第14話 ある婦人のハンカチーフ 2
流れてくる潮風にジュリは驚く。こんな香りは初めてなのだ。
いや、驚くのは風の香りだけではない。
賑やかな通りを歩く人々は髪の色も瞳の色もそれぞれに違う。顔立ちや肌の色が異なる者、衣服からも異国情緒漂う者もいる。
だが、街を行く人々はそれを気にする様子はない。
ケープコートのフードを深く被ったジュリはその様子をきょろきょろと興味深く見つめていた。
「どう? 素敵な街でしょ、リディルの街って。海もあるし、山や森もある。港があって、そこからいろんな物や人が入って来るんだよ」
「……それで様々な人がいるのか」
「うん。保護法もあるし、表立ってなにか言ってくる人はいないよ。あ、それにもしなにか言ってくる人がいたら、あたしが持ち上げてぶん! って投げちゃうから」
右手をビュンと振るエレナだが、本当にしてしまいそうなのが怖いところだ。
エレナの力の強さは本物で、ジュリの家で力仕事を難なくこなす。街ではもっと重い物を運んだと主張するエレナに無理をさせないように宥める必要があるくらいなのだ。
そう思うジュリだが、今の姿はフードを深く被り、その容姿がわからないようにしている。おまけにぎゅっとエレナの左腕にしがみついたまま歩いていた。
いくら保護法があり、エレナが力持ちであっても、人とかかわってこなかったジュリにとって街に出るのは大冒険だ。
なにより、ハーフエルフであることが周囲の目にはどのように映るのか。ジュリには未知数のことだった。
「でも、思ってたのと違う反応でなんか安心したなー」
「いや、これはこれで問題なんじゃないか?」
予想に反して周囲の人々の視線はジュリに向くことがない。
それ以上に視線を集める存在があった。
ジュリの右隣にはエレナがいる。そして左隣には悠々と街を歩く白銀の毛を持つ狼の姿があるのだ。
「いいじゃない! 右に力持ちのあたし、左にはシリウス。心強いでしょ?」
「う、うむ確かに」
人目を集めつつも堂々とシリウスはジュリを守るべく、隣を歩く。左隣のエレナの腕をぎゅっと握っていることで、ジュリはなぜか安心出来るのだ。
だからジュリは気付かない。実際には彼女がハーフエルフだと気付いている者が多数いることを。
銀の髪はフードで隠れてはいるが、神秘的な紫色の瞳は隠せていないのだ。
ジョーの言った通り、五十年前と今では人々の考えにも大きな変化が生まれている。人々の考えや常識も時代と共に変化をしていく。
ジュリもまた五十年前では考えられなかった街へ出るという選択をした。
左隣を堂々と歩く白銀の狼、そして初めて得た友人エレナがジュリの考えを変えたのだ。
二人と一匹はこうしてジョーの元へと向かうのだった。
ジョーの仕事場は職人街の一角にある。
技術士や職人が多く住むその辺りは依頼をしに来た者や、見習いの職人たちで活気がある。
エレナの案内で周辺の建物より広いその家へと入ると、ジュリは小さく声を上げた。室内はあちらこちらに魔道具らしき物があり、本なども所々に積み上げられている。
その間から顔を出したジョーはこちらを見て驚きの表情を見せた。
「おい! お前さん、街に降りて来たのか!?」
「な……、そうだが!」
急に大声を出したジョーは入り口にいる二人の元へと近付いてくる。
問いただすような大声に、批判されていると感じたジュリはつい強い口調で答えてしまった。しかし、ジョーはエレナのフードを外すと、大きな手で頭を撫でた。
「言ってくれりゃ迎えに行ったのに。いやぁ、緊張したろう。なんせ、初めての外出だもんなぁ」
「わ、私は問題ないぞ。エレナもシリウスもいたからな」
「そうかそうか。うん、よく頑張ったな!」
大丈夫だったと言うのにジョーはわしゃわしゃとジュリの頭を撫でる。
せっかく整えた髪がぐしゃぐしゃだ。
なのに、ジュリは怒る気力が湧かない。なぜか、鼻の奥がつんとするのだ。
「あのね、今日は大事な話があってここに来たの。ジュリとあたし、二人でジョーじいちゃんに詳しい話を聞かなきゃいけないから!」
街を歩いてきたときはジュリを気遣うように、明るく振舞っていたエレナだが、今は真剣な表情に変わる。
ここに来た目的、それは依頼者であるローラの状況を詳しく聞くためなのだ。
白い髪に皺のある大きな手を置いたジョーは、なにやら考えている様子だ。
ジョーが視線をちらりと部屋の奥に向けると、テッドがいて頷くと彼はキッチンへと向かった。
「……少し話す必要がありそうだな」
じっと自分の顔を見つめるジュリとエレナに、ジョーは椅子に座るよう促すのだった。
*****
「それで、あのご婦人はどのような人なんだ? エレナが何か気にしているし、私も息子を思う彼女の気持ちがもう少し知りたいんだ」
ジュリの言葉にテッドの入れたお茶を一口飲んだジョーは話し出す。
椅子に腰かけるジュリとエレナ、その足元にはシリウスがいた。
「そうだな。俺のとこではもう少し詳しく話していったな」
「……じゃあ、私達のところでも話せばいいじゃないか」
少しむっとした表情になるジュリの表情にジョーは豪快に笑う。
五十年前とは違い、ジュリは表情に感情が出るようになった。
いい兆候だとジョーは思うが、そんな彼の反応が気に入らなかったのか、さらにジュリは不機嫌になる。
その姿にジョーは魔女のことを思い起こす。
彼女もまたそうであった。無表情で必要なことしか話さない――それがジュリを育てていくうちに変わったのだ。
「ジョー、聞いているのか?」
「あぁ、すまない。ただ単に歳を重ねた俺には話しやすかったんだろう。そういうもんだ」
「うん。この辺の人もジョーじいちゃんには皆、相談しに来るんだぞ。どうしたらもっといい道具になるとかさ。じいちゃんスゲえんだから」
自分のことかのように誇らしげに話すテッドだが、確かに道具や書籍も多くある室内からはジョーの知識が豊富なことが伺える。
部屋を見回すジュリはローラのことで気になっていたことを思いだし、ジョーに尋ねた。
「あの人のハンカチに刺繍が入っていたんだ。凄く綺麗で……私なんかに頼む必要がないくらいなんだ」
ジュリの疑問はもっともである。本人が刺繍を刺せるのであれば、贈り物には自ら刺した刺繍を贈った方がいい。
だが、ジョーはそんなジュリの疑問にシンプルな答えを返す。
「目を悪くしているようでな。他にも節々痛むようで、日傘も杖代わりだそうだ」
「……そうか。では細かい作業は難しいだろうな。わざわざ森に来るのも大変だったろう」
依頼人であるローラをいたわるジュリの言葉にジョーは目を細める。
一方でエレナの表情は深刻なものになっていく。
その変化に気付いたジョーは眉根を寄せる。今回の仕事がジュリではなく、エレナの負担になるのではと案じていたのだ。
依頼人ローラの情報を一部伏せていたのにはそんな事情があった。
「でもさ、その人まだ働いているんだろ? それも心配だな」
テッドの言葉にジュリとエレナは顔を見合わせる。
たしかに彼の言う通り、目が悪く節々痛む状況では仕事でも困ることが多いだろう。無理をしているのではと思うのは当然だ。
「そうだな。困ることも多いのになぜ無理をするのだろう」
他人に関心を持ち始めたジュリ、それ自体は良いことだとジョーは思う。
他者とかかわらずにいた彼女の時間がエレナとの出会いを通じ、少しずつ動き出したのだ。
だが、人とかかわることで気付くこと、傷付くことも出てくるはずだ。
そんなとき、ジュリとエレナを支えられるのかとジョーは自答する。
「……生きていくにはお金が必要だもの」
なにかに気付いたエレナが言うとテッドがその言葉に頷く。
「まぁ、そうだよな。でも息子さんの就職が決まったし、少し生活が楽になるといいな。あ、もちろん体の面でもさ!」
明るいテッドの声でジョーは決意する。
もう少し彼女達にヒントを与えねばならないだろうと。
そうでなければ、純粋な二人は傷付くはずだ。
そんな光景をジョーはもちろん望まない。
「――思い出以外に少しでもなにかを残したい。そんな考えだろう」
意味深なジョーの言葉にテッドはハッとした表情になり、沈黙する。
エレナもまた思い悩むような表情を見せる。
不思議に思ったジュリは、黙って三人の顔を交互に見つめた。
三人の表情は、ジュリの心にもかすかな不安を生じさせるのだった。
帰り道、まだ日は暮れていない。
そんな空を見上げて、エレナが呟いた。
「まだ時間はあるよね」
「なんの話だ?」
「よし、ローラさんのとこに行こう!」
ぎゅっと自身の手を握ったエレナにジュリは目を丸くする。
まだ日は暮れていない。森に帰るまで時間の猶予はあるのだ。
エレナに手を引かれるジュリとその横を歩くシリウス、こうして皆で依頼者ローラの元へと向かうことになったのだった。
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