ep.9 根性焼きを謝れクソババア

前回までのあらすじ




Aは入社初日から厳しい研修を受けることになった。直属の上司・高山の厳しい指導の下、Aは大声で挨拶を繰り返し、その後、オフィスの床を這いつくばって磨くよう命じられた。高山の態度は威圧的で、Aは過去に自分が他人に対して行った冷酷な行為を思い出し、これが自分への天罰だと感じた。さらに、会社の雰囲気が面接時と異なり、古びたプラスチックボードが目立つことに気づくも、高山の怒号によってその違和感はかき消されてしまった。

-----------------------------------------------------------------------------------------------

株式会社光と闇のはざまの少しのぬくもりと叫び――以下、光と闇――は占いビジネスとWebマーケティングの会社だった。雑踏の中にある小さな一室で占いビジネスを営んでいた。占うのはもちろんあの道玄坂バニラだろう。




占いビジネスは、シンプルで低コストな運営が可能だった。オンラインでのセッションが主流であり、スマートフォン一つで世界中のクライアントと繋がることができる。




だが、このビジネスにはデメリットも少なくなかった。占いという性質上、信頼性の問題は常に付きまとった。科学的な根拠がないため、効果を証明することが難しく、時にはクライアントからの信頼を得ることが困難な場合もあった。さらに、占い師は多く、差別化が求められた。そのために注力したのがWebマーケティングと営業だった。




高山の研修は3日目に突入し、Aはこれまで以上に追い詰められていた。朝一番、高山から渡されたのは、厚さ数センチもあるWordファイルのプリントだった。その内容は、営業トークの流れを事細かに記したものだった。文字がびっしりと詰まった20枚の紙に、Aは目を見開いた。読むだけで20分はかかるだろう。高山はそのプリントをAに押し付けると、「これを今日中に全部暗記しろ」と命じ、自分のデスクへと戻っていった。




Aは呆然としたが、反論する余裕などなかった。この会社では、言い返すこと自体が命取りになることを既に悟っていた。仕方なくプリントを手に取り、必死に読み始めたが、その内容は驚くほどに長い。商談の場面を想定した複雑なやり取りが延々と続いていた。声に出して練習してみるが、頭に入ってくるのはほんの一部で、時間が経つにつれて焦りが募るばかりだった。




その後は1時間ごとに高山がやってきては、Aにそのトークを暗記しているかどうかを確認してくる。Aが覚えた部分を口に出すと、高山は鋭い目でその内容を聞き取り、声が小さければ即座に怒鳴りつけた。「なんだその気の抜けた声は!もっと腹から声を出せ!」高山の声はオフィス全体に響き渡り、Aの心をさらに追い詰めた。




その日の午後、Aはようやく自分の給料について気づいた。その日から無給期間が終わるそうだが、時給は900円とのこと。以前アルバイト採用で調べたとき、大福県の最低賃金が960円であることが頭をよぎった。これでは明らかに不当な労働条件だ。Aは気乗りしないながらも、高山にそのことを伝えた。しかし、返ってきたのは驚くべき言葉だった。




「お前は個人事業主として採用されてるんだ、だから最低賃金なんて関係ない」




その言葉を聞いたAは愕然とした。そういえば、初日にサインした書類の中に、そんな内容があったかもしれない。しかし、あの日は高山による過酷なロールプレイングで疲弊しきっており、内容をよく確認せずにサインしてしまったのだ。今さらどうしようもない。Aは自分の無知を呪ったが、それ以上に、自分が過去に他人に対して適当な対応をしていたことを思い出し、申し訳ない気持ちになった。




「俺も、顧客に適当な申込書を渡して、クレームを受けたことがあったよな…」Aは自嘲気味に思った。これもまた、自分への天罰なのかもしれないと感じた。




その夜、Aは奇妙な夢を見た。道玄坂バニラが夢の中に現れたのだ。バニラは水晶をじっと見つめながら、静かに言った。「あなたの覚悟が気に入った」その言葉に、Aは驚きを隠せなかった。彼女はタバコを手に取り、ゆっくりと火をつけると、煙をAにねっとりと吹きかけ始めた。そして、あろうことか、その吸殻をAの手に押し付け始めた。




Aは激しい痛みに耐えながら、必死に手を引っ込めようとしたが、バニラの力は強く、逃れることはできなかった。彼女は三角形に焼印を押し付け、Aの手に根性焼きを刻み込んだ。そして、バニラは静かに微笑み、「これは運命のトライフォース。あなたの力になるわ」と言い残した。意味がわからない。




「これってなんの意味があるんですか。普通に失礼じゃないですか。めちゃくちゃ痛いし」




「痛み。良い言葉ね。人は痛みを伴って生まれてくるし、痛みを伴って死ぬこともある」




「いえ、だからそうじゃなくて」




「ほう、つまり」




「ほぼ初対面で根性焼きしてくる人ってやばいですよねって話です」




老婆はゆらりと微笑むと、




「あなたも考えたことってないかしら。大いなる目覚め、自分の力の顕現。誰にもないけど自分だけ持っている特殊なスキル。それがあなたにもあるということ。私はそれを目覚めさせたにすぎない」




「あるけど、全然それって関係なくてですね、俺が言いたいのは――」




「あなたは別れによって一度死んだ。死んだからこそ生まれ変われる。その痛みの中に込められた力は、そう――」




「――根性焼きを謝れクソババアっていうことなんだよ!!」




叫んだ瞬間、根性焼きの痕から光が漏れ出し、それに包まれたAは目を覚ました。額には汗がにじんでおり、手のひらには痛みが残っているような気がした。いや、残っていた。手のひらに意味不明な理由でつけられた




現実のような夢だったが、夢の中でさえ、自分は逃げ場のないパワハラに苦しんでいるのか。




「寝ても覚めてもパワハラか…」Aは一人で愚痴りながら、重い体を起こした。だが、その三角形の根性焼きの夢は、彼に奇妙な感覚を残した。あれが一体何を意味するのか、Aには分からなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る