雪女
巨大杉の木
全編 雪女
「つまらないわっ!」
少女は顔をしかめて足をブラブラと遊ばせる。
廊下に一列に並べられた机。その一つを占領する少女に周囲は誰一人として気に留めない。
「委員長〜。これはどこに〜?」
ある教室から荷物を持った人がひょこりと顔を出す。
「それは向こうの入り口の……いや、私も見に行く」
「助かる〜」
「委員長これは…」
委員長って人気だなぁ〜と、少女はテキトウに考えていた。
「うわあぁあ…!?」
少女は驚いて身をすくめる。カラカラと大きな音を立てて落ちたのは大量のスプレー缶だ。
「大丈夫!?」
「大丈夫! 落としちゃってごめんっ」
少女はため息を吐くと、タッと机の上から飛び下りた。
「うるさいわよ……」
不満そうに呟く彼女の声は誰にも届かない。それがより一層少女の不満を買ったようで、プクーと頬を膨らませるとプイッと顔をそらし、あてもなく廊下を歩き出した。
だが、どんなに歩こうにも少女に関心をよせる者は現れない。最初は前を見ていた少女も、廊下の端に着く頃には寂しそうに下を向いていた。
「あぁ……なんてつまらないのかしら…」
少女はふてくされたように、隅に腰を下ろし、行き交う人々を目で追い始めた。指示を出す人、駆けまわる人、傍観する人、つまらなそうな人──。多種多様な人々は皆、一様にどこか楽しそうで、興奮に胸を躍らせているようだった。
そんな人々に感化されたのか、はたまた普段からそう思っていたのか、少女は小さく呟いた。
「いいなぁ……」
足を抱いていた腕の力を強くさせる。いつも一人の少女はそう感じざるを得なかった。
「そろそろ一般客が入ってくるよ〜」
誰かが叫ぶ。少女は顔を上げた。皆の緊張が伝わってきて、少女は身震いした。
少女は考える。このような日を見るのは何回目になるんだろうか、と。
文化祭。それはその名の通り、お祭りだ。少女は他のお祭りを見たことはなかったが、それがとても楽しいものであることは理解していた。彼女の友達もこの日ばかりはウキウキと楽しそうだからだ。しかし、少女にはその楽しさがわからなかった。お化け屋敷を周ろうと、怖いものはない。食べ物を買うにもお金はない。縁日で遊ぼうと、景品はもらえず、劇を見ようと、同じようなものばかりで飽きてしまった。
何もない日のほうが楽しいと少女は思う。他愛のない世間話に、怒られてる生徒に、退屈な授業に──。
少女がため息を吐いた時、ある考えが少女の脳裏をかすめる。その想像は少女を満足にし得るものだったようで、少女は薄く微笑んだ。
「ぐすっ…ひぐっ……」
廊下の一角にしゃがみ込む少女は一人嗚咽を溢す。ただ、楽しく過ごす人々にとって水を差す行為以外の何者でもないそれは、多くの人が見て見ぬフリをする。そんな中、一人の女子生徒が少女に声をかけた。
「こんなところで泣いてどうしたの? 迷子? お父さんとお母さんは?」
矢継ぎ早に質問を投げかける女子生徒に、少女は泣き声を大きくした。
女子生徒は困ったように辺りを見渡し、すぐに何かを思いついたかのように顔に笑みを浮かべる。
「ねぇね」
彼女は少女と目を合わせるように膝を折った。少女はまだ泣いている。
「よければ私と一緒にあなたの両親を探さない?」
少女は顔を上げる。その目には涙が大量に溜まっていた。
「パパとママに会える…?」
か細い声で尋ねる少女に女子生徒は満面の笑みを向けた。
「もちろん! 私が必ず見つけてあげる。これでも探し物のプロなのよ」
彼女は少女に手を差し出す。少女は戸惑いながらもその手を取り、立ち上がった。
「私は青夏。あなたは?」
「……真白」
「真白ちゃんね。よろしくね」
少女は小さく頷く。繋いだ手を強く握られて、青夏は笑顔になった。
「よしっ。じゃあまずはどこ行こうか? 真白ちゃんはどこから来たの?」
少女は首を傾げる。
「真白ちゃんはお兄ちゃんか、お姉ちゃんはいる?」
フルフルと頭を横に振られ、青夏は困ってしまう。兄か姉がいないということは少女は完全に一般客だと言うことだからだ。
青夏は頭を悩ませる。本当ならこの場で動かない方が良いということは知っている。むやみやたらに動いてすれ違いになったら? けれど見つけてあげると言った手前、ここから動かないと少女に不安を与えてしまうかもしれない…。
八方塞がりになってしまった青夏は少女の方へと目を落とす。少女は目を輝かせて何かを目で追っていた。青夏は少女が見ている方に目を向ける。そこには後輩らしき二人組が歩いていた。
「これ美味しい〜」
「ほんと。並んだかいがあったってものだね」
彼女たちの手にはクレープが握られている。少女がそれを見ていると気付いたのは少女が小さく「美味しそう」と呟いたからだ。微笑ましい少女の姿に青夏は笑顔を溢した。
「あれ、食べてみる?」
最初少女は驚いたように青夏を見上げ、徐々に顔に輝きを灯す。「ほんと?」と尋ねてくる少女に青夏は頷いた。
「じゃあ買いに行こうかっ!」
クレープ屋に並ぶ列はそれほど長くなく、クレープはすんなり購入できた。少女がクレープを頬張る様を青夏は微笑ましく思いながら見守っていた。
少女は悩みぬいて決めたクレープをペロリと食べ終わると、近くにあったお化け屋敷に入ろうと言った。少し距離があるにも関わらず、悲鳴が聞こえてくるそこに、青夏は入るのを渋ったが、少女のお願いをむげにはできなかった。怖がる青夏を少女は笑った。
また、劇も見た。悲しい結末に青夏は涙を流した。少女は変わらず笑った。
縁日にも行った。年甲斐もなく夢中で青夏は遊んだ。少女は変わらず笑ったので、青夏はムッとして、少女の手を無理やり引っ張った。少女は驚いて、青夏の言うまま遊んだ。退屈そうに笑う少女の顔が真剣な表情に変わったのを青夏は満足げな表情で見ていた。
二人はしばらく色々なところを巡り歩いた。文化部の出し物を見たり、ウォータースライダーに乗ってみたり、他のクラスのお化け屋敷に行ってみたり──。
「あっ! 真白ちゃんの親!」
青夏は叫んだ。
「ごめんっ! 本当にごめんっ! 思わず夢中で遊んじゃった……。いやぁ〜文化祭は仕事ばっかりであんまり遊んだことなくてさ。って言い訳だよね。私が探すって言ったのに……」
しょんぼりと肩を落とす青夏に少女は目をぱちくりと開閉した。
「よしっ。今から探そう。今度こそ探そう。真白ちゃんの両親も真白ちゃんがいなくなって心配してるよ。今度は絶対誘惑には負けないっ。だから信じて」
青夏は優しく微笑み、少女の手をとって歩き出した。
「ありがとう」
「え?」
青夏は振り返る。青夏の後ろに少女はいなかった。青夏は困惑して自身の右手に目を落とす。少女の手を掴んでいたはずの右手はどこにも繋がっておらず、何か固い物を包容していた。手を開いて見てみるとあめだまが一つ。
時が静止してしまったかのようにあめだまを見つめる横を、ある家族が時の流れるまま歩いて行った。笑い声を残して。
「あぁ〜あ。人を悪戯して楽しむつもりだったのになぁ〜」
少女は不満そうに足を揺らす。
しばらく人の往来を眺めていた少女は、ふと横に目を落とし……笑った。
「ま、楽しかったからいっか」
カランとあめだまが口の中を転がった。
雪女 巨大杉の木 @kakiharad
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