第8話屋敷

 馬車は、都市マーヌを目指して走っていた。


 都市マーヌは、アイラの村があるスライブ領にあり、スライブ公爵の屋敷がある場所だった。


「すごい......」


 マーヌに到着すると、アイラはその人の多さに圧倒されていた。


 アイラが訪れたことのある町と言えば、せいぜいトードの町くらいで、マーヌのような通路まで煉瓦で整備された大きな都市を訪れるのは、初めての経験であった。


「あれはなに?!」


 馬車が広場を横切ったとき、人だかりの中心にジャグリングをする人の姿があった。


「ああ、あれは大道芸だよ。見るのは初めて?」


「うん。村でも町でもあんな人は居なかったから」


 遠ざかる人だかりを、アイラが名残惜しそうに見つめる。


「しばらくこの町に滞在する予定だから、落ち着いたら町を案内しようか?」


 ブラッドの提案にアイラの目が輝く。


「本当に?」


「ああ。自慢じゃないがこの町には詳しくてね。きっと気に入るよ」


「やった! ありがとうブラッドさん!」


 これから見知らぬ土地で生活する不安も、この瞬間だけは忘れることが出来た。


 煉瓦造りの町を抜け、マーヌの中心から外れた森の中へ馬車が入っていく。


 鳥のさえずりを子守唄に、アイラがうとうとしていると、窓の外に巨大な建物が現れた。


「ほら、あれが見える?」


「んー?」


 ブラッドに起こされ窓の外を見ると、木々を貫くように建つ真っ白な尖塔が見えた。


「あそこが目的地だよ」


 近づくにつれ徐々に全貌が分かるようになり、到着する頃には真っ白な壁がアイラを見下ろしていた。


「すっごい、おっきい」


 アイラは、その姿に圧倒され率直な感想を述べるのが精一杯だった。


 馬車が門の前で止まり、衛兵がブラッドの姿を確認すると、門がゆっくりと開かれる。


 大きく開かれた中庭の奥に、青い屋根の屋敷がある。


 馬車が屋敷の前に止まると、待機していた数人のメイドに混じって、髭を蓄えた中年の男が馬車に寄ってくる。


 ブラッドと共にアイラは馬車を降りると、ブラッドがその髭の男に頭を下げるのを見て、見様見真似で頭を下げる。


「ただいま戻りました」


「疲れただろう。......その娘が例の?」


 髭の男が、アイラをチラッとみる。


「そうです」


「......ジンウッド・スライブだ」


「アイラです。宜しくお願いします」


 そう言ってお辞儀をするアイラを、ジンウッドはジロジロと観察するように見下ろし、屋敷へと帰っていった。


 アイラが困惑していると、ブラッドが申し訳なさそうにしながら口を開いた。


「気にしないでくれ。長旅で疲れてると思うけど、もう少し付き合ってくれるかな?」


「はい」


 ブラッドに連れられ、階段を登り玄関口から中に入る。


 大きく開かれた空間に、赤いカーペットが敷かれ、吊り下げられたシャンデリアが目につく。


 えらいところに来てしまったと、アイラがキョロキョロとしていると、その反応が面白かったのかブラッドがクスりと笑う。


「ほら、ちゃんと前を見ていないと転んでしまうよ」


「だ、だってこんなところに来たのは初めてで」


「しばらくしたらこんなもの見慣れてしまうよ」


「ブラッドさんはここによく来るの?」


「よく来るもなにも、ここは僕の家でもあるからね」


「そうなの?!」


 よく考えれば、アイラはブラッドが何者か知らなかった。


 イルゲンの家で話した時には、てっきり教会の関係者か何かだと思っていたが、まさかこんな屋敷に住んでいるとは思いもよらなかった。


 ブラッドに案内され、アイラは客間の椅子に座る。


 この部屋も例に漏れず、壁には高名な画家の作品と思われる絵画が飾られており、部屋の隅には高そうな壺が置かれている。


 アイラには、それらの価値が分からなかったが、素人が触れるべきでは無いことだけは分かっていた。


「ねぇブラッドさん。こんなすごい屋敷に住んでるなんて、あなたは何者なの?」


「何者、ねぇ。僕がどうこうと言うよりも、僕の父が凄いだけさ。言わなかったかい? 父はスライブ領の公爵なんだよ」


「へぇ?!」


 スライブ、そう言えばあの髭の男がスライブと名乗っていたと、アイラは今になって思い出すと、急に冷や汗が背中を伝った。


「ははは。そんなに驚かなくても。肩書きがついてるってだけでそう君らと変わらないよ」


「そ、そんなわけ無いじゃないですか!」


 と、突然客間の扉が勢いよく開け放たれ、見知らぬ眼鏡を掛けた女性が入ってきた。


 いきなりのことでアイラが面食らっていると、その女はアイラを見て歓喜の声を上げた。


「あー! こんなところに居た!」


「え、え?」


 アイラが状況を飲み込めないでいると、女は駆け寄ってアイラと強引に握手するとアイラの体が揺れるほど強く上下に振る。


「初めまして! 私はキース!」


「ああああアイラですっ」


 体の揺れに合わせてアイラの声が揺れる。


「こらキース! 止めなさい! 何を騒いでいるんだ!」


 興奮するキースに、遅れて入ってきたジンウッドが注意する。


「そうだよキース。彼女が困っているじゃないか」


 ブラッドも続けて注意する。


「あらごめんごめん」


「い、いえ。私は大丈夫ですから」


「え、大丈夫だって。なんだ兄さんの勘違いじゃん」


「いい加減にしないか」


 キースの姿は、アイラの目から見て貴族とは到底思えない格好をしていた。


 ボサボサの黒髪はテキトウに結ばれ、服装もサスペンダー付きのズボンに白いシャツのみで、貴族の威厳もなにもあったものではない。


 キースとジンウッドは、アイラと向かい合うように席につく。


「妹が失礼したね。僕の話を聞いて君が来るのを楽しみにしてたんだ」


「そうそう! まさかあの魔術師の弟子に会えるなんて思ってもなかったからさ」


「あの魔術師と言うと、イルゲン先生のことでしょうか」


「へぇ~イルゲンて言うんだ。ねぇ、先生はどんな人? やっぱり毛むくじゃらのおじいちゃん?」


「あの、えっと」


 グイグイとくるキースに、アイラは状況を飲み込むことが出来ず言葉を詰まらせる。


 そんなアイラを見かねて、ブラッドが助け船を出す。


「キース落ち着きなさい。すまないねアイラさん。まず、君をこの屋敷に呼んだ理由を説明しようか」


 そう言ってブラッドは、これからアイラがしなければならないことを説明し始める。


 第一に、アイラが学校に通うにあたり制服が必要になるため、その採寸をする。

 また、その他必要なモノについてもこの機会に揃える。


 第二に、入学までの間に最低限の読み書きを身につける必要があるとのことだが、アイラは元々イルゲンの元で読み書きの類いは習っていたため、今回は割愛するとのこと。


 第三に、魔術の実力を計り、入学前に学校へその報告をする必要がある。


 以上、三点を主に屋敷での滞在期間で行う必要があるとのことだが、諸々の費用についてはスライブ公爵が負担してくれると知り、アイラはホッとした。


「さて、いまのところで何か質問は?」


「あ、あのなぜそこまで私にしてくれるんですか?」


「それだけ国が君のような存在を重要視してると言うことだよ。それに、学校と言っても実際は兵士としての訓練が主な部分になるから、これから訓練だというタイミングで読み書きなど基礎的な部分で時間を取られるわけにはいかないんだ」


「勘違いするなよ。王からの命がなければお前にここまでしてやる義理などないのだからな」


 ジンウッドが不満を露にしながらそう告げる。


「父上。あまりその様なことを言うのはどうかと」


「そうだよ父さん。彼女怯えちゃってるじゃない」


 二人から忠告され、ジンウッドは面白くないといった様子でそっぽを向く。


「わ、私なら大丈夫ですから」


 ほんの少しの間、部屋に気まずい空気が流れる。


 と、キースがここぞと言わんばかりに無理矢理話を切り替えた。


「はいはい終わり終わり! こんなつまんない話よりもさ、君の話を聞かせてよ、アイラちゃん」


 そう言ってキースはおもむろにポケットから何かを取り出すと、アイラの目の前に置いた。


 それは、アイラもよく見たことのある、イルゲンが作った薬品だった。

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