ep.16 ちなみにこの時間は無給である

前回のあらすじ


Aは5日間の過酷な訪問を終え、疲労困憊しながら博田の地に戻った。青春18きっぷの旅の影響で体に痛みが残り、特にケツは激しく痛んでいた。家に帰る途中、Aは疲労と安堵感が入り混じった感情を抱きながら家に辿り着き、ソファに倒れ込む。しかしその瞬間、高山からの電話が鳴り響き、土曜日だというのにすぐにオフィスに戻るよう指示される。オフィスに着くと、高山はAに厳しい態度を見せ、土日に休みがないことを告げる。Aは理不尽な勤務体制に疑問を感じつつ、何も言い返せない自分に苛立ちを覚える。勤務後、Aは領収書を渡すため桃山に話しかける。彼女は冷静に仕事をこなし、Aはその姿に感心しつつも、この厳しい職場環境に自分が耐えられるのか、不安を抱え続ける。

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入社してから1ヶ月半が過ぎた。何度かタイムリープの力を使ってみたが、その特性について少しずつ分かってきた。まず、1日に1回しか使えないという制限がある。最初は何度も試してみたが、どうやっても2回目は発動しない。次に、この力を使うためには、傷跡に意識を集中させ、強く念じる必要があることも判明した。後悔の感情や「この結果を変えたい」という強い意志が不可欠だ。軽い気持ちでは決して発動しないし、本気で集中しないと力を発揮できない。つまり、日常的にこの力を使うのは難しい。特に、客先で見られながら使うことは避けたい。見た目にはただ念じているだけなので、周りからは怪しい人物にしか見えないだろう。




そんな風に、この力に関しての試行錯誤を繰り返していたある日、会社で懇親会が開かれた。懇親会と言っても、普通の会社が開くような和やかなものとはかけ離れていた。軽い自己紹介の後、会場となったオフィスの一角には近所のマクダーナルで買ってきたハンバーガーが並べられ、社員たちはそれを無言でつまんでいた。周りを見渡すと、ノートパソコンを開いてカタカタとキーを叩いている社員たちが大半で、まるで歓迎会の最中に仕事を続けているかのような光景が広がっていた。誰一人として笑顔を浮かべることもなく、ただ無機質に業務をこなしている。この場にいるだけで、自分の居場所が分からなくなりそうだった。




「さすがはブラック企業だな」と心の中で呟いた。さすがに自分だけ楽しむわけにもいかないので、他の社員たちに倣って、ポテトを片手に自分もパソコンを開き、仕事を始めることにした。ちなみにこの時間は無給であることを高山から伝えられた。飲み会で時給が出るかよ、とのこと。クソが。




そんな時、ふと視線を奥に向けた。株式会社光と闇のオフィスは、ワンフロアをいくつかの壁で仕切っており、その一角には「社長室」と書かれたドアがあった。そこには、この会社の創業者であり、あの占い師バニラが鎮座しているはずだった。しかし、入社してから今日まで一度もバニラの姿を見たことがない。誰も彼女のことを話題にしないし、彼女がフロアを歩いているところを目撃したこともなかった。社長室のドアは常に閉ざされており、彼女がいるのかどうかも分からない。




「バニラさんはいないの?」と隣にいた桃山に聞いてみた。メガネの奥から何かを見透かしているかのような表情を浮かべている。そんな彼女が「ああ、それなら」と静かに言い、Aを案内すると言ってきた。そんなに変なこと聞いたんだろうか。




不思議に思いながらも、Aは彼女の後についていった。桃山は社長室のドアを開け、中に入っていく。Aもその後に続くと、そこにはバニラの顔が大きく飾られた写真が壁に掛かっていた。夢に見た彼女の顔が、そこに静かに存在している。だが、部屋の中には誰もいなかった。バニラ本人はいない。ただ、その写真だけが飾られているのだ。




「バニラさんは?」と驚いて問いかけた。




桃山は少し目を細めて答えた。「バニラさんは昨年亡くなりましたよ」。その言葉を聞いた瞬間、Aは頭の中が真っ白になった。バニラが死んだ?死んでいた?そんな馬鹿な。だって、俺を面接したのはバニラだ。彼女がこの会社の面接官だったはずだ。それなのに、なぜ亡くなっていると言うのか。心の中に疑念が湧き上がる。




「でも、俺を面接したのはバニラさんだったはずで……」とAは必死に訴えた。しかし、桃山は静かに首を振りながら答えた。「いいえ、面接をしたのは別のマネージャーでしたよ。応接室に案内したのは私ですが、バニラさんはその時点で亡くなっていました。面接したマネージャーも、もう辞めてしまいましたけど」と、不思議そうに語る。




信じられなかった。あの日、自分が面接を受けたのは確かにバニラだった。彼女は自分に問いかけ、そしてその時にタイムリープの力を授けてくれた。しかし、今こうして桃山が言うには、バニラはもうこの世には存在していない。では、あの日自分が見たものは何だったのか? 何かの幻覚だったのだろうか? それとも、死んだバニラが何らかの形で自分に力を与えたというのか?




混乱と疑念が頭を巡る中、Aは静かにその部屋を出た。バニラがこの世にいないという事実は、自分の中で全てを覆すような出来事だった。あの日、面接を受けたはずの自分は、実際には何を見ていたのだろう。もしバニラがこの世にいないのなら、タイムリープの力を与えたのは一体何なのか。そして、なぜ自分がその力を持っているのか。

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