一難去ってまた一難(1)


「ブラン君はどこまで、あの時の記憶を覚えていますか?」


ライラが言う「あの時の記憶」とは、ダンジョンでの出来事のこと。ブランは記憶を掘り返すために、思考を巡らせた。彼女と共に魔物の大群に立ち向かい、ひたすらに刀剣を振るう光景が脳裏に浮かんでくる。しかし、その記憶は突然、白紙のように途絶えていた。

今、自分がこの場所にいるという事実から、ギルドが緊急に救助隊を派遣し、その救助が間に合ったのだということは理解できる。だが、ブランの記憶には救助隊が到着した瞬間の光景はなく、気を失ってからどれくらいの時間で救助が来たのかも分かっていない。

もしかしたら、救助が来るまで気を失った自分を守りながらあの戦場をライラが戦ってくれていたのかもしれない。だとすれば、助けに来たはずの立場でありながら、彼女をあの戦場で孤独にさせてしまったことへの罪悪感がブランの胸に込み上げてくる。


「朧げだけど、気を失う前のことは覚えてるよ。あとは……気がついたらここにいた」


ブランは思い出すように言葉を続けた。記憶は、次の魔物へと向かおうとしている瞬間で突然と途切れている。


「ライラ君が倒れたのを見た時、身体が冷たくなっていくのを覚えています。」


ライラの表情が暗くなり、その言葉には深い感情がこもっている。彼女は、その瞬間の恐怖や不安を思い出しながら、ブランを見つめた。


「絶対にあなたと共にこの死地を乗り越えると決めていましたから、ブラン君を囲んで襲いかかる魔物に向けて、もう一度、全てを斬りさく風の刃シュバルブル・ウィンドレードを放とうとしたんです」


ブラン同様、ライラもまたボロボロだったはずだ。体力も、精神力も、そして魔力もほとんど残っていなかった。それでも、彼女は魔力消費が激しい上位魔法を行使してまで、助けようとしてくれたのだ。自分のために限界を超えて戦ってくれた彼女に、心から感謝しなければならない。


「そしたら――」

「救援要請を受けた俺が間に合ったってわけだ」


言葉を続けようとしたライラの声は、当然と彼女の隣に立った一人の男によって遮られる。その男は逞しい体つきに、鋭い眼差しを持っていた。彼の胸元には、ギルドの紋章が誇らしげに輝いている。


「ここはギルドに務めてる私が紹介します。彼は先日、全てが集約した魔法都市アストラルからこの西国の首都ウェストラムの派遣された者よ」


セラフィの口調にはどこか誇らしさが滲んでいた。四つの大国の中枢に位置した小国の首都——アストラルから送られてきた彼の存在が、それほど特別であることを物語っている。


「君たちが持ちこたえてくれたおかげだ。ダンジョンの異変スタンピードが起きたにも関わらず、死者数はゼロだった。本当によくやってくれたよ」



そんな存在は少年と少女に称賛の言葉を贈る。しかし、その称賛を受けた少年の視線は、男の胸元に輝くギルドの紋章の《隣》に向けられていた。


その紋章は、ダンジョンの深層——危険度20以上twenty-overに指定された魔物しか生息しない、フロアⅩⅩを降りることを許された実力者にしか与えられない紋章。魔法の頂点に位置するウィザードに次ぐ実力を示す勲章であり、その紋章を持つ者は世界でも限られる。


大賢者アークメイジ


それはウィザードよりは劣るものの、それでも、魔法の極致に達した者のみに与えられた称号。男の胸元——ギルドの紋章の隣でで輝くその紋章は、彼がその高みに達したことを意味している。ブランはその紋章をじっと見つめながら、無意識に拳を握りしめる。その理由は、これほどの実力者と同じ空間にいることへの驚きと、かすかな焦りが胸に込み上げてきたからだ。彼が目指す道の果てには、この男のような存在が確実に待っている。雷魔法イカヅチの頂点に立つ黄色の魔法使いマギアスジョーヌと期待される少女。その隣へと立つためには、そんな存在らを超えなければならない。


超えなければならない存在が今、目の前にいる。そして、自分では到底及ばない距離にいることがその風格で理解してしまう。


「憧れるか?」


男は、ブランの視線に気づき、その紋章へと視線を向けながら静かに問いかける。

ブランは一瞬、言葉に詰まる。しかしすぐに口を開いた。


「……はい。憧れます」


男はその答えに微笑んだが、その笑みにはどこか厳しさが含まれている。


「無能と名高い魔力を持ちながらも、ダンジョンに立ち向かう少年がいると、セラフィさんから聞いた。それが君なんだね」


ブランは、その『無能』の言葉に少し眉をひそめる。

だが、すぐに冷静さを取り戻した。


「……そうです。俺がその無能な存在です」


皮肉を込めて自嘲気味に返すブランに、男は軽く笑みを浮かべる。その笑みは侮蔑ではなく、どこか興味を引かれたようなものだった。


「……無能、ね」


男は少し笑みを浮かべながら、続けた。


「理由はどうであれ、他者のために敵へと立ち向かった者が無能であるなら、この世界のほとんどが無能の名を冠することになるだろうね」


男の視線が鋭くブランを捉える。


「……君は無能なんかじゃないよ」


その眼差しには、ただの勘違いや憐れみではなく、揺るぎない確信が宿っていた。


「隣にいる少女とその仲間が生きているのは、君が立ち向かったからだ。その努力を、その成果を、たとえ君が宿す魔力のせいで否定されたとしても、俺やセラフィさん、そしてこの少女だけは、君の存在を肯定すると誓う」


男の言葉には、敬意が込められている。そしてブランは、彼が発した言葉の重みを感じた。アークメイジである彼の言葉だからこそ、心の奥で鼓動が高く跳ね上がった。これまで、自分という存在を肯定してくれたのは、クレアとヴィオレの二人だけ。そして、その二人がいればそれで良いと考えていた。しかし、こうして目の前にいる三人が、新たに自分を肯定してくれる存在となったことは、彼にとって大きな意味を持つこととなる。


彼はふと、自分の選択が間違っていなかったことを実感する。孤独の中で進む道ではなく、支え合いながら進む道である方がより強くなれるのだと、心の中に新たな光が差し込んでくる。

これは兆しだ。少しずつだが、拒絶に満ちた少年が己の力を信じられるようになっていく事への始まりである。











ブランは明るくなっている空を見上げながら歩みを進める。休暇に充てるよう命じられたブランは、今まさに帰路の途中であった。ギルドを離れる頃には時計の針は十時を指していて、セラフィから養成学校に行くことを禁じられたからだ。


彼の脳裏には、アークメイジの称号を持つ男、ヴァルカンが言っていた言葉が浮かんでいた。


ヴァルカンが全ての魔物を討伐し、ブランを背負いながらライラと共にダンジョンから脱出しようとしたとき、突然ダンジョンの構造が変わり始めた。フロアへと上がるための道が次第に閉ざされていき、出口が消えていく様子を、ヴァルカンは語った。


『こんなことは今までなかったことだ』


そう口にしたヴァルカンの姿が脳裏に浮かぶ。ダンジョンの深層を探索してきた彼も、ギルドの受付嬢としてダンジョンに携わってきたセラフィも、これまでに経験したことも、聞いたこともない異常現象だと聞いた。ブランは、ダンジョン自体が人間という異端者を閉じ込めようとしているかのように感じたと語ったヴァルカンの言葉を思い出し、その背後に潜む謎に思いを巡らせる。

しかし、たかがお金稼ぎのためにフロアⅡで魔物を討伐していたブランが、その異常現象の謎に思いを巡らせたところで、答えが浮かんでくるわけもない。無理に考えても、解決策は見えそうにない。


ブランは思考を切り替え、右手に握っているぱんぱんに膨れた硬貨の入った布袋へ視線を移す。それは、ブランが医療室で眠っている間にセラフィが換金してくれたもので、通常の倍以上の重みがあった。理由は、ライラとヴァルカンが、フロアⅢで討伐した魔物の素材や魔石を拾い、それをブランへと譲ってくれたからだ。


このお金は、ブランにとって大きな助けとなる。ヴィオレの薬代や日々の生活費を稼ぐための重要な収入源となるからだ。倍の金額が手に入ったことで、しばらくは経済的な心配も減るだろう。もしかしたら、ヴィオレの為にもっと品質や効果の良い薬を買ってあげることもできるかもしれない。


そう考えると、気分はこの晴れやかな空のように、とても良いものへとなる。ブランは思わず口元がほころんだ。


しかし、そんな気分はすぐに消えてなくなることになることを、彼はまだ知らない。




家へと辿り着き、扉を開けた途端、誰かがブランの胸の中に飛び込んでくる。紫の髪色がブランの視界に映る。それは、妹であるヴィオレの髪色。痛みによって身体を動かすのも苦しいはずのヴィオレがしがみつくように力を込めて抱き着くその感触に、ブランは身体はミシミシと締め付けられていく。


これから起きることは、ブランにとって一番心が壊れてしまう出来事であると、彼は薄々感じていく。


徐々に顔を上げた最愛の妹の瞳には、大粒の涙が浮かんでいたから。







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説教のお時間です。


まず初めに、私の拙い文章を読んでくださり、ありがとうございます。

ゆっくりと書いていく予定です。

時々修正加えていくと思います。

誤字脱字があれば教えてください。

白が一番好きな色。






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