第26話 闇に潜む要塞
ソウルの雨はさらに激しさを増し、夜の街を覆うように冷たい霧が立ち込めていた。ルナとテジュンは、シン・イェジンの黒塗りの車に乗り込み、何も言わずにその行く先を見守っていた。車は市街地から外れ、次第に人里離れた山道へと進んでいく。ルナは窓の外を見ながら、これから何が起きるのか、そして自分たちがどこに連れて行かれるのかを考えていた。
「これから向かう場所は、ジェハン財閥の表には決して出ない機関です。」シン・イェジンは前方を見据えたまま、冷静に説明を始めた。「父親、カン・ジョンウが築き上げた財閥の資金を利用し、韓国の裏社会を統制し、国家を守るための情報機関です。名前は『SIGMA(シグマ)』。」
「情報機関…?」テジュンは驚いた表情を浮かべ、シン・イェジンを見つめた。「父さんがそんなものを?」
シン・イェジンは軽く頷いた。「ジェハン財閥がただの企業ではないということは、すでに理解しているでしょう。あなたたちの父は、韓国の表と裏の勢力がぶつかり合う中で、この国を守るためにSIGMAを立ち上げました。ここは、政府機関や警察も知らない、完全に独立した組織です。」
「なぜ私たちにそれを教えるの?」ルナは冷静に問いかけた。「私たちが知る必要がある理由を説明して。」
シン・イェジンは一瞬だけルナを見やり、再び前方に視線を戻した。「あなたたちは父親の跡を継ぐ者です。財閥を単に経営するだけではなく、国家をも守る責務がある。ジェハン財閥が築いたこの国の裏の力、それをあなたたちがどう利用するかが、未来の韓国を左右します。」
ルナはテジュンと視線を交わした。二人は、父が隠していた裏の顔を知り始めたばかりだったが、その規模の大きさに圧倒されていた。国家を守る情報機関、裏社会と結びつき、韓国の未来を左右する組織。それを知ることで、二人は再び父親の影に立ち向かわなければならなくなった。
車はやがて、山奥のトンネルに差し掛かった。トンネルの入り口には厳重な警備があり、重厚な門が閉ざされていた。シン・イェジンは窓を少しだけ開け、警備員に無言でIDカードを提示した。警備員は一瞬で彼女を認識し、すぐに無線で指示を出した。
「ここがSIGMAの本部です。」シン・イェジンが静かに言った。
門がゆっくりと開き、車はその中へと進んでいく。トンネルの奥は地下へと続いており、まるで地中深くに潜む要塞のようだった。ルナとテジュンは次第にその壮大なスケールに驚きを隠せなかった。巨大なモニタールーム、無数の端末、そして常に忙しそうに動き回るスタッフたちが、情報の収集と解析に全力を尽くしている様子が見えた。
「この場所は、韓国の国家安全保障に関わるすべての情報を管理しています。」シン・イェジンは二人を案内しながら説明を続けた。「ジェハン財閥の資金は、ここでの情報収集活動や、国家の危機を未然に防ぐために使われています。」
「つまり、父はただの企業家ではなく、国家にまで手を伸ばしていたということか…」テジュンは半ば呆れたように言った。
「彼は韓国を守るために、あらゆる手段を講じました。」シン・イェジンは静かに答えた。「ここで得られた情報を使い、裏社会の勢力を掌握し、敵対勢力から国を守るために戦ってきたのです。」
「じゃあ、私たちが財閥を継ぐということは…」ルナは眉をひそめた。「この情報機関も、私たちが管理することになるの?」
「その通りです。」シン・イェジンは微笑んだ。「あなたたちがジェハン財閥のトップに立つということは、この国家の未来をも背負うことになるという意味です。父親が築いたこのシステムを守り抜くか、あるいは改革するか、それはあなたたち次第です。」
ルナはその言葉に黙り込んだ。父親がどれだけ深く国家に関与していたのか、その規模を思い知らされた今、彼女の心には新たな重責がのしかかってきた。自分が本当にこの大きな力を受け継ぐべきなのか、そしてそれが正しい選択なのか、答えが見つからない。
「見てください。」シン・イェジンは、巨大なスクリーンの前に二人を立たせた。「これが、現在の韓国に潜む脅威です。」
スクリーンには、国内外の敵対勢力のリストが表示されていた。テロ組織、スパイ活動、さらには政府内部の不正まで、あらゆる危険が網羅されていた。ルナとテジュンは、その情報の量と精度に圧倒された。
「これらの脅威は、いつ何時でも国を危機に陥れる可能性があります。」シン・イェジンは厳しい声で言った。「あなたたちがこれからこの情報をどう使い、誰を守るかを決めるのです。」
「これは…あまりに大きすぎる。」ルナは息を詰まらせた。「私たちが背負える責任じゃない…」
「あなたたちはすでに選択肢を持っています。」シン・イェジンは優しくも鋭い目で二人を見つめた。「この力を使い、国家を守るか。それとも、財閥の影に飲み込まれて終わるか。すべてはあなたたちの手に委ねられているのです。」
その瞬間、ルナとテジュンはこれまで以上に大きな決断を迫られた。父親が築いた情報機関、SIGMA。その存在は、単にジェハン財閥を支配するだけではなく、国家全体の未来をも左右するものだった。二人はこの巨大な力をどう使うべきなのか、まだ答えが見つからないまま、深い迷いの中にいた。
「私たちは…どうすればいいんだ…」テジュンは静かに呟いた。
「その答えを見つけるのは、あなたたち自身です。」シン・イェジンは再び微笑みを浮かべ、二人を見つめた。「ただ一つだけ覚えておいてください。この情報機関を利用することで、国の運命を変えることができるということを。」
---
ソウルの夜はいつもと変わらず、静かに暗闇が街を覆っていた。しかし、ルナにとっては今夜、すべてが変わる夜だった。彼女はジェハン財閥の会長室に佇み、広い窓越しに見える夜景をぼんやりと眺めていた。目の前に広がる高層ビル群が、まるで父が築き上げた巨大な帝国の象徴のように輝いている。
「こんな世界、私には関係ないと思ってた…」
ルナは、自分の中に湧き上がる複雑な感情を押し込めながら、父カン・ジョンウのデスクに目をやった。父が亡くなった今、その重厚なデスクに積み重ねられた書類や帳簿は、彼が背負ってきたすべての責任と秘密を象徴しているようだった。
「お父さん…本当に、私たちにこれを継がせるつもりだったの?」
彼女の声は部屋に虚しく響き渡るだけだった。父が築いた財閥の後継者として指名されたことに、彼女はまだ実感が湧かずにいた。ルナは長い間、父親との関係に距離を置いていた。彼女が知る父親は、冷徹なビジネスマンであり、家庭の温かみを感じさせない存在だった。
ルナは父のデスクの引き出しをゆっくりと開け、中に収められた一冊の手帳を見つけた。その手帳は、彼女の知っている父親とは異なる、裏の顔を垣間見せるものだった。
「何これ…?」
手帳の中には、ジェハン財閥が表向きに行っているビジネスとは全く異なる取引記録や、見慣れない名前の数々が並んでいた。その中には、北朝鮮の高官との接触記録や、密かに進められた秘密プロジェクトの詳細が記されていた。
「お父さん、いったい何をしてたの…?」
突然、背後でドアが静かに開く音がした。ルナが振り返ると、そこには弟のテジュンが立っていた。彼の表情もまた、緊張感と困惑に包まれていた。
「ルナ…その手帳、何なんだ?」
ルナは手帳を握りしめ、言葉に詰まりながらも答えた。「お父さんの…秘密の取引記録よ。北朝鮮との関わりも記されているわ。」
「北朝鮮…?それって…」
「そう。どうやら、単なるビジネスマンではなかったみたい。お父さんは…国家の裏で、何かをしていた。」
テジュンは一瞬驚きを隠せなかったが、すぐに冷静さを取り戻し、ルナの手元の手帳をじっと見つめた。「この手帳が何を意味しているのか…確かめなきゃいけないな。」
ルナは頷き、再び窓の外に目を向けた。ジェハン財閥がただのビジネス帝国ではなく、国家をも揺るがす陰謀の一端を担っていたことが、彼女にとっては信じ難い現実だった。しかし、手帳の中に記された事実がすべて真実であるならば、彼女はその遺産を継がざるを得ないのかもしれない。
「お父さんが何をしていたのかを知るためには、この手帳が鍵になるはずよ。」
テジュンは強い決意を込めて答えた。「俺たち兄妹で、この真実を解き明かすんだ。お父さんが何を守ろうとしていたのか、そしてそれが本当に正しいことだったのか…」
「ええ、そうね。」ルナは小さく頷き、手帳を握りしめた。「でも、これを知ることが、私たちにとってどれだけの代償になるのか…まだ分からない。」
静寂の中で、二人はこれから直面するであろう壮大な運命を予感していた。父の遺産、そして隠された真実。それを解き明かすことは、家族の崩壊と国家の危機をも引き起こしかねないものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます