第30話


 表情には出さないが、尊は焦りを感じていた。それは、この集落を覆う結界に穴が開いたからだ。

 そして、尊の懸念通りのことが起こった。

「こんにちは。お昼から鍛錬とは流石ですね」

 ここに存在してはいけない人間が、ひなの訓練場所に現れた。

「アナタは……八十神さん?」

「はい」

 タオルで汗を拭うひな。辺りには切り刻まれた木材の山と抉れた地面。刀剣による鍛錬を行っていた。

(抜刀術の鍛錬。いや、刀の使い方か……)

 それらの情報を余すことなく集める八十神の目つきは鋭かったが、それも一瞬だけ。直ぐに、人懐っこい柔らかい笑顔を作る。

「少しだけ、お話させて頂けませんか?」

 ひなが切断した切り株に腰かけた二人。

「市街地の解放、お見事でした。これで松江城へのアタックが容易になりました。出雲打倒までもう直ぐかもしれませんね?」

「はい……そうだと……」

 ひなは表情を曇らせる。

 八十神はそれを仕組んだ張本人だが、神妙な面持ちを作り、ひなの誘導を開始する。

「……聞きました。ひなさんのお知り合いと敵対したのですよね?」

 八十神の雰囲気作りがうまいのか、ひなが気持ちを吐き出したかったのか。

 彼女自身が誰にも話すことができなかった思いが吐露される。

「私が戦っていたと思っていたことは、ただのお遊びだったんです。先日の戦いでそれを理解しました。……私、これまで誰も手にかけたことがなかったんです。ただ、避難して敵を観察して……皆さんに持て囃されて。……苦労しているのは私だけだと思ってたんです」

「それは仕方ないですよ。私たちは両目でしか世界を見れない。個人が望む世界しか見れないんです。意識していない世界なんて見れる訳がない。あ、これ慰めになってませんかね?」

「……そんなことはないです、ありがたいですが……」

 ひなは自分を肯定するだけの余裕はない。

 心が鉛のような灰色の雲に覆われており、八十神の乾いた笑みでは、それを晴らす事はできない。

(出来るとすれば、全部掻っ攫って尊へぶつける……だな)

 八十神は瞬時にプランを修正。

「実は、僕も同じ悩みを持っていました。誰の役にも立たないのに生きてていいのかなって……」

「……本当ですか?」

「はい。そんな時、天照様にとある言葉を頂いたんです。”生きているだけで偉い”。”誰かのために悩むアナタは既に誰かの英雄ですよ”。底抜けに明るくて、前向きな言葉ですよね?」

 ひなは天照の屈託のない笑顔を思い出す。

「生きているだけで偉い……ですか。……うふふ、あの方の笑顔が浮かんできます」

「悩んでるのがバカらしくなりますよね? 天照様は底抜けに明るい方ですから」

 ひなは八十神と顔を見合わせ、笑顔を浮かべる。心が軽くなってきたようだ。弾むような声色からも伝わってくる。

「八十神さん、私はどうやったら皆さんの世界を見れるのでしょうか? 他の方の視点を得なければならない気がするんです」

 八十神は顎に手を当て考え込む。

(……流石は神。共通認識として優秀だな)

 八十神は、考え込むふりをしながらほくそ笑んでいた。

「そうですね……」

 辺りを見回し背後の森林を指すと、

「ひなさん。あの木おかしくないですか?」

「えっ?」

「なんか、人の形に見えますね」

「……はい、見えなくも……ないような、うぅ~ん?」

 八十神の言葉に素直に同意できないようだ。眉をひそめて考え込んでいる。

 それを見た八十神は微笑みながら、

「僕の世界ではあの木が人に見えていた。ひなさんはそれを意識していなかったけど、僕の言葉がきっかけで一緒に見てくれた。どうでしょう? 僕の世界を見た感想は?」

「……案外、子供っぽいですね?」

「っははは、そうですね。こんな理不尽な世界ならば、大人として振舞っているのもバカらしいですから」

 八十神は知略を巡らす裏方として動いているが、本来は芽衣と同様の脳筋タイプ。その片鱗が、続く言葉として現れてしまった。

「アキさんと友恵さんですよね、この二人は辛い世界に生きていたのかもしれない。だけど、それを自分の世界として受け入れてしまった。……そうですね、この天蓋のようなものです。助けてと誰かに言えば、もしかしたら外からぶち壊してくれるかもしれなかったのに受け入れたんです。内側から打ち破ろうともしないのならば、世界は変わらない。彼らは、変わる勇気がなかった」

 言う必要がなかった彼の本音が漏れた。本人はそれに気が付いていない。

「違いますッ!? 私が二人の、いや、もっと色んな人の勇気や元気、動こうっていう気力を奪ったんです。だから、こんな世界ならって……」

 八十神はかぶりを振る。

「二人は弱かった。だけど、それは悪じゃない。この世界が悪いんだ。二十年前は弱い人間も強い人間と同じように生きていけたけど、天蓋が日本を覆ったあの日から、世界は強さで階級分けされた。だったら、この世界が悪いと思うだろう? 僕たち人間とこの世界は余りにも相性が悪い」

「……世界が……」

「そう。人間は二十年前の平和な世界に順応しきっていた。それがいきなり、変なドームで隔離されて弱肉強食の世界に放り出された。豚を戦場に放り出すなんて厳しすぎる。だからこの世界も、それを良しとしている出雲もやっぱり間違っている」

 八十神は考えを濁すことなく言い切った。

 そんなハッキリとした物言いがひなにとっては羨ましく、心引き付けられるものがあった。

 すると、考えも八十神に寄り、今まで否定していた考えも余地があると思えてしまう。

「世界が間違っている……そうかもしれません……」

「ひなさんが抱えている葛藤。出雲に行った苦悩に満ちた人たち。全てがこの世界が産んだ悲劇なんです。僕には戦う力はない。けど、ひなさんには力がある。是非”正義”のために刀を振るって欲しいです。塞ぎこむなんて勿体ないですよ」

 八十神は確信した。

(コイツは染まりやすい。これなら、確実に――)

 ひなが好むワードを散りばめたことで、思考をとある方向に誘導しやすくした。

「私にそんなこと……出来るのでしょうか……」

「勿論ですよ!」

「……そう言っていただけますと……」

 八十神の思惑など知らないひなは、背中を押され、前向きな気持ちになっていた。進むべき方向が正しいのかも知らないまま、衝動に突き動かされていく。その証拠に、膝に置いた刀の鞘を両手で力強く握っていた。

「…………ですが、あの戦いでは私は役に立っていなかったんです。尊さんがいなかったらなにも……」

「その尊さんの件ですが……ちょっと怪しい噂を耳にしまして……」

 八十神は周囲を見渡すと、

「もしかしたらですが……彼は出雲と繋がっているかも知れないんです」

「そんなッ!?」

「しぃぃぃぃ。大声は……」

 ひなは、慌てて口をつむぐ。

 気が付けば、尊が作り出した太陽は月明かり程度の明るさになっていた。周囲は薄暗く、遠くが闇に染まっていた。

「いくつか怪しい点があります。まずは、彼はレジスタンスではない」

「……それは。確かに、そう伺いましたが」

「レジスタンス同心は所属する人間に対して徹底的な身分調査といくつかのルールを設けてあります。それにより出雲側に鞍替えすることや、武力を使った民衆の支配をしないようにしているのです。ですが、尊さんは所属を断り続けている。なんのデメリットもないことなのに……」

「それは、縛られることなく自由に動きたいからでは……」

 ひなの額にじんわりと汗が浮かんできた。

「次に、どこから食料を持ってきているのか?」

「……あれは、出雲兵から奪った勲章を使って購入していると……通貨としても使えるらしく」

「それ、嘘ですよ」

「っ!?」

 八十神の言葉に、ひなはびくりと肩を震わせる。

「だって、出雲兵以外の人が勲章使ったら怪しまれません?」

「それは、確かに……」

「老会で得た情報では、あの勲章は普通の兵士には与えらえないそうです」

「……それってどういう意味ですか?」

 八十神は緊張した面持ちで語る。

「あれは出雲幹部が持つ勲章です。その勲章は無限の通貨です。それを一般兵に渡しますか? ってことです」

 妙に説得力がある。

 ひなは、”その可能性”を排除しようとありとあらゆる事象を想定する。

「尊さんは、出雲の……幹部だと? それだけでは説得力が……」

「だって、あの強さですよ? とっくの昔に出雲にスカウトされていてもおかしくない。それに、もう一つ根拠があります」

 八十神は懐から資料をひなに渡す。そこには、同心のメンバーの戦績が記載されていた。その一番上には尊の記載もあった。

「老会の皆さんから頂いたのですが、これ余りにも不自然だったんですよ」

 ひなは資料に目を落とす。芽衣や部隊長は敵兵を千単位で屠っていた。他の隊員も同様だ。しかし、尊だけは”0”と記載されていた。敵兵を殺したことがなかったのだ。

「……一人も?」

「ひなさんは、目にしたことありませんか? 彼が敵兵をワザと逃がしているところを……」

 ひなは古い記憶を探っていく。

 すると、一つだけ思い当たる場面があった。最初に避難場所で出会った時も、アキを殺さずあえて見逃していた。

「出雲兵を逃がしていたら悲劇はどこかで必ず起きる。子供たちを助け回っている彼がそれを良しとする訳がないんです」

「確かに……」

「尊さんはもしかしたら――」

 すると、草木を踏みしめる足音が聞こえてきた。

「おっと、誰か来たようです」

 八十神は、慌ててひなから資料をひったくると、

「何か情報をつかんだら教えてください」

 八十神は早足で去っていった。

 残されたひなの瞳には、尊への疑念が色濃く浮かんでいた。

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