第6話

 ──こんな時に、ふと一人の少女の顔を思い浮かべた。

 隣の中学校に通っている少女・小鳥遊たかなししずく

 しずくとは、優樹が月・水・金曜日に通っている塾が一緒だ。

 くっきりとした二重瞼ふたえまぶたが特徴的な大きい瞳は、目尻にかけて少し垂れている。 ぽってりとした薄紅色の唇。茶色がかった、ウェーブされた髪は肩の辺りで切り揃えられていて、彼女の歩調に合わせ、フワフワと揺れる。

 陶器のような、白く滑らかな肌。

 まるで、人間離れした存在。

 同じ授業を受ける生徒は皆、否応なしにしずくの姿を目で追い、見惚れている。

 優樹も教室でしずくの姿を見つけることを、同じ空間で授業を受けることを毎回、心待ちしている。

 そんな、塾の教室で週三日会う、話したことなどないしずくの姿が脳裏をよぎった、その時だった。


「なに、してるの?」

 うずくまっていた優樹の耳に、高音の、かわいらしい声が聞こえた。

 優樹はチラリと頭を上げた。

 ──立っていたのは、優樹がたった今まで思い浮かべていた、しずくだった。


「キミ、いじめっ子?」

 少女は湊翔みなとを見つめ、どこかあどけなさを感じさせる表情で訊ねた。

 湊翔みなとは今までの威勢のよさが嘘のように、押し黙ると、くるりときびすを返し、去っていく。

「あ、逃げる──」

 少女が言い終わる前に、優樹は慌てて立ち上がり、力を込めないように気をつけながら手でその口を塞ぐ。

「これ以上は、キミが怖い思いするから、もう大丈夫」

 優樹が制止すると、少女は真っ直ぐに優樹のことを見つめた。

 すぐさま優樹は少女の口から手を離し、「ごめん」と呟いた。

 ドクン、と優樹の心臓が脈打つ。

 初めて間近で見る少女は、やはり現実離れした美しさだ。

 それに加え、見た目からは想像できない、大胆な行動力を備えていることを知った。

「──頭、打ってない?」

 しずくは優樹の後頭部に軽く手をあてた。

 無自覚であった恋心を伴う淡い憧れは、この瞬間、優樹の中で明確な恋愛感情に変化した。


 しずくに引っ張られるようにして、近くの公園へと移動した二人は、ベンチに腰掛けた。

 

「神園高校を受験するの? 私もだよ!」

「えっ、ホントに!?」

「学校が終わってから塾が始まるまで時間あるから、いつもは学校の図書館で勉強してるんだけど、よかったらこれから一緒に勉強しない?」

 小鳥遊たかなししずくは人懐っこい性格らしい。

 初めて話して少ししか経っていないというのに、しずくはそんな提案をしたのだ。

「せっかく同じ高校を受験するんだったら、絶対一緒に合格したいもん!」

「え……ホントに……?」


 舞い上がりそうなほど、嬉しい反面、優樹にはしずくがこんな誘いをする理由が全く思い浮かばない。

 二人が受験する神園高校は偏差値が高く、スポーツの名門でもある。

 毎年、受験倍率が高い、難関校だ。ライバルになるということでもあるというのに、しずくはごく当たり前のように言った。


 ──いくらなんでも、難関である神園高校の受験者全員に言って回るわけではないと思うのだが。

 だからといって自分がしずくに他者よりも好意を向けられる理由など、ない。

 ──様々と思考を巡らせた後。そうか、と一つの心当たりに行き着く。彼女は人一倍、優しいのだ。

 いじめられている自分を見て、同情してくれたのだ。

 ──誰よりも格好つけたい相手に一番見られたくない姿をさらしてしまった。

 優樹はどうしようもなく、情けなくなった。

 ──いや、と優樹は考えなおす。

 例え、きっかけが同情だとしてもこれをチャンスだと捉えない手はない。

 彼女に自分のことを好きになってくれるしかないのだ。


「……ダメ?」

 しずくは優樹の返答がなかなかないことに、不安を感じたのだろう。

 眉を下げ、おずおずと聞いた。

「いや、ううん。一緒に勉強できるなら……僕からもお願いします」

 優樹は尻すぼみな返答をかろうじて返した。

「良かった!」

 しずくはパッと花が咲くように、笑った。

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国民的女優は息子の相思相愛を許しません! 鹿島薫 @kaoris

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