第2話
久しぶりの太陽だった。
こんな健康な身体で、町を歩けるなんて。夢のような時間だが、それもあと二時間しかない。
なんとかこのゲームのバッドエンドを逃れる方法はないのだろうか。
そんなことを考えながら、私は城下町を歩いていた。
ふと露店に並ぶ品物を見ていると、気になる物が置いてあった。
それを手に取り、いろいろな角度で眺めていると、店主が声をかけてきた。
「お嬢さん、お目が高いね。これは昨日、聖女イリス様も買っていった物だよ」
「イリスが……、そういうことだったのね」
こんな物を買っていたなんて……。聖女イリスは正義の主人公ぶっているけれど、実はとんでもない悪女なのかもしれない。
「これ、いただけますか?」
「あいよ。六ガロンにしておくよ」
代金を支払って手に入れた物、それは一枚のコインだった。
ただのコインではない。そのコインは特殊な造りをしており、両面が表になっていた。つまり、裏面がないコインだったのだ。
おそらく、先ほどイリスが投げたコインはこれに違いないだろう。
両面が表なので、どう転んでも裏面など出るわけがない。私が無罪になる可能性ははじめからゼロだった。
イリスは私のハラハラしている姿を見てさぞかし楽しんでいたに違いない。
そう思うと無性に腹が立ってきた。私は頭に血が上るのをなんとか抑え、露天で買ったコインをポケットに入れた。
久しぶりの太陽は眩しすぎ、少し日陰を歩こうと細い路地に入った時だった。
道の奥に小さな黒い物体が見えた。
あれは……。
路地の壁に寄りかかって座っているのは、黒い翼を持った堕天使だった。
堕天使は身長五十センチほどの魔物で、本来は見ることなどできない。
けれど、特殊な力を持つ一部の魔法使いなら堕天使を見ることができ、その中でもわずかな者だけは堕天使と話すこともできた。
私はそんな稀有な力を持っていたので、こうして堕天使を見ることもできるし、話すこともできた。
ただ、この特殊な能力を持ったおかげで、私は堕天使を使って聖女イリスを呪い殺そうとした罪に問われたのだが。
「大丈夫?」
私は座り込んでいる堕天使に話しかけた。
堕天使は私の顔を見ると、すぐに視線を外した。よく見ると、こうもりのような黒い翼が傷ついている。
堕天使は、変な取引をしてしまうと、その報酬として人間の寿命を吸い取ってしまう恐ろしい魔物だ。
けれど、普通に接するだけなら、特に害はない。
「まあ、怪我をしているのね。治癒魔法を行うわ」
私はかがみ込むと、堕天使の羽の付け根の傷に手を当てた。
白い光が堕天使を包み込み、傷口はみるみるふさがっていった。
傷の癒えた堕天使は、目を見開き驚いた顔をしている。
「どうして助けてくれたんだ?」
「どうしてって……」
「俺たちはお前を裏切ったんだぞ。それなのに」
「裏切ったって、どういうこと?」
気になって聞いてみたが、堕天使は何も答えず傷の癒えた翼を広げた。
そしてそのまま空の彼方へと飛んでいってしまった。
乙女ゲームで私は、堕天使を使い聖女イリスを呪い殺そうとしたはずだった。
けれど、今の私に、そんな悪事を働いた記憶はなかった。
私、エルフィーナは本当に、聖女イリスを呪い殺そうとしていたのだろうか。
※ ※ ※
堕天使を助けた私は、実家のロゼーリア公爵家へ戻ろうとしていた。もちろん家族に挨拶するためなのだが、犯罪の報告となると気が重い。足が進まず、道で立ち止まっている時だった。
「やあ偶然だね」
そんな声が背後から聞こえてきた。
後ろを振り向くと、あまり会いたくない男がいた。
「アレクシス第二王子ではありませんか。どうしてこんなところに? 留学中と聞いていましたが」
「うん、ちょっと用事があって、急きょ帰ってきたんだ」
よく見るとアレクシス王子は息を切らし、顔にはうっすらと汗をかいていた。
今日は四月二日なので、気温はそれほど高くない。
走って来たのだろうか。
久しぶりの再会だったが、アレクシス王子とは、正直悪い思い出しかない。相手のアレクシスにしても、私に良い感情は抱いていないはずだ。
何しろ、あんなことがあったのだから。
まだ私が魔法学校中等部にいた頃、同級生だったアレクシス王子に言い寄られたことがあった。
王子は美男子で性格も良く、女子生徒の憧れの的だった。
そんなアレクシスに言い寄られて、私も悪い気がしなかったが、彼にはとんでもない裏の顔があったのだ。
親友のミレルバがそっと教えてくれた。
「アレクシス王子には、気をつけたほうがいいわよ」
「どういうこと?」
「女遊びがひどいらしいの」
「え? そんなふうに見えないけど……」
「騙されたら駄目よ。地位と、あの美しい容姿を利用して、裏でたくさんの女性を泣かせているんだから。女を物として扱うらしいわよ」
「そんな、アレクシス王子に限ってそんなことはありえないわよ」
「だったら、今アレクシス王子は誰とお付き合いしているか知っている? イリスよ。イリスと付き合っているのに、あなたに言い寄ってきているのよ。つまりあなたは二股をかけられているの。嘘だと思うなら調べてみて」
実際に調べると、確かにそんな話が至るところから聞こえてきた。
本当にひどい男だわ。もう少しでだまされるところだった。
そう思っていた時、アレクシス王子が私を呼び出したのだ。不安になった私は、ミレルバに付いてきてもらい、指定された場所へと向かった。
ひっそりとした講堂の裏では、すでにアレクシス王子が私を待っていた。そして、王子のその手には小さな箱があった。
「エルフィーナ、急に呼び出してごめん。これを受け取ってほしい」
アレクシスは手に持つ小さな箱を差し出してきた。
「何でしょうか?」
「プレゼント。今日はエルフィーナの誕生日だよね」
少し前の私なら、小躍りして喜んだだろう。
けれど、私はすでにアレクシス王子の本性を知っている。
「申し訳ありません。これは受け取れません」
「えっ」
「誰か別の人に、差し上げてください。それと、もう私には関わらないでください」
「……どうして?」
「あなたのことが嫌いなのです」
アレクシス王子は言葉を失い固まっている。
「もうこれ以上、私には近づかないでください」
そう言うと、私はミレルバを連れ、逃げるようにしてその場を去った。
アレクシス王子が持っていた箱は、私への誕生日プレゼントなのだろうが、どうせ適当に使用人を使って準備させたものに違いない。
心からのプレゼントならもちろん感動して受け取ったと思う。けれど、あんな二股をかけている王子からもらっても……。
ちなみに私は、それ以降も男性から誕生日プレゼントをもらったことがない。プレゼントはもとより、「おめでとう」の言葉さえかけられたこともない。
あの頃のことは、今でも嫌な思い出だ。
そんなアレクシス王子が、残りわずかな時間しかない私の前に現れたのだ。
「こうしてここで会うなんて、やっぱり僕たちは運命で結ばれているんだね」
まだ王子は息を切らしていた。
「まだそうやって、多くの女性を泣かせているのですね」
「多くの女性? 僕がこうして口説くのは、エルフィーナ、君だけだよ」
相変わらず、軽い王子だ。
「アレクシス王子の悪い噂は知人からたくさん聞いております」
「知人って、ミレルバかい?」
まずいと思った。変なことを言うと、せっかく私のことを思って忠告してくれたミレルバに迷惑をかけてしまう。何しろ相手はこの国の第二王子なのだから。
「だったら誤解を解きたいな。今から一緒にミレルバのところへ行こう」
そう言うと、王子は私の横に並び歩き始めた。
「ごめんなさい。私にはもう時間がないのです。邪魔をしないでください」
「聞いたよ。君が聖女イリスを呪い殺そうとしたって」
「……」
「君は堕天使を利用して、イリスを呪ったのかい?」
「よくわかりません」
「分からない?」
乙女ゲームではそうなっているので、本当だと思うが、なぜかその部分の記憶がない。
「僕は君を助けたいんだ。まずは一緒にミレルバの屋敷に来てくれないか」
「私を助けたい? ご冗談でしょ」
「僕を信じてくれ。僕は君を助けるためにここへ戻ってきたのだから」
結局私はアレクシス王子の勢いに押され、ミレルバと会うことにした。王子の助けたいという言葉が気になったのも正直なところだ。けれど過渡の期待はしないでおこうと心に決めた。なにしろ王子は女の敵なのだから。
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