彼らが悪と呼んだもの

猫護

第1話ガルデイン防衛戦

 峡谷を遮るように直線的に伸びた砦『ガルデイン』。


 砦の周りを険しく切り立った崖が囲んでおり、分厚い石造りの壁と共に長い間外敵の侵入を防いできた。


 砦上で、鎧を身に纏った兵士達が険しい顔をしながら、皆一様に峡谷の先を見つめている。


「ここで奴らを抑えられなければ、人民が、親兄弟、愛する者が無惨に蹂躙されるだろう!」


 声高に叫ぶ指揮官の声がこだまする。


 ここに居る皆は、そんなこと分かっていた。


 だが、奴らはこれまで戦ってきた何者よりも強く、そして恐ろしかった。


 それでもここに居る彼らが逃げ出さなかったのは、指揮官が言う通りこの砦が落とされれば背後に住む愛する者達がどんな目に合うのか想像に難くなかったからだ。


 兵士達の剣握る手に、弓を持つ手に汗が滲む。


 まるで永遠にも感じる時間の中で、皆息を飲んで奴らが現れるのを待つ。


 先に感じたのは音だった。


 幾重にも重なる足音に、未だ姿を現さない敵の数を想像すると、自然と手が震えた。


 そして、土煙と共に先陣を切って突撃してくる騎兵隊が見えると、壁上の兵士が弓を構える。


「放てーー!!」


 合図を皮切りに、無数の矢が風を切って飛んでいく。


 まるで滝のように降り注ぐ矢に、次々に騎兵隊が倒れ、死体に足を取られ連鎖的に騎馬隊が崩れていく。


 だが、それでも死の雨を掻い潜った騎兵隊が、徐々に砦に近づいてくる。


 波状的に放たれた矢は、確実に敵の命を奪うが、その全てを葬るには圧倒的に数が足りなかった。


 勢いの衰えない敵の軍勢の姿に、兵士達がどよめき始める。


 そんな中で、ローブを身に纏った一人の男が、壁上に身を晒し身の丈程ある杖を天高く掲げる。


 すると、杖の先端が熱を帯び光輝いたかと思うと、光の玉が空に舞い上がり空中で砕け、無数の光の筋となって敵に降り注いだ。


 光に貫かれた敵の体が燃え上がり、痛みに悶え道に転がる。


 その光景に色めき立つ兵士達が、一人また一人と声をあげる。


「恐れることはない! 神は我らと共にある!」


 兵士達の放つ矢と光の筋が幾つも重なり、敵を蹂躙する。


 このまま砦に取り付かせることもなく、勝てるのではないか、誰もがそう思っていた。


 だが、そんな希望に時間を追うごとに影が見え始める。


 減らないのだ。


 いくら矢を降らせ、光で焼こうとも、敵の勢いは衰えずそれどころか確実に距離は詰まっていく。


 次第にローブの男にも疲れが見え始め、遂には手にもった杖を落としそうになる。


 寸でのところで、誰かがその手を支えたかと思うと、男の横に同じくローブを着た長い髪の女が立っていた。


「たく、しっかりしなさいよ! グリース!」


「すまない」


 謝るグリースの額には、尋常ではない汗が滴りその目は真っ赤に充血していた。


 彼が憔悴しているのは明らかで、彼女は自分の杖を取り出すと、杖の先端に付けられた球体に左手を添え何かを念じ始める。


「やっぱり私が居ないとダメね。見てなさい! これが本当の魔術よ!」


 彼女が、敵の前線目掛けて一文字に杖を振るうと、まるで間欠泉が吹き上がったように前線の騎兵達が空中に投げ出されると、後続の兵士達も次々に放り投げられる。


「流石だなヒルデ」


 グリースに誉められ、女はうっすらと頬を赤く染めると、それを隠すようにそっぽを向く。


「と、当然よ! 大体ああ言う手合いには点じゃなくて面で攻撃するの。こんなの初歩中の初歩!」


 彼女の魔術により、峡谷は土煙で覆われ敵の姿を隠す。


 それでも攻撃を続けようと、グリースは杖を握り直すと苦痛に顔を歪ませ膝をつく。


 その姿に、ヒルデは彼の脇腹から血が滲んでいることに気がついた。


「あんたまだ傷が」


「大丈夫だがら気にするな。それより、まだ戦いは続いているんだ」


 そう言って、顔を歪ませながら立ち上がろうとしたその瞬間、ヒュっと何かが風を切る音が聞こえ顔をあげると、ヒルデの首に横から一本の矢が突き刺さっていた。


 グリースが声にならない悲鳴をあげ、周りの兵士達が異常に気づく。


 ヒルデは、自分に何が起こったのか分からないと戸惑いながら膝から崩れ落ちる。


「ヒルデぇぇ!!」


 倒れたヒルデに覆い被さるようにしてグリースが呼び掛ける。


 だが、ヒルデは喉を貫かれ声を出すことが出来ず、何か話そうとするたびにグッグッと血を吐く音だけが漏れる。


「ああ、ああ! ヒルデどうして」


 誰の目から見ても手の施しようのないヒルデの状態に、ただただ悲痛な叫びをあげるグリース。


 弓兵の姿をとらえようと、周りの兵士達が峡谷を見渡すが、土煙ばかりで敵の姿は見えず、それは敵からしてもヒルデを狙撃出来るような状況ではなかった。


 と、何やら砦の下の方が騒がしくなり、何事かと覗き込んだ兵士が目にしたのは、敵と揉み合う味方の姿だった。


「な、なんで敵がここにいるんだよぉ!!」


 その叫びが周りの兵士達に伝播し、ある者は門が破られたのかと外を覗き込み、ある者は剣を手に下へ降り、ある者はただただ目の前の光景を受け入れられず呆然と立ち尽くす。


 砦の中が混乱を極める中、土煙を抜けて敵の一団が突撃してくる。


「魔術師殿! 敵が、敵が!」


 すがるように叫ぶ兵士達の声は、グリースに届いていなかった。


 ただ、涙を流すグリースに、ヒルデは自分の死を悟り、一刻も早く彼を戦線に復帰させるため苦痛を圧し殺し、笑顔を見せた。


 それが彼女の最後の仕事だった。


「ヒルデ?」


 事切れた彼女の体をグリースは何度も揺さぶる。


「ヒルデヒルデ!」


 彼女の死を受け入れられず、グリースが必死に呼び掛ける。


「グリース!」


 そんな姿を見かねて、指揮官がグリースの胸ぐらに掴みかかる。


「立てグリース! 戦争はまだ終わっちゃいないんだ! 彼女の死を無駄にしたくなければ戦え!」


 その言葉に、グリースは杖を握り直し杖の先を砦に突き立てる。


 その瞳には復讐の炎が灯り、眼下の敵を怒りの形相で見下す。


 敵が砦まであと数十メートルというところで、突然何かに阻まれるように、なにもない空間に激突する。


「これでしばらくは持つはずです。今のうちに中の敵を一掃してください。ですが、これも長くは持たせられませんので、手早くお願いします」


「分かった。後は任せろ」


 グリースは、見えない壁を作るために杖から魔力を流し続けなければならず、敵を引き裂いてやりたい衝動を抑えてひたすら杖を強く握りしめる。


 グリースの作り出した壁に、一筋の希望を見いだした兵士達。


 だが、次の瞬間にその希望はグリースと共に打ち砕かれた。


 強い痛みを肩に感じながら、その場にグリースが倒れる。


 魔力の供給を失った壁が、脆く崩れ去り遂に敵が門に張り付いた。


 魔術の守りを失い、壁内の敵が内側から門を開き敵兵を招き入れる。


 砦の中で挟まれ、敵の刃に倒れていく味方。


 前線は崩壊し、狂ったように逃げ惑う兵士達の中、空に浮かぶ人影がグリースを見下ろしていた。

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