第38話 市井

 アマリに飢饉が発生しかけている可能性を報告した翌日のこと。


 昨日は、コノンが市井しせいへ潜入した日である。

 なので今日はその報告を聞ける。


「おはようございます、お嬢様!」


 今日も元気なことである。

 リエが招き入れることなく、勝手に前室から出てきた。


 ……いや、別にいいんだよ?

 彼女は私の侍女だからさ。


「おはよう、コノン。昨日はお疲れ様」


 コノンはびしっと敬礼した。


「とんでもありません! お嬢様のためでしたら、なんでも致します」


 ……さすがリエ。

 教育が整っておられるようで。


「ありがとう、嬉しいわ」


 信頼はありすぎるのも毒だが、私に自制心がある限り、いいように使っていけると思う。

 そう思いたい。

 ないよりはマシだと思うけれど。

 自信はない。


「それでは報告いたします」

「ええ」


 どこに仕舞っていたのか、青いメイド服の隙間から木の札を取り出した。



「まずは冒険者ギルドの様子から」


 コノンら騎士志望も含め、非常に多くの人が冒険者登録している。

 男爵家に所属する騎士は全員、冒険者登録を済ませていると聞いたことがある。

 自由な時間に、冒険者として自主訓練におもむく者も少ないという。

 10歳未満は登録することができないので、去年嬉々としてコノンが走っていったのをいまでも覚えている。


「普段と比べて依頼が少なかったです。なのでたむろう人も少ないようでした」


 依頼が少ない。

 食べものが不足している中、依頼のために大金を使えないという仮説が立つ。


「いつもお世話になっている方も、収入が減って困っていると言っていました」


 彼女が毎回話しかけている男性のことだ。

 たしか駆け出しの青年で、若さ故の瞬発力を武器に戦う軽戦士だったか。


 ……というか収入のことまで話してくれるの?

 仲良くしすぎじゃない?


「よかったわね」

「え?」

「いや、失敬。信頼されているようでよかったという意味よ」

「そうですか」


 思ったことをたまに口に出しちゃうの、どうにかしたほうがいいな。

 思考回路が飛ぶので、誤解を招く原因になりやすい。


 咳払いして、次を促す。


「酒場の女将おかみさんに彼のことを引き合いに出しながら聞いてみると、商売あがったりのようです。

 今年は不作だったからお客さんの足が遠のいていると」


「不作? 本当にそう言ったの?」


 平民視点の重大情報に、腰を浮かせる。

 根拠がまた1つ増えた。


「はい! 言いました」


 私の勢いに1歩後ずさったコノンが、肯定の言葉を返した。


「なので値段を上げているけど許しておくれ、とも」

「値上げか……」


 もうその段階まで。

 冷夏の影響は思った以上に各所に広がっているようだ。


「リエ、今年の不作の規模を示す資料を持ってきて」

「かしこまりました」


 だったら今度は、どれくらいの不作なのか規模を知らねばならない。

 どういうものが該当するか、私も不透明だったので抽象的な指示になってしまった。



「全体的に活気が失われているように思えます」


 コノンがぽつりと言った。


「1か月しか経っていないのに、すっかり変わってしまいました」


 3年間、彼女が関われたのはそんなに多い人数ではない。

 それでも、廃れる街にショックを受けた。


 普段住んでいる住民はどう思っただろう。

 不作なら仕方ないと受け入れただろうか? すぐ諦めただろうか?

 ……いや、もしそのような人が大多数であったなら、飢えに苦しんだ農村で一揆でも起きていそうなものである。


「コノン。気づくのに遅れたこと、これは為政者の責任だわ。私がもっと早く気づいていれば、もっと早く手を打てていた」


 彼らは悪くない。

 彼らを守るのは、我々貴族の仕事だ。


「昨日、伯爵様に現状を伝えてくださるようにお母様に頼んだわ。今ごろ会議でも開いているのではないかしら」


 だから、ここからは私が。

 そう言い放つ。


 しばらくしても反応がないので、見上げると、彼女は悶えていた。



「お嬢様がかっこよすぎて、私どうすればよいかわかりません」


 真面目に惚れ惚れしたような表情である。


「ミュラー様はそういうお方なのです。気づくのが遅すぎるわ」


 いつのまにやら帰ってきていたリエが肯定してから、頼まれた書類を私に手渡す。


「……ねえ、どこがかっこいいわけ?」

「ご本人がかえってお分かりにならないことは、往々にして起こり得ることです」


 急に難しくして……。


「えっと、どういうことですか、リエ様」


 ほら、コノンが理解できていないじゃない。


「かっこいいと言われている本人、つまり私に自覚がないことは、よくあることだっていう意味よ」

「なるほどです、私も賛成します!」


 しゃきっと右手を上げた。


「しなくていいから。リエ、洗脳はだめよ?」

「洗脳だなんてお言葉が悪いですね」


「……こそっとナイフを持ち歩く人がなにを言ってんだか」

「おや、聞こえませんでした。年でしょうか」


 白々しいことを言う。

 年であることは間違いないが。


「洗脳は、NGよ」

「していません」


 まさか自覚がないのだろうか。

 あり得ないでしょ。


「飢饉の対応をなさるのではなかったのですか?」


 押し問答だし……。


「わかったわよ」


 紙束を読もうと座り直した。





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