ビターティータイム

若福清

天に届けたい想い

登場人物


山西やまにし太希たいき

性別:男

年齢:中学3年

身長:172

髪型:黒のショート。


神川かみがわ水樹みずき

性別:女

年齢:中学3年

身長:155

髪型:黒のセミロング。


四条しじょう七海ななみ

性別:女

年齢:中学3年

身長:147

髪型:黒のボブ。


中星なかぼし圭吾けいご

性別:男

年齢:高校1年生

身長:178

髪型:金のショート。




〈1〉


山西やまにし太希たいき。高校生になる前日。


「太希も明日から高校生か~ぁ。」


そう母親が嬉しそうな表情で朝食の食パンを食べる太希を見つめる。


「どう?楽しみ?」


そう母親は太希に尋ねる。


「別に。中学と変わらないだろ?」


そう愛想のない声で太希は答えるとチョコがられた食パンにかぶりつく。


「それは太希次第よ。」


「え?」


そう太希は母親の言葉に聞き返す。


「太希が何か夢中になれるものを見つければ、世界は一気に変わるわよ。」


そう母親は優しく微笑む。


「じゃぁ、それの見つけかたを教えてくれよ。」


そう太希が無愛想なまま言葉を返すと母親は目線を宙に向けて考える。


「恋でもしてみれば?」


そう返ってきた答えは適当なものだった。


そんな母親に太希は呆れた声で「さいで。」と返す。


🥁


「あれ?どこか出かけるの?」


そう母親が玄関でくつをいている太希に尋ねる。


「うん。暇潰しに散歩してくる。」


そう太希は答える。


「そう。だったらついでにトイレットペーパー買ってきて~。」


そうお願いすると母親はリビングに入って行く。


そんな母親を不機嫌そうに睨むと太希は家を出て行く。


(変わらない日常。

目の前に出されたものをこなすだけのつまらない日常。

小学校も中学校もそうだったのだから、高校でもそうなんだろう。

もしかしたら、大人になってもそうなのか?だとするなら、人間の人生は意外と最初から最後までつまらないものなのかもしれない。)


そんなマイナスな事を考えながら歩く太希の耳に心地いいが届く。


その音の方へ太希が目線を向けると多くの人達がを作っていた。


「なんだ?あの輪は。」


そう太希が不思議に思い呟く。


「バケツドラムですよ。」


そう誰かが太希の後ろから声をかける。


その声に太希は振り返ると同い年ぐらいの女の子が笑顔で立っていた。


「・・・君は?」


そう太希が尋ねる。


「あぁ。ごめんなさい。

神川かみがわ水樹みずきって言います。

あの輪を作ってるドラマーの四条しじょう七海ななみの幼なじみです。」


そう水樹は優しく微笑んで答える。


その微笑みに太希の心はみょうかれる。


「どうせなら、もっと近くで聞きませんか?」


そう言うと水樹は太希の手を掴んで人の輪に連れて行く。


人の輪をき分けて水樹と太希は1番前に立つ。


太希の眼に映るのは

綺麗な汗を流しながら自分の全てを音として叩き表現している女の子の姿だった。


「いい顔してるでしょ?」


そう水樹が太希に話しかける。


そんな水樹に目線を向けて「・・・そうだね。」と太希は答える。


🥁


演奏が終わり、人の輪がりに去って行くと水樹が七海に声をかける。


「七海、お疲れ様。」


その声に七海は目線を向ける。


「あぁ。水樹。来てくれたんだ。

ありがとう。」


そう七海は嬉しそうに微笑む。


「もちろん。そうだ。紹介するね。

こちらさっき知り合った・・・。

え~とお名前なんでしたっけ?」


そう水樹が太希に尋ねる。


「山西太希です。」


そう太希が答えると七海があからさまに不機嫌そうな表情を太希に向ける。


(え?オレなにかした?)


そう太希は心の中で焦る。


「山西君。七海の音めてたよ。」


そう水樹は話を続ける。


「それはどうも。」


そう無愛想な声で七海はお礼を言う。


「いえいえ。そ、そうだ。

オレ母親から買い物頼まれてたんだ。

悪いけど、オレはこの辺で。」


そう言うと太希は逃げるように去って行く。


「今日はありがとう~!!」


そう水樹は笑顔で太希に手を振る。


その笑顔を心に強く刻みながら太希は軽く頭を下げる。


これが太希と水樹の出会い。

そう・・・ここから始まるのだ。

あの辛く悲しい現実の道が。


そして、その先の・・・。


(神川…水樹…か。)


〈2〉


ー次の日ー


「うん。似合ってる。」


そう母親が制服姿の太希たいきを見て頷く。


「じゃ、行ってきます。」


そう言うと太希は家を出る。


山西やまにし太希。今日から高校生である。


🥁


太希は自分が通う“中津なかづ高校”に着くと自分のクラスを確認する。


「おう。太希。何組だった?」


そう1人の男子生徒が太希に声をかける。


この男子生徒の名は中星なかぼし圭吾けいご

太希とは小学校からの付き合いである。


「4組。お前は?」


そう太希が聞き返す。


「2組だったよ。一緒のクラスにはなれんかったなぁ。」


そう圭吾が残念そうな声で言う。


「まぁ、そんなもんだろ。」


そう太希は冷めた声で返事を返す。


🥁


太希が1年4組のクラスに着くと黒板に

適当な席に座って待つようにと書かれていた。


(適当な席ってなんだよ。)


そう思いながらも太希は適当な席に座る。


「山西君?」


そう後ろから声をかけられて太希は振り返る。


そこに居たのはなんと水樹みずきだった。


予想もしていなった展開に太希の思考は止まる。


「同じ学校で同じクラスなんてびっくりだね。」


そう水樹は昨日、太希に見せた優しい微笑みをもう1度、太希に見せる。


その微笑みを見た太希の頭に昨日言われた母親の言葉がよみがえる。


{恋でもしてみれば?}


太希の中に少しずつ何かが作られていく。


🥁


それから数ヶ月後。


パコパコボヨ~ン。

パコパコボヨ~ン。


「ぐっははは!!」


そう太希が叩くバケツの音を聞いて圭吾が大きく笑う。


そんな圭吾を太希は不機嫌そうな目で睨む。


「いつ聞いても最高だなぁ。

お前のは。」


そう圭吾は太希をバカにする。


「うっさい。オレより少しだけ上手いからって調子にのんな。」


そう太希が言い返す。


「お前の少しはどんだけの距離があんだよ。」


そう圭吾は小バカにした態度を変えずに聞く。


「1万キロだろうが2万キロだろうが

オレにとったら、少しなんだよ!!」


そう太希は大きく叫ぶ。


「三下同士の喧嘩はよそでやってくれる?」


そう七海ななみが屋上の扉の前で

太希と圭吾に不機嫌そうに声をかける。


「ちょっと、七海。

そんな言い方ないでしょ?」


そう一緒に居た水樹が七海をしかる。


「ウチは事実を言っただけだよ。

何ヵ月も練習して、下手くそなこいつ等が悪い。中でも・・・あんたの音が1番ムカつく。」


そう言って七海は太希の前に立つ。


「ちょっと、七海!!」


そう怒鳴る水樹を太希が止める。


「悪かったな。行こうぜ、圭吾。」


そう太希は言うと圭吾を連れて校舎こうしゃの中に入って行く。


「も~。何であんな言い方するかな?

同じドラマー同士、仲良くすればいいのに。」


そう水樹は呆れた声で七海に言う。


「同じ?あんな奴等と一緒にしないで。

あんたに好かれるためだけにドラムやってるあんな奴等と…。」


そう最後の1言は水樹に聞こえないほど小さな声で七海は呟く。


🥁


「・・・なぁ。何でお前までドラム始めたんだ?」


そう廊下を歩きながら太希が圭吾に尋ねる。


「お前と同じ理由に決まってんだろ?」


そう圭吾が答えると太希は足を止めて窓の外を眺める。


「・・・だよな。」


そう小さく呟く太希を圭吾は微笑みながら見つめる。


「・・・いい女だよなぁ。神川水樹。」


「・・・あぁ。」


そう太希は短く答える。


🥁


放課後になり、家に帰る準備をする太希に水樹が声をかける。


「ねぇ、山西君。ちょっといい?」


「どうした?」


そう太希は目線を水樹に向けて尋ねる。


「次の日曜日、暇かな?」


「まぁ、予定はないけど。」


「だったら、一緒にドラマーライブに行かない?」


「ドラマーライブ?」


そう太希が聞くと水樹はかばんの中から1枚のチケットを取り出す。


音兎おとうさぎって言うライブハウスでやるんだ。このライブハウスはドラマーを強くしてるの。

だから、年に何回かドラマーだけのライブをやるんだよ。

本当は七海と行く予定だったんだけど、七海が急に行けなくなって、チケットが1枚余ってるの。良かったら、一緒に行かない?」


そう水樹が優しく微笑みながら聞く。


「・・・オレで良ければ。」


そう答えると太希はチケットを受け取る。


「良かった。待ち合わせ場所とかはまた明日、決めよう。ありがとね。」


そう満面の笑みでお礼を言うと水樹は教室を出て行く。


「・・・デート…ではないな。」


そう小さく呟いたのちに太希は再度、目線を自分の手の中にあるチケットに向ける。


🥁


そして、日曜日。

結局、待ち合わせ場所は現地である音兎の前になった。


「ここが音兎か。

おぉ。看板かんばんが兎型だ。」


そう太希は音兎の看板を見つめながら呟く。


「山西君、お待たせ~。」


そう声をかけながら水樹が走ってくる。


初めて会ったあの日以来の水樹の私服。

あらためて見ると…とても可愛い。)


「山西君?」


そう自分の事を見つめる太希に水樹は首を傾げる。


「ごめん。なんでもないよ。入ろう。」


そう太希が言うと2人は音兎の中に入る。


音兎の中は大勢の人で賑わっていた。


その人の多さに太希がまれていると

「ほら、もっと前で見よう。」と言って水樹が太希の手を掴んで引っ張る。


自分の手から感じる水樹の温かさに太希の心は持っていかれる。


その温もりが放れる。


「ほら、見て。あれがあなたが目指す世界だよ。」


そう水樹に言われて太希は目線をステージに向ける。


ステージの上では名前も知らないドラマーが自分の全てを音として叩き表現していた。


その音に会場はわき上がる。


たった1人の人間が叩く音にこれだけの人達が熱く盛り上がる。


今まで太希が知らなかった世界。


そんな世界に太希は圧倒される。


「見てみたいなぁ。」


「え?」


そう太希が水樹の言葉に聞き返す。


「このステージに立った、山西君の姿。」


そうキラキラした眼でステージを見つめながら水樹は言う。


「・・・オレには無理だよ。

圭吾や四条しじょうよりも下手なんだから。」


そう太希は静かな声で答える。


「でも、私は山西君の音が1好きだよ。」


そう優しい微笑みを太希に向けながら水樹は言葉を返す。


そんな水樹の微笑みを太希は黙って見つめる。


🥁


ライブも終わり2人は駅まで一緒に帰った。


「じゃ、私こっちだから。

今日は付き合ってくれて本当にありがとね。」


そうお礼を言うと水樹は太希に背を見せて歩き出す。


「神川!!」


そう太希が呼ぶと水樹は足を止めて振り返る。


「・・・頑張ってみるよ。」


「なにを?」


そう水樹は首を傾げる。


「神川が見たいって言った…。

あのステージに立てるように…。」


そう太希が答えると水樹は嬉しそうな表情を見せて太希に近づく。


「応援するよ私。誰よりも全力で。」


そう言って水樹は太希の両手を強く握る。


「あ、ありがとう。」


そう少し顔を赤くして太希はお礼を言う。


「・・・ねぇ…もう1つお願いしてもいい?」


「え?」


そう太希は再度、目線を水樹に向ける。


「山西君の事、名前で呼んでもいいかな?」


「え?」


「1番近くで応援したいから。」


そう真っ直ぐ太希の目を見て水樹はお願いする。


「・・・別に…いいよ。」


そう唐突とうとつなお願いに太希は力なく了承する。


「ありがとう!!私の事も水樹でいいから!!頑張ってね。君。」


そう嬉しそうなに微笑むと水樹は去って行く。


小さくなる水樹の背中を太希は真っ白な頭で見送った。


〈3〉


山西やまにし太希たいき。高校3年の秋。


七海ななみは路上でバケツを叩いていた。


その七海の音にたくさんの人が足を止め、人のを作っている。


七海の演奏が終わると人の輪は一斉に七海に拍手はくしゅを贈る。


そんな人の輪に七海が頭を下げると

人の輪はりに去って行く。


「相変わらず、人をきつける音を叩くなぁ。」


そう圭吾けいごが七海に声をかける。


「なんか用?」


そう七海が尋ねる。


「お前は受けなかったんだな。

音兎おとうさぎの年末ドラマーライブのオーディション。」


そう圭吾が聞くと七海の表情があからさまに不機嫌になる。


「当たり前でしょ?!

と一緒のステージに立てるわけないでしょ?!」


そう七海が荒々しく叫ぶ。


「その言い方。太希たいきが受かる前提ぜんていで話してないか?」


そう圭吾が言うと七海が“うっ”とした顔をする。


「凄いよなぁ。あいつ。

最初はオレ達の方が上手かったのに、今では1番上手いんだから。」


そう圭吾が言うと七海は鼻で笑う。


「あんたよりは…でしょ?」


🥁


ひかえ室で出番を待っている太希は緊張でソワソワしていた。


それもそのはず。オーディションを受けるなんて初めての事なのだから。


そんな太希のスマホにメッセージが届く。


「だ、誰だ?」


そう言いながら太希がスマホを確認すると水樹みずきから動画が送られてきていた。


イヤホンを付けてその動画を確認する。


《太希君なら、大丈夫。

だから頑張れ!!頑張れ!!》


その応援メッセージに太希は力を貰うと

小さく微笑む。


「次、28番の人お願いします。」


そうスタッフの人が控え室の扉を開けて呼ぶ。


「はい。」


そう答えると太希は立ち上がって控え室を出る。


🥁


夜の公園で太希は呼び出した水樹が来るのを待っていた。


そんな太希の前に息を荒くした水樹が現れる。


「オ、オーディション。

ど、どうだった?」


そう息を整えるよりも先に水樹は尋ねる。


「ジャーン。」


そう言って太希は年末チケットを水樹に見せる。


「・・・受かったの?」


そう水樹が目を大きくして聞く。


「あぁ、なんとかね。」


そう太希が照れ隠しの微笑みを見せながら答える。


「おめでとう!!本当におめでとう!!」


そう自分の事以上に喜んで水樹は太希の両手を強く握る。


「あ、ありがとう。これ、水樹の分のチケット。」


そう言って先ほど見せたチケットを水樹に渡す。


「ありがとう!!楽しみにしてるね。」


そういつもの優しい微笑みで水樹はお礼を言う。


そんな水樹の様子に少し恥ずかしくなった太希は目線をらす。


「そうだ。七海と中星なかぼし君にも教えないと。」


そう言うと水樹はスマホを取り出す。


「私が七海に教えるから、太希君は中星君にお願いね。」


そう言うと水樹は七海に電話をかける。


その横で太希もスマホを取り出すとチラッと水樹の方へ目線を向ける。


(・・・本当…嬉しそうな顔してくれるなぁ。)


そう嬉しそうに微笑んで太希は圭吾に電話をかける。


🥁


ー次の日ー


「はい。これ2人の分のチケットね。」


そう言って太希が圭吾と七海にチケットを渡す。


「こんなチケット、いらないわよ!!」


そう七海が怒鳴る。


「オレ以外にも沢山のドラマーが出るんだぞ?」


そう言う太希を強く睨むと七海はチケットを受け取らずに屋上から校舎こうしゃの中へと帰って行く。


「本当、嫌われてるなぁ。オレ。」


そう太希が屋上の扉を見つめながら言う。


「羨ましいんだよ。お前が。」


「はぁ?!あいつの方がまだまだ上手いだろ?」


そう太希が言葉を返す。


「だからこそだよ。」


その圭吾の言葉の意味が分からず太希は首を傾げる。


「それより、神川かみがわさんにはチケット渡したのか?」


そう圭吾が話を変える。


「…あぁ。昨日、合格の報告をした時にな。」


「何て言ってた?」


そう圭吾に聞かれて太希は目線を空へと向ける。


「・・・楽しみにしてるって。」


その太希の答えを聞いて圭吾は軽く微笑む。


「彼女の期待、裏切るなよ。」


そう言うと圭吾は扉の方へ歩き出す。


「なぁ圭吾!!」


そう呼び止められた圭吾は足を止めて振り返る。


「このライブを無事成功させたらさぁ…

オレ、水樹に告白するよ。

ずっと考えてたんだ。あの時から。

水樹がステージの上に立つオレの姿を見たいって言った…あの時から。

なぁ…ライバルだけど…応援してくれるか?」


そう太希が真っ直ぐ圭吾の目を見て聞く。


「なってねぇんだよ、最初から。

オレとお前じゃ…ライバルに。」


そう呟く圭吾の声は太希には聞こえなかった。


「待ってると思うぜ。神川さんも。

ずっと…前から。だからまぁ…。

頑張れよ。」


そう言い終えると圭吾は校舎の中へ入って行く。


1人残った太希は綺麗な青空を見上げるのであった。


〈4〉



年末ライブ前日の12月30日の夜。

太希たいき水樹みずきは2人きりで話をしていた。


「10時スタートの19時終了か。

太希君の出番は12時だよね?」


そう水樹が案内チラシを確認しながら聞く。


「あぁ。」


そう太希は静かな声で答える。


「初ライブ、緊張してる?」


そう水樹が尋ねる。


「・・・少しだけ。でも…楽しみでもあるかな。あのステージの上から見る景色がどんなものなのか。」


そう太希が正直に答える。


「楽しんでね。目一杯。

私も楽しみにしてる。あのステージで今まで以上に輝いてる太希君の姿。」


そう水樹が優しく微笑む。


「・・・なぁ…水樹。」


「ん?」


「ライブが終わったら、少しだけオレに時間をくれないか?」


「別にいいけど…どうして?」


そう水樹が尋ねる。


「お前に伝えたい事があるんだ…ずっと前から。」


そう太希が答える。


「…分かった。」


🥁


そして年末ライブ当日の12月31日。

太希はひかえ室で自分のドラムスティックに書かれた2を見つめていた。


{なんだよ、このハート。}


{私と太希君の夢だよ。}


{夢?}


{そう。1つ1つは小さなハートだけど、2つ合わさると大きなハートになる。

なんちゃって。}


「・・・叶えに行こうぜ。

2人の大きな夢を…。」


そう呟くと太希は立ち上がり、ステージに向かう。


🥁


ステージの上から見る景色は太希が今まで見たどの景色よりも素敵なものだった。


そんな景色の中から太希は水樹の姿を探すが見つからない。


(さすがにこの人数の中から見つけるのは無理か。)


そう思いながら太希はドラムの前に座る。


そして、1度大きく息を吐き出すとドラムを叩き始める。


今までの自分の想い全てを音にするために。


その音に観客達は盛り上がる。


(いい…気持ちいい…。

最高の気分だ。こんなの初めてだ。

ずっと叩いていたい。

この瞬間だけ…この会場せかいは…

オレ世界なんだ。)


そう太希はどんどん上がる気持ちをさらに音に変え叩く。


演奏を終えた瞬間。

数分間の疲れが一気にきて太希の息を荒くする。


そんな太希に観客達は拍手を贈る。


その音に太希は顔を上げると立ち上がり、深く頭を下げる。


🥁


(間違いなく、今まで1番の音を叩けた。

水樹は気に入ってくれたかな?)


そんな事を考えながら控え室に帰った太希は用意されたロッカーの中に入れてあった自分のスマホを取り出す。


すると圭吾から着信があった事を知る。


「どうしたんだ?」


そう思いながらも太希はかえす。


「おう圭吾。どうしたんだよ。」


そう太希が明るい声で聞くのとは真逆に

圭吾は暗い雰囲気だった。


「・・・なにかあったのか?」


そう不安になった太希が声を落として尋ねる。


「・・・神川かみがわさんが…。」


「…水樹が?」


「…事故で病院に運ばれた…。」


その言葉を太希の脳は上手く理解できなかった。


太希の中の世界にひびが入る。


🥁


太希が病院に着くと圭吾と七海が暗い雰囲気で椅子に座っていた。


「・・・水樹は?」


そう太希が2人に尋ねると圭吾が弱々しく首を左右に振る。


その動作の意味が分からず太希は「は?」と聞き返す。


そんな太希に圭吾が無言で目の前の部屋を指差す。


太希の中に緊張がはしる。


苦しさで息が荒くなりそうなのをおさえて太希は部屋の扉に手をかける。


そしてゆっくりと扉を開けるとそこには

泣き崩れている水樹の母親とそんな母親を支えている父親の姿があった。


「・・・太希君…。君も来てくれたんだね。」


そう弱りきった表情で父親が太希に声をかける。


「おじさん…水樹は?」


そう太希が聞くと父親は無言で目の前の台に乗っている人物を指差す。


その人物は全く動かない。


太希はゆっくりとその人物の顔を確認する。


その人物は…間違いなく…水樹だった。


太希の中の世界が壊れる。

それと同時に太希の心を黒く包み吐き気を感じさせる。


その吐き気にえられなくなった太希はトイレに駆け込む。


太希は便器の中に自分の心を包む黒いものを吐き出す。


「おぇ。おぇ。おぇぇぇ。」


止まらなかった。

色んな感情が心を渦のようにかき乱す。


🥁


トイレを出た太希を待っていたのは

目を赤くした圭吾だった。


「これ。神川さんが最後まで強く握ってたもの。」


そう言って圭吾は血まみれのを太希に渡す。


それを受け取る太希の心は真っ白で何の感情もなかった。


🥁


暗い帰り道、太希の足は自然と水樹と出会ったあの道路へと進んだ。


…音が聞こえる。バケツドラムの音だ。


太希が目線を音の方へ向けるとそこには泣きながらバケツを叩く七海の姿があった。


その音はいつも七海が叩く音とは違って、何かを壊す様に荒々しかった。


その音に足を止める人は1人もいなかった。


ただ1人…太希だけが遠くから七海を見つめていた。


🥁


家に帰った太希は自分のベッドに倒れ込むと静かに天井を見上げた。


そんな太希の頭によみがえるのは

いつも見せてくれた水樹のあの優しい微笑みだった。


太希は自分の手の中にある血まみれのチケットを強く握り潰す。


真っ白な太希の心に冷たい雨が降り始めた。


その雨は何時間もまなかった。


この日から太希はドラムを叩けなくなった。


〈5〉


そして、時は流れ。

山西やまにし太希たいき。22歳の夏。


{見てみたいなぁ。

このステージに立った、山西君の姿。}


太希は水樹みずきの夢で目を覚ます。


「・・・もう…4年経つのか。」


そう寂しそうに呟きながら太希はベッドから下りる。


「太希~!!圭吾けいご君が来てるわよ~!!」


そう下の階から母親が叫ぶ。


「圭吾?こんな朝っぱらから何の用だ?」


そう文句を言いながら太希は部屋の時計に目線を向ける。


時刻はの12時を回っていた。


「・・・こんな昼っぱらから何の用だ?」


そう太希は言い直すと部屋を出る。


🥁


太希がリビングの扉を開けると

そこにはソファーでくつろぐ圭吾の姿があった。


「よぉ。こんな時間まで寝てるなんて、随分といい夢見てたんだな。」


そう圭吾は笑みを見せながら太希に話しかける。


その笑みを不快に感じた太希は不機嫌な声で「あんの用だよ。」と聞く。


そんな太希に軽く微笑むと圭吾は話を始める。


「お前、今日バイト休みだろ?」


「それがなにか?」


「いい物を持ってきてやったぞ。」


「いい物?」


そう太希が聞くと圭吾は1枚のチケットを太希に渡す。


そのチケットにはこう書かれていた。

“第32回音兎おとうさぎバンドライブ”


「それにオレのバンドが出るんだ。」


「お前、バンドとかやってたの?」


そう太希が驚く。


「あぁ。3ヶ月ぐらい前からな。

それまではソロでドラム叩いてたんだけどな。」


その圭吾の言葉に太希は少し表情を暗くする。


「・・・まだ続けたんだな。ドラム。」


そう言う太希の声は少し寂しそうだった。


「…お前と違ってやめるタイミングを逃しただけだよ。」


そう答えると圭吾は立ち上がる。


「まぁ、来る気があったら、来てくれ。」


そう太希の肩を軽く叩くと圭吾は太希の母親に挨拶をして家を出て行く。


(さ~ぁて。どうするかな~。

・・・まぁ…とりあえずは…)


「母さん。昼飯~。」


そう太希は母親に声をかける。


🥁


(せっかく貰ったチケットを無駄にするのは少し気分が悪いので来てみたけど。

4年前よりお客さん増えてないか?)


そんな事を感じながら太希は会場を見渡す。


「あんたがこんな所に居るなんて珍しいわね。」


そう誰かが太希の後ろから声をかける。


太希はその声に振り返る。


そこに居たのは七海ななみだった。


「…お前も圭吾にチケット貰ったのか?」


その太希の質問が七海の機嫌きげんを悪くする。


「違うわよ。ウチは毎回ここのライブには来てるの。」


そう高校生の時と変わらない冷めた声で七海は答える。


「じゃぁ、お前もまだドラム続けてるんだな。」


そう太希が少し寂しそうな声で言うと

七海は軽く鼻で笑う。


「当たり前でしょ?

ウチはあんたと違って昔から本気でやってるんだから。」


そう吐き捨てると七海は太希のそばから離れて行く。


小さくなる七海の背中を見つめながら太希は「そうだったな」と小さく呟く。


1人になった太希は寂しそうな眼で盛り上がる観客達を見つめる。


{ほら、もっと前で見よう。}


水樹の言葉が太希の耳によみがえる。


その声に太希は目線を横に向ける。


だがそこに…水樹の姿はない。


太希は水樹の温もりが消えた自分の右手を見つめる。


「・・・やっぱ…帰ろう。」


そう小さく呟くと太希は音兎を出る。


そんな太希の様子を七海は遠くから見つめていた。


🥁


ライブが終わり、七海は圭吾が出てくるのを待っていた。


そんな七海の前に圭吾が姿を見せる。


「おっ。お前も来てたのか?」


そう圭吾が七海に声をかける。


そんな圭吾の問いなど無視して七海は単刀直入に尋ねる。


「なんで、あんなやつにチケットを渡したの?」


その七海の質問に圭吾はあえて間を作る。


「・・・何か変わるかと思ったんだよ。」


「え?」


「もう1度聞きたくてな。

あいつの音が。」


そう答える圭吾を七海は驚いた表情で見つめる。


「・・・何で…今さら?」


そう七海が小さな声で尋ねる。


「お前なら分かるだろ?

前に進むためだよ。

結局オレ達は止まったままなんだ。

4年前のあの時から。」


そう圭吾が答えると七海は静かに口を閉じる。


「それが分かってるからお前も迷ってんだろ?プロのオーディション受けるかどうか。実力はあるよお前は。

でも、今のままじゃ受からない。

迷いがある…今のままじゃ…な。

オレも同じさ。このままじゃきっと…バンドを続けられない。

別れケリ”をつけなきゃダメなんだよ。

オレ達…3は。」


そう言い残すと圭吾は七海の前から去って行く。


1人残された七海は静かに暗くなろうとしている空を見上げる。


〈6〉


ー数日後ー


太希たいきがバイトしている“業績ぎょうせきスーパー”に1人の新人が入る。


「じゃ、山西やまにし君。新人さんの面倒お願いね。」


そうパートのおばさんは太希に新人の面倒を任せると忙しそうにどこかに歩いて行く。


2人残された太希と新人()は黙ってお互いを見つめる。


「よろしくお願いします。

さん。」


そう七海ななみがキンキンに冷めた声で挨拶をする。


(誰か…変わってくれ~ぇ。)


そう太希は心の中で叫ぶ。


🥁


「ありがとうございました。」


そう七海は明るい声と笑顔でレジをち終わったお客様に頭を下げる。


そんな七海を太希は後ろで見守る。


「何でここでバイト始めたんだ?」


そう太希が尋ねる。


「家が近いからよ。

あんたが居るって知ってたら、こんな所選らばなかったわよ。」


そう七海が振り返りもせずに答える。


そんな七海に太希は愛想なく「さいで」と返す。


{もう1度聞きたくてな。

あいつの音が。}


「…ウチは…聞きたくないよ…。」


そう七海は小さく呟く。


「あん?何か言ったか?」


「いいえ。言ってませんよ。さん。」


🥁


バイトが終わり、帰る支度したくをする太希に七海が声をかける。


「この後、暇でしょ?

ちょっと付き合ってよ。」


珍しい七海のさそいに太希は首を傾げる。


🥁


太希が連れてこられたのは

橋下はしした川原かわらだった。


「こんな所でなにすんだ?」


そう聞く太希など無視して七海は大きなリュックからバケツとドラムスティックを取り出す。


「お前、そんな物持ち歩いてんのか?」


そう驚く太希の前に七海はドラムスティックを差し出す。


「叩いてみて。」


そう真っ直ぐ太希の目を見て七海は言う。


「はぁ?なんで?」


そう聞く太希の胸にドラムスティックをし当てると七海は荒々しく叫ぶ。


「いいから叩いて!!」


七海の声は橋の下でキーンと響き広がる。


その七海の声に太希は何か重いものを感じる。


「・・・何があったんだ?

お前…オレの音嫌いだったろ?」


そう心配した様子で太希が尋ねると七海は持っていたドラムスティックを地面に落として太希の服を掴む。


そして、そのまま太希を壁に圧しつける。


「大嫌いだよ!!」


そう七海は荒々しく叫ぶ。


「じゃぁ…なんで?」


そう聞く太希の声は七海とは逆に落ち着いたものだった。


「それでもあんたなんだよ!!

ウチでも、中星なかぼしでもなく。

あんたの音なんだよ!!

水樹に…選ばれたのは…。」


そう必死に訴える七海の顔は太希からは見えない。


「・・・なんで…?

なんで…それを…捨てられるの?

ねぇ…なんで…?」


そう尋ねるながら七海は顔を上げる。


その七海の顔は太希が今まで見たことのないほど弱々しかった。


そんな七海の顔を見た太希は黙って地面に落ちたドラムスティックを拾い上げるとバケツの前に座る。


そして、全力でバケツを叩く。


その音は昔のままだった。

七海が嫌い…水樹が愛した音だった。


{七海。太希君にドラム教えてあげてよ。}


{はぁ?なんでウチが?}


{きっと、素敵な音を叩けると思うんだ。

ねぇ。いいでしょ?}


「・・・やっぱり…。

ウチの方が上手いよ…水樹…。」


そう七海は小さく呟く。


太希のドラムは最高潮へと向かっていた。


そんな太希の心にの景色がよみがえる。


自分が叩く音に盛り上がる大勢の観客達…その中に水樹の姿は…ない。


その景色が太希の心を黒く包み吐き気へと変える。


その吐き気にえられなくなった太希は川に自分の心を包む黒いものを吐き出す。


そんな太希の様子を七海は驚いた様子で見つめる。


「…はぁ…はぁ…。これで分かったか?

オレはドラムを叩かないだけじゃなく、叩けないんだよ。」


そう辛そうな声で伝えると太希は七海の前から去って行く。


その去り際、太希は弱々しい声で「ごめんな」と謝る。


1人残された七海はしばらくの間、動けずにいた。


〈7〉


夏の暑い太陽が消え、綺麗な月が夜道を照らすなか、七海ななみは1人で帰っていた。


重い足を動かす七海の頭には先ほどの苦しそうな太希たいきの姿とその太希が最後に言った“ごめんな”の1言がぐるぐると回っていた。


そんな七海の目に子供の頃、よく水樹みずきと2人で遊んだ公園が映る。


その公園の前で七海は足を止める。


{凄い。上手じょうず!!

七海ちゃんは大人になったら、プロのドラマーになれるよ!!絶対!!}


この公園で嬉しそうに言ってくれた水樹の言葉を七海は思い出す。


ゆっくりと公園に入ると

七海はリュックの中からバケツとドラムスティックを取り出す。


そしてバケツを叩き始める。

その七海の目にはおさえきれないほどの涙がポロポロと流れた。


🥁


ー次の日ー


太希の家のチャイムが鳴る。


「太希~。出て~。」


そう母親に言われて太希は玄関の扉を開ける。


そこに居たのは圭吾けいごだった。


「よっ。」


そう圭吾は軽い口調で太希に声をかける。


そんな圭吾を部屋にあげると太希は適当にお茶を出す。


「っんで?今日はなんの用だ?

バイトは休みじゃないぞ?」


そう太希が尋ねる。


「知ってるよ。昨日、四条しじょうから聞いたぞ。お前、ドラム叩けないんだってな。」


そう圭吾がお茶を飲みながら言うと太希は少し返す言葉に迷う。


「・・・関係ねぇよ。

どっちにしろ、叩いてなかったと思うし。もう…聞かせたいがいないからな。」


そう太希は圭吾から目線をらして答える。


少しの間、2人に沈黙が流れる。


その後、圭吾が小さな声で、でも力強くこう言った。


「まだ届けられてないだろ?

あの日の音も…お前の想いも…。

神川かみがわさんに。」


また2人の間に沈黙が流れる。


🥁


その日のバイト中、太希はずっと考えていた。これから自分がどうすべきなのか。


だが、その答えは結局出なかった。


バイトが終わり、太希がスタッフルームに入ると今来たばかりであろう七海が自分のロッカーからエプロンを取り出していた。


そんな七海と目が合うが2人は挨拶をかわさない。


太希は自分のロッカーを開けながら何と無しに七海に話しかける。


「今日、圭吾かうちに来たよ。

昨日の事、圭吾に話したんだな。」


「悪かった?」


そう素っ気ない声で七海は聞く。


「っんやぁ。別に。」


そう太希が答えると七海は何も言わずにスタッフルームを出ようとする。


そんな七海に太希は声をかける。


「なぁ、四条。」


名前を呼ばれた七海は立ち止まると太希の方へ振り返る。


「もし…水樹が幽霊としてオレの前に現れたら…なんて言うかな?」


その太希の問いに七海は冷たく「知らないわよ。」と答えるとスタッフルームを出る。


「だよな。」


そう太希は寂しそうに小さく呟く。


「頑張れ。」


その言葉に太希が「え?」と言いながら顔を上げるとそこにはスタッフルームの扉から顔だけを出している七海の姿があった。


「よくあんたに無責任に言ってたでしょ?頑張れって。」


そう言い終えると七海は顔を引っ込める。


1人になったスタッフルームの天井を見上げながら太希は「・・・正解な気がするよ。」と小さく呟く。


〈8〉


太希たいきは家に帰ると机の引き出しにしまっておいた“血まみれのチケット”を取り出す。


そう、このチケットは水樹みずきが最後まで強く握っていたあのチケットだ。


そのチケットを見つめながら太希はふと思い出すとスマホを取り出してフォトファイルを開く。


その中の動画の1つを再生する。


《太希君なら、大丈夫。

だから頑張れ!!頑張れ!!》


動画の中の水樹は最後に優しく微笑む。


「・・・オレなら大丈夫…か。」


そう太希は小さく呟く。


🥁


次の日。太希は気持ちを整理するために

水樹のお墓へと向かった。


そこには先客が居た。

それは水樹の父親だった。


太希が水樹の父親と会うのはあの病院以来である。


父親の方も太希の存在に気がつく。


「…太希君。久しぶりだね。」


そう父親が優しい笑みを作って声をかける。


「…はい。…水樹の葬式そうしき…行けなくてすいません。」


そう太希はばつが悪そうに目線をらして謝る。


「いや。いいんだよ。中星なかぼし君から当時の君の様子を聞いてたから。

水樹の死で…君が苦しんでる事を。」


そう父親は答える。


「・・・今日…おばさんは?」


そう太希が尋ねると父親は苦笑いを作る。


「恥ずかしい話。まだ立ち直れてないんだ。4年も経つのにと君は思うかもしれないが、私達には4年は短いんだ。」


そう父親は遠くの空を見つめながら話す。


「・・・長くないですよ…。

オレにとっても…4年は。」


そう太希が声のトーンを落として言葉を返す。


そんな太希を見つめると父親は軽く微笑む。


「でも、前に進みたくてここに来たんだろ?」


「え?」


「大丈夫だよ。水樹は応援してくれる。

どこに居ても、誰よりも強く君を応援してくれる。君を応援してる時の水樹が1番輝いていたから。」


その父親の言葉を聞いて太希は目線を水樹の墓石ぼせきに向ける。


そんな太希の眼に水樹の姿が映る。


「頑張れ。」


そう幻の水樹は優しく微笑みながら太希にエールを贈る。


太希の中で覚悟が決まる。


🥁


家に帰った太希は押し入れの中からバケツとドラムスティックを取り出す。


ドラムスティックには小さなハートが2つ書かれたままだ。


そのハートを合わせて太希は大きなハートを作ると1度大きく息を吐く。


そしてバケツを叩き始める。


ドンドンバンバンドンドンバン。


「おっ。久しぶりに聞いたな。

頑張れ、太希。」


そうリビングのソファーに座りながら母親は微笑む。


太希のドラムは最高潮へと向かっている。


その太希の瞳にもうあの日の景色は映らない。


(いける。)


そう強く確信しながら太希は最高潮へと到達する。


(4年ぶりだ…4年ぶりだ…4年ぶりだ!!こんなに…気持ちよく…叩けたのは。)


そう太希は嬉しそうに微笑むと叩くのをやめる。


「…待っててくれ。水樹。

届けに行くから。あの日…届けられなかった。音も…想いも全部。

だから、もう少しだけ。

オレを応援してくれ。

お前の応援があればオレは何でもできる気がするんだ。」


そう太希は息を切らせながら水樹に伝える。


山西やまにし太希。4年ぶりの再始動である。


〈9〉


太希たいきがもう1度あのステージに立つと決めてから数週間。


圭吾けいごの力も借りて太希はひたすら練習をしていた。


もちろん、今日も音楽スタジオで練習中である。


「はぁ。はぁ。どうだ?圭吾~。」


そう疲れた様子で太希は圭吾に感想を求める。


「あぁ。4年前のレベルには戻ったんじゃないか?でもまぁ、もう1度あのステージに立つならそれ以上の実力が必要だけどな。あのライブハウス、この4年間で結構、有名になったらかな。ステージに立つのも難しくなってるよ。」


そう圭吾が説明する。


「マジですか~ぁ。」


そう太希はヘロヘロと倒れ込む。


「どっちにしろ、神川かみがわさんに届けるなら、あの時以上のものにしないとだろ?じゃないと、4年間の意味がねぇよ。」


そう言いながら圭吾はお茶のペットボトルを太希に差し出す。


そのペットボトルを無言で受け取ると太希は飲み始める。


「あの時以上のもの…か。」


そう小さく呟きながら太希は考える。


🥁


次の日のバイト終わり、スタッフルームで太希は七海ななみに声をかける。


「なぁ。四条しじょう。」


そう名前を呼ばれた七海は無言で太希を見つめる。


「オレにドラム教えてくれないか?」


「はぁ?!なんでウチが…」


{それが分かってるからお前も迷ってんだろ?プロのオーディション受けるかどうか。}


{きっと、素敵な音を叩けると思うんだ。

ねぇ。いいでしょ?}


圭吾と水樹みずきの言葉を思い出して七海は言葉が止まる。


急に言葉を止めた七海を太希は不思議そうな目で見つめる。


「・・・いいよ。手伝っても。」


そう七海の意外な返事に太希は「え?」と驚く。


🥁


そして、七海の力も加わり太希の練習はよりハードになった。


それでも太希は逃げ出さずに練習する。


水樹にあの日以上の音を届けるために。


🥁


そして、時は流れに流れ。

山西やまにし太希。22歳の秋。


圭吾は七海を夜の公園に呼ぶ。


「なに?こんな時間にこんな所に呼んで。」


そう七海が圭吾に尋ねる。


「明日だな。太希のオーディション。

実際どうなると思う?」


そう圭吾が尋ねる。


「さぁ?でも…やれる事はやったと思うよ。」


そう七海は圭吾に目線を合わせずに答える。


「1つ聞いてもいいか?」


「なに?」


「なんで太希を手伝おうと思ったんだ?

いつものお前なら断ってただろ?」


その圭吾の質問に七海は少し考える素振りを見せる。


「・・・あんたと水樹の言葉を思い出したからよ。」


「神川さんの言葉?」


「あいつなら、素敵な音を叩けるって。

その音がどんなものなのか、気になってね。」


そう目線を合わせないまま七海は答える。


「聞けるといいな。あのステージで。」


そう圭吾が言うと七海はやっと目線を圭吾に向ける。


「・・・期待してないよ。ウチは。」


そう静かな声で七海は答える。


次の日、太希は見事にオーディションに合格する。


🥁


そして、さらに時は流れ。

音兎おとうさぎの年末ドラマーライブ当日。


「太希~。あんた朝ごはんどうするの?」


そう聞きながら母親は太希の部屋を開ける。


だが、そこに太希の姿はない。


「・・・どこ行った?あいつ。」


🥁


そのあいつは水樹のお墓に来ていた。


丁度ちょうど4年…か。

随分待たせたよなぁ。

でも、その代わり…あの日以上の音を届けるよ。だから、天国そこで聞いててくれよ。1番の特等席で。」


そう伝えると太希はチケットを水樹の墓の前に置く。


「ライブが終わったら、もう1度来るよ。

あの日、伝えられなかった想いを伝えに。」


そう言って太希は軽く手を合わせると立ち上がり、水樹の墓を背に歩き出す。


そんな太希の背中に声がかかる。


「頑張れ。」


その声に太希は振り返るがそこには誰も居ない。


軽く微笑んだ後に太希はまた歩き出す。


🥁


ー神川家ー


「母さん。」


そう水樹の父親が母親を呼ぶ。


その声に母親は弱々しく顔を上げる。


「これ、覚えてるかい?」


そう言って父親は1枚のチケットを母親に見せる。


「あの日、水樹が最後まで大事に握ってたチケットと同じ物だ。

このステージに太希君がまた立つんだよ。一緒に見に行かないかい?

あの子がずっと見たがっていた景色を。」


そう父親は優しい声で母親に話しかける。


🥁


「よっ。」


そう圭吾が七海に声をかける。


その声に七海は目線を向ける。


「ついに本番だな。」


そう圭吾が七海の横を歩きながら言う。


「そうね。」


そう冷めた様子で七海は言葉を返す。


「どんな音、叩くかなぁ?あいつ。」


そう圭吾は尋ねる。


「さぁ?想像もできないなぁ。」


そう七海は小さな声で答える。


そして、太希のライブが始まる。


〈10〉


静かな視線で太希たいきは自分のドラムスティックを見つめる。


その視線の先には大きなハートマークがあった。


{なんだよ、このハート。}


{私と太希君の夢だよ。}


{夢?}


{そう。1つ1つは小さなハートだけど、2つ合わさると大きなハートになる。

なんちゃって。}


「・・・水樹みずき

もう1度、言われてくれ。

叶えに行こうぜ。2人の大きな夢を。」


そう小さな声で、でも力強く太希は呟くと立ち上がり、ステージに向かう。


ステージの上から見る景色は4年前とは違っていた。


ただ1つ同じなのは水樹が居ないという事だけだ。


その現実に太希は大きく息を吐くとドラムの前に座る。


そして、天国に居る水樹に届くよう願いながら自分の全てを叩き表現する。


その音に観客達が大きく盛り上がる。


「・・・これが…あの日、水樹が聞きたかった音。」


そう水樹の母親が壊れそうな声で言う。


「聞かせて…あげたかった…。」


そう母親は涙を流す。


そんな母親の体を優しく支えながら父親は優しい声で告げる。


「聞いてるよ。」


「え?」


「この音は必ず天国まで届いてるはずだから。だから…絶対、聞いてるよ。

水樹も。

母さん…そろそろ私達も前に進まないといけない時なんじゃないかな?

水樹のためにも。」


そう告げる父親に母親は目線を上げる。


「でも…今は…涙を流しながら…

聞こうじゃないか…この音を…。」


そう父親は言いながら溢れる想いを吐き出す。


その父親の涙を見て母親は初めて知る。

夫も辛かったのだと。

でも、自分が深く落ち込んでいるから、夫はそれを吐き出せないまま4年間過ごしたのだと。


母親は自分の涙をくと

自分の体を支える父親の手を強く握った。


“もう大丈夫だよ”と言う想いを込めて。


🥁


太希のドラムは最高潮へと向かって勢いを上げていた。


そんな太希の眼前がんぜんの景色が変わる。


現実に存在している観客達が白く消え、現実に存在していないの姿が見える。


その水樹は嬉しそうに微笑みながら手を叩いていた。


{そう。いい調子。そのまま頑張れ。}


高校生の時、練習している自分に水樹がかけてくれた言葉を思い出す。


太希の心がさらに熱く盛り上がる。


そして、ドラムは最高潮へ。


「ねぇ…中星なかぼし。」


そう七海ななみが隣に居る圭吾けいごに声をかけると

圭吾は「ん?」と言葉を返す。


「・・・水樹はあいつの音の何が好きだったんだろう?」


そう七海が尋ねると圭吾は目線を七海に向ける。


七海の目線はステージに立つ太希に向いたままだ。


「・・・さぁ?詳しくは分かんねぇけど。多分、太希が1番神川かみがわさんの事を好きだったからじゃないかな?」


「え?」


そう七海は驚きながら圭吾に目線を向ける。それと同時に今度は圭吾の目線が太希に向く。


「オレもお前も心のどかで神川さんを諦めてたんだよ。お前は性別的に。

オレは…太希あいつがいたから。

それを神川さんは感じ取ってたんじゃないかな?

つまり…あいつが1番純粋に神川さんを好きでいたんだ。

だからあいつは神川さんのために頑張れたんだよ…きっと…な。

今回、あいつの練習を手伝ってオレもやっとそれが分かった。

オレ達の音が神川さんの心に強く響かなかったのは…多分、それが理由だよ。」


その圭吾の言葉を聞いて七海は目線を太希に戻す。


「今聞いても、あいつの音は嫌いか?」


そう圭吾が尋ねる。


「・・・嫌いだよ。

でも・・・昔ほどじゃない。」


🥁


「…終わったよ。」


そう太希は水樹のお墓に報告する。


「水樹に届いたかな?

・・・うん。届いた気がする。

だって、あの日の帰りの駅で言ってくれただろ?1番近くで応援してくれるって。

お前はその言葉通り、いつも1番近くで応援してくれた。今日も1番近くで…。」


そう太希は溢れ出しそうな涙をえると顔を上げて笑顔を作る。


「あの日から・・・嫌。

初めて水樹に会ったあの時から。

ずっと…ずっと…言いたい事があったんだ。伝えたい言葉があったんだ。

水樹…ずっと好きだった。」


そう太希は4年以上自分の心にあった想いをやっと水樹に告げる。


だが…その告白に返事は返ってこない。


「・・・じゃ、またな。水樹。」


そう言うと太希は水樹のお墓に背を向けて歩き出す。


「私も好きだったよ。ずっと。」


そう水樹の声が太希の耳に届く。


その声に太希は振り返る。


だが、そこに水樹の姿はない。


それでも確かに太希の心に水樹の返事は届いたのだ。


その言葉が嬉しくて太希は微笑むとまた歩き出す。自分の人生みちを。

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