第19話
ピーラッカ王が、偽の教皇を倒すと称し、征討軍の立ち上げを宣言した。各地の諸侯を糾合しつつ、アトロポシアまで攻め上がる計画だ。既に檄文が飛ばされ、今やどこの都市の議場においても、ジェラートゥスとラスキベルギンのどちらに付くべきか、侃侃諤諤たる論戦の真っ最中であるに違いない。檄には「確たる返事無きは逆意有りと見做す」との一文が差しはさまれていて、中立などという日和見な態度は許されない。この地方において、ピーラッカの軍事力は、他をゆうに抜きん出ていた。
「あたしも戦に出たい。一緒に連れてってくれ」ティルザが、衛兵が止めるのも聞かず、無理に議場に押し入って、王に直接要求した。
「ならん」王は一言の下、即座に拒絶した。
「あたしが女だからか?」
「そうだ」
「あたしはそこいらの男より、ずっと強いぞ」
「男には男の、女には女の役割がある。戦争は男の役割だ」
「理不尽だ! そんなこと、誰が決めた?」
「もし敵に捕まったら、どうする? 特に女の捕虜が如何様に扱われるか、お前も知らぬわけではあるまい」
「自分の身ぐらい、自分で守れる」
「個人の武勇など、戦場においては大して役に立たぬ。戦争は一対一の決闘ではないぞ」
「理屈はいい。覚悟は出来てる。とにかく、あたしも連れていけ!」
「くどい。ならぬものはならぬ。こらっ、衛兵ども、何をしている。早くその女をここから叩き出せ。アリーネ様の関係者だからとて、遠慮はいらぬ。今は大事な軍議の最中ぞ」
ティルザと衛兵のあいだで揉み合いになった。騒ぎを聞きつけて、さらに数が集まってきた。じき、乱闘に発展し、衛兵側に怪我人が続出した。並み居る将軍たちは面白い余興とばかり、この様子を笑って見ていた。
結局、多勢に無勢で、ティルザはやがて押さえ込まれた。蹴られ叩かれ、あちこちが痛い。ただ、その顔だけは比較的綺麗なままで、これは彼ら衛兵達が、単なる野蛮人ではないことの現れだろう。もちろん彼女にはこの配慮は、却って不快にしか感じられなかったが。
ティルザは、王宮から連れ出され、少し離れた所にある衛兵達の屯所までのあいだを縄に引かれて歩いた。人目に晒され、何とも恥ずかしい。屯所の地下には牢屋が一室設けられていて、彼女はそこに放り込まれた。暗くて臭くてじめじめとして、流石に気が滅入った。
日が暮れた頃、石の廊下に靴の踵を高く鳴らして、誰かが近づいてきた。ティルザは慌てて身体を起こし、鉄格子にへばりついた。まず現れたのは、ひどく恐縮した態の番兵で、すぐに続いてアリーネが、その姿を見せた。彼女は、公務を終えてすぐそのまま来たらしく、場違いに綺麗な装いをしていた。
「遅い。待ちかねた。早くここから出してくれ」ティルザがせっかちに言った。
「あなた、ラスキベルギン候に、自分も戦争に連れていけと頼んだそうね」アリーネが、ティルザの言葉を無視して、冷ややかに言った。
「ああ、でも断られた。あいつ、女というだけで、はなからあたしを馬鹿にして、聞く耳、持たないんだ。こうなったら仕方ないから、男装でもして、こっそりどこかの部隊に紛れ込んでやろうかと――」
「あなた、そんなに私のことが嫌いなの?」
「は?」思いもよらぬ唐突な内容の問い掛けに、ティルザは戸惑った。
「今日まであなたは王宮内において、私の恩人ということで、それなりの厚遇を受けていたはず。にもかかわらず、むさ苦しいばかりの軍隊に入ってまで、この地を離れようとするなんて、それだけ私のことが嫌いなんでしょ」
「……なに言ってんだ? あたしがいつお前のことを嫌いだなんて言った?」
「ここに落ち着いて以降、あなた、一度も私に会いにきてくれないじゃない。ニナとばかり遊んで」
「お前が常に忙しくしてるからだろ」
「夜は空いてるわよ」
「寝床に忍んで来いってか。お前、あたしに何をさせる気だ?」
「そんな汚らわしいこと言ってない。とにかく、戦争に参加するなどという危ないことは止めて」
「今更なに言ってんだ? ここまでの旅でも、危ない目には散々会ってきたろ」
「戦場で傷を負った時、すぐ近くに回復魔法士がいるとは限らないじゃない。私の目の届かない所で、危ないことはしないで」
「余計なお世話だ。いいか、そもそもあたしが従軍を願い出たのは、お前をまた故郷のアトロポシアに住まわせてやりたいと思ってのことだ。もちろん、戦争において一兵卒に出来ることなんて高が知れてるだろうけど、それでもあたしは――」
「馬鹿!」アリーネが色をなして、急に怒鳴った。「あんた何もわかってない。引き取ってあげようと思って来たけど、やっぱり止めた。二、三日、このまま入ってなさい」
「ま、待て。出してくれるんじゃないのか? おい、こら、行くな、冗談だろ!」
戛々と響くアリーネの靴音が急速に遠ざかり、ほどなく、完全に消え去った。
ティルザが釈放されたのは、翌々日の朝だった。ニナが着替えを持って、迎えに来ていた。ティルザはまず一番近くの風呂屋に向かい、牢の垢を落とした。湯船に浸かっているあいだ、繰り返し瞼が落ち、その度、水を飲みかけた。風の通らぬ牢の中は常に軽く蒸して、まともに眠ることが出来なかったのだ。
それから、もう入れてくれないかもと心配しながら、王宮に戻った。幸い、そんなことはなかったが、玄関前に立った衛兵達は、そこを通ってゆくティルザを、ニヤニヤと笑って見ていた。腹は立ったが、また喧嘩して牢にすぐ戻るのは流石に嫌だったので、気持ちを抑えつつ、ただ睨みつけるだけで済ました。
部屋に戻ると、服を脱ぎ散らかし、そのまま寝床に入った。枕に頭を付けるなり、深い眠りに落ちた。が、それから十五分と経たぬうちに、彼女は意識を引き戻された。誰かが激しく、ドアをノックしていた。
いくら無視し続けても、ノックは止まなかった。彼女は諦めて、ドアを開けに立って行った。ドアの向こうには、真面目そうな初老の役人が姿勢正しく立っていた。そして、ティルザを見るなり、顔を赤くし、目を反らした。これはもちろん彼女が下着姿で出てきた為だが、当の本人は寝ぼけていて、これに気づかなかった。
役人は、手にした用紙を目の前に広げ、コホンと一つ咳をした。ティルザはわけもなく、死刑の判決でも言い渡されるのかと思った。
「ティルザ・シェスティン・ラングダムール殿、本日付けをもって、教皇付きの侍従武官に任命する。追って案内が訪れるゆえ、すぐに正装し、これを待て」
ティルザ・ナンチャラ・カンチャラって誰だ? 私のことか? と彼女はやはりぼんやりした頭で考えた。
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