信心

壱原 一

 

私はリアリストで、抽象的、非科学的、超自然的な事を嫌います。


例えば近所の祭祀施設に、某しょう人の即身□が祀られています。


その昔、災厄に見舞われていた一帯を鎮護すべく、御身を以て禍根を封じて下さったと言う、大変かしこくありがたい□様です。


世に知られてこそいませんが、一帯の者はみんな多かれ少なかれしょう人様を崇めています。


けれど私は違って、しょう人様を崇めません。


あれは単なる遺骸であって、よしんば限られた分野で相応の価値を認められようと、禍根が封じられているとか、損なわれれば封が解かれるとか、そうした迷信の類は一切ないと心得ています。


私のしょう人様への嫌悪、引いては、抽象的、非科学的、超自然的な事への嫌悪は、突き詰めると、本来は、それらそのものへの嫌悪ではありません。


私は、一帯の、いわゆる「田舎」然とした雰囲気に抵抗を感じています。いわゆる「都会」然とした雰囲気に思いを馳せて、好ましく感じています。


私にとって、一帯の者のしょう人様への崇敬は、「田舎」の雰囲気の象徴です。そこで暮らす私を侵し、「都会」の雰囲気から遠ざける、逃れがたく煩わしい空気や水や土のごとく感じています。


私は、抽象的な事を嫌うので、こうした洞察を得る機会はついぞありません。


一方、「田舎」の雰囲気を感じ取り、抵抗を覚え、逃れようと望む、きめ細やかな感受性と旺盛な活力を満々と湛えています。


よって、自他に判然と表し得ない鬱屈の発露としての、しょう人様への不信心、しょう人様のご利益や、しょう人様を損なうべからずの禁忌への否定は、私が長じるにつれ勢いづき、歯止めが効かなくなります。


私は薄曇りの午後に、ぼんやりと暖かく、ふっくら湿った外気を掻き混ぜて、しょう人様が祀られている祭祀施設へ向かいます。


小高い石段を上り切ると、背後はぼうぼうの草原と、濃緑の山々の稜線です。淡い灰色の雲海の、ごく遠くの中空に、ぽつりの黒点として滑る鳥の鳴き声が響いています。


私は木戸を開けて施設内へ入り、ぴたりと閉じられた廟を開けます。線香のにおいが染みた紫紺と金の座布団の上、かぱっとお口を開けられて、俯き加減に鎮座ましますしょう人様の厳かなお召し物の襟首を掴んで引き投げます。


線香と樟脳のにおい、それから廟の木のにおいと、土と枯草を混ぜた風な得も言われぬにおいがたなびいて、襟首を掴んだ人差し指の腹に、乾いた表皮が吸い付いて擦れ、不快に鳥肌が立ちます。


外で、曇天に益々の雲が流れ込んだようで、施設内がふうっと暗くなります。


山間で、森林の伐採か、工事でもしているのか、地響きの様な、遠雷の様な、ごおんごろごろと重く深い音が、まるで真下の地面の底から滲み出し立ち昇る具合に、低く長々と響きます。


私は不快感への苛立ちに任せて、まとわり付く蔦を振り払う仕草でしょう人様を床へ叩き付け、不調法な獣をしつける仕草でしょう人様を蹴り転がし、罪人を追い立てる仕草でしょう人様を追い掛けて頭部や胴を踏みつけます。


良く乾いた木材の豊かな繊維が裂ける風な音が、めしりぱきぱきと施設内に籠もります。いつの間にか夕刻を過ぎたらしく、辺りに、青黒い宵の帳が下り始めます。


私は脚を高く掲げ、振り下ろし、渾身のひと踏みで、しょう人様の御頭をわしっとへし折ります。御頭は、かさんかさんと揺れながら木目の浮いた古い床板を回り、上から指で抑えたようにぴたりと一線で止まります。


横倒れのしょう人様のぽっかり窪んだ眼窩は、施設の出入口に正対します。施設の出入口は、濃緑の山々に向いて開かれています。


外で、雨が降り出したようで、しとしとさらさら白っぽい音が施設内まで充満します。


しょう人様の御目、施設の出入口の線上、濃緑の山々の方角から、私を急いで迎えに来る、ちゃちゃっ、ちゃちゃっと軽やかな足音めいた音が聞こえます。


病んだ*を置いて「都会」へ出ては行けず、日々「田舎」の雰囲気が細胞の一片いっぺん、骨身の隅々まで浸み入る心地でずっしりと重く、ままならない息苦しさに喘ぐ私の言動は、年々とげとげしく、激しやすく、宥めようがなくなるばかりです。


私は*への情ゆえ自ら「田舎」へ留まっている筈のところ、あたかも*が私を「田舎」へ押し留める重石のごとく感じるようになっていました。


私の苛立ちは、突き詰めると、本来は、*そのものへの苛立ちではありませんでした。


私は、抽象的な事を嫌うので、こうした洞察を得る機会はついぞありませんでした。


こんな事になってしまったのは、全てすべて「田舎」のせい。


痩せて弱った生身の感触を、干乾びて萎びた遺骸の感触で上塗りし終えた私は、まだ落ち着かない息を荒げたまま、ぎらぎらした目を開いたまま、廟も祭壇も倒して暴れ続けます。


きっと、こんな事をするつもりではなかったと言う顔で、わなわな震え跳び出して行った私を、心配して急いで迎えに来る、ちゃちゃっ、ちゃちゃっと軽やかな足音めいた音が、濃緑の山々の方角から、施設の出入口の線上、しょう人様の御目の前へ、たどり着こうとしています。


間も無く音がたどり着いても、私には、決して何も起こりません。


何故なら私はそのように、固く信じているからです。


かわいそうな私。


ちゃちゃっ、ちゃちゃっと音を上げ、急いで迎えに行ってあげます。



終.

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信心 壱原 一 @Hajime1HARA

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