忌引
壱原 一
先祖代々すんでいる地元の狭い地域では、よその地域に見られない一風変わった習いがある。
各家で人が亡くなった折、ありふれた通夜と同時に、地域共有の「忌引小屋」で「忌引」という祭儀を行う。
縁起由来は定かでないが、地域に暴れ川と城跡があり、そこへ橋を架けるだか石垣を築くだかした際に、人柱をたてた為と語られる。
目指す物が完成した後、およそ尋常とは思えない不吉な災いが頻発し、人柱の苦痛や心残りがこの世の理を凌駕して寄せ来ていると恐れられた。
懇ろに祭ってやった人柱の不埒に腹を立てた為政者が、徳高い術者を招き改めて行った祭儀が忌引の原形とされる。
忌引小屋は、子供が立てる程の高さと広さから成る。
小屋の床の中央に、
通夜の傍ら、桐箱に故人の遺髪や爪を少量と遺影を収めて小屋を閉じる。
明けて小屋を開き、屋内を検めた時に、紙が元のまま、皺が寄ったり千切れて落ちたりしていなければ、故人は己の死に異議なく、以降、永劫に何の抗いも訴えもないと故人生者間で定められる。
申し立ての機会を設け、設けた機会に応じなければ、以後は口に蓋をして封じる旨の祭儀である。
故人宅でしめやかに営まれる通夜に、悼む人々が訪れ、嘆く家人が迎え受ける一方で、地域の家のない辺り、小山の裾の藪の奥、木立に隠れ建つ忌引小屋で、忌引はひっそり行われる。
何人も近付いてはならず、まして覗いたり開けたり、何をまかり間違っても、細工したりしてはいけない。
そうくると、覗く位なら、恰好の度胸試しになる。
ある程度の年の子らの身内が天寿で亡くなると、申し合わせて寄り集まり、身内を亡くした家の子が忌引小屋を覗くのを皆で見守る。
ほとんど祖父母が老いで亡くなった風な場合である。
夜、大人達に見付からぬよう、小さな電灯を頼りに、藪の手前で団子になって見守る仲間らの視線を負って、木立の忌引小屋へにじり寄る。
薄い壁板の隙間から、暗く狭い屋内の、床の木箱と天井の紙を探って照らす。
照らしたそれらがしんとして、
没した身内がつつがなく死を受け入れたと確かめて、己の度胸を仲間に示し、また哀切の気持ちを慰め、ひとつ心の成長を遂げる通過儀礼といったところ。
大人達も経てきたものだから、ことさら見張って阻みはしない。目こぼしの範疇でうまく済ませられるかも、度胸試しの内となる。
こうした暗黙の了解が折り込み済みの事なので、度胸試しの対象は飽くまで穏当な死に限り、若くして突如なくなった場合に覗く例はまず聞かない。
例えば殺しで亡くなったら、誰も忌引小屋の方を見さえしない。
きっと怨んでいるだろうとどうしてもどうしても気になって、単身のぞいたことがある。
具合が悪いと自室へ籠もり、密かに家を脱け出して、宵から明け方までの一晩を地べたに座って覗いていた。
日中の暖気が冷えて、露が服や肌に染み、時おり小虫にたかられながら払いもせず覗き続けた。
深夜、亡者は桐箱から指を伸べ、縁を掴んで手を這わせ、盛んに腕をさまよわせた。
箱は打ち留められたように動かず、腕はせいぜい肘ほどしか出ない。はた目にも息んで肉を張らせ、どうにか紙を摘まもうと、怒り狂って突き上げたり、捻じ込んだりしている様が良く分かった。
その手や腕の動きと言ったら、髪を振り乱し、目を剥いて唾を飛ばし怒鳴り散らす姿がまざまざと迫りくるようで、咄嗟に目を閉じ、身構えてしまいそうだったが、歯を食い縛って覗き続けた。
ぶるぶる憤る人差し指が、青筋を立てて紙へ伸び、気迫で引き寄せんばかりに繰り返し繰り返し鉤に曲がる。
いかに挑んでも紙に届かず、やがて辺りが白み出し、鴉の鳴く声が上がる。
藻掻く腕から指先が、さながら箱から引き剥がされ、地底へ連れ込まれるように、じりじりと箱へ沈み消えるのを見届けて、痺れた足の浮く心地で、朝靄の海を泳ぐ心地で、長い夢から覚める心地で我が家へ走り帰った。
帰って親に抱き付いて、興奮のまま見たものを語ると、親は青く割れた頬の肉をいくらか震わせた後、引き攣れた声で詫び言を絞り出して膝を突きこちらを抱き返した。
忌引の紙を吊るすのは遺族の役目。
あの高さに親が吊るしたのは、同じ不安があってこそと子供ながらに分かっていた。
いよいよこちらを向いたので、あれほど諦めきっていた親が、決死の覚悟でやったのだ。
この期に騒がれては堪らない。
子供ながらに分かっているし、二度と戻ってこないから安心しろと伝えたかった。
もう云十年前のこと。
亡親の忌引の話である。
終.
忌引 壱原 一 @Hajime1HARA
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