掬う波

背尾

第1話

 私が梳かした髪が、夜空のように満面に私を映した瞳が、私の名前を呼んだ唇が、私に触れた指先が、私の愛する存在が炭化していく。

私には、炎に抱擁されたかのようなやけどだけが残っていた。



 それは見覚えのある群れだった。両親の首が晒された時も、ちょうど民衆が歓声をあげていた。薄暗い塔の中にまで侵入してくるそのわめき声に耐えられず、自ら鼓膜を破ったあのとき。

もう無力で世間知らずな自分ではない。気づいたときにには走り出し、炎の中彼女に抱きつくフィズを引き剝がし抱えて走っていた。



 乗り慣れた商船、見慣れた景色のはずだった。海上からも煙がくっきりと見える。喉と背中をじわりと焦がす脂汗に構わず船の舳先を蹴って飛び出した。やけどを負いながら走り出そうとしているフィズと、目を見開き小刻みに震えながら彼女を抑えて介抱しているカミロに駆け寄り事態に気付く。

銃声で人々を怯ませ鎮火する。見世物の最中だったのにと言わんばかりの視線に、最初から分かりあうのは無理だったのだと今更ながらに絶望する。



 夜間に修道院を抜け出すなと、掃除は隅まできちんと済ませろと、一口で食べきれる量だけ口に入れろと叱るとライはいつもいたずらっぽい笑みを浮かべた。神父だろうとなんだろうと、ライにかかればただの遊び相手になってしまう。

その顔はもはや動くことなどない。修道院に来て間もないころ、中庭の木に引っかかってできた傷も分からないほどに肌が黒ずんでいる。

自分の喉からおかしな音が聞こえる。朝の鐘が鳴っても目を覚ますことはない。世界はここまで残酷になれるのか。



 事の発端は19年前に遡る。

ライはラデン王国の王妃が出産した双子の子どもだ。6本の指を持ち、出産直後に医師に取り上げられ宰相に捨てられた。しかし実際は10年ほど監禁されており、王女のスペアとして生かされていた。

 命を絶とうにも絶てない状況に絶望したライは、警備兵らが話していた徴兵に参加したいと宰相に話した。舌や顎の筋肉は未発達で言葉も拙いのがおかしかったのか、宰相はひとしきり笑った後許可した。言葉も話せず碌に動いたこともない奴が志願兵とはな、と警備兵たちと笑う声が地下牢に響く。

 

 戦場にて、こびりついた返り血が固まり布が鋭利な刃物のようにライの肌を傷つけていた。息を止めながらまずいスープを飲み干していると、テントの隅にうずくまる少年を見つけた。

「食べないの、これ」

「もう食べた」

少年は長く伸びた前髪からライを見上げた。一瞬驚いたように目を見開く。自分と同じくらいの年齢の子どもが戦場にいるとは思わなかったのだろう。

「きみも志願兵なの」

「そうだよ!逃げてきたんだ」

随分と回るようになった呂律を自慢げに披露しながらライは笑った。少年は目にかかった前髪を首を振って払い、緑色の目をのぞかせる。

「僕も。ぼくはカミロ」

ようやくライに目を向けたところで、ライの手から血が滴っているのに気付いた。いそいで軍服を破り止血する。ライは喉の奥からぐぅと悲鳴を上げて耐えていた。小指の真下の手のひらの筋肉と骨が丸見えになっていた。その手はえぐれているというよりも6本目の指が削り取られているかのようだった。しばらくしてライが落ち着くと、カミロは怪我の理由を尋ねた。

「わかんない。神さまがなんだとか高く売れるとかいってた。あたしの指とった。こわくてなにもできなくて……」

思い出したかのようにライが泣きじゃくり始めたので、カミロはその背中を優しくさすった。


子ども同士が通じ合うのは早く、大人同士が分かりあうことはどれだけ時間をかけたとしてもできない。

カミロの出身国であるミルリムが不況になった際、矢面に立たされた国王夫妻が見せしめに処刑された。王族の血を絶やすためカミロも狙われたが、関係者により塔に幽閉されていた。非人道的だと非難する知識人らが増加したため、その後2年間一般市民に預けられ反王政教育を施されたが、一般人として生かされることは許されず11歳にして戦場に派遣された。心身の未発達な子どもが戦場で生き残れるはずがなく、それは処刑と同等の決定であった。

二人はお互いに帰還しても身の安全が保障されない立場だということを理解し、すぐに遺体捏造の計画を立てた。それがたまたま聞こえてきたリオンは二人の計画に協力した。子どもの志願兵は主に貧しい家庭の生まれであったが、二人の会話から察するに訳ありなのだ。幼い子供を自身の遺体の捏造という思考に至るまで追いつめていること自体が許せなかった。リオンは能力の最大を尽くし、二人の死亡届は受理された。


 二人は帰還後修道院の扉をたたき新たな生活を始めた。二人は他人と暮らす経験に驚くことが多かった。教育も受け、研究者として現在も修道院に貢献している。

修道院はラデン王国の自治領に建てられており、領主と連携を取りながら教育や医療を提供する場としても機能している。

ライがフィズと出会ったのは、修道院長に連れられて赴いた定期報告会だった。修道院は研究成果を半年に一度領主家で発表しており、ライは16歳のとき初めて研究者として参加することになったのだ。

透き通るような黒髪に薄い色の瞳、伸びた背筋に目を惹かれた。彫刻のように整った顔を陽が照らし出すと、神々しさまで感じられる。

 報告会の後のパーティーでライはフィズにそっと近づいた。

「こんばんは、報告会お疲れさまでした」

フィズは一呼吸おいて「ライさんですか?」と尋ねる。名前を覚えていてもらえたことが嬉しくて、ライは食い気味に話しだした。フィズの口数は少なく、優しい表情でたまに相槌を打っていた。二人にとってその空間はとても居心地がよく、パーティーが終わってからもしばらく中庭で話し込んでいた。

フィズが領主の娘であること、父の実務を手伝いながら覚えている最中であること、趣味についてなどとりとめのないことを何時間も話した。ライは自分の人生のほとんどの出来事を話すことができないのを歯がゆく思いながら、フィズへの理解度を高めた。


 自治領は交易も盛んに行っている。なかでも隣国のニーザスの大商人家とは古くからの付き合いであった。領主は挨拶をしに来た商人家に見慣れない顔を見つけた。

「お初にお目にかかります、三男のアイザックと申します。家業を継ぐため、しばらくの間見習いとして勤めております」


 商談を済ませ中庭を抜けて門を出ようとすると、慣れ親しんだ香りがアイザックの周囲に淡く広がった。花の上で輝く朝露のような香り。思わず顔をあげると、そこにはずっと探し求めていた親友がいた。

「カミロ!」

抱き合いながら存在を確かめる。頬にかかる息が、わずかに震える睫毛が、カミロは生きているのだと主張している。

「アイザック……?」

「うん」

「おれちゃんと生きてるよ」

「……うん」

「泣くなよ……」

しばらく離れることができず、その間カミロは記憶に想いを馳せていた。幽閉されていた塔から出された時、陽の光が目に痛かったのを覚えている。不安を抱えながらも塔よりひどいことはないだろうと思いながら連れられた先で出会った幼いアイザック。なにがあっても、隣にいてくれるだけで大丈夫だとすべてを肯定されている感覚があった。徴兵までの期間、彼と過ごした日々はカミロの心の支えになっていた。



 平和な日々も長くは続かず、自治領はラデン王国の武器庫と化していった。領主を招待しないまま本国の議会で決定された事項だった。戦争に備え、敵国の中継地点として武器の3割を自治領に置くこと。それは本国の戦いで自治領の土地が踏み荒らされることを意味している。火薬庫のように一瞬にして焦土と化すだろう。


 これに立ち上がったのがライ、フィズ、カミロ、アイザックを中心とする革命軍だった。本国からの独立を目指した。ライは双子の王女の協力を密かに仰ぎ、彼女と入れ替わりながら宰相を説得しようと試みた。ライと双子である王女は次期女王であるが、未だ宰相が実権を握っており親政は開始されていなかった。説得に失敗したため、ライと王女はクーデターを起こし王権を手に入れた。各国の反応は様々だったが、共通見解として「女王に期待する根拠はいくつもある」と広めたのは世界を飛び回る商人であるアイザックだった。カミロは自治領の政治に無関心な民衆から執筆とスピーチを通して支持を集め、独立の機運を高めた。フィズは自治領の継承者としてこれらすべての事態を分析し対応した。


 独立目前で、ラデン王国の宰相がライが生きていることに気付いた。自治領側として王国に反旗を翻した王族として見せしめに処刑した。残された3人の絶望は計り知れない。この出来事には自治領内外から多くの批判が集まった。知識人たちの支援もあり自治領は独立した。しかし3人が失ったものはもう2度と戻ってこない。


 そのはずだった。ある日フィズが見た少女は、あの時と変わらず夜空のような瞳で自分を照らした。

「元気だった?」

「    」


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