3. 三枝和子『珈琲館木曜社』(1973年10月)より


 彼の斜め前の席が山田の席で、いま、その机の上には何も載っていない。・・・机の上に物を載せないのは、山田の性癖にすぎないのだ。未決の書類は机の真中の大きな抽出しに小分けされてあり、事務用品は総て右側の一番上の小抽出しに入っていることを誰もが知っていた。そして未決の書類はいつも非常に少なかったが、それは山田が有能であるからでも、勤勉であるからでもなかった。山田は、それらの仕事を、いつもきわめて投げ遣りに処理した。長い時間、その仕事を手許においておくことが、あたかも穢らわしいことでもあるかのように、慌しく、急ぎに急いで片付けていった。山田は降りかかる火の粉を払い除けるように仕事を払い除けていたのだ。それでいてミスが殆どなかったのは、山田に課せられていた仕事が、大して複雑な構造を持っていなかったからである。

(23ページ)



 彼はそのときレストハウスにいた。レストハウスが十時に開店することを知っていて、彼は十時五分にやって来た。丁度シャッターをあげたばかりで、店の中では太った五十すぎの食券売りの女がテーブルを拭いて廻っていた。・・・彼はちょっと怯んだが「熱いミルクできる?それにスパゲティ」と言った。それから、昨日もこれと同じ注文をしたな、と自分自身に確認した。「スパゲッチィは時間掛るけど、ミルク先にしますか」女は言った。昨日も同じ口調でそう言った。「いや、一緒にして下さい」彼は言って、昨日と同じ席に坐った。・・・「食券、先に買ってもらうことになってますからね」太った女が言った。テーブルを全部拭き了ってから、ゆっくりと近付いて来てそう言った。昨日と全く同じ声音で、「ミルクとスパゲッチィで二百六十円ね」と念を押した。

(194~195ページ)

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