

第一話 人の形をした化け物

「血潮は水銀、心は黒鉄くろがね

 

 時は十八世紀。家々が立ち並ぶイギリスの貧民街でのこと。


「その肌は冷え、まるで温もりの欠片も無い」

 

 月も眠る深い夜、音が無くなったと思わせる程静かな中で少女は呟く。周りに比べ一際大きな家の屋根に立ち、独り言ちるように。


「趣味、趣向、躊躇い、慈悲、思いやり、慈しみ、迷い、恐怖、感情、道徳……一般的な人間が持ち得るものはすべて削ぎ落とした」


 歳は十四程、背丈は小さく華奢な体。闇より濃い黒髪は肩まで伸びており、纏っているのはゴシックスタイルで漆黒のロングドレスだ。

 顔立ちは整っており、衣服と相まって一見可愛らしく思える。が、スカートに入ったスリットから、銀のナイフとそれを留めるため右太腿に巻いたベルトが確認出来て、どこか不穏。また、暗闇であまりに目立つ真っ赤な瞳には一切の光が宿っていない。


「私が持っているのは、殺す技術のみ」


 彼女はベルトからナイフを引き抜き、を強く握る。


「人としては失格。しかし暗殺者なら、それで十分」

 

 視線を落とし、真下に伸びる裏路地へ向けた。月明りのみが差し込むその小道を、一人の少女が息を切らしながら駆けて行く。

 彼女を見て、淡々とした口調で告げる。


「ターゲット確認。任務を続行」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「はぁ……はぁ……どうして、どうして私が追われなきゃいけないの……!?」


 嘆きながら走るのは、血で上から塗りたくったような赤黒い髪の少女だ。瞳は黄、歳は十六程。服装は屋根の上に立っていた黒髪赤目の少女と全く同じ装い。

 

「今まで組織の命令を忠実にこなして来た私が! どうして!」


 目元に涙を溜めた彼女は、通りの中央で足を止める。

 前屈みの体制で呼吸を整え両目を袖で拭った後、細い声で呟く。


「急がないと殺される……アイツに、殺される……」


 言葉やその怯え具合から、彼女は何者かに狙われていることがわかる。

 息を落ち着かせた彼女は体勢を戻し、この場から離れようとした。既にその何者かが傍にいることも知らずに。


「とりあえずここから逃げ――――――」

「――――――逃げられるとでも?」


 短く告げ、彼女の背後に現れたのはナイフを手にした黒髪赤目の少女。突如聞こえてきたその声に対し、「ひっ!」と驚きながら後方へ身を引く。

 屋根上に立っていたときと変わらぬ無表情かつ淡々とした声色だが、全身から思わず身悶えしてしまいそうな殺意が漏れ出ていた。


「い、いつの間に追い付いて来たの……?」

「撒けたと思い込んでいたようですが、先回りしただけです。貴方がここに来ることは予測出来ていたので」

「っ……!」

「始末する前に確認させていただきます。貴方は暗殺組織『ベスティス』の一員、『紅鴉べにがらす』で間違いありませんね?」

「白々しい言い方しないでよ……聞かなくてもわかってるでしょ、君もベスティスの一人なんだし。ねえ、『黒兎』」


 二人は同じ組織のメンバーであり、互いの名前まで把握している間柄のようだ。

 紅鴉、黒兎。それぞれの髪色に合わせたコードネーム。

 対面した状態で膠着し、やがて紅鴉が口を開いた。


「目的は分かってる。こ、殺しに来たんでしょ? お上からの命令で……。 『伝書鳩』から通達があった、私達ベスティスのメンバーはみんな始末されるんだってね、十三人全員。お上が私達のことを必要としなくなったから」


 目を伏せ怯えたような表情を見せたあと、相手に向き直し続ける。


「でも、私を殺しに来たのが君だっていう理由がわからない。どうして仲間なのに殺しに来たの? どうして君も組織に殺されるのに、まだ組織に従っているの?」

「……」

「私はもう組織に従う気はない。これを機に真っ当に生きるって決めた。物心付く前からずっと訓練、訓練、訓練。任務では何人も人を殺した。血の匂いが鼻の奥にこびりつくまで……はっきり言ってもう沢山なの! そ、そうだ。君も私と一緒に逃げようよ! 黒兎だって本当はこんなことしたくないんじゃないの!? 殺されたくないでしょ!? 君が一緒なら――――――」

「長い」


 両手を広げて必死に訴えるも、黒兎はその一言で切り捨てた。予想とは大きく異なる返事に紅鴉は驚愕を隠せず、目を見開く。


「ベスティスのメンバーである私以外の十二人を殺したのち、自死するよう命じられました。訓練された貴方達を殺せるのは、組織の誰よりも強い私しかいないためです。私のスタンスは変わらない、命令を告げられればそれに従うのみ」


 変わらない表情で、変わらない態度で、狂気的な事実を告げる黒兎。自死しろという命令にさえ従うと彼女は言った。

 紅鴉は察する。この少女は壊れているのだと。一般的な人間が持ち合わす情緒というものが存在しない。言葉を発し、動く人形。


「そう……死ねと命じられて、それに従うなんて……!」


 怯えた顔を浮かべていた紅鴉は、相手に自分を殺す以外の選択肢は無いと知って豹変する。目は血走り、口角を上げ、殺意を宿した表情に変化。


「相変わらず、狂った人形だなァッ!」

 

 太腿のベルトから自身の得物であるナイフを取り出し、構えながら一直線に相手の元へと向かって行く。目に留まらぬ速さで近付き、あっという間に黒兎の眼前へと迫る。


「大人しく殺されるぐらいなら、最期まで抗ってやるッ!」

「……」


 叫びと共に繰り出された刺突。喉元へ銀の刃が襲って来るも、後方への軽いステップのみでそれを回避する。二撃目も必要最低限の動きで躱し、続く三撃目はナイフの腹で受け止めた。


「チッ、トップの実力は伊達じゃないみたいね……!」


 一度紅鴉は身を引く。こめかみから流れる一筋の汗を指先で拭ったあと、ドレスの袖口に手を入れて中から二本目のナイフを取り出す。


「でも、これは防げねえだろうなァっ!」


 二本目を相手の脳天目掛けて投擲、しかし黒兎は得物を振るって容易く弾く。


(この程度が彼女の切り札……? いや)


 違う。先程のはただの視線誘導のためのもの。気が逸れたほんの一瞬の隙を突き、紅鴉本人は既に宙へと移動していた。

 一本目を逆手に持ち、落下しながらそれを振り下ろす。黒兎が相手の存在に気付くも、既に凶刃が寸前まで迫っていた。


「ギャッハ! もらったァ!」

「――――――」

 

 刃先が脳天を突く。その瞬間、消えた。

 黒髪の少女は確かにそこにいたのに、まるで最初から存在していなかったかのように姿を消した。


「!?」


 当然刃が敵を捕らえることなく、困惑しながら地面に着地。


「アイツ、一体どこに消えた……」

「振るうは刃」

「なッ!」


 真後ろから声が聞こえ振り向くと、迫る銀とハイライトの無い深紅の瞳が目に入った。

 いつ自分の背後に? どうやってそんな芸当を? 

 浮かんだ疑問さえ切り裂く一閃が、紅鴉の首を深く抉った。


 ――――――ザシュ!


 同時に噴き出す鮮血。


「……ガはッ!」

「裂くは細首」


 多量の血が辺りに散乱する。灰色一色と色味の薄い地面は紅に染まり、むしろ美しいと感じる程鮮やかに彩られた。

 大きな一撃を喰らい紅鴉は倒れる。素人目に見ても彼女が長くないとわかる悲惨な状態であり、首から血は勢いの強い川のように流れ続け、吐く息に風切り音が混じっていた。


「グ、ああっ! ……はッ……はッ……!」


 赤く濡れたナイフを握りながら、黒兎は倒れた標的を見下ろす。彼女の目は恐ろしく冷えたものだった。  

 朦朧とする意識の中、紅鴉はその目を見つつ吐き捨てるように言う。


「こ、心の、無い……カハッ! 欠陥、品が……!」

「それで結構。心無い故、刃が震えないのですから」

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